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コバルト短編投稿作品

九番目のお姫様

作者: エイジ

 

 咳の止まらぬ私を診てくれた王の主治医に、

「余命三年」

 と宣告され、私は思わず笑ってしまった。

「お気を確かに」

 そう医者は言った。確かでなどいられない。

 王宮で、

「姫様」

 と言われてはいるが、九番目の姫ともなるとその語感もどこか軽く、「姫さん」という感じに近い。侍女も専属のものはいない。衣装も少ないから、「またあのドレスを着ていらっしゃる」などと思われないかとパーティーの席ではいつもはらはらしている。

 そんな形ばかりの姫様の身分で、無数の家来に形ばかりの敬いを受け、いなければよかった……と、自分の存在を疑っている私の精神状態が健全なわけがない。九番目の姫など王家に嫁ぐこともできない。それが体まで悪くなった。王の主治医だから名医なことには疑いがない。その名医が、肺の病で余命三年と言ったのだ。


 小さい頃から塀で囲まれた王宮で生き、他の世界を見たことがない。私は常にここではないどこかへ行きたかった。

 私は軍に志願した。女の身だが、まあ、あり得る。王族だから後方部隊になるし、戦乱の世で旅行などはできないから外に行くにはこれしかない。戦線が広がって人手不足だったこともあり、配属先はすぐに決まった。

 占領したクラウディオの首都アブノザール。その外れの町、トルガに私は来た。

 ――戦争の勝利とは、より正義に近い方が得る。そう私は思っていたのだが、部隊を率いて占領したトルガに入ってみたら、そうとも言えなくなった。いくら禁止しても部下たちが略奪に出掛けてゆく。

「許しませんよ」

 そう兵たちを叱っても部隊を統制できない。このへんが、しがない九番目の「姫さん」の悲しさ。せめて三番目くらいの姫様だったら後難を恐れて言うことを聞いてくれたかもしれない。私が部隊長だが、実権は副部隊長のルバールという四十男が握っていた。

「どうせ私なんて飾りですからね」

 私は一人残されて、広い民家の中を探検した。接収したこの家が私の部隊の本部になっている。すでに先発隊の略奪に合ったようで室内は荒らされていた。

「やだやだ……」

 どこもかしこも略奪ばかり。

「敵を倒せば財宝はつかみ取りだ!」

 略奪は軍令違反のはずだが、ルバールがこの地まで兵をそう叱咤して連れて来た。兵士たちの欲望を刺激しなければ進撃もできないのか。私は軍という組織の在り方が理解できずに首をひねる思いだった。まあ、ほとんど旅行気分の私もたいがいなものなのだが。


 接収民家には広い浴槽があった。クラウディオの人たちはローマ人のように浴槽に浸かるそうだ。サウナで垢を落とし、仕上げにお湯で洗い流す。風呂とはそういうものだと思っていたから、クラウディオに行ったら一度湯船に浸かってみたいと思っていた。想像だけでも気持ち良さそうだ。床と浴槽には白を基調とした色鮮やかなタイルがはめ込まれ、天井はないから抜ける青空が爽快だ。夜は、ここから星が見えるだろう。浴槽は五人ほどがゆったり入れそうな大きさがあった。

「ローザ」

 私に付けられたただ一人の侍女を呼んだが返事がない。まさか、女の身で略奪に出掛けたわけではないと思うが。

 浴槽の向こうに周ると三段下に降りる階段があり、煤で黒くなった窯がある。この装置で湯を沸かすようだ。

 部屋の端に土間があり、そこに山のように薪が積み上げられている。浴槽には川から引いたらしい水がちょろちょろと流れ込んで溢れて落ちる。澄んだ水で、浴槽の奥のタイルが透けてキラキラ光っている。

 この風呂に入ってみたかったが、私に風呂など焚けるだろうか。薪をひと掴みして窯に投げ込む。火はいったいどうすれば点くのか。それでもやってみようと腕まくりをして薪の束を持ち上げると、積み上げられた薪に空間が出現した。そこから光る二つのものがこちらを見ている。敵の残党が隠れていたのか。兵が隅々まで確認したはずだったのに、ここまで見なかったようだ。

