降夜祭の灯火 おまけ
『俺の生まれた国に伝わる、煩わしい悩みを祓うまじないがあるんだ。
2人でやるまじないでね。
向かい合って、目を見つめたまま、お互いの名前を呼び合うんだ。
このとき、身体の2人の身体のどこかが、直接触れあっていなければいけないんだけどな。
お互いの身体が触れあったまま、2人あわせて108回、相手の名前を呼ぶことができれば、2人の抱える煩わしい悩みはきれいさっぱり祓われる。
おまけに、108回目に、名前を呼んだ方は、そのときの一番の願いまで、叶っちまうって寸法さ。
ーーーーーーどうだい?簡単だろう?』
【ある酔っぱらった吟遊詩人の戯れ言】
「ねえ、夜道で醒めてしまったから、飲み直しませんか?」
星降るお祭りの夜、ロタに家までお姫様だっこで運ばれたエイラは、なんとなく離れるのが寂しくなって、彼女を引き留めた。
「だめですよ?あんまり飲み過ぎたら。」
そういいつつも、ロタもエイラの気持ちを察したのだろうーーーーーーはたまた、ロタの方も離れるのが嫌だったのかーーーーーー飲み直すことに同意した。
ずいぶんと長く、聖火のカンポにいたように感じたが、実際のところは日が落ちてから、それほど時間は経っていない。エイラは自分の部屋に保存しておいた、とっておきのワインを開けた。
気の置けない友人との、酒の席は楽しい。最近の驚いた出来事や、昔の哀しかった出来事まで、2人は会えなかった空白の時間を埋めるように、笑い、泣き、和んだ。
そんな時だった。ロタが昔、酒場で仲良くなった老吟遊詩人から聴いたというまじないの話を切りだしたのは。
「へえ、煩わしい悩みが晴れるおまじない、ですか」
エイラは興味なさげにつぶやいた。リアリストのエイラは、願掛けやおまじないといった物に、昔からあまり興味がもてない質だった。
「それだけじゃないんですよ!さらに108回目に名前を呼んだ方は、その人の持つ一番深いところにある願いが叶うみたいですよ?」
ロタの方は、信じる信じないは別として、年頃の娘らしく、この手の話題には胸がときめくらしい。友人の年相応な部分を、エイラはいとおしく思い、頬がゆるんだ。
「一番深いところにある願い……」
ーーーーーーかわいそうな2匹の金魚は、死んだ水の中で永遠に離ればなれになるだろうーーーーーー
嫌でも先ほどの出来事がよぎる。
そう、今のエイラの一番の願い、それはーーーーーー
「あはは、まあ、あくまでおまじないなんですけ」
「やりましょう」
ロタの言葉を遮って、エイラが断定的に言ったのは、それ程思いが強かったからなのか、恐怖を打ち消したかったからなのか、それとも単に、したたか酔っていたからなのか、今となって思い出せない。
兎に角、そういう流れで、エイラとロタは、風もない静かな夜、狭いけれど暖炉の熱で暖められた部屋の中、遠いどこかのまじないに、身をゆだねることになったのだった。
「じゃあ、身体をくっつけましょうか?」
ロタがおずおずと切り出す。
エイラのベッドの上、部屋着に着替えた2人が、並んで腰掛けていた。
近くに座ると、ロタの匂いを強く感じた。ワインの香りと、汗の匂いと、ロタ自身の甘い香りがまざって、くらくらする。
「えっと、手を、つなげばいいのかしら?」
エイラが答える
「えっと、話してくれた吟遊詩人のおじいさんによると、お互いのほっぺたを両方の手で挟むのが、一般的みたいですよ?」
「へえ、じゃあ、そうしましょう」
エイラがロタの顔に、手を伸ばす。
「ひゃっ、エイラさんの手、冷たいです」
上気した友人の頬は、暖かかった。
エイラは、ロタの顔が赤子のようにつるつるすべすべしていることに驚いた。
「……ロタの肌、すごく、きれい」
ロタの所属する部隊の兜は、堅牢なフルフェイス型のものだった。このタイプの兜は寒い地域では肌に張り付き危険なので、使用する部隊には馬のたてがみから精製される油が支給されるという。その油がいいのだろうかとエイラは思った。
「ひゃ、ひゃめてくださいエイラひゃん」
友人の情けない声に、エイラは撫で回していた手をはなす。
「あ、ああ、ごめんなさい。つい」
