NO.1
「紫電のエグゼスト」
宮川仁
プロローグ
丑三つ時の冬の夜。
今この小さな田舎町には、時折吹きすさぶ風と凄惨に台地を濡らす雨音だけが淡々と響いていた。
こんな時に外に出る稀有な奴はいないらしい。
暗いせいで判断すらつきづらいが家の窓にはどこもカーテンが引かれているようだ。明かりと呼べるものはせいぜいさびれた信号機と自販機くらい。ゴーストタウン、そんな印象すら受ける。
そんなすっかり寝静まる町を尻目に、「俺」はもくもくと歩を進めていた。行くあてもなく彷徨っていた。
ここに来るのは初めてだった。自分がどこにいるのか。そしてどこに向かっているのか。暗闇の中ではそれすら知りえない。
それでも、一つだけ。
決して発展しているとは言えないが、少なくともなんとか生活は送れている。
その事実だけははっきりと分かる。
そこにはもう、かつての戦いの爪痕は残っていないように見えた。
昔ーー世界は「西暦」という年号で呼ばれていたらしい。
どこかの宗教の教祖っていうのが亡くなった時を基準にしている。という話を偉そうな口調で昔誰かが言っていた。
記憶はあまり定かではないが。
その「西暦」という時代は人同士が戦いをしていたそうだ。
領土、宗教、思想、貧富、人種、人権。そんなものを争って、憎み合い互いに傷つけあっていたらしい。
だが、それは所詮内輪もめ。今の世界からすればただの同士討ちにしかすぎなかった。
生対死。
人対霊。
これが新しい時代の戦いになった。
キッカケは今から五十二年前のこと。
俺達がアンバーと呼ぶ彼らーー死んで尚、この世に留まり続ける霊魂達が実体を持ち始めたことだった。
いや、実際それだけならかまわなかったのだ。ただの怪奇現象で済んだことだろう。
問題はあの世の存在であるアンバーが、生と死の境を超越した力を持っていたことだ。
霊気。
人はもちらん生物を触れただけで殺し、身に纏うだけでこの世のあらゆる衝撃を無効化する力を人々はそう呼んでいる。
そんな力を持った霊達は前世での未練を果たそうと、欲望のままに世界を蹂躙していった。
人類は今ゆるやかな衰退期を迎えている。
きっとこの五十年間で世界の人口は半分以上減っただろう。
俺の大切な人も…‥たくさん死んだ。
血を分けた肉親も、一緒に戦ってきた戦友も、そして俺の愛した人も。
みんな先に逝ってしまった。
俺の生まれた時代というのは随分過酷な世界だったと、今更ながらに思う。
でも、そんな世界はもう過去の話になる。
長きに渡る人とアンバーとの戦いは終わりを告げた。これからはきっと平和な時代が来るだろう。
俺の、これから待っていたであろう未来を犠牲として。
「ウッッ」
突然ドクン、と鈍い衝撃が襲って、思わず俺は雨で濡れた地面に手をついた。
その痛みを言葉にするのは難しい。が、あえて言うのなら「蛇がのたうち回る」感覚とでも言えばいいだろうか。
そいつは俺の内側を徐々にむしばんで、体の自由を奪っていく。
俺は、自分が死ぬ運命にある事を悟っていた。
いや、正確にいうのなら違う。俺は自分が「俺」であるというアイデンティティが消えるのをただ指を咥えて待っているのた。
自分の培ってきた誇りが狂気となって俺を縛りつけようとしている。
そんなのまるでお笑いだ。
「ハハ…‥」
そう呟いてみるが、もう笑みを浮かべる事すらできない。
俺の顔には既に氷のような面が張り付いている。
どうやら俺はその目に映るもの全てを見下し、冷笑しているらしかった。
これが、世界のために戦った男の哀れな末路だ。
だがーー
「いい、人生だった」
目の前に広がる闇に向かって、オレはただ一人ポツリと呟く。そこには自分を納得させようという気持ちもあったのかもしれない。
しかし、俺にできる事はやったつもりだ。後は、これからの世代に期待するとしよう。
よろよろと立ちあがり、俺が守った平和とやらを最後にこの目に焼き付けようと俺は再び歩きだす。
と、一際大きな家の前。玄関脇に付けられた街灯によって人の影があるのが分かった。
近づいてよく見てみると、小学生位の歳の子供がびしょ濡れになって立っている。どうやら何時間もそこでそうしているようだ。しかし同情を誘うような、「雨に打ちひしがれた子犬」という感じではない。もっと大人びていて哀愁すら漂う姿だった。
はたからすれば、親に叱られ子供が締め出されている。というように見えるのかもしれない。
しかし俺にはそれはもっと別の、何か不思議な感情を呼び起こすものに映った。
(ああ、変だな俺は。いったいどうしてこんなにも…‥こう懐かしいと思うんだろうな)
一時考え、そして気づいた。
コイツのこの、狼の様に鋭い目は俺と同じだ。
己が無力で、世の中が自分の思い通りにならないことが只々悔しかった、ガキの頃の俺そっくりだったのだ。
と、視線に気づいたらしい。彼はこちらを真っ向から睨みつけてこう言った。アンタいったい誰だ、と。
その言葉はまるで魔法のように俺の凍りきった心を溶かしていった。
この生意気な口調。
本当に、俺の生き写しでも見ているようだ。
(ま、俺のガキの頃の方がずっとたくましかっただろうが)
突っ立ったまま勝手にそんなことを考えていると、
「なんだよ。なんで、笑ってんだよ」
その子供の、苛立ちの混じった言葉で俺は初めて気づかされた。
(笑ってんのか…‥俺は)
へえ。
意外だった。今の俺にも、まだそんな事ができるのだということが。
すると、今の俺がこうしてここにいるのにもきっと何か意味が、存在する理由がある。
そんな風に考えたくなってきた。
だから、俺は。その小さな背中にかけてみようと思ったのだ。
「なあ、お前。力が欲しくないか?」
俺の問いかけにガキは少し逡巡しているようだった。
やや、ビビッているようにも見える。
「ちから…‥?」
蚊の鳴くような声で、彼は問うた。
「ああ。俺には分かる。お前今、自分が壊れそうなくらい悔しい思いをしてんだろ」
俺がそう尋ねると、その子供は驚いたように俺を見た。
「どうして…‥分かんだよ」
どこかふてくされた様な口調で彼が返答する。やはり、図星だったらしい。
「ふ、…‥…‥俺もそうだったからな。大事な人が死んでく時に、俺はただ指を咥えてみることしかできなかった。…‥…‥お前もよ、眼が語ってっぞ。自分の弱さが悔しいって」
「…‥…‥オレは別に…‥。アンタからすれば…‥大したことーー」
俺の話はさすがにスケールがでか過ぎたのか、少年は少し気おくれした様子だ。だが、構わず俺は話を続けた。
「確かにそうかもな。でもお前も、自分の道を切り開くための力が欲しいんだろ?」
するとどうやら俺の言葉は確信をついていたようだ。
「力ってなんだよ」
しばらく押し黙った後、推し量るように声が漏れて来る。
だから、俺は自信たっぷりに教えてやった。
「世界すら支配できる紫電の霊気のことさ。」
自分でも、何を言っているのかという自覚はあった。
あの世の力である霊気は本来アンバーだけが持っていた。だが、稀にある種類(炎や水など)の性質を持つ霊気に対してだけ耐性を持った人間がいる。
耐性を持つ者が霊気に触れた時、その者は死なず逆にその霊気を取り込むことができる。
つまり、あの世の力である霊気をもった人間ーーエグゼストとなるのだ。
当然紫電の霊気を持つ俺もその一人なのだが、少々他と勝手が違う。
紫電。つまり紫の雷に耐性をもっていた人間は今のところわずか一人。紫電に触れた俺以外の全ての人間は皆死んでしまったのだ。
今の話を踏まえれば、俺のやろうとしていることは許されるはずがない。
「すげえ力だが、失敗する可能性の方がうんと高い。そして、失敗の先に待つのは死だ。それでもやるか?」
わずか十歳にも満たないだろう子供にするには、それはあまりに残酷な問いだった。だが、彼の答えは俺の予想を超えていた。
「分かった」
「…‥ほう?」
うつむきながら、言葉を紡いだ。
「オレ、悔しいんだ。父さんも母さんも姉さんも、オレにはエグゼストの素質が無くて、運動も勉強もできない駄目な奴だってバカにしてきて。…‥…‥もう嫌なんだ、こんなの。だからもしあんたがこの人生を変えてくれるなら…‥この命だって惜しくない」
「なるほど…‥」
さすが、オレの見込んだ男だ。ガキのくせにいい覚悟を持っているらしい。それだけ歪んだ人生を送ってきたということだろうが。
「じゃあ、男に二言はねえな?」
ニヤリと笑って聞いてみると、彼はこちらに腕を差し出してくる。
「当たり前だろ」
いい返事だ、と俺は笑った。そういう思い切りのいい馬鹿は好きだ。
霊気を流すため彼の左腕を掴む。眼前となった少年はよく見ると随分幼く可愛らしい目鼻立ちをしていた。
「そういや坊主、お前名前は?」
紫電の霊気に適正があるかどうか。その見極めの直前に俺は少年に問うた。成功しても失敗しても心にその存在を残しておきたかった。自分と似たその小さな少年のことを。
「悠吏だ。神道悠吏」
はっきりとした口調で悠吏は答える。俺もそれに倣った。
「俺は、俺の名前はーーーーーーー無頼勇だ」
無頼勇ーー2030~未詳。紫電(紫の雷光)の霊気を扱うエグゼスト。財閥無頼家の跡取り息子として生まれるも、幼少期にアンバー襲撃にあい孤児となる。この時紫電の霊気を獲得したとされる。2045年ゼス独立自衛隊に入隊。翌年東京解放作戦に参加し、多大な戦果を挙げ総隊長に任命される。50年国内の敵対的なアンバーの掃討を果たす。
その後は世界規模でのアンバー掃討のため海外に渡る。61年に帰国するも不可解な行動を繰り返し現在まで行方不明である。<2067年度版新国語事典抜粋>
さっきから漂い始めた雲は、気が付くともうすっかり広がっている。
今日の東京の天気はあまり良くないようだ。
窓越しに映る空。それをこうして眺めるのははたして何度目になるのだろう。
そんな事を考え、オレーー神道悠吏は自嘲するように溜息を漏らした。
国内随一の教育機関、光星学園。
学力日本一の光星大学を軸としたエスカレータ式の学校法人。その中の一つ、この誰もが知っている国立高校には、日本の将来を担うエリートや、どこかの大企業の御子息、さらには一国の姫君まで通っていると噂に聞く。
そんな所にオレは突然編入させられたのだ。疎外感を感じてこうして授業中でも外ばかり見る日々を送っているのも、致し方ないのかもしれない。
(とはいえ、やはり情けないものだ)
ゼス(死霊であるアンバーの除去を国家から認められた軍事組織)の一隊員がこんな所で時間を浪費しているのだ。さすがに心に期するものもある。
(同年の高校生に手こずっている姿を見たらゼスの皆はなんと言うだろうか)
笑われるか、それとも失望させてしまうか。
どちらにしろ彼らにはこの事は隠し通さねばならないだろう。オレのプライドのためにも。
(まったく、やっかいな)
熱心に教鞭を振るっている世界史の教師に配慮して、心の中で呟く。
オレがこの学校に編入したのは二年生の新学期。
つまりこれから二年間はこの学校に通う必要があるということだ。そう思うと行き場のないいらだちはますます広がっていく。
そもそも無茶苦茶だ。
