二話目:草食魔王
羊魔王は「ここは僕の領土だ!」と偉そうに語りだした。
非常に得意げに語りだす魔王さまを、白フワと黒フワが〝かっこいー”〝素敵ー”とチヤホヤする。
ドリーンはとりあえずちゃんと聞いてあげることにした。
羊魔王は、このあたりを支配しているらしい。
ドリーンはまずそこで、首を傾げた。
羊魔王は、皆に恐れられているらしい。
ドリーンは、首の位置を戻したうえ、今度は逆方向に首を傾げた。
「・・・ちゃんと聞いてる? 僕の話」
と羊魔王がドリーンの聞く態度に疑問を示してきた。
ムっとしたらしく、羊魔王が近づいて来るので、ドリーンはじりっと後退した。
「聞いてる、聞いてるよ。でももっとそっちに行ってね」
臭いがどうも無理なのである。
羊魔王は、ドリーンのこの態度にまた傷ついた。
このやり取りもう何十回目だろう。ドリーンはため息をついた。
「ねぇ…とりあえず、魔王さまってことは分かったわ。羊は寂しがり屋だものね。お話を聞いて欲しかったのね。それは置いておいて、とりあえず、あなたはお風呂に入った方が良いと思うの。でないと、これ以上は私も無理。うん、そうね、私、そろそろ帰らせてもらうわ」
「えっ」
〝えっ”
〝ええっ”
「うん。ごめんね。じゃあ、帰るわね、バイバイ」
「待って待って、待って、ここにいてよぅ!!」
〝そうだよ、やっと捕まえたのに”
〝それに話全然聞いてないじゃん!!”
いや、もう数時間は付き合ってあげてるし…。
ドリーンは、よいせっと立ち上がる。
なんだかうっかり居てしまったけど、私はなぜ数時間も相手をしちゃったんだろう…。
「だ、ダメダメだめだよ! 帰らないで、僕の計画をちゃんと聞いてよ!」
〝か、帰っちゃう、帰っちゃうよ”
〝お風呂! お風呂です、魔王さま!!”
「・・・・」
「待ってて、今すぐ、今すぐ行水いってくるから! 約束したよ!!」
羊の魔王は慌ただしく、奥に姿を消していった。
約束・・・してないよ?
しばらく奥の様子を伺っていたけれど、戻ってこない。
帰って良いよね?
ちょっと良心が痛むけど、私は約束はしていない。
そう思って、帰ろうと思って振り向いた。
振り向いた先は、真っ暗だった。
「え、うそ・・・」
ドリーンは身を引いた。完全な暗闇だった。
本当に何も見えない。
「うそ・・・」
ここ、どこ?
***
ドリーンは周りを見回した。
羊魔王がいたところに、一冊の大きなノートが落ちていた。
「・・・」
他には何も見当たらない。
存在にすがって、ドリーンはそれに手を伸ばした。
羊魔王たちは帰ってこない。今のうちだ。ここがどこなのか、分かるかもしれない。
***
にっき
東の草が生意気にも伸びていたから、たくさん食べてやった。
恐れおののいていた。
ふん、分かったか。
+++
西の草が弱っていたから、フンをたくさん落としてやった。
ゴロゴロ転がって、広げてやった。
みんな驚いていた。
どうだ、思い知ったか。
+++
北に花がたくさん咲いた。もりもり食べてやった。
美味しかった。
明日も明後日も! 食べてやる。
+++
「・・・・」
「あっ・・・! 僕の魔王日誌!!」
〝ひ、ひどいっ・・・!”
〝このっ・・・! にんげんめ・・・!”
体中をびちゃびちゃにした大きな羊が、ドリーンの行いを見つけて身を震わせた。
白フワと黒フワも震えあがっている。
いたたまれなくなって、ごめんなさい、とドリーンは頭を下げて謝った。
羊は涙目になっていた。
ごめんなさい。
***
羊魔王がびちゃびちゃで、加えて汚れは全く落ちていない。
フルフル震えている羊に申し訳なさが勝って、ドリーンはそっと近づいて、言った。
「ごめんね…私も洗ってあげるから、許して…?」
「・・・え、僕、今、洗ってきたよ?」
ドリーンは首を静かに横にふった。
〝洗ったよね?”
〝うん、洗ったよね”
ドリーンは首を横に振り続けた。
「洗ってあげるからね・・・」
「・・・・」
〝こ、こわいよぅ・・・”
親切心をなぜか怖がる羊魔王たちに案内させて、ドリーンは羊魔王の使う水たまりに行き…。
これじゃダメだとすぐに分かった。
こんな泥水で洗ったって、汚れが落ちるわけがない。むしろ汚れの重ね塗りだ。
**
思ってもいない状態だったので、ドリーンは、思わず顔を険しくして、羊魔王たちを見据えた。
「私を、今すぐ帰してくれる」
「えっ! なんで! お風呂にいったら話を聞いてくれるって約束したよ!!」
〝嘘つき! 嘘つきー!”
〝人間なんて信じられるかー!!”
この言葉に、ドリーンは尋ねた。
「というか、私に何の用なの?」
「それを説明してるところだよ!」
〝そうだそうだ!”
〝ちゃんと話を聞けー!”
「うるさい」
ピシャッと言ったら、ピタっと黙る羊魔王たち。
ドリーンはため息をついて話した。
「あのね。お話を聞いてあげても良いわ。でもね、汚れを先に落としましょ?」
とりあえず真面目にもう臭かった。
原因はさっきの日記をみて分かった。魔王が自分のウ〇チの上を転がったせいだ。
体毛はそんなこんなでどす黒い茶色に染まりきっている。
「ね。でも、ここじゃ落ちないから、もっと、キレイな水で洗って? あとね、私を一度返してくれたら、汚れの落ちる石鹸を持ってくるから。そしたら、すぐにキレイになれるわ」
〝そんな事いって、帰ってこないつもりだよ!”
と白フワが言った。
〝そうだそうだ!”
と黒フワが言った。
羊魔王が慌てた。
「だ、だめだよ、そんな疑う事を言っちゃ!」
ドリーンは、白フワたちの指摘に、確かにそうなるかも、なんて思っていただけに、羊魔王の善い羊っぷりにドキっとした。
さすが羊。魔王でも羊。
「約束する。帰ってくるわ」
と、ドリーンはその場の勢いで言った。
***
ドリーンは、下宿の前にたたずんでいた。
「・・・あれ?」
もう夜遅くなっていて、空に星がきれいに瞬いていた。
ドリーンは首を傾げた。
「私・・・夢でも見てたのかしら」
手に、晩御飯にと買った野菜を持ったままで呟く。
ドリーンは下宿の玄関の扉を開けた。
「おや、おかえり、遅かったね」
下宿先の女主人が声をかけてくれる。
「ただいまー」
返事をしながら階段を登り、自分の部屋につく。
首を傾げながら、遅いながらも簡単な晩御飯を作り、食べて、入浴もすませて、ベッドに入った。
眠る前に、ふと、大きな羊の顔が浮かんだが、
変な幻を見たなぁ、疲れてるのね私
そうすんなり思って、ドリーンはそのまま眠りについた。
***
ボロボロと大粒の涙を落として泣く大きな羊。
白フワと黒フワも泣いている。
***
まずい。
翌朝、ドリーンは蒼白な顔で目が覚めた。
あれ、きっと、夢じゃなかった。
子どもを泣かせてしまった罪悪感でいっぱいになったドリーンは、手早く工房に行ってその日のお休みを貰い、家から持ってきたブラシと大判のタオルに加えて羊毛用洗剤を購入し、町をしばらくうろついた。