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竜の娘は生きている  作者: 囘囘靑
第六章:竜の娘は生きている
101/104

101_楽園についての問答、もしくは最後の闘い(2)

 金属どうしの擦れ合うような不協和音が、ドームの周縁部をうねっている。広間の中央だけは薄明かりに照らされ、他は漆黒に塗りつぶされていた。張り詰めた空気の中で、獲物とされた少女たちは辺りを見渡している。


 薄明かりの周縁で

〈何か〉

 が蠢く。


 それは質量を感じさせないほど大きく、見たものを森然とさせずにはいられないほど畏敬に満ちていた。

 キスイは――古の三頭竜は、求心円を描きながら周辺の暗闇を泳いでいた。


 少女たちは取り囲まれていた。闇の向こう、深海の底のごとく静かに、淫らに変転を繰り返す。しかし一片の恐怖の色も、絶望の色も少女たちの瞳には存在しなかった。


 闇の中に、黄色い二つの光が灯る。

 それは人間の頭ほどもある、血走った竜の瞳だった。炎のような輝きを瞳が帯びた矢先、邪神の頭部が轟音を上げて驀進する。風圧にさらされ、広間のタイルが飛び散る。


 標的は三人のうちの一人、真珠色の長い髪をなびかせる少女――エバに向けられている。鎌の形をした邪神の下顎が、少女の影を飲み、叩きつける――。


 影だけを。

 いつ逃げたというのだろう。邪神の遥か彼方で、エバは両手を天高く掲げていた。周囲の空間が、エバの心拍に呼応してよじれる。少女の手のひらを中心として背景が渦を巻き始めた。


〈闇の力ね――〉

 キスイの声が空間に響き渡る。


〈禍々しいわ、エバ。あなたには似つかわしくないほどの、大きな力よ? ゆくゆくはあなた自身もその力に溺れ、闇に支配されることになる……それでもいいの?〉


 鎌首をもたげた邪神が、少女に向けて再び牙を剥く。それを見計らって、エバは両手を一挙に握り締める。


「それでもいい」


 エバの全身が、黒く点滅した。鋭い風のうなりと、風船の弾けたような音を前触れにして、邪神の頭部が弾け飛ぶ。噴出しかけた邪神の血液は、その場で固まり、床に零れ落ちた。暗黒の発する冷気に苛まれ、血が凍ってしまったのだ。


「あたしはそれでもいい。あたしにとって、ヒスイが世界のすべてなのよ。ヒスイの邪魔をする奴は、あたしが叩き潰す。例外なんかない」


 最後のエバの言葉は、ほとんど吐き捨てるようだった。鞠のように規則的に跳ねながら、邪神の頭部が一つ、暗がりの向こうへ消えてゆく。


 間髪をいれずに、再び暗闇がどよめいた。


 魔法を発して、エバは隙だらけになっている。そこに今度は、別の竜頭が嵐のように押し寄せた。邪神のしなやかに伸びる首と、牙がエバまで押し寄せる。


 刹那、刀の柄に手をかけて黒髪の少女が――セフが邪神の前に躍り出る。


〈セフ……今からでも、私の味方にならない?〉


 問いかけに応じず、セフは吹毛刀の切っ先を邪神に向けていた。


〈ずっと裏切られてきたのよ、あなたは。いま人を裏切ったところで、あなたに罰は当たらないはず〉

「ちがう」


 セフが吹毛刀を薙いだ。一閃――邪神の長い首が歪んだかと思うと、頭部がカーテンのようにサッと開く。ザクロのような赤色を漲らせ、裂けた頭部は少女たちの脇を特急し、やや遅れて稲妻のように少女たちに血を吹き付ける。


「今は……わたしはヒスイの側にいたい。それ以上は何も言えないけれど、でも、それがすべてなんだ」


 血の雨は激流となって少女たちに襲い掛かる。エバも、セフも、吹き付ける邪神の血をただただ浴びていた。二人とももう、自分の宿命に対する答えは出ていた。だから雨のように降り注ぐ三頭竜の血も、ただの洗礼にしか過ぎなかった。