「だれ!?」

 その人影は、私に見られていないと思ったのか、薪の空間に身を隠した。

「ローザ! 誰かいないの。誰か来て!」

 見張りの兵が残っているはずだ。私は何度も兵を呼んだ。

 すると、

「しっ……しっ……」

 と、奥から声がする。静かに、という意味か。薪を持って身構える私。兵は駆けつける気配がない。

 観念したのか、薪の束の隙間から、手と体を泥だらけにした男が一人出てきた。白い下着のようなものしか来ていない。

「誰か!」

「しっ……」

 男は人差指を口に当てる仕種をした。私の警戒心を解くためか、顔中で敵意のない笑顔を作っている。身構える私の手から薪を恐る恐る取り上げて、その薪を窯の中へ投げ入れる。新しい薪の束を四つも両手で抱えて窯の脇に置く。どうやら、私の代わりに風呂を沸かしてくれるようだ。

「私の言葉がわからないのね……」

 話しかけると、泥で汚れた顔をほころばせて白い歯を見せた。

「あなたはこの家の奴隷? お風呂の釜炊きをいつもしていたの?」

 身振り手振りでたずねる。私を新しい主人と思ったのか、気に入られようと笑顔で風呂を焚こうとしているようだ。逃げ遅れてここに隠れていたのだろう。

 やることもないので、男の風呂焚きの様子を私はずっと見ていた。背の高い男で肩幅もある。まだ若いようで刃向って来たら私などひとたまりもないが、敵意がないことを示すためか、私と目が合うたびに破顔する。私もそのたびに笑顔を返した。

「ケホッケホッ……。あなたも汚れてるからお風呂に入らないとだめね」

 頻繁に咳き込む私に男は心配の色を浮かべてくれた。

「私、体が弱いの。たぶん、長くは生きられないのよ」

「びょうき?」

 驚いたことに男が喋った。発音が少しおかしいが、「病気?」と言ったようだ。

「私の国のカルメ語と、この国の言語が似ていると聞いていたけど、私がこの国の言葉を聞いてもちんぷんかんぷん。だから全然通じないと思ったのに」

 男は首を傾げている。さすがに、早口すぎて理解できなかったか。

 今は仲違いしたが、このクラウディオと私の国は友好国だった。私の母国語のカルメ語の習得を奨励していた時期もあるとか。

「あなたは奴隷でしょ? 奴隷でも私の国の言葉を勉強したことがあるの?」

「わたし奴隷。でも、すこしある」

 ゆっくり話せば理解できるようだ。

「勉強を?」

「ある。……仕事もらうため、言葉の勉強する。字もかける。商売の手伝いするのにひつよう。遠くの国、いくことある」

「遠くの国へ商売で? だから言葉も勉強するの」

「そう、そう」

 男は満面の笑みで何度もうなずく。

 なるほど、この国では身分が低い者ほど勉強が必要なのか。


 湯に浸かるのは気持ちがよかった。

 体が湯の中で軽く浮き、ぽかぽかと得も言えぬ気持ち良さがある。湯気が目の前をゆらゆら上る様子も優雅だ。

「湯……かげんは、いいでしょか?」

 男は決してこちらを見ない。窯を炊く頭のてっぺんが、私からちらちら見えている。屈んで窯の世話を焼いているから、少し上体を起こせば素のままの私を見られてしまう。だが私は彼を信頼した。彼に深い教養を感じて安心したためだ。人の嫌がることはしないだろう。

 少しのぼせたが、上がるに上がれない。体を拭う布を用意していなかった。風に吹かれたらすぐに体が乾くとは思うが、さすがに裸で立ち尽くすのは恥ずかしい。

「私はリディア。あなたの名前は?」

 男になにか持って来させようと思ったが、まだ彼の名前を知らなかった。

「わかる? あなたの名前はなに?」

「わたしのなまえ、ユイズ」

「うん。ねえユイズ、体を拭く布を忘れたの。なにかない?」

「さがしてくる」

 ユイズはすぐに戻ってきて、おそらくシーツであろう大きな布を浴槽の傍らに置いてくれた。そして、少し下がって下を向いて跪く。やはり、裸体の私を見ないようにしている。さすが芸術と文化の発祥地クラウディオの住人だ。釜炊きの奴隷でも気品がある。それと比べて私の国はどうだろう。庶民は読み書きができない。軍人は横暴で略奪をする。上の(私のことだが)命令も場合によっては糞くらえ。そんな獣のような国に、教養のあるこの国が蹂躙されてしまった。人にとって大切なことは力なのだろうか。力がなければ滅ぶしかないのか。