チラリと横を確認する。他の生徒達は皆真剣に教師の言葉に耳を傾け、ノートを取っていた。基本的に彼らはとても生真面目だ。おそらく、そうすることが彼らにとっては当たり前なのだろう。
対して自分はどうか。オレがいた中学校はなんてことのない田舎の学校だった。加えて卒業と同時にゼスに加入したので、去年は高校にも行っていない。
同い年とはいえど育ってきたまったく環境が違うのだから、同じ成果になど成りはしない。
ただ、そんなこと自分以外には関係がないのだ。
「おい、あいつ見ろよ」
敵意むき出しの声が耳に刺さる。
「ん? ああ、またぼけってしてんのかよ。良い御身分だよな」
「たっくよー。こっちのやる気に影響すんだよなー。なんでうちに来んだよ。やめちまえよ」
後ろの席からこちらにギリギリ届く声で男子生徒が囁きあっている。相手を完全に見下しているのがはっきり分かるような口調だ。
(まあ、仕方の無いことだ)
人は基本自分に理解できない者に対して排他的だ。もしも自分が逆の立場でもそいつの事を目障りに思うかもしれない。もっともあんな子供じみた真似をするとは思えなかったが。
さっき話していた生徒達の事を思い出す。
確か二人とも政財界の重鎮を親族に持っていたような気がする。
ならば自分の思い通りにならない人間というのは、あまり接していないのかもしれない。もしそうならそれくらいの挑発はしそうなものだ。
こちらが何も反論してこないと悟ったらしく、彼らの話声はさらに続いていった。より声高に、そしてより饒舌に。
「さっきからなにを話しているんですか!」
その声が教師の耳に届くのは当たり前だった。
チョークとシャープペンシルの音がピタリと止まる。
「中村君、川田君。静かにしなさい」
「ちょ、俺等を静かじゃないすか」
「そうすよ。いいがかりはよしてください」
よくもまあそんな事が言えたものだと思う。その図々しさに軽蔑を通り超しもはや呆れてしまう。もっともそうなりたいとはまるで思えないが。
「大学への進路に影響しますよ、いいんですか?」
「「…‥すいません」」
「まったく新年度だからといって浮かれていていてはいけませんよ。罰として昼に社会科教室の掃除をしてもらいます」
そんなやり取りを半眼で眺めていると、彼らはなぜかオレの方を睨んでくる。まったく自業自得だろうに。
すると様子を見ていた教師も、今度はこちらに目を移していた。
「神道くん、君もですよ」
「は? …‥なぜです?」
「君が授業を真面目にうけていないからです」
オレの疑問はぴしゃりと跳ねのけられてしまった。初老の教師はなんでそんな事を聞くのか分からないといった表情だ。
まあ、確かにそれ自体は間違ってはいない。だが、こちらの立場も少しは考えてほしいものだ。
心の中に少々憤りに近いものを覚える。が、それを表に出すようなことはしない。所詮今以上に道化を演じてしまうだけだからだ。
気づけば、先の二人がニタニタと笑みを浮かべていた。
(やれやれ、面倒な)
まったくどうしてこうも、人生とは不条理なものなのか。つまらない喧噪から逃げようと、オレの眼は再びどこまでも広がる外の景色を映していた。
昼休み。
仲の悪い連中と共同での清掃という、牢獄のような気まずい時間を過ごした後。
人の目がない所に行こうと、オレは校舎の屋上で時間を潰していた。
ここは校舎に比例してかなり広い。放課後は陸上部がここでトレーニングでもしているのだろうか。トラックが何本も引かれ、地面は反発のあるゴム製になっている。
自分以外誰もいなかったので、ためしに仰向けになってみると存外心地良い。
今日のゴタゴタで少しばかり疲れてしまって、全身に眠気がまわってきた。
だんだんと頭が働かなくなっていくなかでオレの目は外の街並みにいっていた。
(どうなのだろうな、これは)
そこに広がっているのはごく普通のありふれた景色だ。多くの人が行き交いマンションやショッピングモールなどの施設が乱立している。
別におかしい所などはなかった。ただ一つこの校舎から反対側の様子とはあまりに違い過ぎているという事を除けば。
地面に足をつけたまま後ろを振り返る。
そこには今の日本の象徴ともいうべき光景が広がっていた。
有名企業のオフィスになっているであろう巨大なビル群。豪勢に建てられた立派な家屋は企業の会長職か大物政治家の邸宅か。
そしてここからでもはっきりと分かる、場違いに木々の生い茂っている所が江戸城跡。つまり皇居だ。
宮中。
昔皇居内を意味していたその言葉は、今は特権階級のみが入る事を許される場所を示すようになっている。
詳しく言えば、アンバー出現の際に皇居を中心とした施設だけでも守れるようにと、その周囲を巨大な壁で覆われた場所を指す。
そしてアンバーによる事件が散発的なものとなった現代では、国の重要施設、又重要人物とその家族が住めるほどにその規模は広がっていったそうだ。
(こちらに来てから何日も経つが、…‥慣れないものだ)
正直オレにはこの近代的な街並みは落ち着かない。
物心付いた頃から見てきた、自然の残る風景のほうが性にあっているのかもしれない。
(何も無いからずっと不便していたというのにな)
ゆっくりと目を閉じて、オレは回想に浸る。
ーー関東のとある錆びれた町でオレは育った。
ちなみに生まれは東京近郊なのだが、叔父の道場に諸事情で引き取られて来たという経緯がある。
(もうあれから六年か)
おもむろにワイシャツの手首にあるボタンを外し、袖を捲り上げた。
左腕に走る紫色の紋章。
縦に伸びるタトゥーのようなそれは、オレがアンバーと戦う力を持つエグゼストである事の証だ。
オレが十歳の時。
無頼勇、かつて世界を救った英雄が幼き日のオレにこの力を授けてくれた。
オレは無力な子供ではなくなり、同時にエグゼストとしての責任を負う事になったのだ。
「ゼス独立自衛隊」大神師団第一部隊隊長、神道悠吏大尉。
それが今のオレの姿だ。
あれから。
エグゼストのための剣術道場で師範代をしていた叔父の下、オレは鍛錬を重ねてきた。中学卒業後すぐにゼスに入隊し、スーパールーキと呼ばれるまでになった。それがーー
それが今では、落ちこぼれの高校生をやっている。
「はあ」
いったいなにをやっているのだろう、オレは。
ただの子供にばかにされてなど、ゼスとしてあって良いはずがないというのに。
(もう…‥いいか)
午後の授業に遅れるかもしれない。
そう思って、寝ないようにはしようと思っていた。しかし、もういい。なんだが、ばからしくなった。なぜ生真面目な生徒達に混じってそんなものに出なければならないんだ。
襲って来た睡魔にオレはその身を預けた。
ボーカルのよく響くハイトーンボイス。パワーコードをかき鳴らすディストーションのきいたギターの音。
昔に流行ったあるパンクバンドの有名な曲だ。
軽快なその音楽がオレを眠りから呼び覚ました。
(オレのケータイの着信メロディ…‥。誰からだ…‥)
未だに寝ぼけている頭を、オレはなんとか奮い起こした。
ガサゴソとポケットからケータイを取り出す。開いてみると、画面にはオレのよく知る人物の名前が表示されていた。
それを見てオレは慌てて、起き上がる。寝ぼけている頭のままで話すには失礼な相手だったからだ。
一呼吸おいて、オレは電話に出た。
「おう、ユーリか?オレだ」
電話越しのためか、ややくぐもった、しかしどこか親しみやすさも感じる声が耳に響く。「ユーリ」というのはゼス内でのオレの愛称のようなものだ。下に何もつけずにそのままそう呼ぶ者に心当たりは一人しかいなかった。
「お久しぶりですね、大神さん」
大神歳三。
関東方面の守護を任されている、ぜス三強の一人。大型の銃器を扱うガンナーで、その実力と若くして師団長になった将来性から若獅子の異名を得ている。そして、オレの直属の上官でもあった。
「おうよ。最後に会ったのがお前の転入の前の日だから一週間ぶりぐれーだな。どうよ、夢の高校生生活は? 元気でやってっか?」
「夢のって…‥。どうでしょうね…‥。…‥なんだか、随分と舐められているような気がします。落ちこぼれの転校生という感じで」
報告しながら、少々屈辱を感じる。
一瞬、何の問題も無い。そう言ってしまおうかという気持ちにもなっていた。だが、結局そうは言わなかった。
この人には昔から目をかけてもらっている。今更そんな事は隠すべきではないと思ったのだ。
「そうか。…‥まあ、うちに入りたての頃もそんな見方されてたか。ん、つーと、お前がエグゼストってことも言ってないんか?」
「ええ、まあ。隣の席のよく知らない男がいつでも自分を殺せるーーなんて事実、知らないほうがいいでしょう。それにオレはーー」
「紫電の力を秘めているから…‥か」
上司の問いかけに肯定の意を示す。大神さんの声にはどこか、自分の不甲斐なさを嘆くような感情が込められていう気がした。
「無能な上官で悪いな…‥ユーリ。俺がどうにかできていればよかったんだが」
「なんで、大神さんが謝るんです? これはオレ自身の問題ですよ」
「そっか」
「はい」
そう。この問題ばかりは、自分で切り開いていかなければならないものだ。
オレは再び左腕に目をやった。
手首から肩まで伸びる紋章。
無頼勇から紫電を流し込まれた際、後遺症として残ったものだ。
見方によれば少々不気味でもある。が、しかしこれが今のオレの存在を支えるもので、英雄無頼勇の遺志を受け継いだ証明でもあった。
英雄の後継者の証。
前に大神さんに尋ねられたことがある。
それはやっぱり重みのあるもんなのか、と。
あの時は確か「重圧はまるで感じていません。むしろ誰もが背負えるものではないですし、これはオレの誇りですね」と、ややはにかんでそう返したはずだ。
その答えは今も変わってはいない。
紫電の力を背負った事に、オレはなんの気負いも感じてはいないのだ。後はそうーー
受け取ったこの力をどう生かすかという事だけだ。
「それより、この無意味な高校生活をどうにかしてもらえませんか。生真面目に椅子に座っていい子ぶるのはオレの性に合いません」
紫電の話は終わりにしようとオレは話を変える。
「はっはっはっ。そればっかは俺でもどうしようもねえからな。ゼスのメンバーでも高校に通わなきゃなんねえって法律を作った議員連中に言うしかねーな」
そうなのだ。今オレがこうして学校に編入せざるをえなかったのは、特別なことではない。ただ、法律が変わったというだけのことだった。
「まったく。…‥はた迷惑な話です」
原因は単純明快だが、今の自分の立場では到底どうする事もできない。第一彼らのやっていることは明らかな正当性がある。
もっとも、それで割り切れるものではないが。
「ユーリはクールだし、お人よしとは真逆の性格だからな。学校は教師って目上の存在と、同じ立場のクラスメイトが大量にいるだろ。ムカつく奴だとか思われてそうってのは確かにあるな」
「まあそうでしょうね。今更性格など、変えられるものではないですが」
確かに大神さんの言う通りだ。たとえ編入生でも周囲に馴染もうとすれば、今のオレのようにはならないはずだ。これは痛い所を突かれてしまった。
(話題を変えるか)
「オレの事はもういいですよ。それよりそちらは何か変わりありませんか?」