「どうしたんですか?いったい」
貴女の肌の質感が気持ちよすぎて、などと言えるはずがなかった。ロタの顔には、細かい傷が無数にあるものの、肌自体のキメは細かく、透き通るように美しかった。
「なんでもないです。さあ、はじめましょう?」
そういって改めて、エイラはロタの頬に手のひらをあわせ、ロタもそれにならう。
ベッドに腰掛け、向かい合って、両手をお互いの頬につけた状態の2人。どちらもお酒を少なくない量飲んでいて、上気した、赤い顔だった。
2人はそれぞれ、相手の心臓が激しく打っているのを感じていたが、どちらも口には出さなかった。
◇
「じゃあ、スタート。最初はしばらく交互に言いましょ?ロータ」
「エーイラさん」
「ロタ」
「エイラさん」
「ロータっ」
「エーイーラさん」
「ロータ」
「エーイラさーん……ぷっ、くすくす」
「こら、まじめにやってください。ロータっ」
「ご、ごめんなさい、あんまりかわいくて。エーイラさんっ」
「な、なんですか、かわいいって、ロタさん?」
「だって、そんなにまっすぐ目を、見つめられたら……エイラさん……」
「ちょっ、ちょっとロタさん、目が、目がトロンとして危険なかんじですよ!?」
少しだけ我に返ったエイラが、改めて観察したロタは、顔を真っ赤にして、うっとりと微笑んでいた。普段のりりしい面差しが台無しである。
「かわいい……かわいい……エイラさん」
「ろ、ロタ、ちょ、ちょっと!?」
「ん、エイラ、さん……」
ロタはエイラの頬に当てていた右手を離すと、替わりに顔を近づけた。
エイラは身の危険を感じたが、甘い痺れが体中を縛って動けない。
ぴたり、と、エイラとロタの頬がくっつく。
エイラはロタの髪の毛の香りと、首筋の香りを、強く感じておかしくなりそうだった。
「ろ、ロタぁ……」
ロタはほっぺをくっつけたまま、くすくすと笑う。
「身体の一部だから、これでもいいんですよー。エーイラさんっ」
「あっ……」
まずい。今更ながらエイラは気がついた。
まずいまずい。なんだかわからないがこの流れはまずい。
なにがまずいって、このまずい流れに抵抗できなさそうな自分がまずい。
「こ、こら、ロタ、くっつき……すぎ……」
「えー?」
ロタは楽しそうな声を出して、エイラの頬に、自分の頬をすりつける。
柔らかいロタの頬の感触が、エイラの興奮を否応なく高める。
……興奮?
ここまで考えた後、エイラは自分の感情が信じられなかった。
違う違う、これは断じて興奮ではない。
「エイラさんは、こうされるの、嫌ですか?」
少し哀しげになったロタの声に、エイラはびくん、と身体をうねった。
山を越えられた、とエイラは思った。なんだかわからないがそう思った。
「あ、あ、ろ、ロタぁ」
ろれつが回らない。
「んー?どうしたんですかぁー?エイラさんー」
ロタは、エイラの頬から離した右手で、エイラの背中をぎゅっと抱いた。さっきよりも強く、頬同士がくっつく。
「んーーーーっ」
エイラはなんだかもう、自分が何を考えているのかすら、わからなくなりつつあった。アルコールの匂いと、ロタの匂いと、自分の匂いと、ロタの体温と自分の体温と、ロタの確かな心臓の鼓動と、自分の強すぎる心臓の鼓動と。
自分を抱きしめているロタの、確かな存在に、エイラは顔が熱くなって、溶けてしまうかと思った。
「ロタっ、ロタっ」
「あーっエイラさん二回言いましたね、今のは2カウントですよ?」
まじないのことなど、エイラは既に半ば忘れかけていた。
「ロタっ、ロタっロタっロタっ大好き!」
下腹部に、火の棒をつっこまれてかき混ぜられているような感覚を、エイラは感じ続けていた。
自分の存在感があやふやになって、必死で目の前の友人にしがみつく。
「よーし、よし、エイラさん。いいこ、いいこ」
ロタは余裕で、エイラの耳の前に口元を持って行き、やさしくささやく。
耳に触れるロタの吐息が、こそばゆい。
「ううう、ロタ、ロタぁ」
ぐったりとしてしまって、エイラはロタに、くてん、ともたれかかる。
ほっぺ同士がふれたまま、2人はしばらく、ベッドの上で静止した。
読者のみなさん、まだ32回ですぞ?
