二作目 恋人と父、芸術の真価
こんばんは、文藝部の手塚です。
続き物という事で初投稿、初連載という事で2話も投稿してみました。
感想等頂けたら嬉しいです
十八歳の冬、私に恋人が出来た。
恋人の名前はカリスト・フェルゴール。
隣のクラスでは先生と呼ばれている。
あだ名の名前は小説を書いてるから。
本を愛し、本に愛された少年。
社交的ではあるけれど人自身にあまり興味がなさそうな本の虫。
私に告白した理由は今読んでる小説のヒロインが私に似ていたから。
私がカリストの彼女になったのはその小説の主人公が好きだったから。
小説のタイトルは『ディアナに恋した男』
彼と付き合い始めて三か月たったある日、私は彼との出会いによってお父さんの秘密を知る事となった。
その日もカリストと高等学校の中庭でお昼の食事をしていた。
「ねぇマリア」
「なに?」
「今日も放課後にカフェに行こうよ」
「うん、わかった」
「それじゃ、そういう事で」
カリストと付き合ってからは、三日に一度くらいの頻度でカフェに行って二人で紅茶を飲んでいた。
カリストは「ところでさ」と少し真剣な表情で私に問いかける。
「そろそろバカロレアだけど、マリアは行きたい大学は決まってるの?」
バカロレアとはフランスの卒業試験のようなもので、合格できないと留年するけど、受かってしまえば色々な大学に行ける。
「なんとなくはね。私は社会研究の方に行くのは決まってるけどまだ大学は決まってないな」
「僕も同じ感じかな。でもマリアと同じ大学に行きたいな」「私もよ、カリスト」
私はカリストの体に身を寄せる。
ビブリオマニアの体は細くても男性のもので、安心感があった。
カリストは無言で私の肩を左手で抱き寄せる。
彼の表情は涼しげだけど、密着した心臓はどくどくと活発に動いていて、緊張している事がわかる。
ぎこちなくて不器用な抱擁。
それがいい、だからこそいい。
私は知っている。
これは『ヴィーナスに恋した男』のワンシーンを再現したということも。
カリストもあの小説とそっくりな行動に出た事も知っているんだろうな。
計画的な愛情表現。
それが意図的だとしても、カリストは受け止めてくれる。
その優しさが私はたまらなく好きだった。
放課後、私達は約束通りいつもの行っているカフェに二人で行き、紅茶を頼む。
私は紅茶とショートケーキを頼み、カリストは私と同じ紅茶とクッキーを頼んだ。
テラスのテーブル席に向かい合って座り、紅茶を飲む。
彼は紅茶を飲むときに砂糖をたくさん入れる。
「カリストは甘党だね」
「そのままは苦手なんだ。僕は甘党だからね、大事なのは香りだよ」
紅茶のカップは火傷しそうな程に熱い。
なんでも熱々のカップに熱々の紅茶を入れる事によって、一番おいしいコンディションへとなるらしい。
ここの紅茶はフルーツと花香りが香ばしい。
火傷しないようにゆっくりと飲む。
紅茶の香ばしさとショートケーキの甘さが口の中で混ざって幸せな気分になる。
「マリア、ちょっとお願いしたい事があるんだけどいいかな?」
「お願いって?」
「君のお父さんに会いたいんだ。会わせてくれないかな」
「お父さんに? なんで?」
「前に聞いた変わったお父さんの話が気になってさ。家にスーツでいるお父さんなんて聞いたこと無いし、興味があってさ」
「まあ普通の家にはあんなお父さんなんていないけど外では普通のお父さんだよ? そんな面白いものじゃないと思うけど……」
「ダメならいいけどさ、マリアの彼氏として挨拶もしたいし、ね?」
「いいけど……そうね、カリストを私の家に招いた事も無いしいっか」
なんでカリストはお父さんの事が気になるんだろう。
もしかしたらカリストのご両親が知り合いという事なんだろうか? それか、私が知らないだけでもしかしたらお父さんは有名人なのかもしれない。
ふとあの夜の狂気を思い出す。
結局あれからお父さんの部屋には入れない。
入ろうとしてももう思い出したくないと頭が拒否反応を発し、入る事を許さない。
あれをカリストが見たらどう思うのだろうか?