「んーー、まあ変わったことっていや、とりあえず今俺ら島根にいるけど」
「は? 島根ですか! なぜそんなところに」
大神大隊の本陣は埼玉にあるはずだ。それがなぜ今島根にいるのだろうか。
アンバーはその性質上出現場所が読みづらい。霊気を抑えていれば一般人と見分けがつかないからだ。だから師団長が自分の持ち場を離れる事はまずありえない。少なくともオレがいた一年間はなかったことだ。
「おう、実はなーー」
「…‥それは本当なんですか」
ここ島根で近い内にアンバーの大規模な反乱が起こる。
ある情報筋からのそんなタレコミが、ことの発端だった。
しかもその反乱は最大クラスのものである可能性が高いらしい。
この未曾有の事件に危機感を感じた政府は、現在日本中から大隊長含め大人数を島根に集結させている。
それが島根に大神さんがいる理由だそうだ。
「まあ、こっちに来てから一日経つが、奴らを殺ったのが俺の部下にも何人かいてな。規模はどうか知らねえが、少なくともなんか企んでやがるのは間違いねえよ」
大神さんの口調には現状への不満がありありとにじんでいた。
無理も無い。下手をしたら国家の危機になるかもしれないのだ。
この人には師団長として住民を守らなければならないという責任があるのだろう。
「…‥すみません。…‥何も力になれず」
もどかしい。
部隊長という立場であるというのに、ゼスとしての責任を果たせないのだ。
「気にすんなよ。お前の分まで俺がやつらをブッ飛ばしてやっからよ」
「ですがーー」
「なーーに、こっちの事は心配すんな。うまくやるさ。…‥それよりも、俺は警備の甘くなっているそっちの方が気がかりでな」
大神さんは語気を急に低くして言った。普段のフランクなしゃべり方とは違う、ぜスの師団長としての話し方だ。
「放課後でいい。もしそっちで何かあればよろしく頼むぜ、悠吏」
「…‥了解です。そちらも気をつけて」
最後に意味深な話をして、電話は切れた。
ケータイをしまってから、オレは少し思考する。
さきほどの大神さんの言葉が少し気になったのだ。
守りの手薄な関東の方が気になる。
その懸念がおそらくあの人が電話をしてきた真意なのだろう。
そしてこういう時のあの人の勘はよく当たる。
(どうする)
しばらく考えたが止めた。何もおきていない以上、一生徒でしかない今のオレでは何もすることが無いのだ。
だから、今はさしあたっての問題を解決するほうが先決か。
さっきまでの、少しばかり緩んでいた表情を引き締め直して、オレは冷淡な声色で告げた。
「そこにいるのはさっきから分かってる。いいかげん出てきたらどうだ?」
通話の最中から、こちらを誰かが見ているような感覚はあった。
本来オレにはそんなエスパーじみた力は備わってはいないのだが、常に危険と隣り合わせの環境にいたせいか、もしかすると人の気配というのを常人より感じ取りやすくなっているのかもしれない。
「へえ、すげえ。そんな事分かるもんなんだな」
言葉の割には驚いた様子もない。低く威圧感のある声だ。
音の出どころは屋上の入り口だった。そこからなら開けっ放しにさせておいたドアのためにこちらが筒抜けだっただろう。
ばれたことで仕方がなくなったのか、それとも初めからこっちの通話が終わったら出てくるつもりだったのか。
それはオレには判断がつかないが、こちらに二人の人影が入ってきた。
襟のバッチの色から、一人は上級生のようだ。背が高く、雰囲気から察するに先ほどの声はこちらだろう。
「盗み聞きですか? 人の悪い」
「いや、そんなつもりはなかったんだがなあ」
そんな事をいいながらこちらに向かって歩いてくる。
困った、そう言いたげな表情だ。
「神道悠李ってのはおめーのことか?」
問いかけにオレは黙って首肯する。
もしかしたらさっきのクラスメイトに頼まれてオレを探しにきたのかもしれない。先輩として、和を乱す後輩に忠告をするというふうに。
そんな昔のマンガみたいなノリ、お坊ちゃんばかりのこの学校で実際にあるのかとも思う。
が、可能性としては無くもないか。
「ふーん、そうかよ。十五歳でぜスの部隊長になったって奴はどんな顔してんのかと思ってたが…‥なるほどね。確かに雰囲気はありやがる」
「なに?」
ぜス、その言葉が出てきたことでさっきの推測が間違っていた事がはっきりした。
では、アンバーだろうか。それはないはずだ。並の者が強者ぞらいのエグゼストに守られた宮中を突破できると思えない。
だとするといったいーー
「あんた、何者だ」
「おおー怖。まあいいぜ、おれは三年の五十嵐アキラだ。堅苦しいのは嫌いだからアキラでいいぜ。…‥で、まあここの武龍隊の隊長をやってる」
武龍隊。その言葉には聞き覚えがあった。
政府直属の任務を任されるエグゼスト達の組織。
ぜスとて政府直属の組織ではあり、その中には政府機関がある宮中の警備をしているぜスの師団もある。ぜスの全十三師団長をまとめる村上源特殊幕僚長率いるキングコア師団だ。
しかしそれらは人々の安全を守ることが最優先で、その意味で武龍隊とは設立思想が異なる。
しかしそれにしてもこの学校の制服を着て武龍隊の隊長を名乗るとは、いったいなにものなのだろう。
「いやな、本当はもっと早くお前に接触するべきだったんだけど。まあおれも新学期のドタバタでいろいろ忙しくてよ。ほら、三年になっていろいろと引き継いだからさ」
「…‥…‥回りくどいな。武龍隊の隊長がいったいオレに何のようだ?」
オレの催促にアキラ先輩は照れくさそうに「んーーと」と唸りながら、言葉を捻り出す。
「実はそのスカウトしに来た。神道悠吏、武龍隊に入れ、いや入ってくれ」
「武龍隊に? …‥なぜ、オレが」
理解できない。
法律の改正で急に連れて来させられた高校で、なぜオレはまるで接点のないそんな組織からスカウトされているのだ。
「なぜって…‥、うちもいろいろ戦力低下気味だし。強え奴は一人でも多く欲しいっていうかーー」
「悪いが無理だ。他を当たってくれ」
それ以外の言葉は出ようはずがなかった。
オレの答えに先輩は、どうしようかというように隣に目くばせをした。
アキラ先輩の隣に立つ、その人物は女性だった。
やや茶色がかった黒髪に目鼻立ちのくっきりとした顔をしている。身長に関して言えば、同学年の男子生徒の中では割と小柄な自分より少し低いくらいだが背筋を張っているためにスラッとした印象を受ける。かなりの美人だが、しかしその表情は随分と冷淡だ。
「おい、貴様」
こちらに向かってかかってきた声はその女性のものだった。
「さっきから聞いていれば、先輩に対してのその口のきき方はなんだ? お前は礼儀というものを知らないのか」
彼女のそんな言葉をオレは冷めた気分で受け止める。
雰囲気から見るにおそらくこちらもエグゼストなのだろう。
「貴様が紫電の霊気をその身に宿しているのは知っている。しかし、その力に頼って随分うぬぼれているのではないか」
(ほう、紫電の事を知っていたか。どうやら行き当たりばったりという訳でも無さそうだな。しかし、うぬぼれ…‥か)
勝手な言い分にオレはまたかとうんざりした。
嫉妬なのか悪意なのか、はたまたただの勘違いなのか。それはオレには分からないが、こういった事を言う輩は昔から多かったのだ。
「…‥そう思うのなら、それが事実かどうか確かめてみろ」
そう挑発して、オレは左手に力を込めた。途端に真っ白なオーラーが左手に出現する。
明らかに自然の摂理に反していると思われるその神秘的な淀みは瞬く間にオレの全身を覆っていく。
これこそが俗に霊気と呼ばれているものだ。
あの世の住人アンバーが身にまとい、オレのようなエグゼストがアンバーと戦うための唯一の力。
「来な、氏繁」
オレの声に呼応して左手にあった黒いオーラーがその姿を変え、すぐに刀の形へと変貌を遂げた。
播州住手柄山氏繁。
霊気の形質変化の一つ、得物召喚によって復元された代々伝わる家宝の黒刀だ。
「いいだろう。貴様の実力、この目で確かめさせてもらう」
敵意むき出しで返答して、その厳しい顔をした少女は数歩前に出た。
オレと同様に彼女の周りにも白い霧が纏い、やがて刃があらわになる。
霊気によって作られたそれは刀より刀身が短い。どうやら小太刀のようだ。
互いにそれぞれの武器を中段に構えた。
十秒、二十秒、三十秒…‥…‥…‥。どちらもまったく動かないまま刻々と時間だけが過ぎていく。
相手の出方を伺いつつ、飛び出すために後ろ足に力を込める。やや前のめりになった格好だ。対して向こうもそれを受け止めようと構えを変える。
その動作を確認して、オレは一気に距離を詰めた。
キッッンン!
互いの刃が交わり、甲高い音が屋上の空気を震わせる。
オレの刀をその短い刃で受け止めた少女は、こちらが振り払うより早く刀身を滑らせ肉薄してきた。
刃が擦れあい火花が散る中で、オレはギリギリのタイミングで小太刀の間合いから抜け出した。
そして相手に距離を取られる前に刀を振り下ろす。
キッッンン!
オレの斬撃をまたしても彼女は防いでみせた。
キン!
キン!
キッッンン!
何度も、何度も。
(やるな)
軽い小太刀で防御にてっせられると、いくら攻めにまわっているとはいえ崩しずらい。
それにさっきの初撃の返し方。
オレの刀を受けた後、体軸をうまくつかって刀を立て、小太刀の間合いに詰めてきた。
小太刀はその性質上、どうしてもシビアな刀の扱いをする必要がある。
もし、さきほど普通の刀を扱う様に体を引いたり、刀を払ったりしていればそこでオレの刀が入っていただろう。
そうしなかったという事は彼女が小太刀での戦い方をよく心得ているということだ。
再度交わった刀を振り払って、数歩下がる。
このままではらちがあかない。あまりモタモタと遊ぶつもりもないのだ。
(次でケリをつけよう)
冷静にそう考える。左足を前にずらし体勢を低くし、オレはゆっくりと納刀した。
「何のつもりだ、貴様ぁ!」
どうやら刀を収めた事をばかにされたと受け止めたらしい。彼女はその丹精な顔を歪めて激昂する。
その言葉に答える義理はない。オレはただ耳を澄まして、その時を待つだけだ。
「舐めた真似をっ、するなっっーー」
そう叫んで、彼女は地面を思い切り蹴り上げた。モデルのように細く締まった体が一気に眼前に迫る。
霊気のもう一つの形質変化である躯体強化によって、数倍に跳ね上がった速度は脅威的だ。
その姿はまるで獲物を狩ろうとする女豹のようでもある。
しかし、オレはそんな様子を平然と受け止めていた。
そのままの流れで小太刀が振り上げられる。
振り下ろされるまで後一秒もない。
だが、オレはこの瞬間を待っていた。
威力を引きだそうとして隙だらけとなったその無防備な一瞬を。
「これで仕舞いだ」
神速のスピードで抜刀。
刀は空気の抵抗を一番受けない最短のコースをたどって、吸い込まれるように彼女の首筋を捉えた。
「…‥…‥…‥…‥」
二人の体が同時に止まる。
勝敗は決していた。
小太刀が振り下ろされるより少し早く、オレの氏繁が彼女の首筋に当てられている。
「…‥…‥なぜ、斬らない?」
長い沈黙の後に発せられた言葉には悔しさがにじみ出ていた。顔を確認すると唇をわなわな震わせている。
(どう言ったものかな?)
