プロローグ
「みてみて!ついに風の中級魔法を使えるようになったの!『静たる大地に 御上身なる風の神は顕現しせり 初の息吹を命と共に齎さむ 飄風』____ほらっ!私頑張ったよ!お父様!」
貴族街の中でも目立つ方の、黒を基調とした屋敷の庭で、1人の少女は自分の父に、長い間練習していたであろう、風の中級魔法『飄風』を見せていた。
魔法の呪文とともに少女の手からは魔力が風を形成し、やがて音を立てて、3階建ての屋敷に届くほどの風の流れを作り出した。
相も変わらず目覚ましい成長を続ける娘の才能を見て、父は飛びっきり喜び、
「本当に素晴らしい!流石私の娘だ!11歳で中級魔法をスキルポイントを使わずに自力で覚えられるなんて、すごいぞシャルロット!」
とにかく娘のシャルロットを褒めてやった。いつものように頭を撫でてやると、それはもう大はしゃぎで、彼女は左手でガッツポーズをとり、「やったーーーー!!!」と、心から嬉しがっていた。
「本当に素晴らしいですお嬢様。とはいえ今日はもうお疲れでしょう。魔力も足りなくなってきたかと思いますし、日も沈んできておりますので、夕食をとって、早めに寝ることにしましょう」
「うん!わかった!今日は大満足だよ!ありがとうリリア」
カルディア伯爵家の侍女筆頭で、シャルロットのお気に入りであるリリアも、シャルロットの魔法の出来には驚いていた。魔力不足の兆候が体に現れていたので、とりあえずリリアは休息を提案した。シャルロットの騒ぎ様だけ見れば微塵もそんな風に見えないのだが…
シャルロット・カルディア。レイラト王国の伯爵位貴族の一つ、カルディア家の当主ランティスの次女である。5歳の頃から魔法の才能の片鱗を見せる様になり、普段ならば10歳で自分の適性である2-3属性程度の初級魔法を使える様になるところを、8歳にして6属性火、水、風、光、闇、聖全ての初級魔法を自力で掌握した恐るべし天才である。
さらに、学院に入る3ヶ月前、12歳を2ヶ月前にして、国家同士の戦場で通用する中級魔法を風と水の2属性で使えるようになったのだ。シャルロットの名は貴族街の人々を通して段々と広がっていき、中位の王国レイラトの新星として期待されるようになってきた。
魔法の才能が見え始めた頃から、当主は魔法師としての英才教育を施したために、シャルロット本人は外について知ることは少なく、箱入りに近い状態にある。長女のマエリアが社交界で優秀であり、当主も社交については消極的であるため、シャルロットを人前に出す必要もなく、またそれを望んでいなかったからだ。
故に、シャルロットは、12歳から隣の連合帝国の魔法の最高学府であるフィメスト皇立魔法学院に通うことで、ようやく他人との交流を持てるようになる。それが楽しみで仕方がないのか、ここ最近は魔法使いのお友達を学校で作るなどなどと言って、とにかく魔法の技量をどんどん磨いていた。このまま行けば、皇立魔法学院の首席も確実だろう、とカルディア家の人々は考えていたようだ。
当然そんないいことばかりではない。権力を欲した人々がシャルロットに手を出すこともあるだろう。それなりに対策はしてあるが、ランティスは今はそんな難しいこと考えることもないと、シャルロットが日々明るい笑顔で過ごしているのを眺めながら思うのだった。
さて、シャルロットが風の中級魔法が使えるようになって3ヶ月近く。12歳になった彼女は、いよいよフィメスト皇立魔法学院の入学に向けて、連合帝国の学園都市の一つ、フィメストに出発する日を迎えた。
約1週間程の長旅であるため、普段は使わない、毛布によるクッションのついた座り心地のいい馬車を久しぶりに使うこととなる。偶に父に連れられて遠出をするシャルロットは、いつも座る部分が硬い材木の感触そのままであるのに不満で、「前に使ったふかふかで気持ちいい馬車に乗りたいよぉ〜あの馬車だったら2週間は過ごせるよ〜」とのこと。ランティスも今回の長旅と、娘の門出のためと、ふかふか馬車を大金叩いて借りてきたのだ。随分と娘を溺愛している様だ。
朝、既に学校に向かう準備をほとんど終えているシャルロットは、朝食を食べて、自分の持っていく手荷物を準備していた。馬車の中で使う自分用の生活用品なり、フィメストの方に着いてからすぐの間に使う小物などである。
今回の旅の服装も整え、侍女に見てもらっている中、父のランティスは、難しい顔をして執務室で足を組んで座っていて、目の前の馬車の御者ゴーガンと対峙していた。