 布で体を拭いて元の軍服を着たら、その軍服がひどく汚く思えた。同じ軍服だが、私の体が綺麗になったためにそう感じるのだろう。早く綺麗な衣服に着替えたい。

 奥の部屋がざわつき、兵たちが帰ってきたようだ。ユイズの顔がこわばる。

「大丈夫。あなたは私の家来になりなさい。兵たちも風呂に入れてあげたいから、窯の様子を見ていて。私の言葉、わかる?」

「だめ、ここ。ご主人さまだけ。ここだめ」

「なにが?」

 どうやら、ここは屋敷の主人専用の浴槽のようだ。

「外に風呂、いくらでもある。ほかの者、そこに入る」

「ふーん、まあここは女湯ということにするか」

「あなた少将さま。だからここ、あなた専用」

 これには驚いた。ユイズには私の左胸にある階級章が読めるようだ。しかし、それも当然か。ユイズも若い男だから従軍の経験があるのかもしれない。戦いは総力戦となり、奴隷であっても兵士となる。兵士であれば敵の階級章くらい読める。

「だれもここ、入れてはだめ。わたし、隠れる」

 ユイズはそう言って、また薪の隙間に隠れて、薪の束を抱えて蓋までする。

「待って。あなた、自分の立場がわかってるのね。私の軍は敵国の民には手を出しません。ユイズは私が雇います。悪いようにはしません。逃げたかったら、隙を見て逃がして上げますから」

「……逃がしてくれる。ほんとう、か?」

「ええ。約束です」

「少将さま、は、若くてきれい。心もひろい」

 お世辞までこの奴隷は使う。


 副部隊長のルバールが浴槽にやってきた。もうもうと上げる湯気に感嘆の声を上げ、見事なものですなあ、と臭い息と共に言った。

「リディア様、ますますお綺麗になられて。湯に入られたのですな」

「やることもなかったので」

「溺れなかったようで結構なことです」

「あなたたちも入る? ただ、ここは私専用で使わせてもらいます。外の家にも浴槽がたくさんあるようですよ。あなたたちはそちらで戦塵を落としなさい」

「あはは、私を溺れさせる気ですかな。まあ、気が向いたら入りましょう。それでは失礼します」

 略奪が上手くいったのか、さっぱりと満足気な顔をしていた。私の命令を無視して副部隊長の身で略奪。あの者は私を舐めている。王族の私がその気になれば自分の命までが危うくなると気を回さないのだろうか。あるいは、そうとなったら私の方を失脚させる術でも持っているのか。とにかく、明日以降も軍令を無視して略奪に出掛けた場合は、何かあの者を懲らしめる手を考えねばならない。


 夕食を終え、侍女のローザに私はお風呂を勧めた。ローザは大きな袋を抱えて町から戻ってきた。町からなにか奪ってきたのだろう。悪い女ではないのだが、まわりが買い物にでも出掛けるように略奪に出掛けて、バーゲンセールに乗り遅れる気がしたわけでもないのだろうが、彼女も一緒に略奪に出掛けた。

「略奪はほどほどに」

 怒るのにも疲れて私は言った。

「リディア様、お風呂というのは湯に入るのでございますか?」

「……ええ。この国にローマのような浴槽があると聞いたことがあるでしょう。家に残っていた奴隷に湯を焚かせてあるから入ってきなさい」

「それは楽しみです」

 ローザが屈託ない笑顔でお風呂に行って、そういえば、と思い出した。お風呂には吹き抜けで天井がない。湯に浸かりながら星などみたらさぞ気分がいいだろう。

 私もまた湯に入ろうと、今度は体を拭う布と洗いざらしの衣装も持って風呂に出掛けた。

「リディアさま!」

 浴槽を覗くとローザが金切り声を上げた。

 私に驚いたのではない。窯の前にたたずむ青年に驚いたようだ。

「お、男がおるではありませんか!」

「だから、この家に残っていた釜炊きの奴隷がいるっていったでしょ。彼ですよ」

「でも、この者に肌が見られてしまうではありませんか」

「彼は見ないし、そもそも暗いし」

 壁にはランプが幾つも灯され、その明かりが湯に反射して揺れている。とても幻想的だ。

 ローザに構わず衣を脱いで湯に入ると、ローザも恥ずかしそうに生まれたままの姿で私の後を追ってきた。ざぶん、とローザも湯に入る。

「ね、気持ちいいでしょう」

「ほんとうに」

 ローザは満足気に溜息をして、もうユイズの存在など忘れているようだ。

「釜炊きのユイズは薪の中に隠れていたのです。私たちが怖かったんですよ。民には戦争なんて関係ないのに……。戦争は政治手段のひとつで、話し合いが決裂してどうにもならなくなったときに軍人同士が雌雄を決するのです。勝敗が決まって、どさくさに紛れて略奪をするなど最低の行為です」