ここで言葉の選択を間違えるとさらに怒らせてしまいそうだ。
少し考えてからオレは口を開いた。
「いくらエグゼストが霊気に対して抵抗力を持っていても、さすがに霊気で作られた刀で斬られて無傷とはいかないだろう。エグゼスト同士がこんな所でつぶし合うべきじゃない。それにこちらの力を確かめるのが目的だったはずだ。ならこれで終わりにしよう」
反撃が来ないのを確認してから、オレは刃を鞘におさめる。
と、同時にその存在意義がなくなった氏繁はあの世に消えていった。
「さっきの技あれはなんだ?」
同様に刀をおさめた少女の声には、もうさきほどの敵意は消えていた。
「流刀風波流居合、流閃形・燕。…‥別にキミを舐めていた訳じゃない。この技は居合切りの一種なんだ」
「流刀だと? なぜ、お前がそんな高名な剣術を使えるのだ。あの流派は一部の剣士にしか伝えられないはずだ」
流刀風波流ーーその名の通り風の流れを読むことで最速を極めた剣術だ。だからこそ一般的に風の力を使うエグゼストにしか伝授されない。オレもエグゼストではあるがオレの特性は風ではなく、無頼勇から貰った紫電の霊気だ。
だから、彼女の疑問はもっともだった。
「オレの祖父は流刀風波流の創始、杉村忠遜でね。父親はエグゼストとしての力は発現しなかったからあいにくとオレも風を扱う事はできないが。ある程度ならそれでも何とかなるからこうしてつかっているんだ」
この話をするのはこれで何人目だろうと、オレはニガニガしく吐き捨てた。
オレは自分の出生が好きではなかった。
風の霊気を扱うエグゼストの家系に生まれておきながら、自分にはその才がない。
当時、十歳にもなっていなかったオレは愕然とした。
叔父の使う華麗な剣さばきに魅了されて、自分もやってみたい、そう告げた時のことだ。
どうして、叔父が、従弟が、剣士としての力があるのに自分にはないのか。
ずっと劣等感を感じていたのだ。自分に、そして自分の家族に。
六年前のあの夜。
雨にうたれて泣いていたのはそれが悔しかったからだった。
右手に少々痛みを感じる。どうやら昔のことを思い出して、無意識に拳を握っていたようだ。
(この傷は、何年経っても癒えるものではないな)
自分自身のそんな心情、もちろん表には出さない。が、彼女は雰囲気からなんとなく察したようだった。
「そうか、すまない。どうやらデリカシーにかけたことを聞いてしまった」
「いや、キミのせいじゃないから。気にしないでくれ」
そうフォローするが、まだ彼女はバツが悪そうな顔をしたままだった。
「それだけではない」
「?」
「紫電に頼りきっていると言ってしまった事。私の勝手な憶測で根拠のない事を言ってしまった。…‥反省している、すまなかった」
申し訳なさげにそう言って、少女はこちらに深々と頭を下げた。
彼女のそんな様子を見てオレも自分の勘違いに気づく。
最初の感じからして、彼女はもっとプライドの高いと思っていた。
だが、実際は自分の非を素直に認められる人のようだ。
「勘違いは誰にでもあるだろう。大事なのは、それに気づいた後にどうするかだ…‥そうは思わないか?」
慣れない笑みを浮かべて、オレは彼女に対して右手を差し出す。これで手打ちにしようということだ。
差し出られた手を彼女は固く握る。その手は武道をやっている者とは思えない程やわらかかった。
そこにはもう先ほどの険悪な空気は消えている。ただ互いの実力を認め合う二人の剣士の姿があった。
「桐村カレンだ」
「?」
「私の名前。いつまでもキミと呼ばれるのも癪だし、カレンと呼んでくれてかまわない」
そうやって照れくさそうに笑う。上品な微笑み方だった。
まじかにみると彼女の顔はまるで芸術作品のような美しさだ。キリっとした眉に意志の強そうなスカイブルーの瞳。
そして、オレと同じ色の校章がつけられた、女生徒用の制服で隠されている胸元。
「どうかしたか?」
「いや、なんでもない。大丈夫だ」
カレンの鋭い指摘に内心で狼狽しつつも、先ほど考えていたことを悟られないよう冷静さを装う。
男ならどうしても意識してしまうことだろうが、だからといって自分がそういった事を考えていると知られるのは避けたい。
「本当に大丈夫なのか? 少し顔が赤いように思うが?」
追求するカレンは、さらにオレに迫った。
彼女の顔が目と鼻の先にあって、思わず視線を反らす。
「いや、本当になんでもないんだ。気にしないでくれ」
「…‥…‥じゃあなぜ、こっちを見て話さないんだ」
「いや、それは」
まさか、まじかに顔を見るのが、恥ずかしいなどと言えるはずもない。
「目をみて話さないと、なにかやましいことがあるんじゃないかと思ってしまうだろう」
鋭い。だが、的を射ていない。
「神道、私はお前のことを剣士として認めたのだ。隠し事をするな」
「…‥…‥いや、その。何というか…‥」
どう言えばいいかに迷ってオレは慌てふためく。
と、そんなオレ達の様子を面白そうにずっと眺めていた、五十嵐先輩はおもむろに口をはさんだ。
「取込み中ん所悪いんだけど、神道。でまあ、改めて訊きたいんだけど、武龍隊に入ってみる気はないか」
再度告げられたその言葉を、しかしオレはさっきとは別の気持ちで聞いていた。
光星学園の校舎は豪奢だ。
なんでも財閥や有名政治家からの寄付によって校舎が建設、改修されているそうだ。
学校といえば、中学校通っていた築数十年の校舎を思い浮かべてしまうせいもあるかもしれないが、さすがは唯一宮中にある学校だと思う。
教室にこそそれほど目立った所はないが、その他の設備が度をこしている。
日本のいったいどこに、中庭にライオンの噴水のある学校があるというのだろう。
そして学園の敷地もかなり広い。
中学一、二年の教室と文化部の部室のある五号館。高校、それと中学三年の教室のある六号館はオレが普段利用している所だ。この二つはアンバー出現前から建てられたらしくモダンな雰囲気が漂っていて学校というよりどこかの美術館のようだ。
二から四号館が日本一の大学、光星大学と大学院の校舎らしい。行った事もなければ、興味もないのでよく知らないが。
そしてそれらすべての教員のいる職員室と事務局のある一号館。
ここはほんの数年前に建て替えられたばかりらしい。その六号館以上に綺麗な校舎に今オレ達は来ていた。
アキラ先輩に改めて武龍隊への入隊を進められたオレは、とりあえず先輩達に指示を送っているという人物に会おうと思ったのだ。
ぜスを、大神師団を、辞めようとしているわけじゃない。
だが、実際問題ここから本部のある埼玉に毎日通うのは少々無理があるだろうし、カレンの立ち筋をみて武龍隊に少し興味がわいたのだ。
そしてもう一つ。オレにはどうしても聞かなければならないことがあった。
法律で定められた事はゼスの隊員は高校を卒業、あるいは在籍していなければならないということだけだ。しかしなぜだかオレは光星学園に入るように命令を受けていた。
(誰が何のために、そう指示を出したのか。ようやく分かるかもしれん)
突っ立ったままあれこれ思案しているとーー
「早く来いよ、神道!」
「っ。ええ、分かってます」
「おせえと置いてっちまうからな」
言葉通りどんどんと進む先輩の後を追って、高校職員室のある三階の通路を進む。
放課後ということもあって高校の教員の多くがいるようだ。なんとなく居心地が悪くて隣を歩くカレンに声をかけてみる。
「カレン、今から会いにいくのはどういう人物なんだ?」
歩みを止めぬままチラリとこちらをみた彼女は、
「武龍隊がどういう組織かお前は知っているか?」
逆にオレへの質問で返してきた。
「確か政府、主に総理大臣から、特例を受けて活動しているんだったんじゃないか。ぜスは地域住民をアンバーから守るのが仕事だから。そういう意味でぜスと武龍隊は少し設立理念が異なるらしいね」
「うむ、まあそうだ。では、神道。なぜ、そんな組織に私や、アキラ先輩のような高校生がいると思う。宮中には、お前のほうがよく知っているだろうが、ぜスのキングコア師団がいるというのに。彼らに全てを任せたほうが楽だと思わないか?」
まるで、謎解きでもさせるかのように彼女は質問を続けた。
カレンの顔をうかがうとどうやらこちらの答えを待っているようだ。仕方ないので、しばしオレはその問いについて考えてみる。
なぜ、一国のトップが高校生(といっても全員がエグゼストなのだろうが)を懐刀のようにしているかという事だろう。
仕事がないから、高校生でもこと足りるからだろうか。
あり得ない話ではないが、それははずれているような気がする。
ぜス以外にもエグゼストはいるし、そもそもただのお飾りならエグゼストでなくてもいいはずだ。
こうしてカレンがもったいぶって話すのだから、なにかしらの事情があるとみていいのだろう。一体それはなんだ。
「…‥…‥…‥カギは高校生という所か、武龍隊を構成しているのが」
オレが呟くと、カレンは「それで」と続きを促した。
「考えられるのは、ぜスの隊員を政治に近づけすぎないため、もしくは政府と彼らの間になんらかの確執があるか…‥まあそれは聞いたことがないから、違うだろう。後は貴重なぜスの隊員をこれ以上割きたくないとかまあそんな所か。高校生位の年齢なら、なんらかの組織と結託したりはしないだろうし、仮になにか起きてもぜスの隊員クラスなら対処できるだろうからな」
オレの仮説に、カレンは満足そうに頷く。
「では、そんな部隊を指揮して総理から直接指示を受けているのはどんな人物だと思う?」
話がオレの尋ねた最初の質問に戻った。
おそらく、いままでのことを踏まえて回答を導き出せということなのだろうと判断する。
「…‥まず、軍人の繋がりはないだろう。少なくともぜスに入っていたとかそういうことはないな。それから、政府にとって信用のおける人物であること。…‥…‥まあ、その人は教師みたいだからそういう事は問題ないだろうけど」
最後にそう付け加えるとカレンはなんとも言えない曖昧な表情で返した。
(? なんだ)
「ついたぜ」
その表情でなんとなく悪い予感がして気になったが、先輩の一言で我に返る。
考えに集中していたせいで、周囲に気を配ってはいなかったがどうやら結構歩いていたようだ。
先輩が示した所には小さなドアが一つあった。
「…‥…‥先輩本当にここに入るんですか」
そこだけ明らかに他と雰囲気が違う。
そのスペースはグロテスクなほど一面真っピンクに塗られていた。
「んだよ。武龍隊司令官にして英語科教師、尾根枝先生の部屋だ。ほら、ここにもそう書いてあるだろ」
先輩の指差す方には確かに、「尾根枝の館」と乙女チックな文字で書かれたプレートがドアに掛かっている。
さっきの悪い予感が現実のものになろうとしていた。
(今更退くわけにはいかないが…‥どうしたものか)
ーーと。
こんこん。
「失礼しまーす」
「っ!?」
オレの困惑などお構いなしで先輩はさっさと先に入ってしまった。
(…‥…‥やれやれ、まったく)
仕方がない。このまま突っ立っている訳にもいかないので、オレは覚悟を決めてそのあとに続いた。
「うっ」
目の前に広がる光景に思わず絶句する。
そこには今までオレが見たこともないような変態ワールドが広がっていた。
まず目の前に入ってきたのは、ドアの壁一面に貼られたポスターだ。上半身裸で絡み合うものや、何かの部活のユニフォームを着て見つめあう、男キャラクター達の姿が描かれている。
そしてやはりピンク色の、部屋を埋め尽くすほどの数々の小物たちは足の踏み場もないほどに地面を埋め尽くしている。
それらによって部屋は完全に私物化されていた。
そしてなによりーー
「いらっしゃい、来たわね神道ちゃん。待ってたわよ」
その声の主。そしておそらく部屋の所有者が、一番なんというか…‥残念だった。
オレの両の目に映ったのは文字通りの悪魔だ。
レースのフリフリが施された装飾に小太りの体全身を包むピンク色の生地。
世俗にはあまり詳しくはないので確信はないが、こういう服をロリータファションというのではないだろうか。そんなものを着ている。
いや、別にそれ自体は問題はない。
実用的でない格好だとは思うが、個人の趣味になにか口出しするつもりもない。
本当に問題なのはそんな服をサラリと着こなす…‥…‥推定年齢五十歳以上のこの男にあるのだ。
普通の男性がそんな格好をしているだけでも、その…‥あれだろう。
だがこれはそんな生半可なもんじゃない。その面構えもすさまじいのだ。
ゴリラのように濃い顔には真っ赤な口紅とアイシャドーがふんだんに塗りたくられている。
いや自分なりに身だしなみに気をつかっている結果なのかもしれない。が、その前ににまずシミの目立つ荒れた肌や伸び放題の髭をどうにかするほうが先決なのではないだろうか。
なんとか女らしくみせようとしているのかもしれないが、完全に逆効果だ。