……いや、あの部屋には入れないようにしよう。
カリストの為にも、私の為にも。
そのあとは意味のない、ただの恋人同士の会話をした。
意味は無くてもいいのだ。
二人でいる時間そのものが重要なのだ。
カフェでたわいないひと時を過ごし、彼氏と共に家に帰る。私の左手とカリストの右手の指を絡ませながら。
「ただいま、お母さん」
「お邪魔します」
「おかえりマリア……そっちの彼はもしかしてカリスト君?」
「初めまして、僕はカリスト・フォルゴール。マリアの彼氏です」
「まぁ、貴方がカリスト君なのね? マリアからは色々と話を聞いてるわ。どうぞゆっくりしていって」
私は一旦荷物を部屋に置くために二階に上る。
荷物を置いてリビングに行くと、カリストはお行儀よくダイニングチェアに座っていた。
お母さんはコーヒーを温めている。
カリストの向かい側には彼が会いたがっていた人が座っていた。
「初めまして、マリアの彼氏のカリスト・フォルゴールです。よろしくお願いします」
「君がマリアの彼氏のカリスト君か。私はプノエル・オプリーノだ。よろしく」
お父さんはカリストの方に右手を差し出す。
カリストもお父さんの右手を取って握手をした。
「マリアの彼氏というからどんな男かと思ったが、理性的な良い瞳をしているな。君は信用できる人間のようだし、まだ至らない所のある娘だが、よろしく頼む」
お父さんは無機質なそっけない表情をしているが、彼の事は気に入っているようだ。
「マリアはとても素敵なレディーですよ、僕にはもったいないほどに」
調子いい事言うなぁ。
聞いてるこっちが照れてくる。
それはともかく、カリストはなぜかひどく緊張していた。
彼女のお父さんと話すからという理由ではおそらく無さそうだ。それよりも何かを指摘されるのではないかと恐れている様に感じる。
「カリスト君、コーヒーをどうぞ」
お母さんが出来上がったコーヒーを木のトレイに乗せて持ってきた。
「ありがとうございます」
「カリスト君はミルクとシュガーは要る?」
「ミルクを下さい」
「分かったわ、マリアと違って甘い方が好きなのね」
「私はブラックの深みが好きなの」
お母さんは面白そうにふふっと笑い、ミルクを持ってくる。カリストはそれを受け取り、かなりの量を流し込んだ。
それをスプーンでかき混ぜ、ベージュ色の液体を飲む。
私のコップと比べてみると違いが目に見えて分かる。
一杯飲み終わったカリストはお父さんに質問を投げかける。
「そういえばお父さんはお仕事は何をされているんですか?」
幼い頃の私と同じ質問。
またあの時と同じように返事をするのだろうか?
「そうだな、詳しくは言えないが、フリーランスで事業をやっている」
「それはもしかして画家ですか?」
「まあだいたいそんな所だ」
「……もしかして、貴方がプノエル・オルテノではないですか?」
オルテノはともかく、プノエルはお父さんの名前だ。
カリストは何を知っているのだろうか?
「どうしてそう思う?」
カリストはプノエル・オルテノという画家の事を語りだした。真剣な表情で。
「稀代の画家、プノエル・オルテノ。彼の絵の作品名の作者名のみがどこからともなく出回り、そしていつのまにか日の目を浴びて評論家達を騒がせる彼ですが、彼に会った人は皆口々に言うのです。あいつはひょうきんな男だ、朗らかな男だ、と。オルテノと名乗る人物の姿も性格も会う人によってばらばらな為に組織的な存在かと思われていた彼ですが、最近は多重人格の同一人物であるという説が濃厚になっていると聞きました。そんな時にマリアから聞いたのです。不思議なお父さんがいると。画家という人達は変わり者が多いとはいえ、こんな変わり者はオルテノしかいない。これが僕の推測です」
カリストはゆっくりと確認するように語った。
その背筋には汗がびっしり出ている。
それに対し、お父さんは全く表情も変えず、帰って来た時と変わらないままの状態でカリストに質問を返した。
「私の事を知ってるとなればフォルゴールという姓には一人心当たりがある。 さては君、ギリアム氏の息子ではないかね」
「はい、僕の父はギリアム・フォルゴールです。やはり気付いていましたか」
「ああ、君の目はギリアム氏そっくりだよ。そうか、彼に息子がいたのか……君が彼の息子だというならばもう隠す必要もなさそうだな……私がプノエル・オルテノだ。君のお父さんの注文した絵は完成しているよ。私のアトリエに案内しよう」
お父さんは立ち上がり、二階の自室に向かった。
それに続いてカリストも階段を上がる。
お父さんが画家という事を私とお母さんは初めて知った。
お母さんは状況について行けず、茫然としている。
その時私はあの夜の狂人の姿がフラッシュバックした。
本当にあれをカリストに会わせてしまっていいのだろうか? あの身の毛のよだつ魔物を見てカリストは正気で居られるのだろうか?
「待って」と言いたかった。しかし、私には止められない。
だってカリストの目が期待に溢れる素敵な瞳をしてたから。
しばらくしてお父さんのカリストは二階からリビングに下りてきた。カリストは右手に大きな絵を持っている。
「これがあのオルテノの『人物』の最新作とは……代金は後程で構いませんか?」
カリストはお父さんの部屋に行ったときと対照的に、凄く残念そうな顔をしていた。
いったい何があったのだろうか。
「構わない。それはまだ君には理解できなくても仕方ない作品だ。それをギリアム氏に見せて、もし気に入らないと言ったならば代金は無し、破り捨ててもらっても良いという契約で構わない」
お父さんはビジネスマンのように淡々と手続きを進める。
これでは画家というより絵の売り込み業者のようだ。
カリストの持っている絵とはどのような物なのだろうか?