「すみません……」

 ローザは神妙な顔をしている。湯の効果もある。気持ちがほぐれて素直な気持ちになっているのだろう。ルバールも湯に入れたら素直になるかもと思ったが、一緒に入るわけにはいかない。

「ケホッケホッ……」

 また咳が止まらなくなった。呼吸がしづらい。ローザが湯の中で背中をさすってくれたが咳が止まらず湯から上がった。そこで目眩がして倒れてしまい、気付くと布が掛けられてローザが私の体を布で押して雫を拭いていた。傍らで、ユイズが小さな布を持って私の顔を仰いでくれている。まだ湯船の脇に寝たままだ。

 天を見上げると、星が降ってきそうなくらいに大きく輝いていた。これが私の最後の瞬間か。それでもいい。あの窮屈な王宮の外に出られただけでもありがたかった。


 次の日、私はベッドで目覚めた。

「湯が悪かったのではございませんか」

 ローザがそう心配してくれた。今日は略奪に加わらなかったようだ。

「長旅の疲れが出ただけです。今日もお風呂に入りたい」

「短い時間にしてください」

「うん、そうする」

 ローザが私のことを心配して付きっきりになってくれるようになって、お風呂も私と一緒に入る。お風呂はいつも綺麗に保たれ、お湯の温度も完璧。私は最後のときまでここで暮らしたくなった。ここではないどこかへ。ずっとそう思ってきたが、そのどこかがここであっても構わない。

「ユイズ、背中を流して」

 いつの間に懐かせたのか、驚く注文をローザは言い放った。ローザも湯船を酷く気に入って、私が部隊の書類整理に追われている昼間にも一人で湯に浸かることがあるようだ。

「頭もお願いね」

 ユイズに髪まで洗わせるのか……。私は呆れた。ユイズに気持ち良さそうに石鹸で頭を泡立てられて洗われる様は少し羨ましい。肌を男に見られるのが嫌でなくなったのだろうか。ユイズは、一生懸命という感じでローザの髪を洗っている。

「ねえ、家族はどうしたの?」

 そんなユイズの背中に聞くと、振り返って不思議そうな顔を見せた。

「家族よ。わかる? お父さんとかお母さん。お兄さん、お姉さ――」

「みんな、しんだ」

 私の言葉を遮ってユイズは言う。

「みんなこの家に住んで働いていたの?」

「…………」

 ユイズはローザの頭を無言で洗って返事をしない。

 薄々、私は思っていた。ユイズはこの家の嫡男なのではないだろうか。奴隷などではない。奴隷が外国語を操るのを私は不審に思いはじめていた。この家は大商人か貴族の館だ。隠そうとしているようだが、彼には香るような気品や教養を感じる。

「ユイズは、この家の当主の息子なのではないですか? 奴隷ではないでしょう」

 桶を掴みそれに湯を入れ、ざあっとローザの頭にかける。そのときに驚くべきことをユイズは言った。ローザには聞こえていない。

「私の悲しみなど、分かってたまるか」

 悲しそうに私を見てユイズは目を伏せた。ああ、みんな悲しいのだ。人は悲しむために生まれてきた生き物だから。

 ローザの洗髪が終わって、私もユイズに洗髪をして貰った。もう少し彼と話しをしてみたい。肌を隠すために胴には布を巻いた。

 ざあっと湯を優しく頭にかぶせて、次に石鹸を泡立てて私のブロンドの髪の間にユイズの指が滑り込んでくる。指の腹で円を描くように小気味よく洗いだす。とても気持ちがいい。

「上手なのね。この家の息子なんて言ったけど、こんな慣れた手つきを見たらただの奴隷かも」

 ユイズを挑発してみた。もっと彼の話が聞けるかもしれない。

「そうね、奴隷に違いない。今までも、さんざんご婦人の体や髪を洗ってきたから手馴れてる」

「……冗談じゃない」

「なにが?」

「女の髪を洗うなんて今日が初めてだ」

 私の耳元で囁くように言う。

「あなたは本当に言葉が上手ね。ほとんど違和感がない」

「さんざん勉強したからな。大人になったら、あなたの国に行くのが夢だった。けなげに言葉まで学んだのに、その国のやつらが武器を持って乗り込んできた。なぜ、私が占領軍の貴族の娘の頭を洗わなければならない」