◇
「ロタ、ロタ、ロタ、ロタ、ロタ、ロタ、ロタ、ロタ、ロタ、ロタ、ロタ、ロタ」
本格的にこのままではまずいと思ったエイラは、最初のお互いのほっぺに両手を添える姿勢に戻り、淡々と名前を言い合うことを提案した。
「エイラさんエイラさんエイラさんエイラさんエイラさんエイラさんエイラさん」
ロタはなんだか不満げに口をとがらしていたが、とりあえずはエイラに従っている。
「ロタロタロタロタロタロタロタロタロタロタロタロタ」
「エイラさんエイラさんエイラさんエイラさんエイラさんエイラさん」
「ロタロタロタロタロタロタロタロタロタロタロタロタ」
「エイラさんエイラさんエイラさんエイラさんエイラさん」
よし、いける、と思った。
だんだんと良いが酔いが醒めてきたエイラは、ふと、ロタの視線が気になった。
「どうしたんですか?ロタ。人の唇をそんなに見つめて」
口に出してから、しまった、と思った。
蛇がいるであろう藪をつついてしまった。
何度も同じ単語を繰り返したせいなのか、ロタの目は、またさっきの、とろん、とした感じに戻ってしまっていた。愛おしそうに、エイラの唇を見つめている。
「エイラさん、エイラさんの唇は、どうしてそんなに、ピンクで、ぷっくりしてて、ぷるぷるで、甘い匂いがして、おいしそうなんですか?」
うっとりしたままの表情で、ロタがつぶやく。
エイラの全身が硬直する。まずい、これはまずい。
「ろ、ロタ……なにをかんがえているの?だ、だめよ?」
エイラの方また、冷静な思考を再び手放しかけていた。
「うふふふふふふ」目の前の、つるりとした肌を真っ赤に染めた友人が、微笑む。「いただきまーす。」
「い、いやあああ、ロタああ」
目を閉じたまま、ゆっくりと近づいてくる顏は、しっかりと見えていたが、身体の方が動かなかった。エイラの唇に、ロタのみずみずしい唇が、重なった。
「んっ……ちゅ……はむ……」
「ら、だめ、ロタ……こらぁ」
唇を甘噛みされる初めての感触に、エイラは脳がとろけそうだった。
身体がしびれて、緊張して息が苦しい
頬に手が触れたまま、ロタの顔が一度離れる。
「あ……だめ」
ロタはそう言うと右手だけをエイラの顔から離し、中指と薬指で唇を、端から端までゆっくりなぞった。
何がだめだ!!だめなのはこちらの方だ!
エイラはそう叫びたいのを必死でこらえた。
ダメだ、再び山を越えられてしまった。
ロタ将軍の山越えに、エイラ帝国は陥落寸前だった。
それならば、とエイラは決断する。
山越えをしてくる敵を倒すには、こちらもまた、山を越えるしかない。
「エーイラさぁん」
もう一度、ロタが唇を近づけてくる。
させるか、とエイラが行動にでる。これ以上はまずい。本当にまずい。
反対に、ぎゅっと、エイラの方からロタの顔に近づいていき、ほっぺたをくっつける。
「あれ、エイラさん?」
エイラの突然の行動に、ロタは一瞬戸惑ったような声を上げたが、程なくしてロタの方からも、頬を密着させてきた。お互い、片方の頬に相手の頬、もう片方に相手の手が触れている状態だ。
どうだ、とエイラは思う。密着度は増したが、これで唇をせめられなくてすむ。失う物は大きいかもしれないが、守れる尊厳も大きな作戦である。
「ん、ん、エイラさんっちゅっん、ちゅっ」
そう思えたのは一瞬、本当に一瞬のつかの間だった。
エイラは耳が、ロタの唾液で湿るのを感じた。
びくん!!と身体が痙攣したが、頬をくっつけたままこらえた。必死に声を出す。
「ろ、ロタ、ちょ、、やめっ」
「ん、ちゅう、え、んっエイラ、さん」
自分の耳が、こんなに敏感な期間だとは思わなかった。
耳に生えている産毛の一本一本にまで、神経が通っているかのようにこそばゆい。
かあっと、耳が熱くなるのを感じ、またおへその下あたりを、火のついた棒でかき混ぜられている感じを覚えた。腰が、もぞもぞとうごいてしまう。
「だめ、だめ、え……ロタあ」
「エイラさん、エイラさん、エイラさん」