「……本当にカルクエーラの森を通るしか、今は方法がないのか?少し遠回りをして街道を急いで行くのは駄目なのか…?」
「申し訳ございません…ご存知の通り、農作物の収穫が終わる秋のこの頃ですから、街道は貴族や地主の往来が激しく、街道で速度を出して移動するのは難しいです。伯爵位の権限を用いて道を開いてもらう事も可能ですが、何せ200年前の王と皇帝の示された方針です。魔の森カルクエーラに拓かれた安全地帯を通って御子息、御令嬢の方々を皇立学院に向かわせるのは、貴族間では慣例となっているでしょう。その慣例を破られては、他の貴族の方々から批判の目を向けられるやもしれません」
「しかしだな、御者のゴーガンよ…1週間程前、この時期落ち着いている筈のカルクエーラで魔物に不自然な動きがあったと言う噂があったであろう…?自慢にはなるが、娘のシャルロットは秀でた才能を持つ子だ。その身はなるべく安全な場所に置いておきたいのだ…」
「カルクエーラの森での異変は既にあらかた調査は終えてまして、貴族の移動には危険が及ぶことがないと、冒険者ギルドや商会内で判断されました。それに今回使用する馬車には中級程度の環境親和の魔術具がありますので、カルクエーラの奥にいる都市災害を引き起こす程の知能を持つ魔物でない限り、魔力察知で馬車に気づくことはないと思われます。そのあたりはご心配なく」
「……そこまで言うのだ。安全は確保できているのだろうな。其方とその商会を信じよう。よろしく頼む、ゴーガンよ」
「はっ。必ずや傷一つなくシャルロット様をフィメストにお送りいたします」
カルクエーラの森_____「魔の森」とも呼ばれるその森は、レイラト王国、トルシューク王国、連合帝国の3か国に跨る、大陸の中で最も警戒すべき危険地帯である。「魔」という名が冠されている通り、カルクエーラは大気中の魔力濃度が非常に高く、それ故魔力をエネルギー源に変換できる上級以上、すなわち5匹いれば都市機能を2時間で麻痺させられるほどの力を持つ魔物たちが森のそこら辺に陣取っているのだ。故に200年前までは、人が近づくにはそれ相応の戦力を構えて臨まねばならなかった。
しかし、200年前、カルクエーラを国土に有する三カ国の当時の王と皇帝は、大軍を率いて、損害を多く出しながらその森の魔物をなぎ倒し、魔の森の中に三国を通す交易路を拓くのに成功した。交易路付近には中級以上、5匹で村が10分で全滅する程の魔物が近づかないような防護膜を張ったため、護衛を雇ったり、自分自身が武装して、ゴブリンやリトルシャークなどの下級の魔物を倒せるほどの実力を持って迎えば遠回りをせずに済むとして、国中の人々に喜ばれたのである。その功績をたたえて、当時の王や皇帝を「賢帝二友王」と現在は呼ばれている。何せ今までは森の外側を大きく迂回せねばならなかったのが、その所要時間を最大で半分ほどまでに短縮させたのである。その功績のもたらす恩恵は計り知れないと言ってもいいだろう。
また、交易路の開通と共に、賢帝二友王たちはその安全性をアピールするため、レイラトとトルシュークの貴族の子供達の皇立学院への移動を、これまでの迂回する街道ではなく、魔の森の交易路を用いることを原則とする、という方針を打ち出した。まだ半信半疑であった貴族たちだったが、何度か交易路を用いるうちにその安全性を実感し、やがて好んで用いるようになった。原則が推奨に変わった後も街道の方に戻った貴族はほとんどおらず、魔の森を通した人の流れは活発になった。
ただ、時は戻って今回は、シャルロットが皇立学院へと出立する日の1週間程前、魔物が比較的交易路に近づかないこの時期であるにもかかわらず、不自然な魔物の動きの噂が冒険者経由で流れたのである。曰く、「上級のダークネスウルフが魔の森の交易路を横切った」。そのため、本来ならばこの時期にカルクエーラを通ると決めていた人々は、皇立学院に向かう人達を除いて、次々と街道へと逃げて行ったのだ。
皇立学院に向かう人達は、噂が流れてからすぐの冒険者ギルドによって真偽が調査されたが、何も問題がないと判断されたため、二王国の王達は引き続き賢帝二友王の方針を推奨したので、そのまま交易路を用いることとなった。それでも不安が払拭できない貴族達は、ランティスのように街道への迂回を提案したが、入学式まで時間がなかったり、慣例などの問題で、渋々と魔の森を横切ることを選択した。
