004_魔術師の娘
「ヒスイ!」
少女の声が、ヒスイの耳に響いた。少女は、赤色と黒色の、丈の長い胴衣を身にまとっている。少女は、真珠色のた長い髪を、ツインテールに束ねている。
少女は駆け寄ると、まごついていたヒスイの身体を、いきなり抱き締めた。
「えっと……?」
「心配したわ。何があったの? ほかの人は?」
どう答えて良いか、ヒスイは分からなかった。そんなヒスイの様子を見て、少女も異変に気付いたようだった。
「どうしたの?」
「ごめんなさい。あなたは誰?」
少女の表情が、険しくなった。
「冗談でしょう?」
ヒスイは首を振る。少女はヒスイから身を離すと、ヒスイに背を向けた。
「ごめんなさい」
「いいよ。何が起きても、あたしは驚かない」
少女はそう答える。しかし、少女が実際に答えるまでには、間があった。
「私の名前はエバ。エバ・カリポリス。ヒスイとは、その、親友だった」
気まずいのか、エバはしきりに自分の髪をいじっていた。
「ありがとう。よろしくね、エバ」
「うん。よろしく」
「とにかく、ここから出ましょう」
「そうね。あたしもそのために来たのよ」
「私を助けるため?」
「そうよ」
そのとき、部屋に溜まっていた青い蝋の下から、新たな怪物が姿を現した。
「逃げましょう」
「分かってる」
エバがヒスイに、手を差しのべる。ヒスイはその手を握り返したが、どういうわけか、薄ら寒い気持ちになった。しかし、それがなぜなのかは分からないまま、ヒスイはエバに連れられ、駆け出していた。
◇◇◇
暗い廊下を、ヒスイとエバは走る。怪物のうめき声は、建物のあちこちから聞こえてきた。
「エバ、あの怪物たちは何なの?」
「”氓”よ」
エバは答える。
「でも、ホントにあの怪物が氓なのかは分からない。昔の本に載っていた怪物とそっくりだから、そう呼ばれている。あとで、街の人に聞けば分かるわ」
「街の人?」
「そうよ。近くに、街があるの。とにかく、あっちよ」
エバの指差す先には、扉があった。しかし扉には、青い蝋がこびりついていた。
近づくと、ヒスイは扉を引っ張ってみる。前後に体重をかけても、扉は微動だにしなかった。
「どう?」
「ダメよ。びくともしない。エバはどうやってここを?」
「初めはこんなのなかったのよ。うえーっ」
エバは背筋を震わせる。
「この青いのって、成長してるってコトよね。うわー、想像しちゃったよ」
「それで、どうする?」
ヒスイは周囲を見渡した。この通路の突き当りには、もう一枚の扉があった。仮に出られるとしたら、そこしかない。
「あっちを試してみない?」
「もっといい方法があるわ。扉から離れてて」
扉の前に近づくと、エバは帯のポーチから、白墨を取り出した。その白墨で、エバは扉の表面に何かを描き始める。エバの動作は手慣れていたが、描かれた文様は複雑で、訓練していなければ、とても描けそうにはない文様だった。
「魔法陣よ。見てて」
声を上げると、みずからの両手を、エバは扉へ突き出した。エバの手のひらから、何かの波動のようなものがうねっているのを、ヒスイも見て取る。
扉に描かれた魔法陣が、青白く発行する。魔法陣を取り巻くようにして、扉から煙が上がった。しまいには、二人の見守る前で、扉が炎に包まれてゆく。
「どう、ヒスイ?」
「すごいわ」
「でしょう――」
そのとき、黒くなった扉の向こう側から、何かが飛び出してきた。
「何……?!」
エバが何かを言う前に、ヒスイはとっさに、エバの服をつかみ、もうひとつの扉に駆け出していた。
「ちょっと……?!」
「氓がいる……!」
「そんな!」
だが、ヒスイの言葉は当たっていた。燃え尽きた扉の奥から、無数のボウが通路へと侵入し始めた。氓たちは、二人を見据え、咆哮を上げる。
「ヒスイ、どうしよう! 扉が開かないわ!」
必死になって、エバが扉のノブを捻っている。ヒスイは反射的に、自分が手に入れた鍵を、懐から取り出していた。
扉を開け放つと、ヒスイはエバの身体を押しやる。先頭を走る氓が、ヒスイに肉薄する。ヒスイの身体は勝手に動き、その指が、引き金にかかる。銃声とともに、氓の右脚が粉砕され、その胴体が床に転がった。後に続いていた氓たちも、その胴体に足を取られ、みな床に転がった。
そのとき、ヒスイの頭の中に、銃からの影像がよぎった。ほの暗い、地下道のようなものが、はるか前方まで蛇行している、そんな光景だった。
この影像が何かは、ヒスイには分からなかった。扉の向こうへ退避すると、ヒスイは即座に扉を閉め、鍵をかける。氓の群れは扉にぶつかり、爪を立てた。しかし分厚い扉は、その程度ではびくともしなかった。