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『自画像』  作者: マリア=オルテノ
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一作目 始まりの夜

この度はご覧頂きありがとうございます。

始めまして、文藝部の手塚と申します

今回は『自画像」という作品を書いてみました。

気に入って頂ければ嬉しいです。

もし良ければ感想も頂けると今後の励みになります


私にとって絵とは可能性だ。

それ自体にも価値観の変動という可能性があるけれど、芸術ならではの変質性がある。

それは人に見られるという事、そこから生まれる豊かな解釈だ。

絵とは人に見られる事でそこに価値が生まれる。

かのレオナルド・ダ・ヴィンチの『モナリザ』だって、ミケランジェロの『最後の審判』だって見られからこそ、そこに価値が生まれ、宝となるんだ。

絵とは誰にも見られなければ絵の具の塗られた紙でしかない。

全ては一本の筆から始まった。

あれはきっと私にとって出会ってはいけないものだったのだろう。

 あの筆は私の人生を快楽へ、そして狂気へと導いていく。

 

私は製紙産業の大手で働く社長の父と娼婦だったお母さんの子として生まれ、隠し子のような形で育てられた。

隠し子とはいえ、父は義理堅い人物で顔を合わせる機会こそほとんど無かったけど金銭的支援は欠かさずしてくれたお陰で、不自由なく育ち学校にも通えた。

今思えばそこらの市民よりも贅沢をしていたと思う。

その頃の私は羨ましがられるくらい幸せだった。

娼婦を辞めて主婦のような毎日を送っていたお母さんは、よく聞くシングルマザーのような情緒不安定になることも多くなかったし、もともと農村から都会に出稼ぎに来たお母さんの料理は野菜が多く、物足りないと思った事もあったけど、美味しかったし文句は無かった。

お母さんが精神的に安定していたのも、『お父さん』の存在があったからだろう。

彼は本当の父が遣わした執事のような御手伝いさんで、実質的な私の父親でもあり、お母さんの夫だった。

 お父さんとの出会いが私の人生を変える事になる。

 それは私がたしか五歳の頃だった。

 父の依頼でやってきた男はあまりにも異質だった事を今でも覚えている。

 お父さんはまるで散歩から自宅に帰って来たかのように自然な足取りでやってきた。

 何事かと思ったに事情を話した後、私にもこう話しかけてきた。

「やぁ、君が社長の娘さんか。私は君のお父さんの部下のオルテノという者で、バーバラさんの旦那役というお仕事をさせてもらってる。そして同時にマリアちゃんのお父さん役という役目も頂いた。これから長い付き合いになると思うからよろしくたのむ」

 お父さんは実に不思議な人だった。

 家ではなぜか黒スーツを着ていて、外に出る時には私服に着替える。

 家では紳士のように紅茶とケーキを嗜み、自分の部屋で難しい書類をずっと書いているという仕事スタイルだったのに対し、私服に着替えたお父さんは朗らかで人懐っこく、時にジョークを交えつつ、場を和ませるのが得意なムードメーカーだった。

 学校の同級生の子達の話とは逆で、子どもながらに変だと思って一回だけ聞いたことがある。

「ねぇ、『お父さん』はどうしていつも家だとスーツなの? 他のお父さんは家だとだらけた感じだって言ってたよ。でもお父さんは逆だよね。なんで?」

 私の質問に、無機質なほどに固い表情のまま返事をした。

「それは私にとってここが職場だからだよ。他の家はそのままの自分を出せる空間だけど、私にとってここはそうじゃない。私にとってここは自分を隠さなきゃいけない職場なんだ。外に居る時の差は大きいかもしれないけど、外の私も内の私も同じ私。役とはいえ、君の父親である以上裏も表も隠さない。それがこの仕事を引き受けた以上私がしなきゃいけない事だと思っている。マリアが変だと思うのも仕方ないが、受け入れてくれると助かる」

「分かった!」

 当時の私にはお父さんの言う事なんて微塵も分かっていなかったが、彼の声は厳しい物では無く、外のお父さんの様に刺々しさのない口調だったのでとりあえず頷いた。

 今思えば、父は本当の意味で仕事人間だったのかもしれない。

 なぜならお父さんは寝てる時と自室にこもっている時以外は二つの顔を決して崩すことが無かったからだ。

 自室のお父さん、画家としてのプノエル・オルテノを知ってしまったのは私が十四歳の頃だった。

 

