三話目:グレーな魔王の計画
今。
ドリーンは再び、羊魔王の前にいた。
〝魔王さま、にんげんが帰ってきたよ!”
〝魔王さま、しっかりしてー!!”
メソメソ泣いている大きな羊に、ドリーンも申し訳なくて眉を下げた。
「ごめんなさい、てっきり、夢か幻を見たのだと思っちゃって…」
そういいながら、ひょっとして今も夢だったらどうしよう、とドリーンは気づいた。
昨日の帰り道に穴に落ちてから、私は長い夢を見てるんじゃ…。
そう思ったら焦りで胸がドキドキしてきた。
どうしよう。目を覚まさないと死んじゃうとか!?
ドリーンの顔色が悪くなっていくのに、羊魔王が気が付いた。うろたえる。
「ぼ、僕、やっぱり臭いね」
ドリーンは首を横に振った。
「大丈夫。羊毛用洗剤とブラシを持って来たわ」
夢でも良い。まずは羊の汚れをとろう。
フワフワでモコモコの魔王にしよう。
話はそれからだ。
***
羊魔王は、ドリーンを外に案内した。
大草原が広がっていた。
空は高く澄んでいて、なだらかな丘陵に緑が一面広がっている。
通り抜けていく風と柔らかい日差しが暖かくて気持ち良かった。
羊魔王はドリーンを池に連れていき、
「ここでお願いします」
と、相当な腰の低さで言った。
「よしきた、任せて!」
ドリーンは大風呂敷を広げて請け合った。
***
ドリーンは、凝り性である。やり遂げないと気が済まない。だからレース編み職人にだってなれたのだ。
素手で先にゴミを取ってやって、ある程度いけたと思ったら洗剤を使う。
けれど魔王はとても大きい羊だった。
白フワと黒フワは魔王に触れないのだそうで、実作業はドリーン一人で頑張るしかなかった。
しかも何度も洗わないとこの汚れは落ちそうにない。
なんて力仕事を気安く請け負ってしまったのか、とドリーンはすぐさま後悔したが、そもそも自分が風呂に入れと言いだしてこうなったのである。やるしかない。腹をくくろう。
ちなみに、白フワと黒フワは、洗剤を池で流し落とす際、それを池や土地にとって無害な成分に変えてくれた。
魔物の力だそうだ。毒を制すればうんたらかんたらと偉そうに言われた。
本当に魔物なんだなぁ、魔王なんだなぁ。
と、ドリーンはちょっと感心した。
でも、つまり、やっぱりこれは夢かしら。
***
魔王は、体を洗って貰っている時間を使って、事情を話してくれた。
魔王は、草にとっての魔王だった。植物の支配者だった。羊だもんね。
この広大な領地を、魔王一匹で治めているのだそうだ。
伸びゆく草を食べ荒らし。
一方で、弱った大地にウ〇チという温情を与えるのだそうだ。
白フワと黒フワは、本当はウィスプという魔物らしい。
白フワは、発芽できなかった種の「お日様…見たかった…」という未練によって魔物になった。
黒フワは、火事で「み、水…」と無念に焼けた植物の魔物だそうだ。
白フワはお日様が好きで、黒フワは雨が好きと知った。
じゃあ天気雨なら、白フワと黒フワは揃って喜ぶんだろうな、とドリーンは思った。
そして、白と黒のフワフワは、揃って魔王さまのために、草花に「ほら元気に伸びろよ!」とプレッシャーをかける魔物らしい。
それを聞いたドリーンは、村で「早くレオンと結婚しなよ!」とプレッシャーをかけられ続けた日々を思い出した。プレッシャーの辛さを思い出し、ドリーンが白フワと黒フワをジト目でにらむと、フワフワがヒュっと縮むほど怖がられた。ごめんなさいね。
ドリーンが町に来たのは、村で皆に勧められる幸せが、ドリーンにとっては辛かったから。
幸せって、なんだろうね。
「それで、どうして私…人間を捕まえたの?」
ドリーンは、徐々に明るいグレー色になってきた羊魔王に尋ねた。
羊魔王は、体を洗って貰いつつも、下草をハムハム食みながら答えた。
「うん。南がね、領土が、奪われてるんだ。だからね、僕の下に、に、にんげんが、来たら、皆僕をすごいって思って、退散するだろうと思って…」
「うーん、どういう理屈?」
白フワと黒フワも口を添える。
〝にんげん、怖いでしょ。羊も食べちゃうもの。強くて怖い”
〝そんなにんげんが、魔王さまに従ったら、魔王さま、もっと強いよ”
「あぁ、トラの威を借るキツネ状態になるのね」
「僕、キツネじゃないよ。魔王だよ」
いや、そこは羊って答えるところだよ。とドリーンは心だけで突っ込んでおく。
魔王さまはメンタルもフワフワなのだ。口に出したら確実にダメージを与えてしまう。
〝南はね、とってもいい場所なのに。焼かれちゃうんだ”
〝どんどん焼かれて、取られちゃう…”
「にんげんが言う、ハイリュードのあたりだよ。にんげんが、畑に変えいく」
と、魔王が言った。
「ハイリュード…」
ドリーンは、その地名を知っていた。畑が広がる、恵まれた土地だ。
「あそこが、あなたの領地だっていうの? でも、ハイリュードは、ヴィルムル様の土地よ」
