四話目:欲求
それから。結局3日、ドリーンは魔王のところに滞在した。
ドリーンのために、魔王たちは眠る場所も作って提供してくれた。
3日間の洗濯で、羊の魔王の体毛は真っ白のふわっふわのもこっもこになった。
魔王は、「風が通って気持ちいい~」と目を細めたし、白フワと黒フワは、魔王の体毛のあまりのフワフワっぷりに、なんと触れるようになったらしい。ふわふわすぎて、毛に引っかかる事ができるようになったのだ。
〝魔王さまに触れる~”
と喜ぶ二つのフワフワに、ドリーンも魔王さまも嬉しくなった。
ドリーンの達成感もハンパ無かった。重労働だったけれど、やり遂げて良かった。
この世に宝物を一つ生み出した。それぐらいに、魔王の体毛はフワフワだった。
この数日で、ランチ後に、魔王にもたれかかって昼寝するパターンが出来上がっていたが、魔王と言う名の昼寝枕は、日を追うごとにフワフワ夢心地度がアップした。
なんて素晴らしい生き物なのかしら。魔王だけど。
ドリーンは、3日ですっかり魔王たちの魔力に囚われてしまった。
つまり、帰りたくなくなった。
「ねぇ、帰らないで、ずっといてよ」
と魔王たちも目を潤ませて言ってくれる。
たしかに、ご飯も全部出してくれるし、このままでずっと暮らしていけるんじゃないのかしら。
これが夢でも、もうこれで生きていって良い気がした。
でも、ある時、ハっとドリーンは現実に気づいた。一緒に過ごして、5日目に。
お肉が、食べたい、と。
***
魔王は羊だ。草食だ。草食魔王だ。
だからだろうと思うけど、出されるご飯は全て植物に分類できるものだった。
それでも栄養バランス考えて、体にいいごはんになっていると白フワと黒フワは得意げに言っていた。
実際そうなんだろう。そうなんだろうけどね。
お肉、食べたい。
それに気づいた瞬間、ドリーンの頭の中に、様々な肉料理、魚料理が浮かび上がった。
お肉食べたい。焼いて食べたい。煮込んで食べたい。ソースかけて食べたい。いっぱい食べたい。
「・・・・」
食事中、ふと目の輝きが失われたことに気が付いて、魔王が「どうしたの?」と尋ねてきた。
じっとドリーンは、魔王を見た。
・・・羊肉食べたい。
思った瞬間、テレパシーでも受け取ったのか、魔王が怯えた。
そんな羊魔王を暗い欲望がチラつく瞳でじっと見つめ、それから、用意してくれた草食料理に目を落とすドリーン。
肉、食べたい。お肉。
***
〝うわぁあああああん”
白フワが泣いて引き留めようとする。
〝仕方ないよ、だって魔王さまの身が…”
黒フワが言いよどみつつ、白フワをなだめている。
魔王さまは顔を青ざめさせつつ、涙目だった。
ドリーンが、帰りたい、と言ったら、魔王さまは頷いてくれた。怯えていた。
こうして、ドリーンの楽園のような怠惰な暮らしは、終わりを迎えた。
***
ドリーンが元の暮らしに戻ってみれば、全てはうまくいっていた。
白フワが知人のフリしてちゃんと毎日職場にお休みの連絡をしてくれていたから、職場にもすんなり復帰する事が出来た。すんなりどころか、体調を心配して労わってもらった。良心が痛む。
ドリーンの引きつる笑顔を、まだ辛いのに無理をしているんだと工房の皆は受け取ってしまった。
ますます良心が痛んだ。
真面目に店で働く事で皆に貢献しよう、と元来真面目なドリーンはそう思って気を引き締めた。
下宿のおかみさんも、「誰に聞いたんだっけ」と言いつつ、ドリーンが体調不良でふせっていると思っていた。誰かから伝言されたとおかみさんは言っていた。
ひょっとして、白フワか黒フワが、おかみさんにうまく囁いてくれたのかもしれない。そういう魔物らしいから。
復帰して、仕事して、部屋に帰って、休む。
2日目に、ドリーンは呟いた。
「夢じゃなかったんだな…」
部屋から、ブラシは無くなっているし、タオルも減っている。ドリーンがあの日持ち出して、向こうで使って置いてきたからだ。
それに、町の人たちも、ドリーンは体調不良で休んでいたと言っている。
まぁ、これも全て夢なら、もうどうしようもないけれど。
と、ドリーンは思った。
晩御飯に作った肉料理を食べながら、ドリーンはちょっとため息をついた。
「魔王さま、元気かなぁ…」
ごめんね。あんなに楽しく過ごさせてもらったのに、お肉、食べたくなっちゃって…。
ついうっかり、羊肉として見てしまって…。
ごめんなさいね。
ごめんなさい。
すっかり暗くなった窓の外を見つめて、魔王さまたちの潤んだ瞳を思い出す。
寂しくなったし、また会いたいなと思ったけれど、食欲に負けて魔王を羊肉として見てしまったのは許されない。
それに、私があそこにいても魔王さまの領土は戻る事もないしね…。
今も変わらず、町には、魔王さまが懸念していた南の土地でとれた色とりどりの野菜や果物があふれているのだ。
あぁ、白くてフワフワモコモコの魔王さま、もう一度なでまわしたいなぁ…。
白フワと黒フワも、可愛かったなぁ…。
でも自業自得だ。
それに、こっちが、本来戻るべき暮らしなんだから。
ドリーンはため息をついて、カーテンを引いた。
***
レース編みの工房で、皆、レースを編む手を休めることなく、おしゃべりに興じる。
今、町に大流行中の噂があった。
『視線を感じて振り向くと、窓に二つの目玉が浮かんでいてじっと見つめていた』というものだ。
ふぅん…。怖いね。それ、怖いね。
怪談が苦手なドリーンはすでに顔をひきつらせている。
私も聞いたよ、と工房の仲間のエミルが話し出す。
「三番地の角のケントさんとこの息子さん、ほら、十いくつかのあの子! あの子、昨日見たらしいのよ!」
「わぁー」
「本当に?」
エミルが頷く。手元を見なくてもレースはさくさくと編んでいく。
「見たらしいのよ。夕方よ」
「わぁー」
「ひぃー」
エミルが言った。
「窓の外にね、雲があるなぁって思って窓を見たんですって。そしたら、雲に目があったんですって!!!」
「きゃあああああ」
「嫌だぁ」
エミルが続ける。
「しかもね、人魂も浮いていたらしいのよ! 白いのと、黒いのよ! 不吉よねぇ…」
「ひぃいいいいあああああ」
「人魂ああああ」
「・・・んん?」
ドリーンが首をちょっと傾げた。
「あらドリーン、どうしたのよ」
「いえ、ふわふわに目が付いていて、白いのと黒いのが浮いていたのね、と思って。それって、ちょっと可愛かったんじゃないかしら」
「あり得ないわよ、ドリーン!!」
「そうよ、お化けよお化け!!」
皆は口々にドリーンの「可愛い」を否定して、それを目撃してしまったというケントさんの息子さんの事を可哀想にと心配した。
チクチクとレースを編みながら、ドリーンは思った。
白いふわふわに目があって。白いのと黒いのも一緒にいたのよね。
あれ? 最近のお化けの噂って、魔王さまたち?
何してるのかなぁ…。
ふ、と気になってドリーンが窓の外に目を遣ると。
パチっと、二つの目が浮かんでいた。
「・・・・」
「ドリーン、どうした、のきゃああああああああ!!!!」
「出たぁあああああ・・・!」
工房は、パニックになった。