渾身の力を振り絞って、ロタの頬を両手で挟み込み、エイラはロタの顔を引き離す。しかし、引き離すだけですべての力を使い果たしてしまったエイラに、もう一度唇をめがけて近づいてくるロタの顔を、避ける力は残されていなかった。
「ん、ちゅっ、んっ」
最初は、貝を生で食べたときの触感を、連想した。
水がたっぷり含まれた海綿のようなロタの舌は、何の抵抗もなくするりと、エイラの口内に進入していく。
「ん、エイラ……さん……ちゅっ、むっ」
貝を生で食べたときと、ロタの舌の食感の相違点を、エイラは瞬時に三つほど感じた。
一つは熱、ロタの舌はとても熱く、むき出しの生命を感じさせた。
二つ目は香り。貝のような磯臭さではなく、とっておきのワインのアルコールと、ロタからいつも漂う蜂蜜の香りと、ロタ自身の何とも言えない香りが混じり合って、エイラの脳内を麻痺させた。
三つ目は、たとえ脳内であれ、言語化するのがエイラにははばかられた。
「ロタ、ロタ、ロタ、」
口の中を蹂躙されつつ、必死で相手の名前を呼ぶ
「ロタ、ろっ、んっっ。」
名前を呼んでいる途中で、ぴったりと、唇をふさがれ、歯茎の裏を、舌ででくすぐられる。
「ん、えーいらさんっ」
ちゅっ というかわいらしい音ともに、唇がはなされた。
エイラは息も絶え絶えである。
「ど、どうしたんですか?」
頬に添えられたままのロタの手を撫でながら。やっとの思いで、声を絞り出す。
「今ので、108回目ですよ?」
ロタの声を聴きながら、エイラは荒い息を整えるので精一杯だった。
「ろ、ろた、貴女よく、かうんと、できますね」
エイラは半ば、あきれてしまった。
「うふふ、ちなみに、わたしのおねがいは、明日もエイラさんと、おいしいご飯が、食べられますように、ですよー。」
目の前の友人の笑顔をみると、なんだかもうどうでも良くなってしまったエイラは、力が抜けるに任せてベッドに倒れると、そのまま意識を手放した。
◇
雀の声が聞こえて、朝になったということがわかった。
体を起こすと、ロタが水差しをもって、ベッドの横に座っていた。
「あ、エイラさん、おはようございます。お水、汲んできました」
「……おはよう」
ロタからカップを受け取りながら、エイラはこたえる。
ロタの顔を見た途端、昨日の出来事が頭の中で思い出されて、エイラはまた身体が熱くなるのを感じた。
「…………ねえ、ロタ、貴女は、大丈夫だったのですか?」
「え?」
「ほら、その……昨日の……あれですよ」
ごにょごにょと、語尾が小さくなってしまう。
「えーっと、ごめんなさい。私実は、昨日の記憶、曖昧で」
「はあっ!?!?!?」
エイラは思わず大きい声を出してから、我に返って口を閉じた。キノウノキオク、アイマイデ?
「ごっ、ごめんなさいごめんなさい!!昨日、お祭りの後、エイラさんを送ったところまではその、おぼえているんですけれど」
ロタはおびえた目で、エイラをみている。
「その、ここで、ワインを飲んだあたりから、その、記憶が、その……私、昔から麦酒には強いんですけれどワインを飲むと記憶が飛んでしまう癖があってその……だからワインは、気を許せる人の前でしか飲まなくてそれであああごめんなさいごめんなさいなにかしましたでしょうか」
延々と言い訳を続けるロタをみて、エイラは力がぬけてしまった。
「あははははははは」
もう、なんだかおかしくて仕方がなくなった。同時に、目の前の友人を、たまらなく愛おしく感じる。
「もう、なにかしましたでしょうか?ですって?あははははははは」
エイラの急変に、おろおろとしているロタに向かって、エイラははっきりと声を出した。
「もう、ロタ、貴女は、とんでもないことをしたのよ!!私にお願いをしたんだから!今日もおいしいご飯が一緒に食べたいって!!」
すっきりとした顔でそう言って、エイラは着替えの準備を始める。
「行くわよ!!今から準備すれば黒猫亭のモーニングドルチェを食られて、仕事の集合時間にもきっと間に合うわ!」
降夜祭の夜 おまけ fin.