「ひどいなこれは…‥」
「酷いとはなによ! なんか文句ある? 別に誰かに迷惑かけてる訳じゃないんだから私が何しようと私の勝手でしょ!」
思わずポロリと本音が漏れると、その男(…‥でいいのか?)は矢継ぎ早に怒鳴り声をあげてきた。
ぴくぴくとこめかみがうめき、怒りマークが浮かびあがる。
その様子はまるでなにかの漫画のようだ。
正直、見るに堪えない。
いや、確かに彼?の言っている事は正論と言えば正論なのだが、やはり迷惑をかけているんじゃないだろうか…‥視覚的に。
という本音は心の奥に隠して、はあと目の前の変態に対し肯定とも否定ともとれる相槌を打つ。
そしてそれはオレにとっての溜息でもあった。
なんだかここに来てからすっかりこの男に圧倒され続けてしまっている。
いや、まさかこんな怪物が現れるとは思ってもみなかったし、それを考慮すれば仕方のないことなのかもしれない。
だが、だからといってこのまま主導権を握られるわけにはいかない。
こちらの聞きたいことも聞かなければ。
「英語科教師の尾根枝というのはお前なのか?」
目の前にいる男の、どうにも濁った眼を睨みつける。
オレのその言葉には否定してくれという願望があった。
武龍隊のことはゼスの隊員の間でも謎の多い組織と何度か話題になったことがあるのだ。
その指揮官がこんな変態だというのは嫌な話だ。しかしーー
「そうよ。光星学院最強の窓際族と呼ばれる尾根枝ジョナサンとは私のことよ」
フフン、とでもいいそうなドヤ顔で件の変態、尾根枝ジョナサンはキッパリと言った。
思わず俺は、脱力してガックリと地面に膝をついてしまいそうになった。
正直もうなにから突っ込んでいいやらで、話す気力が失せている。とは言っても何も言わない訳にはいかないのだが。オレは仕方なく会話を続ける。
「窓際族って…‥自虐のつもりですか?」
「何言ってんのよ? 日当たりのいい窓際の席をあてられてるってことは優秀な人間であることの証でしょ」
もう本当に何から突っ込んでいいやらだ。
「…‥‥‥それは本気で言っているんですか? その冗談とかでなく」
「冗談? この学園の理事長がじきじきに私にそう言ってくれたのよ。本気で言ってるに決まってるでしょうが」
いったいなにを言っているのやらという表情の尾根枝に、オレは同情を感じずにはいられなかった。
(理事長って…‥)
同僚ならともかくそんな学校のトップの人間にバカにされているのだろうか。
いや考えてみれば光星のような一流名門校で、こんな変態的格好をしているのだ。腫物扱いされるのも頷ける話だ。
ともかく、武龍隊の指揮官という人物がまさかこんなダメ人間だったとは。
たまらずオレは尾根枝に理事長にバカにされている、と伝えようとしたが、途中でやめた。二人ーーアキラ先輩とカレンが口に手をあてて「シーーー」とやっているのがみえたからだ。
おおかたそれを知ると傷つくから言うなという意味なのだろう。
ああ、もう色々とめんどうだ。
げんなりとしながらもオレは話を戻した。
「…‥その話はもういいですよ。それよりも武龍隊がオレに興味を持っていると聞きましたが。…‥一体どういうつもりなんです?」
オレが特殊自衛隊に籍を置いていることをこの男が知らないはずがないだろう。
いくらオレ達のようなエグゼストが貴重とはいえ、ゼスで部隊長をはっている自分をわざわざ誘うのはどう考えてもおかしい。
すると尾根枝はアキラ先輩のほうをちらっと睨んで、
「ちょと、アキラちゃん。あんた、ちゃんと説明しときなさいよね。まったくもう」
「わははははは。わりい、なんかたるくてさ」
まるで気持ちのこもっていない謝罪をして先輩は頭を掻いた。様子を見る限りどうやらこの人にとっても尾根枝は敬意を表すに値しない人物のようだ。
…‥なんだか少し本気でかわいそうになってくる。
「まったくあんたはこれだから困るのよ。そのいいかげんな性格を少しはどうにかしなさいよね」
「ちがいまーす。相手が尾根枝先生だからでーす」
「どういう意味なのそれは!?」
「指揮官が有能な尾根枝先生だから、ついつい手を抜いてしまうという意味でーす」
「うっ、そうなの? …‥それなら…‥まあいいけど」
先輩のあからさまな嘘にも、うれしそうな顔をして騙されるダメ教師尾根枝。
というかまたしても話が脱線している。
「あの、…‥そんな話はどうでもいいですから。そろそろオレがここに誘われている訳を教えてもらえませんか?」
苛立ちながらオレが話を戻すと、二人は顔を見合わせた。
「ああ、そういや」
「そんな話をしてたかしらね」
まったく。
ノリが軽いというか、いいかげんというか。
「あのーー」
「冗談よ。ちょっと、待ってて」
ふざけるのはおしまいとばかりに急に表情を引き締めて、尾根枝はプリントで溢れかえっている机の中から一枚の用紙を取り出した。
「これを見て頂戴」
近づいてくる尾根枝にかなりの嫌悪感を感じながらも、オレは差し出された紙を読み上げる。
「紫電の継承者、神道悠吏に関しての取り決め…‥ですか。…‥本人の知らない所で、ずいぶんと勝手な話ですね」
A4ほどの大きさの紙には、どうやら光星学園宛にオレの処遇についての事が書かれているようだった。
「それはあなたの編入手続きが完了した直後に日本政府から送られてきたものよ。内容は悠吏ちゃんを武龍隊に入れとけってこと」
そう言って、気怠そうに椅子に座った尾根枝に、たまりかねたようにカレンが口を開く。
「いったい、なぜそんなことを彼らに指示されたのですか、尾根枝教諭」
カレンの質問はもっともなものだ。
口を開きかけた尾根枝を目で制し、代わりにオレが口を開いた。
「連中は、オレを近くで監視しておくつもりなんだろう。だから政府直属の武龍隊に入れと、…‥オレがこの学校に入るようお達しを受けたのもどうやら無関係じゃないようですね」
尾根枝もうんうんとオレに同調する。
「そういうことなのよ。法改正でゼスの子も高校に行かなくちゃいけなくなったけど、うちみたいな進学校に入ったのはあなた一人だものねえ」
「オレだって、好きで入ったわけじゃないですよ」
まるで、オレが真面目な生徒であるかのような尾根枝の発言に反論する。できるなら今にでも辞めたいくらいなのだ。
しかし、これでようやく合点がいった。
(この学校に通うはめになったのは、武龍隊に入隊させるためか)
「で?」
気が付くと尾根枝が目をぎらつかせていた。
「武龍隊に入ってくれるのよね」
いつのまにやらオレの制服の肩を掴んで、変態が威圧してくる。尾根枝の濃すぎる化粧は間近でみると破壊力は五割増しになっている。
「さ、触るな」
嫌悪感を露わにして、思わずその手を振り払う。と、一歩下がった拍子に床にあった香水の瓶を踏みつけてしまう。
「っ!」
オレが痛みに悶えるのとほぼ同じタイミングでこんこん、とノックの音がした。二人の生徒が入ってくるのが目に入った。
一人はスキンヘッドの男だ。かなり鍛えているのか随分がっしりといた体つきをしているのが制服の上からでもよく分かる。
「ウス、お嬢さんを連れてきました」
男はそれだけ言って、面倒くさそうにソファに腰かけた。自分の役目は終えたとばかりにオレに対して何の反応も示そうとしない。
必然、周囲の視線はもう一人の人物に注がれる。つまり先ほど男がお嬢さんと呼んでいた少女の方にだ。
「こんにちはっ、武龍隊の皆」
そのことに気づいたようで、彼女は愛想よくにっこりと笑った。そこには女子高生らしいあどけなさと名家の子女らしい気品が備わっている。
オレはその少女のことを知っていた。というよりはこの学校で彼女の事を知らない者はいないだろう。
名前は華宝明日香。
オレと同じ二年A組のクラスメイトだ。
平安時代から続く華宝家のご子息で彼女自身現総理の愛娘でもある。
その女優にも引けを取らないレベルの容姿と相まって、学内でもファンクラブがいくつも乱立している。…‥と、そういえばクラスの人間が雑談をしていた。
そんな存在フィクションの世界の話だと思っていたのだが、気持ちは分からなくもない。
間近で見ると、スタイルのよさや、白く綺麗な肌をしていることに改めて驚かされる。宝石のように澄んだスカイブルーの瞳はまるで好奇心の塊のようで男心を存分にくすぐられる。悪魔的な可愛らしさとさえ言えるのかもしれない。
「あら?」
不意に視線が合う。
「あなた、神道君よね?」
どうしてだか、オレに声をかけてきた。
瞬間反応に迷ってしまう。クラスメイトといえど、ここ数日そうなったばかりだ。オレの顔をみて名前が出てくるとは思わなかった。だが、だからといってあまり動揺を見せる訳にもいかない。
こくりと会釈をする。
とりあえず、目立たぬようしたつもりだったのだが、なにを思ったのか彼女はじっくりとオレを凝視し始めた。
「キミってさ、けっこうカワイイよね」
悪戯っぽくそう言う彼女に、オレは返す言葉が見つからなかった。
「あの、ふざけているんですか?」
ようやくそれだけ絞り出すと、
「どうして? そうやって強がっているところとか見てると…‥なんていうのかな、ほっとけない!って思う気持ち分からない?」
心底不思議そうに彼女をそう言った。からかわれている…‥という訳では、ないようだがオレとしてはそんなことを言われていい気分ではいられない。
「オレはーー」
少し思案した後、反撃の言葉を準備して、続けようとする。しかし、
「ほらほら。二人ともそっちでギスギスしてないで、こっちいらっしゃい」
それを遮って、尾根枝はウェルカムと手招きをした。見ると、自分達以外の全員がもう席に着いている。皆、一様に面倒くさそうな顔をしているが。
すると華宝さんもハーイと楽しそうに返事をして行ってしまった。
しかたない。
空気をあまり壊すわけにもいかないので、オレも黙って空いていた席につく。
さて、いったいこれからなにが始まるというのだろう? 何かの作戦会議か? いや、それだとどうして彼女はここにいるのか。
尾根枝は皆をゆっくり見渡して満足そうに頷くと、
「さて、これより悠吏ちゃんの入隊記念パーティーを開催したいと思いまーーす」
いつ取り出したのか、人数分のティーカップを机の上に並べた。
「おい、こら」
がらにもなくつっこんでしまった。
「入隊って…‥まだそんなこと、一言も言ってはいないでしょう。それにパーティってなんです?」
その疑問はオレには当たり前のことだったのだが皆にとってはそうでないようだ。何を言っているのやらという顔をされた。カレンだけは同情的な視線を投げかけてくれたが。
「もう、つれないわね。悠吏ちゃんは。そんなことぐらいで」
オレのカップに紅茶を注ぎながら、尾根枝はそんな事を言う。
「でもワ、タ、シ。つれない男も好きよ」
「なっ…‥ぶっ飛ばすぞ、ジジイ!」
全身からなぜだか冷や汗が噴き出している。冗談よー、と尾根枝は笑っているが、絶対に冗談なんかじゃない。目の奥が笑ってない、本気だ。
(と、とにかくこの話をこれ以上続けるのはまずい)
そう考えて、とっさに話を変える。
「だいたい、どうして総理のご令嬢がこんなところにいるんです?」
オレが尋ねると尾根枝はうーんと、ルージュのたっぷりと塗られた唇に指をあてて、
「じゃあ、そこから話をしようかしらね」
ピンクで塗られた小さな椅子にガタイのいい体を載せた。
(まるでトドだな)
木製の椅子がギシギシと音を立てていて、つい笑ってしまいそうになる。が、それを堪えて尾根枝の言葉に頷く。
「結論から言うと、お嬢様をお守りするのも私達武龍隊のお仕事なの」
すっかり紅茶を飲み干しから、尾根枝はようやく話し始めた。
「そんなことをする必要があるんですか?」
「はっはっはっー。あるんだなー、それが」
チョコレートの包み紙を弄びながらアキラ先輩が口を挟む。
「身代金欲しさとか総理に政治的要求をするとかで、結構狙われてるんだお嬢さんは」
「そうなんですか?」
「ああ。宮中はともかく、外は警備なんていねーしな。いつも誰か一人は彼女についてなきゃなんねーんだ。大変なんだぜ、結構。だから人手が足りねえんだよ」
「それは確かにそうですが…‥しかし」
「自分がここに呼ばれた理由にはならないってか?」
「はい」
「アキラは学年が違うし、カレンちゃんは学校の役員だから放課後はいつもいないのよ」
尾根枝に視線を向けられて、カレンは顔をしかめた。申し訳なさそうにすみませんと、頭を下げる。
なんとなくオレの中で罪悪感が生まれて、納得してしまいそうにもなるが。それだけで簡単に引き下がる訳にもいかない。
「彼はどうなんです?」
一番端で突っ伏して寝ている男に視線を投げかける。
「ああ、村井ちゃん。彼もダメよ」
「なぜです?」
「だって学年が違うもの。高一よあの子は」
(年下?)