と人間のドリーンは言う。
「僕の領地だよ」
と、魔王は言った。
「僕が治めてる、土地」
「・・・・・」
ドリーンは口をつぐむ。
ハイリュードは、豊かな作物に適した土地だ。今も新しく畑が作られているのは違いなかった。
羊魔王のいう事は、少なくとも羊魔王にとって、本当のことかもしれない、と、ドリーンは思った。
人間の支配者と、他のイキモノから見た支配者は、違うのかもしれない。
「私を手下にしたって、ちっとも強くなれないわよ」
と、ドリーンは言ってやった。
「うーん、そうかなぁ。でも、少なくとも、きみのお陰で、僕は臭く無くなるね」
と、魔王が言う。
「あの、なんだかごめんなさいね。つい、その、デリカシーの無い事を言ってしまったわ…。ごめんなさい。もしかして、洗わない方が、魔王として都合が良かった?」
「ううん。どっちでも良かったよ。それに、たくさんお話を聞いてくれるなら、洗うので正解だったよ」
そして、魔王はドリーンの顔を見て尋ねた。
「ねぇ、きみもお腹減ってる? にんげんが食べるもの、用意できるよ。食べる?」
「ええ、ありがとう」
ドリーンは素直に頷いた。
***
魔王はまだ灰色だったが、昼食のために休憩することにした。
魔王がお日様に向かってフルフル身を震わせると、ふわりと風が通り過ぎて、魔王の体毛はふわっと乾いた。
「なんだかいつもより体が軽いな」
魔王さまは調子よさげに鼻歌を歌って、白フワと黒フワと一緒に、ドリーンにランチを作ってくれた。魔法だった。座るようにと赤と白のチェックの柄の大きな布まで出して、草地に引いてくれる。
思いっきりピクニックのランチ状態で、ドリーンの心は躍った。
「わぁ、嬉しい!」
「どうぞ、好きなだけ食べてね」
〝どうぞどうぞ”
〝食べて食べて”
ドリーンはサンドイッチを頬張った。
パンに、トマトにキュウリにレタスに。
ニンジンのスープに。
マメにカボチャに。
色とりどりで美しかった。
肉も魚も無いなぁ、全部野菜だなぁ、という事には気づいたけれど、ドリーンは大満足だった。
ランチ後は、魔王と白フワと黒フワと一緒にしばらくのんびりすごして、うららかな午後を満喫した。
のびのび、気持ちが晴れ渡る。
ずっとレース編みで肩が凝っていたけれど、回復するようだった。
***
午後、再び羊魔王を洗っていたら、
「ねぇ、明日も明後日もいてくれるよね?」
と、羊魔王が尋ねてきた。
白フワと黒フワも、魔王と一緒にフワフワとドリーンの返事を待っている。
「うーん、私、工房のお仕事があるから…帰らなきゃ」
言ってから、気づく。
これが夢なら。早く目を覚まさないといけないと思うの。
魔王はそれはそれはションボリとした顔をした。
白フワと黒フワも一緒に気落ちしている。
懐かれたな、とドリーンは気づいた。
こうなっては気を付けてフォローしないと、魔王は心身ともにフワフワだ。
慎重に、優しく、丁寧に。
「私も、働いているのよ。今日はお休みを貰ったけれど、きちんとお仕事にいかないと、もう仕事を貰えなくなるの。だから、明日は仕事に行くわね」
「いやだよ。それに、僕の毛、まだ途中だよ。まだ終わってないよ」
と魔王はごねた。
「きれいにしてくれるって言ったのに、まだ居てよぅ…」
〝昨日、帰って来なくてすごく寂しかったよ”
〝いっちゃやだよぅ”
魔王たちはドリーンにションボリ涙目攻撃を繰り出してくる。
「うっ…」
ドリーンは心を射抜かれた。
これは魔王たちの魔力にはまっているのだろうか。辛い。抜けるのが辛い。
村に帰省し町に帰る際に、近所の2歳児に「やだぁ、ずっと居てよぅ」と足に抱き付いて泣かれた時と同じ辛さだ。
ドリーンが良い返事をしないので、魔王たちはプルプル悲しみに震えだしている。
「うぅっ・・・」
だめだ。ここで負けてはいけない。明日は仕事に行かないと、そうでないと、信用が、収入が! 生活していけなくなってしまう。
白フワが、
〝ねぇ、お願いだよ、お仕事のところには、僕がお手紙届けてあげても良いから”
と言った。
白フワはこう見えて知恵者だった。
黒フワが、
〝体調不良で、3日ぐらい、お休みとってもいいじゃない。実際そういう時、あるでしょ?”
と言った。
黒フワも、こう見えて人間の暮らしを知っていた。
「うっ…伊達に魔物じゃないわね」
「・・・お願い、もうちょっとだけ居てよぅ・・・明日はおいしい花が咲いている北に連れていくから、ね」
魔王が言った。
「うっ・・・」
見てみたい。
「ね、たまに息抜きが必要って、さっき、いってたじゃないか。明日明後日ぐらい、大丈夫じゃない・・・?」
魔王が言った。
大人しい顔して、やっぱり魔王と魔物だった。
悪魔のささやきにドリーンは落ちた。
まぁ良いか。
返事に、魔王と魔物がパァっと元気を取り戻して無邪気に喜んだから。
まぁ、たまにはね。