 その日はお父さんとお母さんとのショッピングの帰りだった。

「お父さん、今日の晩御飯はどうしましょうか」

 お母さんは長い年月をお父さんと過ごす内に、父以上に彼を夫の様に接していた。

「あ~僕はイベリコ豚がいいな~バーバラの作るソテーは美味しいからさ」

 お父さんは右手に私の、左手にお母さんの荷物を持ちながら少し疲れたような感じで答えた。

「私は焼き魚がいいな~」

 この頃はお父さんの父親役が本当の父の望み通りに遂行しているという事で父からの援助金が増え、豊かな暮らしが出来る様になっていた。

 父がなぜ自分ではなく父親役なんて存在を私達と一緒に生活させるのかはよく分からない。

 父は年に一回ぐらいのスパンで突然家にやってきてお父さんがちゃんと責務を果たしているかを見に来る事がある。

 今の所は問題無いらしいけど、もし問題があったらどうなるのだろうか? その時はお父さんと離れ離れになるのは嫌だなあと軽い気持ちで考えていた。

 いつもの様に家に帰り、ご飯を食べながら何の変哲もない普通の家族の会話をする。その後シャワーを浴びて寝る。

 いつもの日常だった、そこまでは。

 お父さんは不定期でずっと部屋に籠っている事がある。

 お母さんに聞いても分からないし入らないで欲しいと言われているらしい。お父さん本人は趣味の時間だから一人にさせてほしいと言っていた。

 その日はお父さんに文学を教えてもらおうと思っていた。

 お父さんは本を読むのが趣味で、哲学書や近代科学の他、歴史学の本などを読んでいる博識な人だったので、授業で興味を持った事がある事があったらお父さんに聞いていた。

 そしてその日、お父さんが趣味に打ち込んでいる事の知らずに部屋に入った私は、今までに見た事も無いお父さんを知る事となる。

「あ~あ見ちまったか。そういう顔するから見せたくなかったんだよ」

 そこには見た事の無い狂人がいた。

 両目は真っ赤に充血し、その表情は愉悦の極みとも言える恍惚の表情で笑みを浮かべている。

右手に筆、左手にパレットを持ち、丸椅子に座りながら一枚の絵を描いていた。

「お父さん……それって……」

 目の前の狂人を見ていると胸が苦しくなる。

 恐怖とかそんなんじゃない。

 未知の感覚に対して体が拒否反応を示している。

 これは『恐怖』ではなく、『異質』なのだ。

 直感でそう理解しつつも、それが何かは分からずにただ立ち尽くす事しか出来なかった。

「これか? これは副業だよ。もちろんジョックも認めてる。まあ半分趣味だけどな」

 ジョックという名前を私は久しぶりに聞いた。

 ジョック・オプリーノ。

 私の父であり、お母さんの夫であり、お父さんの雇い主。

 もしかして父はこんな姿のお父さんを見た事があるのだろうか?

「……あの人はこの事を、知ってるの? こんな姿を知りながら、私達のお父さんにしたの?」

「こんなって言うなよ。こんなんでも九年間お前らと一緒に生活してきた家族なんだぜ? そんでお前の疑念についてだが、ジョックは当然この事を知ってるさ。もともと俺はこの絵の才能を見込まれてジョックさんと知り合ったんだしな。しかもこの幸せな時間を提供してくれたのは他でもないあの人だしな」

 狂人はスーツのお堅い紳士でもなく、朗らかなムードメーカーでもない、下品で心底愉快そうに言葉を放つ。

 それはまるでファウスト博士から魂を騙し取ったメフィストフェレスのような愉悦に満ちた様子だった。

 全身の毛が逆立つような恐怖を感じる。

今すぐにも逃げ出したい!

布団にうずくまって現実を否定したい!

これはきっとお父さんの姿をした何かだ!

これは夢だ、きっと夢なんだ……!

 ただただ怖かった。

 しかし私の足は動かない。

 奴から逃げ出したいのに逃げ出せない。

 そしてもう一つの感情。

 それでもお父さん、楽しそう。

 自分でもどうしてそう思ったのか分からない。

 狂人はいままでに見た事無いくらい楽しそうだった。

 狂人はパレットに絵具をいくつか付け、筆で混ぜながら話を続ける。

「俺の絵の才能を認めたジョックさんはこの筆をくれたんだ。これはあの人のお父さん、つまりマリアの爺さんから引き継いだ物らしい。今から五十年前に東洋から来た貿易船から運ばれた品物で、当時絵の嗜みのあった君のお婆さんの為に彼が買って行った物と聞いている。しかしある日を境に婆さんは姿を消した。一枚の絵を残してな」

「……どんな絵、だったの?」

「婆さん自身の自画像だった。あれは俺が見た中でもっとも美しい美人画だ。あれほどの作品は他に無いだろうよ。そしてその自画像はこの筆で描かれている」

 狂人は右手に持ってる筆を愛おしそうな目で見つめる。まるで恋人を見るかのような恍惚の眼差しで。

「この筆はな、『悪魔の筆』と言うんだ。この筆で描いた作品は悪魔の絵となって人々を取り込む様になり、取り込めば取り込むほど美しくなっていくと。その代わり最後は筆で描いた自分の作品に殺されるんだとさ。もしかしたら爺さんもこの筆に殺されたのかもな。なぁ、マリアはどう思う?」