「でも、とても気持ちがいい。才能あるわ」

 深刻そうな話になって、私は冗談を言った。軽くユイズも笑ってくれて、しゃかしゃかと髪を洗う。

「……貴族の娘って、私を知ってるの?」

「いや。だが、まだ二十歳くらいか? その歳で少将とは貴族の娘でなければあり得ない」

「私は、カルメ国の王の娘です」

 そう告白すると、さすがにユイズはぎょっとした様子だった。

「まさか……。王の娘とは姫君ということか? そんな玉の身の上で、こんなところまで来るはずがない。何かあったらどうする」

「それが、本当なんですよ。九番目の姫だし、肺の病であと三年の命だと言われてるから身が軽いのよ」

「明日から薬湯にしてやろう」

「肺にいいの?」

「病など、すぐに治る」

 自分の町を破壊され、進駐軍の私たちをユイズが恨んでいるのは間違いない。その恨みを私個人に向けるような鋭い舌鋒も感じたが、悪いのは戦争で、この女は悪くない。そのように思い直す葛藤もあるようで、思わぬ優しさも見せてくれた。


 私とローザはお風呂に毎日入る日々を送った。二人で並んでユイズに髪も洗って貰う。

「この戦争が終わったら、私の国に来ない? そこでも髪を洗ってほしい」

 ローザがいるためか、にこにこ笑ってユイズは返事に困っている。私のほかには言葉が流暢に話せることを見せたがらない。

「行くあてがあるの? この町に残りたい?」

「行くところ、ない」

「なら、私についてきなさい。嫌なことは忘れて、この戦争が終わったら結婚して子供を作ればいい。明るい未来を考えるの。あなた、私の国でもきっとモテるわよ」

 私以外の者は明るい未来があるのだ。

「私は逆で、今の結婚が終わったら彼と戦争するの」

 そうローザが言うので、三人で笑ってしまった。喧嘩でもトラブルでもいい。先のことをあれこれ考えられる人が羨ましかった。

 ユイズの薬湯というのは、彼が持っていた薬を服薬してからお風呂に入るものだった。ローザに言うと止められそうなので、私はユイズに渡された薬をこっそり飲んで湯に入った。湯で血流がよくなって薬が身体に回るらしい。まさか、こっそり毒など飲ませないだろう。

「まったく、なんのために私は生まれてきたのかしら。そもそも、九番目の姫ってなにかしら。なにをする運命だったのかしら」

 湯は愚痴さえも気持ちよく言わせてくれる。歌うようにそんなことを言ったら、

「美しければ、出生の順番など関係ない」

 と、ユイズが言い切った。

 それは私の容姿を褒めてくれたのか……。


 そして事件は起こった。夕方、風呂場が騒がしいので見にゆくと、兵たちが薪のあった土間を掘り起こしていた。

「あった! やっぱり隠してやがった!」

 兵たちが大騒ぎで縛り上げたユイズを打擲している。

「なにをしてるの!」

 私は体調がすぐれなかったが大声でそれを窘めた。

「ユイズの縄をほどきなさい。彼はすでに私の家来です。それに、ここは私の湯殿になっています。無断で入り込むとはなにごとです」

「しかし、この男がここに財宝を隠していたのです」

「ユイズが?」

 殴られて口元から血を流し、真っ赤な顔でユイズが兵を睨み上げている。土間のあちこちが掘り返され、薪のあった場所に死体が埋まっていた。死体は、この国の貴族の軍服を着ている。探していた王族かもしれない。

「これは……」

「死体の傍らにこれがありました」

 露見したとなれば仕方がないと思ったのか、その兵は自分の背嚢から光り輝く装飾品の数々を出した。土が付いて、みんなここに埋まっていたもののようだ。

 これは埋葬の副葬品ではないか……。なにか物語がありそうだ。私はこんな想像をした。ユイズは、この家の奴隷でも息子でもない。逃げてきた王族の親衛隊で、自分の守っていた王族が死に、この家に逃げ込んで王族を埋めた。そして、逃げようと思っていたところに私と鉢合わせをした。だから私と初めて会ったあのとき、手や体のあちこちが泥で汚れていたのだ。下着姿は軍服を脱いだからだ。

「あなたは王族の親衛隊?」

 私はユイズに聞いた。であれば、後方に捕虜として送らなければならない。厳しい尋問が始まる。まだ、この国の王族たちが捕まっていない。どこに逃げたか知っているはずだ。しかし、首を横に振るだけでいい。ユイズはこの家の奴隷だった。今は私の家来……。