さて、不安の残るランティスが、御者のゴーガンに説得されて、出発を見送るために外に出て馬車の前に来た頃、シャルロットも、服装や化粧、手荷物の準備などを終えて、母のアデリーネとともに馬車の前にやってきた。
シャルロットは、父譲りの水色の髪に、母譲りの白い肌で、端正な顔立ちをしている。背は12歳にしては少々低いが、それでも子供っぽいとは言われないくらいの身長ではある。華奢な体つきから、使用人や侍女の中では、大変な美貌を持つ方として割と有名であった。その美貌は母も持っていたが、それを越えているのではないかと言われていた。
貴族らしくドレスを片手で持って優雅に礼ををしてから、シャルロッテは口を開く。
「それではお父様、お母様と共に学院へと行ってまいります。学院ではたくさん魔法を勉強して、たくさんお友達を作ってきますね!」
ランティスも、しばらくの間の娘の別れに少しの寂しさを感じながらそれに応えた。
「ああ、頑張ってこい。入学式に親として見学できなくなったことは申し訳ないと思ってる。お父さんに是非、学院での大活躍を帰ってきたときに聞かせて欲しい。土産話として待ってるぞ」
「はい!必ずお父様の期待に応えてみせましょう!ああ、家を離れるのは寂しいですが、学院での生活が楽しみでしょうがないです!」
「誰かに目をつけられない程度には暴れても問題ないぞ。それとだ、シャルロット」
「なんでしょうか、お父様?」
「今までは魔力操作以外にスキルポイントを使うのは禁止していたが、学院では必要と感じた時は使ってもいいことにしよう」
「本当ですか!?やった!ありがとうございますお父様、私もどんどん魔法が上手くなれるように精進します!」
「ああ、どんどん強くなってくれ。ただし乱用は厳禁だ。本当に必要な時に何もできなくなるかもしれないだろう?それぞれの場面で本当に使う価値があるのか、きちんと吟味してから使うように」
「それぐらいはわかっております、お父様。間違っても馬鹿みたいな用途にはそんな重要なものは使いませんよ」
「…貴重な聖魔法を灯代わりにして、人の目を盗んで真夜中に本を読んでいたやつに言われたくないな」
「あー、いやーまあそれはそれですよ、あはは…」
痛いところを突かれて、誤魔化そうとしているシャルロット。余罪には、11歳になる前に、父のランティスが執務室を出るために扉を開けた直後、シャルロットが外から大量の水を流したことなどもある。本人は水の中級魔法『奔流』の披露のつもりだったらしいが、その件についてはいつも優しい父が、本気で怒って雷を落としてしまった。その反省もあって、風の中級魔法の披露では、きちんと言ってから魔法を発動している。
「まぁ、それはいい。そんなことよりもだ、旅の途中ではカルクエーラを通るが、絶対に言われるまでは馬車の外に出ないように、最近妙な噂があるからな、アデリーネも気をつけてやってくれ」
「わかりました。シャルロットも、絶対に外に出てはいけませんよ」
「はーい、わかりましたーお母様、お父様」
そんなこんなと会話しているうちに、御者のゴーガンがこちらへ向かってきた。
「ランティス様、アデリーネ様、そしてシャルロット様。馬車のご用意ができましたので、そろそろ出発といたしましょう」
「うむ、分かった。それではゴーガン、シャルロットとアデリーネをよろしく頼むぞ。二人も頑張ってこい」
「はーい、お父様、それでは行ってきます!」
「あー、行ってらっしゃい。存分に学んできてくれ」
別れの挨拶の後、アデリーネとシャルロットは馬車に乗り込んだ。シャルロットは馬車に乗り込む時に、「わーい、ふかふかの馬車だー!」などとのんきなことを言っていたりする。これから1週間ほどの馬車旅なのだから、これくらいの馬車で安心しているようだ。
その後、フィメストでの身の回りのことを世話してくれることになった、リリアを始めた侍女数人や、シャルロットの護衛などもそれぞれの馬車に乗り込んでいった。残念ながら彼らは硬い感触の馬車での移動にはなるが、そのあたりは彼らもプロであるので特に問題は感じていない。
そして、ゴーガンが鞭を手に取り、やがて数台の馬車は動き始めた。シャルロットが窓から手を出してランティスに手を振っていて、ランティスもそれに応えていたが、やがてシャルロット一行の姿は見えなくなった。
一息ついたランティスは、心機一転、まだ残っている案件を片付けに、執務室へと歩みを進めた。
シャルロット・カルディア。世界の運命を揺るがす少女の旅の物語は、今ここに始まる。
連載させていただきますので、よろしくお願いします。