この村井という男、どうみてもオレより上に見えるのだが。
いや、まあ別に有り得ないわけでもないか。
いまだ踏ん切りがつかないでいると、尾根枝は急にひそひそと話してきた。
「それにね、悠吏ちゃん。ちょっと気になることもあるの」
「気になること?」
「近頃、この辺で不穏な空気があるのよ」
「それは島根で起こるって言われてるアンバーの大反乱のことですか」
関心があったのか、カレンが話に食いつく。
島根の、というと大神さんも言っていた例の話のことか。当然、彼女達の耳にも入っているようだな。
しかし尾根枝はうーんと難しい顔をして、肯定しようとはしなかった。
「それもそうだけどね…‥もっと内輪の血生臭い話よ」
うんざりしたようにそれだけ言うと、尾根枝は盛られたチョコレート菓子へと手を伸ばした。
「…‥…‥」
この男(?)は時々こんな風に真剣な顔を見せる。
今日初めて会ったが、不真面目なのかどうかいまいちよく分からん奴だ。
まあ、こんな奇抜な格好をしているのだ。変わり者であることには違いないだろうが。
「あら、どうしたの悠吏ちゃん。情熱的な目で見つめてきたりして」
「?」
「はっ、まさか欲情したのね私の体を見て! そうなんでしょう?」
尾根枝は胸元を隠す仕草をする。
「先生それセクハラっ」
華宝さんが明るい口調で笑う。つられて先輩とカレンからもくすくすと笑みが零れる。
さっきまでの引き締まった空気はどこへやらだ。
(本当におかしなやつだ)
ひとひきり場が和むと、それでと尾根枝は改まってオレに訊いてくる。
「武龍隊への正式な入隊を要請します。ぜひとも、一緒にみんなの安全のために汗を流しましょう」
「…‥」
さて、どうしたものか。
話からするにこのままいくとオレは華宝さんのお守りまで引き受けることになるようだが。
しかし、政府からこうして書類が届いている以上無視することはオレの立場的にもできないだろう。それに尾根枝のいう「血生臭い話」というのも気になる。
何もしないよりはまし…‥か。
オレは決意を固めた。だが、その前にーー
「一つ条件が」
「なーに?」
「オレのいたゼスの大神師団に席を残しておくことを許可していただきたい」
やや丁寧な口調とは裏腹にオレは厳しい目を向けた。
自分にとって大神師団という存在は大きなものだ。たとえ、今は任務に参加できずにいたとしても。
だから、この点でオレは譲るつもりはなかった。
しかし。
尾根枝は取るに足らないことのように、「もちろんよ」と声を弾ませる。
「じゃあ、入ってくれるのね」
(なんだ、その辺はゆるいのか…‥)
「ええ、まあ」
やや拍子抜けしたままオレは頷いた。
幸か不幸か、これでオレは武龍隊の人間になったという訳だ。
「これからよろしく頼むぞ、神道」
カレンがその丹精な顔を少しだけ緩めて笑う。普段は武人らしく引き締まった表情をしている彼女がそういう顔をしているのはとても魅力的だ。
「ああ、こちらこそ」
この笑顔を見られただけでも、オレがここに来た意味はあったのかもしれない。
「おやおや? お熱いじゃねーか、お二人さんよお」
その様子をアキラが冷やかしてくる。気づくと尾根枝や華宝さんまでこちらをみてにやにやとしていた。
「仲良いのね、カレンと神道君って」
「いや、そんなんじゃ…‥ないですよ。変な誤解はやめてください」
たまらず彼女の言葉を否定する。これ以上クラスに悪い噂を広めることはオレとしても本意ではないのだ。それはカレンとて同じだろう。
「こら、明日香。からかうな」
顔を赤くしながらカレンも華宝さんをたしなめる。
「ふふ、ごめんね。でも、照れてるカレンってなんか新鮮でかわいい」
そう言うと、華宝さんはちらっと舌を出した。普通そういうことをされたら腹が立ちそうなものだが、とびぬけて綺麗だとそういった感情も起こらないらしい。
「これからよろしくね、神道くん」
オレのそんな心など知るはずもない彼女は屈託のない笑みを浮かべた。
キーンコーンカーンコーン、キーンコーンカーンコーン。
スピーカーから聞こえてくる、この耳障りな音が今のオレにはなんともありがたい。この沈黙の殺気を感じずにすむほんの少しの時間を与えてくれるからだ。
様々な出会いのあった昨日から一夜明けた今日。
高校生活で初めて、少し晴れた気持ちで登校してきたオレを待っていたのはクラス中から向けられた視線だった。
どうやらあの話の後に彼女達と一緒に帰宅したことが噂になっているらしい。
たかがその程度のことでと思うが、彼らにとっては衝撃的なことのようだ。
学園の二大アイドルに不良転入生が取り入ろうとしているという構図は確かに関心を持たずにはいられないのかもしれないが。
(その不良転入生にとってはいい迷惑だ)
一緒に帰ったなかにはアキラ先輩や一年の村井もいたのだが、なぜかそちらは話題にも上らないようだ。
改めて自分の置かれている立場の悪さを思い知らされる。ここの生徒達がいかにオレを嫌っているかを。そしてカレン達がここでいかに特別な扱われ方をされていることを。
(できるだけ、二人へのむやみな接触は避けなければならないな)
とはいえ武龍隊の任務の一つが華宝さんの護衛である以上、まったく関わらないということは不可能だが。
(いっそ武龍隊のことは公表すれば楽になるんだが)
尾根枝の話によると一般生徒には武龍隊のこともましてオレやカレン達が霊気を身に宿す存在エグゼストであることも知らせてはならないそうだ。厄介な規則だが、生徒達の不安を故意に駆り立てないためと言われてはどうしようもない。
さて、どうするか。どうやってこれからうまくやっていこうか。
オレがぼんやりとそんな事を考え始めた矢先、
「おはよっ、神道君」
とびぬけて明るい声が、オレの耳に飛び込んでくる。
(この声は)
「…‥お嬢さん」
振り返ると、やはりというべきか声の主は華宝さんだった。椅子に座るオレに視線を合わせてか、彼女は少し屈みこんでいて、お互いの顔の距離は十センチもないのではというほどだ。正直、この距離感はマズイ。彼女の長いまつ毛の一本一本まではっきりと見えてほどで、その大きな瞳に吸い込まれていまいそうでーー
「どうかした、神道くん?」
まじまじと見つめてしまったために、華宝さんは不思議そうに笑う。急いで話題を変えようとしてオレはあることに気が付く。
「いえ、別に。…‥というか、なにかいいことでもあったんですか」
「?」
「その、なんだか今はいつも以上に楽しそうな顔をしているので」
なんとなく、なのだが。彼女の真っ白な頬がわずかに上気しているような気がする。
すると、華宝さんはうーんと照れながら話し始める。
「神道くんにお嬢さんって呼ばれるの、恥ずかしいけどちょっといいかもって思っただけ」
「はあ」
そんなことの何がよいのか、オレにはさっぱりだ。昨日あのスキンヘッドの一年生がそう呼んでいたために自分も使ったにすぎないのだが。
「なんか、かわいいのにそうやってクールにしている所がすっごく萌えるのよねー^」
「…‥…‥そうですか」
(萌える? オレがか?)
彼女には一体オレがどのように見えているのか。分からない。さっぱり分からない。
しかし、こうなれば意地でもお嬢さんを使い続けてやろう。少女に舐められるなどまっぴらだ。
「それでお嬢さん、オレになにかご用ですか?」
お嬢さんをわざと強調させてオレは訊く。すると、華宝さん(お嬢さん)は立ち上がって、キョトンとする。
「別にっ。何にもないよ?」
(…‥何もないのか)
それならばむやみに話しかけないでもらいたい。窺うように周囲を見ると、やはりというべきか視線がオレ達二人に集中していた。教室ばかりか他クラスの生徒まで廊下から様子を窺っている。
この状況はマズイだろう。更なる誤解を招きかねない。
「あの、むやみにオレ達が接触するべきではありません。不審に思われます」
オレは彼女にそう小声で耳打ちする。
「どうして?」
「武龍隊の事は他の生徒には秘密ですから。オレとお嬢さんが会話をすることはできるだけ避けるべきです」
「どうして? クラスメイトと話すののなにが悪いの?」
「それは…‥」
おもわず、オレは口ごもってしまう。華宝さんは心底訳が分からないという表情で、オレをじっと見つめている。彼女の言うことは、確かに間違ってはいないのだ。だがーー
「周囲の注目を浴びてしまいますから」
華宝さんに後ろを見るよう手で合図をする。
必ずしも皆、彼女と同じ考えをもっているわけではない。生意気な奴と敬遠されているオレと誰からもあこがれられている華宝さん。その二人が一緒にいるのはおかしいと思う者がほとんどだ。
オレの言う通りに華宝さんが振り返ると、さっきまでこちらを見ていた生徒達は一斉に視線を逸らした。
「どうしたの、みんな?」
その異様な光景に華宝さんも不審がる。
しかし、その声に反応するものは誰もいない。教室になんとも言えない気まずい空気が流れる。
(仕方ないな)
ひとまずオレがいなくなれば、落ち着くだろう。そう考えて、教室を出て行こうとする。が、
「あれ、どこに行くの?」
純真無垢な顔で華宝さんはオレを呼び止める。
うすうす気づいていたことだが、このお嬢様はどうやら重度の天然を患っているらしい。
無理もない話か。華宝家ほどの名家の娘さんなのだ。おそらくいままで蝶よ花よと育てられてきたのだろう。
「…‥ちょっとトイレに」
わずかに湧き上がった鬱陶しさを振り払って、おれはそのまま教室を後にした。
気がつくと、昼休みになっていた。
なるべく存在感を消そうと、ただぼけっとしているうちに寝てしまっていたようだ。机に突っ伏すような体勢だったために、少し手がじんじんする。
オレがトイレから戻ってくると華宝さんはすでに自分の席に戻って、周囲の生徒と談笑していた。オレの話を理解したのか、あるいは誰かに忠告されたのかそれきり向こうから話かけられることはなかった。
そのおかげか、オレへの風当たりも少しは和らいだようだ。その点は良かった事と言えるだろう。
しかし。
話しかけて貰えなくなったことを心のどこかで寂しがっている自分がいるらしい。
(バカらしい、子供か。オレは)
心の中で一蹴して、オレは現実に帰る。
チャイムが鳴ってからそれなりに時間が経っているためか、各々の席で弁当を食べている生徒はもう少数派だ。カレンや華宝さんも既に席を立って、どこかに行ったようだ。
急いで飯を食べてしまおうとバックから弁当を取り出そうとすると、中に見慣れない手紙が入っている。
開くと、小奇麗な字でなにか書いてある。弁当を持って、屋上に来いーーだそうだ。
この端的な文章はカレンだろう。彼女のことだ。きっと照れながら、これを書いたのだろう。それを想像するとクスッと笑ってしまう。
(行くか)
どうせ教室にいても一人で飯を食うだけだ。カレンもきっとそれを考えて、誘ってくれているのだろう。
取り出した弁当を片手にオレは教室を出た。
この学校に屋上はいくらでもあるが、詳しく書かれていないところを見ると、説明する必要もないということだろう。つまり、昨日会ったあの場所だ。
特に迷うこともなく、廊下の端にある階段を駆け上がる。
分厚いドアを開けると、やはりカレンがシートを広げて座っていた。そして隣でじゃれ合っているのは華宝さんだった。
遠目からでもはっきりと分かるモデル並の長身。腰のあたりまでかかっているキレイな髪が風になびいているその姿はどこかの絵画のようだ。
「あっ」
こちらに気づいて、彼女は声をあげた。
「こっち、こっち」
立ち上がって手招きをする華宝さんにオレは軽い会釈で返す。
幸いなことに屋上には他に誰もいなかったが、正直そんなふうにされるとかなり恥ずかしい。
やや、急ぎ足で二人の座るシートに着くと、
「遅いぞ」
ぶっきらぼうにカレンが口を尖らせた。といっても、本心からではなさそうだ。
「ああ、悪い」
苦笑した。きっとカレンはこういう言い方しかできないのだろうと分かっているからだ。
「もう、カレン。来てくれたんだからいいじゃない」
華宝さんがそう言ってカレンをたしなめる。
(華宝さん)
さっきのごたごたの後だ。正直なんて声をかければいいのだろう。さきほどはどうも?、いやそれだと変に意識しているように見えるかもしれないーー
「あー、…‥お嬢さんもいらっしゃったんですね」
数秒考えて、ひとまずオレはとりとめのない言葉で取り繕うとした。しかし、華宝さんはなぜだか、むーと頬をふくらませて無言になってしまった。どうやら不機嫌にさせてしまったらしい。
見かねたカレンが口を挟む。
「違うぞ、明日香が誘おうと言ったんだ」
「?」
「お前が皆の前では接触するべきではないと言ったのだろう。ここならほとんど人がこないから、昼食なら一緒に食べられるだろう…‥と明日香がな」
カレンに視線を向けられて、華宝さんは照れくさそうに頬を微かに赤く染めた。
「お嬢さんが…‥?」
意外だった。会った時からずっとおちゃらけていた彼女が、そんなことを考えてくれていたとはおもわなかったのだ。
「だって、みんなで話したかったんだもん」
絞り出すように華宝さんはそう呟いた。初めて見るその女の子らしい表情にオレは動揺した。
鼓動が早くなっているのが自分でも分かる。
「なぜそこまで…‥」
オレに関わろうとするんですか。
口には出さなかったが、オレの言葉にはその意味が込められていた。
「それは…‥」
「それは?」
「それはーー」
言い渋った後、告白でもするかのような声色で彼女は言った。カレンとの仲を問い詰めてからかってみたかったから、と。
「…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥そうですか」
絶句した。なんというか、いやなんと言えばいいのだろう。カレンもどうやら同じような気持ちらしい。唇をわなわなと震わせて、それきり黙ってしまう。
(まあ、彼女らしいと言えばそうなのか)
思い返せば、華宝さんはずっとこんな調子だ。いまさら、驚くこともない。
むしろ、オレはさっき一体何を期待していたのか。まったく、ばからしい。
目線を華宝さんから外して、オレはいそいそと持ってきた弁当を広げた。なんということのない二段重ねになっているタイプのものだ。
遅れてきたのだから、もたもたしていると昼休みが終わってしまうかもしれない。
冷凍食品をおかずにして冷え切った白米にがっつく。正直、まずい。時間がないために朝の十分ほどの時間しか割けない上、料理はあまりできないからどうしても手抜きになってしまうのだ。仕方のないことなのだがーー
「?」
おせちの重箱のようなたいそうな器に敷き詰められたほかほかのご飯。その上に乗せられた高級そうな肉。その周りに盛りつけられた色とりどりの野菜。
対象的に、華宝さんの昼食は弁当とは呼べないほどに立派なものだ。
と、ここでオレはあることに気付いた。
容器の煌びやかさは別として、カレンの昼食の具も華宝さんとまったく同じなようだ。
少し気になるな。