 ユイズは無言で首を横にも縦にも振らなかった。

「ねえ、あなたはこの家の奴隷だったのでしょ? そうよね。あなたもここに死体が埋まっているなんて知らなかった」

 私の顔を訝しげに見上げ、縛られて座らされていたユイズはようやく首肯した。私の意図をわかってくれたようだ。それでいい。悪いようにはしない。私は彼を逃がす。略奪のせめてもの償いだ。

「どれだ、出てきた財宝というのは」

 騒がしい男が入ってきた。副部隊長のルバールだ。死体を完全に掘り起こすようにルバールは兵に命じた。

「おやめなさい。財宝だけ手にいれたらあなたは満足でしょう」

「この装束は王族の可能性があります。調べませんと」

「副葬品を調べるだけで十分です」

「しかし」

「あなたの手柄にして構いません。死者は丁重に扱ってください。必要とあれば、あとで掘り起こして調べたらいいのです。土の中の人は逃げませんよ」

「わかりました」

 自分の手柄になることがよほど嬉しかったのか、ルバールはぽくぽく頬を鳴らして奥に下がった。大切そうに副葬品の数々を抱えて……。

「見たでしょ? 彼はこの家の奴隷だったユイズというものです。なにも事情は知りません。私は風呂に入りますから人払いを。ローザを呼んでください」

 そう言うと、兵たちは踵を返して一斉に姿を消した。いつもの私の習慣で、兵たちは不審に思わなかったようだ。みな、死体を見慣れて感覚がおかしくなっている。

 ユイズの縄を解くと、掘り起こされた死体の前に屈んで、しょんぼりと死体に土を掛け始めた。私が風呂に入ると言わなければ二人だけになれなかった。

「もう日が落ちています。屋敷の裏からあなたはお逃げなさい。お金と食料は持てるだけ持たせてあげます」

 やってきたローザにその用意を命じた。


 背嚢いっぱいの食料と、ポケットが膨らんで外からわかるほどの金貨。ローザを下がらせ、裏口まで付いて行って戸を開けると、道は黒く静まって誰もいない。運があれば彼は逃げ切れるだろう。

「達者で」

 と短く言うと、

「一緒に来ませんか」

 と、意外なことをユイズは言う。

 行くわけがない。占領軍の部隊長で王族の姫君。どうして彼と一緒に私が行くのだろう。

「あなたは奴隷でも民でもありませんね。王族の親衛隊でしょう。捕まったら、酷い拷問を受けます。気を付けるように」

「少し、違う」

 ユイズは言った。

「あそこに埋まっていたのが私を守っていた親衛隊員です。私の服装をして、身代わりになって矢で射ぬかれたのです」

「じゃあ、あなたは?」

「私の本当の名はブルース・アルド」

「それでは……」

 この国の王子ということになるではないか。

「国を再興したら、もう一度会ってくれますか?」

「私と……」

 意味がわからなかった。まさか求婚でもないだろう。

「でも、きっと間に合いませんよ。毎日、薬湯をくれて髪を洗ってくれる人がいないと今にも死にそう」

「それなら、一緒に行きましょう」

「いまから?」

 行くわけがない。敗軍の将と逃げて、いったいどこへゆくのだ。

 ところが、私は次の瞬間には彼と共に闇の中を歩いていた。一寸先ではなく今が闇の中。転びそうになる私の腕を力強く抱えて歩く人が隣に居る。

 この先、どうなるのかはわからない。今が彼と共に歩いている最中なのだから。さくさくと二人の土を踏む足音だけが暗闇に鳴る。ここではないどこかへ。胸が確かにわくわくした。

 


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[一言] こちらでは初めまして! タイトルで惹かれ、拝読いたしました。 勝手にほのぼの系を想像していたら、冒頭からなんと、余命宣告……! 悲しいお話を覚悟して読み進めましたが、最後は良い意味で、裏切ら…
2015/10/06 20:08 退会済み
管理
[一言] 拝読いたしました! お姫様ものはロマンチックでいいですね。 周囲に軽く扱われるせいで自分でも自身を軽く扱ってしまう主人公に共感しました。その態度がまた周囲に舐められる原因になる悪循環…よくわ…
[良い点] 冒頭の余命宣告からして、暗いお話かと思いきや シリアスになり過ぎないように配慮して書かれてあり、とても読みやすかったです。 殺伐した空気の中の「お風呂」という着眼点も斬新だと思います。 と…
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