 金属の擦れるような不協和音が、一段と高い音になった。二つの頭を失った邪神が、声にならない叫びを広間を轟かせる。


 闇の中から、最後の竜頭が姿を見せる。


「ヒスイ!」


 邪神の本体とは反対の方向に向かって、セフが叫んだ。ヒスイはそこで待ち構えている。


 三人目の少女は、およそこの緊迫した場にふさわしくない有様だった。

 血しぶきが渦を巻き、茶色の髪が血みどろになっている。青い瞳を半眼に細め、ヒスイは闇の一点に視線を集中させていた。


 右手を前に突き出して半身に構え、左手は口元の辺りで止めたまま、右手に添えることさえしない。さながら弓を引き絞る姿勢にも似ていたが、ヒスイの右手は弓を構えているわけでもなく、左手も矢をつがえてなどいない。


 何よりも奇妙なのは、彼女がその右手に構えている武器だった。ひしゃげて壊れた燭台のような形をしている。先端の筒には小さな細い穴があり、彼女の右手指は、武器の下に飛び出た、小さな突起にかけられている。


 それは銃と呼ばれる武器だった。予章の血族のみが持つことを許された、神聖なる勇者の証。

 そして同時に、竜であることの証。


〈ヒスイ……こんな最後になってしまうのは残念よ。私は本当に残念だと思っているわ〉

「ええ……私もよ」


 言葉を口にする反面、ヒスイは静止してその体勢を崩さなかった。


(この光景……)


 頭の中ではずっと、別のことを考えている。この光景を、ヒスイはどこかで体験したことがあった。


(そうだ)


 ヒスイは思い出した。予章宮で目ざめる前に、この光景とまったく同じ夢を、ヒスイは経験していた。


 だとしたら、結末も同じになる。キスイの発する青白い“闇”が、三人を呑み込んで殺しつくしてしまう――。


(違う!)


 夢の結末を、ヒスイは否定した。同じ結末を迎えるために、あの夢を見たわけではない。直観的にヒスイはそう考える。あの夢は一つの暗示なのだ。もしヒスイが失敗したら、すべては無駄になる。ヒスイの一たびの行動に、この世界のすべてがかかっているのだ。


(失敗は繰り返さない)


 左手で、ヒスイは懐を握りしめる。チャンスは一度しかない。


〈さようなら、ヒスイ――〉


 邪神の最後の頭部が、首をもたげた。口から発される火花は、青白い不思議な色を帯びていた。


〈さよなら……アデュウ!〉

 邪神の発する闇の束が、ドームの全体を埋め尽くした。世界の輪郭をも溶かしてしまいかねないほどの、強烈な魔力だった。ヒスイも、エバも、セフも、闇に呑まれて姿を消す。奔流は青白いきらめきを解き放ったあと、静かに邪神のもとへ収束していった。













――……














(終わった……)














 ドームの中で、一人キスイは感傷に浸っていた。キスイの発する魔力がいかに強力であっても、この玉座の間は簡単に崩れない。それはこの空間が、“竜の島”の支柱に当たるからだ。



(ヒスイ……)



 自分以外には、誰の存在もない。キスイは小さくため息を吐くと、天井を見上げた。ずっと憧れてきたヒスイの存在に、キスイはようやく辿り着くことができた。そして辿り着いた先に待っている無限の静寂の存在も、キスイは知っていた。

 終わりのない静寂の中で、キスイは今度こそ神にならなくてはいけない。

 そのとき。


 誰もいないはずのドームのタイルに、鈴の音のようなものが鳴り響いた。放心状態になりかけていたキスイは、それでも音のする方角へ視線を走らせる。

 粉々になったガラスと金属片が、誰かの足元に落ちている。


「まさか……」


 遥か遠くで立ちはだかる人物を目にして、キスイは言葉を失った。


「そんな……どうして……?」


 キスイの魔力は、もう尽きていた。

 邪神の眉間目掛け、ヒスイは銃を構えている。


「見るべきものはすべて見たわ」


 引き金に、ヒスイはそっと指をおく。


「キスイ、ありがとう。……アデュウ(さらば)」











 銃声。

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