「…‥二人は随分親しげですが、付き合いが長いんですか?」
遠まわしに訊いてみる。
「長いっていうか、ずっと同じ屋敷で住んでるのよ、私達」
食事の手を止めて、彼女は言った。
(ああ、それでか)
どうりで具材が同じなわけだ。同じ料理人が作っているのだろう。
しかし、共に暮らしているということはカレンがエグゼストであることも知っているのだろうか。
「そういえば、神道君もカレンと同じエグゼストなんだって?」
こんどは華宝さんが訊いてきた。
なるほど。エグゼストの事は一般生徒には秘密らしいが、当然彼女も知っているのか。
「ええ、まあ。そうですね」
というか、オレはそれで飯を食っていて、しかもあの無頼勇の力を受け継いでもいるのだが。
わざわざ言う必要もないか。
「でも、意外。全然そんなふうに見えないのに」
またか。オレがその可愛い…‥とかいう。
本人に悪気が無くとも、さすがに腹が立ってきた。
「なら、見てみますか」
そう言ってオレは華宝さんの使っていたフォークを手に取った。デザート用なのかさほど大きくはないが、装飾が施されているところをみるに銀製だろう。
首を傾げる華宝さんを横目に、オレは右腕のワイシャツをまくり上げる。
意識を集中させていくと、見慣れた白いもやがオレの素肌に纏わりついていく。
(こんなものでいいか)
二人が見守る中、オレは霊気に浸食されていない左手でフォークを振り上げる。そして、そのまま左腕に向かって振り下ろした。
しかし。
フォークの鋭利な先端はオレの肉を貫くことなく、空を切った。
まあ、当然のことなのだが。
「そんなに痛そうな顔をせずとも平気ですよ。今のオレの体には霊気が加わっているので。実体のあるものならすり抜けてしまいますから」
痛々しそうに目をそむける華宝さんに説明する。
「そう…‥なんだ」
目を開けた華宝さんは興味深そうにオレの体を見つめてくる。なんだか少しこそばゆい。
「これってカレンもできるの?」
オレが霊気を消した後、華宝さんは興奮気味にカレンに尋ねる。
「まあな」
カレンはあいまいに頷く。
だがあまり機嫌が良さそうじゃない。
幼馴染でもあまり良く知らなかったということは、もしかしたらエグゼストの力のことはあまり教えたくなかったことか。
確かに友達がふつうの人間じゃないなんて、知らないほうがいい。
(なんだか、申し訳ないことをしてしまった)
俺が黙ると、華宝さんも空気を読んでそれきり何も言わなかった。
「でも、これで今日はだいじょぶそうかな」
昼休みの終わりを告げる鐘が鳴った後、華宝さんは立ち上がってポツリと呟いた。何の話だろうと思っていると、
「実は私は今日用があってな。放課後一緒に帰ることができないのだ」
カレンがオレに説明してくれる。
「そうなのか?」
「ああ、だから申し訳ないが今日の帰り道は神道が明日香の護衛をしてもらいたいのだ」
なるほど。華宝さんの言っていることに合点がいった。護衛…‥か。ただ一緒に下校するだけのことがそれほど大層なものとも思えないが。
武龍隊に入った以上職務は果たさなければならないな。
「分かった。二人で帰ればいいんだろう」
仕方なくオレは頷いた。だが、カレンはなぜか、うっ、とうめき声を漏らす。痛いところを突かれてしまったという感じだ。
「いや、その…‥だな。二人というわけではないのだ」
「?」
どういうことだ。
アキラ先輩やあの一年生の村井という男もいるということだろうか。
それなら、オレにとってはそれほど問題ないことだと思うのだがーー
「明日香の女友達も一緒なのだ」
「…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥は?」
「うん、それでさーー」
「えーーそれってホントに?」
「そうだよぉ。嘘なんてついてないってば」
少女達の甲高い声が宮中の厳格な町にあって一際大きく響く。一見すると今時の女の子のようだが、光星学園の制服を着ている以上おそらく全員学業成績は優秀なのだろう。
そしてその輪の中心にいるのは一際目立つ黒髪の美少女、華宝明日香だった。
今日の授業が終わり、彼女達は岐路に着く途中だ。
そしてオレはというとーー
「…‥…‥…‥…‥」
気配は押し殺してその少し後ろをひっそりと歩いていた。わざとそうしているのではない。最初は集団の中にもいたのだが話についていけず、そしてオレ自身が気おくれしたのもあって少しずつ遅れていったのだ。一応涼しい顔をしているが内心かなり気まずい。
少し前まで、オレは自分の生き方を貫いてきたはずだった。ゼスに入って一年で部隊長にまで上り詰めたのだから。
(それがなんだ。どうしてこうなった)
理不尽だ。
いくら武龍隊の任務とはいえ、オレはこんな思いをするためにいままで生きてきたわけではない。
どうして、誰かの都合でこんな人生の軌道修正をさせられなければならないのだろう。
気づけば彼女達との距離がまた少し広がった。もう前を行く集団の知り合いなのかどうかというぎりぎりの距離だ。
何人かの少女達がオレを突き放そうと、歩くペースを少し早めたようだ。
(まあ、気持ちは分かるが)
よく知らない異性が突然グループに入ってきたら拒否反応くらい起こす。
オレもそうだ。可能なら一秒でも早くこの場から立ち去りたいものだ。
だがそれもできない。
こんなことでも一応仕事だ。そんな小細工で投げ出せるか。
歩幅を大きくして、彼女達に追いすがる。
と、広がらない間隔に苛立ったのか一人がこちらを振り返って睨んできた。顔には覚えがあるからクラスメイトだろう。そしてなにか思いついたのかにやりと笑った。
「ねえ、明日香。欲しい洋服があるから今日渋宿のsubstarに行かない?」
なっ。
額にいやな汗が滲む。
渋宿といえば近年急速に発達してきた若者、特に女性に人気のある町だ。田舎暮らしの長いオレには未開の地といえる。
そして、察するにsubstarというのは女性向けのファッシンビルかなにかだろう。男であるオレには当然未開の地といえる。
正直、そんなところ行きたくはない。
「えーー、でも…‥…‥」
さすがに華宝さんも渋る。
しかし、他の女生徒は次々に賛同した。
「いいじゃん。行こうよ」
「ね。私も色々見て回りたいし」
その様子に華宝さんも心を動かされているようだった。
「うーーん。どうしよっかな」
オレへの罪悪感にかられつつも、行きたい気持ちはあるということだろうか。
そうして悩んでいるうちに宮中の端まで来てしまった。
ここからでもはっきりと見える大きな壁の存在がそれを物語っている。これは勝手な侵入を防ぐために宮中全体を取り囲むように建てられたいわば中と外との境界線だ。
東西南北の四か所に設置された高速の料金所のような関所でのみ出入り可能となっている。
帰宅路から逸れて一行は真っ直ぐにそこに向かっていた。
このまま外に出て渋宿に行った時のシュミレーションをしてみよう。。
おそらくたくさんの女性の通行客の前で彼女達のショッピングが終わるのを何時間もじっと待つ。あるいは女性客に混じって中で荷物持ちでもさせられるのかもしれない。
冗談ではない。それだけは絶対に嫌だ。
そんなふうにオレがあくせくと悩んでいると、
「ここでいいよ、神道君」
華宝さんはつかつかと歩み寄ってきてそう告げた。
「?」
そして、事情の呑み込めていないオレに対して深々と頭を下げた。
「今日は迷惑かけちゃってごめんなさい。嫌な思いさせちゃったよね」
顔を上げた彼女のいつになく真面目な顔に、オレは呆然とした。
「…‥お嬢さん」
人通りの少ない所だが、見える範囲でも数人の通行人がいる。勿論彼女の友達もだ。
「カレンと尾根枝先生には私から言っておくね。前にもこういうことはあったからそんなに問題は無いと思うけど」
確かにそうかもしれない。彼女の釈明があればオレが責められることは状況を考えてもそれほど高くはない。
しかし彼女をこのままエグゼストの護衛なしで外に出していいのものか。
あの辺りの治安の良さから考えてなにかが起きる可能性は低い。だが、万一ということも考えるべきだ。
「…‥…‥失礼します」
結局オレの口からはそれ以外の言葉が出てくることはなく。無言のまま華宝さんから背を向けて、来た道を引き返した。
後に考えても軽率な行為だったと思う。しかしこの時のオレはまだなにも知らなかったのだ。その選択がどのような結果を引き起こすのかということを。
しんと静まり返った室内でページをめくる音だけが淡々と聞こえる。しかしそれは図書館のような心地よいものではない。むしろ部屋中に溢れた趣味の悪い雑貨の類が不気味な雰囲気を演出している。
オレがいるのは昨日も連れてこられた尾根枝の館とかいうふざけた所だ。
華宝さん達と別れたオレは事情を報告するために、学校に戻っていた。
華宝さんは後で自分がやるといったが、やはり放ってはおけないと思ったのだ。
不用心にも鍵がかかっていなかったのでここへはすんなりと入れた。
あの変態男教師と二人きりになるのかと不安もあったが、幸か不幸か誰もいない。
暇なのでたまたまバックに入っていた数学Ⅲという教科書を読んでいるのだが…‥正直さっぱり分からない。
一応ゼスでも高校一年用の学習はしていたものの、さすがは名門校だ。授業にまったくついてこれない。
復習しようとこうして読み返してみても基礎ができていないので、まるで暗号の解読でもやっているようだ。
「ふう」
脳がパンクしそうになってオレは視線を上げた。
もうかれこれ一時間はこうしているだろうか。
そろそろ机に向かうのにも飽きてきた。
(帰るか)
カレンのバックは机の上においてある。ので、この部屋には戻ってくるのだろうが、何時になるのかは分からない。用事と言ってはいたが、かなり遅くなることもあり得る。
さすがにそこまで待つ気にはなれない。
帰ろうと立ち上がる。と、ドタドタと誰かが廊下を全速力で突っ走っていく音が聞こえてきた。こちらに向かってきているのか徐々に大きくなってくる。
そして。
ガラッ。
ドアを乱暴に開いて部屋に飛び込んできたのは見知った顔だった。
「カレン?」
よほど急いでいたのか額には汗が滲んでいる。はあはあと、息も絶え絶え彼女はオレを睨みつけた。
「どうしてお前がここにいるんだ!」
開口一番カレンが怒鳴った。いったい、どうしたのだろうか。これまで見たことのない切羽詰まった様子にオレはたじろいだ。
「お嬢さんが宮中の外に出るから、ついてこなくていいと言ったんだ。学校に戻ってきたのは、そのことを謝ろうと思った」
言い訳がましくそういうが、カレンはなおも鋭いまなざしで問い詰めてくる。
「どうして、明日香を外に出した?」
「周りの友人が渋宿に行こうと言ったんだ。立場の弱さもあって、止められなかったんだ」
「そうか」
「すまない」
事情はいまいち呑み込めないが、こちらに非があることに変わりない。素直にオレが謝罪をすると少し落ち着きを取り戻したようだ。黙って、スカートのポケットからなにかを取り出した。
「これを見ろ」
そう言って、カレンが開いたのはケータイの画面だった。
(なっ…‥…)
絶句した。というより、させられた。
差出人は華宝明日香。文面にはただ一言、たすけてとだけ書かれている。
全身から血の気が抜けていくのが自分でもはっきりとわかった。
カレンからの呼び出しでほどなく武龍隊の面々が揃う。尾根枝も教員会議というものからほどなく帰ってきた。だが、昨日とその雰囲気はずいぶん対照的なものだ。
「なるほどね。で、そのsubstarってお店に行くって言ってたの、明日香ちゃんは?」
もう既に事情は説明している。尾根枝の確認にオレは黙ってうなずいた。
「すいません。軽率でした」
武龍隊の面々には言葉もない。言われた矢先、このような事を引き起こしてしまったのだ。それでも責めないで、話を聞いてくれたことがありがたい反面ますます申し訳なかった。
「嘆いていても仕方ないわ。それより明日香ちゃんの身になにが起こったのかを突き止めなきゃ」
そうなのだった。なんでも電話やメールをしても返事が来ないらしい。だから、本当に今のままではどうすることもできないのだ。
オレ達が考えていると、不意にプルプルと着信音がなった。どうやら尾根枝のものらしく、席を外して電話に出た。
「まあ、なんだ、そう落ち込むなって」
隣にいるアキラ先輩が小声で励ましてくれる。だが、
「なにかが起きてからでは遅いんです。お嬢さんにもしものことがあったら、オレはー」
「カレン、テレビっ!」
会話の途中で通話中の尾根枝が大声で叫んだ。言われてカレンは反射的にその電源ボタンを押した。
随分と古い型らしく、数秒してからぼんやりと映り始めた画面では女性アナウンサーがなにかを伝えていた。その顔は随分と深刻な様子だ。
「お伝えの通り、渋宿で起きたアンバーによる襲撃事件は現在も続いており、容疑者二人組は人質を取って立てこもっています」
渋宿。その言葉にこの場にいる全員の顔に緊張が走る。
そして、画面は上空からの映像に切り替わった。
「こちら渋宿のsubstarでは犯人と数人の人質のみが現在も立てこもっており、建物内の電源はすべて落とされています。また、いまだ規制が行われておらず周辺地域は大混乱に陥っておりーー」
(なん…‥だと。)
呼吸をするのも忘れて、オレはただ愕然とした。体中から血の気が引いていくのが自分でも分かる。
これだけの情報では、まだはっきりとしたことはわからない。しかし考えうる中でも最悪の事態が起こっている。その事だけは明らかだ。
誰もが言葉を失う中、尾根枝だけが一人冷静を保っていた。
「見ての通りよ、みんな。きっと明日香ちゃんもそれに巻き込まれているはずだわ。今上から連絡が来てね、武龍隊にも出撃命令が下されたわ」
(オレ達が戦うのか)
皆同じことを考えたようだった。尾根枝の話を聞いて皆黙りこくった。
「おいおい、オレ達の仕事はあくまで護衛だぜ。そんな危険な事ゼスのやることじゃねーのかよ」」
しばらくして、アキラが重苦しそうに口を開く。
「しかたないのよ、今はゼスも人手不足なのんだから。アンバーと戦えるエグゼストは一人でも欲しいのね」
そうか。島根の事件で都内の部隊までも狩り出されているのか。
「かなり危険だな、これは」
思わず口から呟きが漏れた。そして、すぐに自分の失態に気づく。
普段は適当に見えるアキラが戦々恐々として、体を震わせている。
「ほら、あんまり時間もないのよ。現場には私の車で行くから、すぐに駐車場に向かって」
尾根枝がハッパをかけて、ようやく各々が外に出ていった。オレも、それに続こうと立ち上がると、
「あ、悠吏ちゃん」
後ろから呼び止められた。すると、尾根枝は部屋の隅に追いやられた大きなタンスを漁りだして衣服を取り出す。クリーニングにでも出したのか、それはビニールのシートで覆われているように見える。
「はい、これ」
そう言って手渡されたものは、非常に懐かしいものだった。
(ゼスで使っていたオレの隊服!)