「私にはわからない……絵が人を殺すなんて、信じられない。けど、貴方がそこまでその筆に入れ込んでいるなら……本物の『悪魔の筆』なのかもね」

 お父さんをこんな姿に変える筆が悪魔の筆で無いはずがない。

 むしろそっちの方が納得できた。

「やっぱりマリアもそう思うか。だけど俺はそれをジョックに聞いた俺は更にこれを欲しくなった。だって俺は自分の絵を至高の芸術にまで昇華させられる手段を手に入れたんだぜ? 所詮俺なんて少し絵がうまい程度のしがない男だ。巨匠達と肩を並べられるなら悪魔に魂を差し出したって構わない」

 その言葉に一切の偽りを感じられなかった。

 まるで悪魔の信奉者のように禍々しい何かであろうと自らすがりに行くほどに彼は歪になっていた。

 いや家にいる紳士でも、外に出ている明るいムードメーカーも、今目の前で狂気の渦中に佇んでいる彼も、一人の人間が一緒に抱えると思うと歪なのかもしれない。

 むしろこれこそがオルテノという男の本性なんじゃないかとさえ思えてくる。

 狂人は更に話を続ける。

「しかし現実は違った! この筆で描いた絵はあの自画像どころか俺が今まで描いた絵よりも酷い! 確かにこの筆は俺に描く快楽と無限のアイディアをくれた。それなのに名画所どころか落書きしか描けない! 俺はこんなのを描く為に魂を売る事などできない!」

 狂人は急に怒り出した。

 こんなヒステリックに怒っているお父さんを見た事が無い。まるでわがままな子供が暴れるかのように、目の前にある未完成の作品にパレットナイフを突き刺した。

 未完成の作品には座っている男性の胸部まで描かれており、胸の真ん中をナイフが貫いている。

 そして狂人はパレットを絵に投げつけ、絵はグラデーション豊かな惨殺事件の様な悲惨な物へと変わり果てた。

 どこまでも彼は歪だった。

 これほどまでに狂人の中には狂気と矛盾が潜んでいるという事なのだろうか?

 しかし私に出来たのは豹変し続ける魔物を茫然と見ているぐらいだ。

「ひゃははは! ああ、いい気味だ! あの男の絵を汚す事がこんなに気持ちいいとは! ああ、俺は幸せだ。なあマリア、お前も汚してみないか? とっても気持ちいいぞ~」

 絵にべったりと付いたパレットを剥がし、私に差し出してきた。

 私は首を横に振り、パレットを右手で弾いた。

 ここで受け取ったら私はこの狂人と同じになってしまう、そう感じての行動だった。

 それを快く思わなかった彼は、火が付いた様に怒り出す。

「なぜだマリア! お前もこの快感を感じたくないのか! なんで分からない? ……そうか、お前もあいつらと同じ俺の芸術を理解できない人間か! 芸術は爆発だ! 美しいものは汚してこそ価値があるのだ。俺は気付いたのだ! セレス・オプリーノの『自画像』を超える美を! 私こそが真の芸術の追及者だ! 失せろ、愚か者め!」

 狂人は笑みを崩し、憤怒の表情でパレッドナイフを逆手で持った。

 逃げなきゃ!

 これ以上奴の元に居てはいけない!

 あの刃の錆になる前に!

 私は狂人に背を向け、自分の部屋に走り出した。

 私の部屋自体は目と鼻の先なのだが、奴が後ろにいると思うととても長く感じた。

 部屋に入り、ドアをベットで開けられない様にする。

 しかし奴は追って来なかった。

 お母さんに私を追う姿が見られるとまずいと分かっているからだろう、そう自分に言い聞かせて冷静になる為の現実逃避をする。

 そうであってほしい、そうでなくては、きっとそうなんだ、そうに違いない。

 落ち着こうとすればするほど狂人の姿が、声が、狂気が鮮明に蘇えり、胸の鼓動の激しさは収まる所を一向に感じないまま、強く脈を打ち続けている。

 結局、緊張は朝まで途切れる事は無く、狂人への恐怖と警戒は朝まで続き、日の出と共に私は倒れた。

 それは私にとって二度と忘れられない記憶として、一生抱え込む事となる。

 

 あれだけの事があったのにお父さんはいつもと変わらず、外と中であべこべな生活を続けていた。

 いつもと変わらない日常。

 それは安らかな微睡のようで、あの日の悪夢を頭の奥へ追いやって行った。

 あれは悪い夢だったんだ。

 お父さんがあんな狂人である訳が無い。

 しかし再びの狂気が、とっくの昔に消えてった筆と共に蘇る。

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