絵は布に包まれていてどんな絵か分からない。
しかしカリストがしぶしぶ了承している所を見ると期待外れというか、いい出来では無かったようだ。
「マリア、バーバラ、こんな形で言う事になるとは思わなかったが、今まで画家であることを隠していてすまなかった。これも事情があっての事なのだ。理解してほしい」
「いいわよ、むしろ貴方がどんな仕事をしていたか分かって安心したわ」
お母さんは今までお父さんの仕事を知らされていなかったらしい。
私だってあの夜の事もあって信じられなかった。
私はお父さんの方に目を向ける。
「カリストのお父さんとはどんな関係なの?」
「ギリアム氏は四年前に私に絵を描くように依頼して来たクライアントであり、私の正体を何年も探っていた評論家で、彼は私独自の人脈を通して絵の依頼をしてきた。それを元に私にたどり着こうとしたのだろう。当時から私は『百面相の鬼才』なんて言われていたからな。彼は私の絵を評価していたそうだし、私の正体を知りたかったのだろう」
「じゃあ彼には会った事が無いの?」
「そうだな。私の絵はどれも誰が描いたか分からないまま表に出る。それゆえに私はクライアントの偵察に出る事はあっても、直接会う事は無い」
「なんで直接会わないの? 完成した作品が相手に気に入らない事があるかもしれないよ?」
「それは無いと断言できる。ここ数年の作品達『人物』シリーズは依頼した本人にのみ美意識が刺激されるように出来ている。詳しい事は言えないが、今までの『人物』シリーズも最初は今カリスト君が持っているその絵と同じくらい酷評されたものだ」
依頼した本人のみ美しいと感じる絵画なんてこの世にそんざいするのだろうか?
しかし、お父さんの言う事が正しいとすると、カリストの表情があからさまに変わった事も説明出来てしまう。
「本当にそんなものが存在するんですか? この絵がいずれ名作になるなど信じられません。確かにタッチは優れていると言えましょう。しかしこんな絵は僕いだって描けます! もしかして貴方はプノエル・オルテノではないんじゃないですか?」
カリストは納得がいかない様子で、お父さんに疑いと怒りの混じった眼差しを向けている。
付き合って三か月の彼の初めて見た表情だった。
初めてここまで熱の入ったカリストを見た。
学校では読書を好み、芸術にはあまり興味が無さそうだった彼が、ここまで熱心にお父さんに問いかけるなんて思いもしなかったし、今でも驚いている。
カリストが自分の事を疑っているのにもかかわらず、お父さんは怒りもせず、宥めるわけでもなくただ淡々と返事を返した。
「君が信じられない事も分かるし、私としては信じてもらわない方が都合がいい。まずはその絵をギリアム氏に見せてみたらどうだ? それを酷評するのはそれからでもいいだろう」
カリストは納得できないといった感じで「……分かりました」と一言だけ言って怒りをなんとか沈めた。
重い空気を振り払ったのは意外にもお母さんだった。
「私にはあまり分からない話をしているみたいだけど、今はご飯にしましょう? カリスト君も食べていくでしょう? マリアも夕食の手伝いしてくれる?」
カリストは「食べて行きます」と返事をして、椅子に座った。
私は二人との間に壁を感じつつ、夕飯をお母さんと一緒に作り始める。
お母さんも聞きたい事はあったのと思う。
でも自分が踏み込むべき領域では無いと感じて下がったのだろう。
お母さんはそこらへんの線引きを分かってるんだぁなんて思いながら料理を手伝った。
夕飯のブフ・ブルギニヨンをカリストを入れた四人で食べる。
ブフ・ブルギニヨンとは牛肉を赤ワインで煮込んだ物で、ビーフシチューのようなものだ。
「美味しいですね。家の母の料理よりも野菜が多いのがいいと思います」
最近は本当の父からの援助金とお父さんの収入が一緒に入る様になったらしく、野菜料理だけでなく肉も入るようになった。
これもその一つと言えるだろう。
「でしょ、最近お父さんの収入が増えたって事で肉料理と故郷の野菜料理を合わせた、健康で美味しい料理を作ろうって色々やってるのよ」
昔からお母さんの野菜料理は好きだったけど、最近は肉も合わさって更に美味しくなっている。
ニンジンやジャガイモもスープと食べると美味しいし、牛肉も柔らかく、食べやすい。
私も料理に関しては勉強しているけど中々お母さんの様にうまくいかない。
「バーバラの料理は美味しいと思う。私は君のような妻がいて良かったと思っている。これがあるから本業に専念できるというものだ」
相変わらず家では淡々としているが、お父さんも美味しいと思っているんだろう、多分。
「まぁ、褒めてもご飯ぐらいしか出せないわよ」
お母さんはおっとりとした表情でスプーンを動かす。
こんな日常がずっと続くといいなぁ。
幸せとは何気ない日常にある、そう感じた夕食だった。
「それではまた。父にはオルテノに頼んだ絵を受け取ったと言っておきます」
「ああ、よろしく頼む」
カリストは夕食を食べて少し世間話をした後に、絵を持って自宅に帰って行った。
「さて、あれのタイトルはどうなるかな」
お父さんはかすかに微笑みながら小声でそうつぶやいたのを私は隣で確かに聞いた。
とはいえその意味はまだ私には理解できない。
しかし一か月後、その意味を知る事となる。