大神師団のシンボルである漆黒の衣に猛る獅子のエンブレムが映える。胸元には大尉の証の一本線に星三つの階級章があった。間違いなく、オレが昨年使っていたものだ。
「急いで送ってもらったのよ」
「どうして…‥」
「ふふふ。だってあんた、大神師団の神道悠吏なんでしょ。ならもしものために、自分で持ってなきゃだめよ。さっさとここで着替えちゃいなさい」
戸惑うオレにそう告げて、尾根枝は部屋から出ていった。
(…‥…‥)
一人となった部室で、オレは着なれた服の手触りを確認した。別段心地よいわけでもないが、これを着ていた頃の記憶が胸に去来する。
(そうだな、オレはいまでもゼスの一員なんだ)
しばらく隊から離れていて、忘れかけていた。
オレの仕事はアンバーから人々を守ることだ。
華宝さんのこと、本当に申し訳ないと思う。オレの迂闊な判断から危険に巻き込んでしまったのだから。
しかし、それを挽回できるのもまた自分自身なのだ。オレの手で彼女達を助けてみせる。
ブレザーを脱いでネクタイを緩めた。次いでワイシャツのボタン全てを開け放ったところでーー
ぽたぽた。
そんな、水滴がしたたり落ちるような音がどこからか聞こえてきた。
(! なんだ?)
いつもの癖で、すぐに手を止めて周囲を見渡す。しかし、音の正体は分からない。雑多にものが溢れた部屋だが、蛇口のようなものはなかったはずだ。
(オレの思い違いか…‥?)
釈然としないが、あまり気にしても仕方ない。それより、今ははやく着替えなくては。
後ろに獅子の刻印されたジャケットをオレは手に取った。
本来なら中にもう一枚着るのだが、今はないので黒の下シャツの上から羽織ってしまっても構わないだろう。
ジャケットを着て、制服のズボンに手を掛けると、
「ぜぇ、はあっ、ぜぇ、はあっ」
(!)
死にかけのセミの様な声が遠くの方でかすかに聞こえる。もうこれは絶対に気のせいなどではない。
それになぜだか、全身に悪寒がするのだ。まるで誰かに見られているような。
(まさか?)
廊下側とは正反対にある小窓に目をやる。すると、やはりというべきか窓から顔を出して尾根枝が身を乗り出していた。
鼻血をポタポタと零し、やたらと興奮した様子で。
「…‥なにやってんだ、あんた」
絶句しつつもオレが訊くと、
「あ、いいから続けて。いいから」
血が止まらない鼻を押さえてそんなことをほざいてきた。
(いっそ殺してしまおうか?)
最悪だ、この男。やはりそっちの気があったのか。圧倒的に気持ち悪すぎる。
「うーーん。でも欲をいえば上半身を晒してくれないのは意地悪ね。私的にはーー」
「くたばれっ」
我慢できなくなってオレは、近くにあった宝石かなにかのケースを投げつけてやった。
「げほっ」
硬いプラスチック製のそれは、うまくこめかみにクリーンヒットして、尾根枝は思い切りのけ反る。
(あのアホはいつか殺す)
尾根枝が起きてこないことを確認しつつ、とっとと下も着替えてしまう。そして最後に、
「氏繁」
霊気から漆黒の鞘を持つオレの愛刀を作り出すと、そのまま腰の帯に差した。
(…‥…‥行こう)
覚悟を決めて、オレは部屋を後にした。
宮中を抜け、黒のワゴン車は真っ直ぐに目的地の渋宿に向かっていた。もう学園を出てから30分ほど経過しているだろうか。空が暗くなってきている。
その間中ずっとオレはパソコン画面とにらみ合いをしていた。
送られてきた今回の事件に関する情報について、分析し、作戦を検討するためだ。
端的に言うとオレが本事件における現場指揮を任されることになった。
尾根枝の話だと、現在宮外においてオレより階級の高いエグゼストがいないらしい。やはり島根でおきるといわれるアンバーの反乱のせいだろう。普通ならゼスの大隊長がやることだが、どうやら現場を本当に緊迫した状況のようだ。
「ふう」
責任の大きさをひしひしと感じる。オレの判断に多くの人の命がかかっているのだから。もっともこうした責任は嫌いではないのだが。
(問題は一人の犠牲者も出さず、いかにして、襲撃者のアンバーを滅するか…‥だな)
改めてディスプレイに目をやった。見ているのは今回犯行を行っているとされる二人のアンバーについてだ。
長身で黒縁のメガネを掛けているのが大草、そしてもう一人、みるからに獰猛な目つきでこちらを睨んでいるのが小谷というらしい。
彼らは必ず二人で行動し、備考によると女性ばかりを狙ってたびたび女子高や女性向けの商業施設を襲っているようだ。
(華宝さんを狙っていたというより、たまたま遭遇してしまったということか。いまさらそんなことどうだって構わないが)
驚いたのはこの小谷という男。これまでに十三人のゼスの隊員を殺めている。
オレ自身手合せしたことはなかったが、そういえば名前くらいは聞いたことがあった。複数のナイフを扱う名手だとか。
もう一人の大草というのはともかく、この男はそうとう危険だ。
武龍隊のメンバーや現地にいるだろうゼスの隊員の戦力を多めに考えても、はっきり言って正攻法では厳しだろう。
(どうする)
よい策が思いつかないまま焦燥ばかりがつのっていく。そんなことを考えるうち、表情が険しくなっていたのだろう。隣に座るカレンが心配そうにそのキレイな瞳を曇らせていた。
「大丈夫か?」
「…‥…‥…‥オレは、そんなに追いつめられているように見えるのか?」
いつ意固地になって意地悪い質問を返してしまう。と、カレンはいやと、困ったように呟いて、
「あまり、気負い過ぎるなよ?」
「まあ…‥ね」
そうやってオレは曖昧に誤魔化すことしかできなかった。するとーー
「ま、いざとなりゃあこのオレ様がなんとかしてやりゃあ」
アキラ先輩がオレの肩をがっちりと掴んで笑う。
少し前までこの人はかなりガチガチになっていたと思うのだが。ひょっとするとこの人なりにオレに気を使ってくれているのかもしれない。しかしそれにしてもーー
(オレ様…‥ね)
いままであまり気にしてこなかったが、やはりその口調はどうなのだろう。人の主義趣向にとやかく言うつもりもないのだが。やはり少々気になってしまう。
(…‥…‥いや。待てよ)
オレの中である考えが閃いた。
もう一度データを詳しく調べ直す。
そして、オレの目はある項目で釘付けになった。
(これだ。これをうまく利用すればっ)
目を閉じて全神経を集中させる。この事をどう作戦に生かすかをオレの頭で考えをまとめていく。そしてーー目をあけた。
「皆よく聞いてくれ。これから作戦内容について説明する」
車のエンジン音に負けない声量で、オレは声を張り上げた。
暗い。怖い。寒い。
目隠しで視界を奪われているせいか、私(華宝明日香)の頭にはそんな言葉ばかりがグルグルと躍っていた。
視界だけじゃない。
両手をひものようなもので縛られて、声を出すことも禁じられてる。そして心も。
「いいか。お前達が勝手なことしたらなあ、そいつだけじゃなく周りの人間も見せしめとして殺してやるからなあっっ。覚悟してろっっっ」
たがが外れたみたいな男の人の怒号によって、恐怖で支配されていた。
近くで誰かがすすり泣く声が聞こえる。一人の子だけのものじゃない。さっきからずっとあちこちで響いてる。
(怖いって気持ちは皆同じなんだ)
いったいどうして私達はこんなことになってしまったんだろう。
確かsubstarに入ってからすぐに全身真っ黒な男の人が入ってきて、皆が不思議がってそのおかしな人に注目してると、お店の商品を跡形もなく消してしまっていた。
ただ手で触れただけだった。
それだけでたくさんのお洋服や、小物が最初からそこにはなかったみたいにすっかりなくなってた。
その光景を見てた誰かが言った。
あれはアンバーだ。あの世の人の力だ、って。
皆が逃げようとしてお店の中がパニックになったら、すぐに電気が消えて、「動いたやつは問答無用に消すっ」って男の人の声がして。
(それから、それから、えっと)
確か一人一人ライトで顔を照らされて、選別されるみたいにして、私達だけがここに残されたんだ。たぶん20人ぐらいの女の子達がまだここに取り残されてると思う。
かろうじて状況が確認できてたのはそこまでで、目隠しをされちゃったから、一緒に来た友達が今どうなっているかも確認できていないし。
(あれ、そういえば、私がメールを送ったのっていつだったっけ)
確か、カレンに「助けて」ってメールしたはず。でもーー
(ホントにそんなことしたっけ)
自分の記憶が、夢の中みたいにあいまいになってる。今どんな状況に置かれてるのか、どうしてこんなことになってるのかさえうまく思い出せない。
きっともう何時間もこうして地面に座りこんで、なにをされるんだろうって怯えているせいだろう。極限の緊張感で心が麻痺してるんだと思う。
気を抜いたら意識を失ってしまいそうだ。
(あの時、神道くんの気持ちをちゃんと考えてあげてたら、こんなことにはならなかったのかな?)
今更そんな後悔ばかりが頭をよぎる。
これは因果応報なのだと思う。
カレンや尾根枝先生はいつも私のこと心配してくれてた。なのに、きっとなんとかなるって、鷹をくくって全然気にしてなかった。
神道くんだって嫌なはずなのに私の事守ろうとしてくれて。でも、私はかわいいなんて言って、それは本心だけど、でも傍から見ればからかってるみたいだったと思う。怒ったりしなかった彼の方がよっぽど大人なのに。
(ばかだな、わたしって)
こんな駄目な私にはもう神様が見放してしまってもしょうがないと思う。
いや、今までわがままばっかりやってきたから、これをむしろ天罰ですらあるのかも。
もちろん嫌だけど、でももう覚悟を決めないといけないのかもしれない。恐怖を押し殺すように私は唇をかんだ。
でも一つだけ。最後に一つだけ叶うのなら、私は彼ーー神道くんにどうしても謝りたい。