HOF!
9
バザールの裏門を出ると、見渡す限り、赤い岩だらけの土地だ。
殺風景な荒野を地平線へ向けて進み続けると、地面に穿たれた大穴に出くわす。
HOFだ。
直径は約八百メートル、深さは二百メートル。
BLT最難関を開発コンセプトにした、巨大迷宮。
東京ドームの直径が二百五十メートル足らずといえば、その規模がわかってもらえるだろう。
HOFの手前に、見覚えのない小さな小屋が建てられていた。
ボロボロの看板に[潜穴者管理事務所]と書かれている。
なんだ、これ。
看板も開発ルール上あってはいけないものだ。海外でも売れるようにという社長の命令で、ゲーム内の看板には日本語表記を一切使っていないはず。
俺のけげんな表情を見て取ったか、ウォズが説明してくれた。
「ここは駐在所です。【異変!】の後にできました。日中はボランティアが交替で入っています。さっきのバザール管理事務所もそうです」
「どうして、わざわざ」
「HOFに潜って、戻らない人が増えたからです。【異変!】からこっち、行方不明者は増える一方。何かをしたいという気持ちの人も増えてるんですよ。どうぞ、入ってください」
小屋の中は、ついたてで二間に仕切られていた。
ついたてのこちら側には、粗末この上ない四人がけのテーブルセットがあり、書類が乱雑に重ねられている。ウォズはテーブルの書類をかき分けて、厚手のノートを取り出した。
「これも【異変!】後に始めたことです。HOFに潜るプレイヤーには、ここで名前を記入してもらい、帰って来た時には二重線で消してもらっています」
俺は立ったまま、ノートをめくった。
そこには様々な筆跡でプレイヤー名が記されている。
最初の方のページでは、ほとんどの名前に二重線が付いている。
最近のページになるほど、帰還者が減っている。
「あ」
思わず、声を上げてしまった。
二重線で消されたユーリカの名を見つけたのだ。
日付は二十日以上前。
それ以降もユーリカの名は何度も登場した。
そして、全てに二重線が引いてあった。
ユーリカ
そこには二重線が引かれていなかった。五日前だ。
同行者だろうか、ユーリカの前にも、クリスという二重線のない名が記されていた。
俺はそのページを開いて、彼女の名を指差し、ウォズに迫った。
「潜ろう。ユーリカが待ってる」
「わ、わかりました。でも、ちょっと待ってください。潜る前に、ですね」
「潜るに、前も後ろもあるかよ」
待てるわけがないだろう。
いま、この瞬間も彼女はHOFにいる。
すぐそばだ。
生死を彷徨っているかも知れない。
「待って、それでどうするっていうんだ?」
俺は、ウォズの首根っこをつかもうと手を伸ばした。
んぐ?
すると、俺の足が宙に浮いた。
後ろから困ったような、あきれたような声が響く。
「クールダウンしろよ」
首を回すとビリントンの苦笑いがあった。両脇に手を入れて持ち上げてやがる。
「ウォズ、この頭に血が上った少年は抑えとくよ。続けてくれ」
「はい、ありがとう。潜る前に、紹介したい人がいます。新たなパーティメンバーです」
ウォズはついたての向こうへ声をかけた。
「ちょっと、こっちへ来てもらえますか」
イスを引く音がして、溜息の出るような美少年が姿を現した。
フリルの付いた白いシャツに細身の黒いパンツを着こなしている。
美形で色白で、栗色の軽くウェーブのかかった短髪、お好きな方にはたまらない容姿だろう。
「チイちゃんです。うちでバイトをしていた。覚えていますよね。名前はそのままです」
鳶色の潤んだ瞳、朱色の唇がつややかに光っている。
彼女もこっちに来ていたのか…それに…それに、この手のキャラがお好きだったのか!
「チイちゃん、こちら川島さん。今はコバーンという名です」
チイちゃんは、ふらっとこちらへ歩いてきた。
右手で前髪をかきあげた。ふぁさ…とか、擬音が聞こえてきそう。
「おひさしぶりです。んと、コバーンさん?とお呼びした方がいいですよね」
なかなかにセクシーなハスキーボイスだ。
まあ、そういう声優の声を選んでいるだけなんだが。なんか、ぞくぞくする。
「あの…まさか、ユーリカさんとお知り合いだったなんて」
え?
「彼女、週に一度はHOFで人捜しをされていました。プレイヤーの依頼に応じてです。実は、私も何度かご一緒したことがあります」
チイちゃんは伏し目がちに溜息をついた。
「行方不明者を発見できたことは、数回だけでしたけど。それから」
「それから?」
「彼女自身もここで捜している人がいるとおっしゃってました」
「彼女…ユーリカはどんな雰囲気だったかな?」
「そうですね。いつも毅然とした、素敵なお姉様という印象でした。強くて、凛々しくて」
「この、五日前。彼女と一緒に潜った人、クリスという人について覚えてる?」
「ああ、ごめんなさい。その時、私、いなかったんですよね」
「そうか…いや、ありがとう」
ウォズは、チイちゃんに他のメンバーも紹介した。
そして「そういうことで、いいですね」といった。
彼女はうなずき、俺に笑顔を向けてくれた。
「確かに、お役に立てそうですね。よろしくお願いします。コバーンさん」
ジェシカがツンツンとした態度で会話に入ってきた。
「ごめん。あの、話が見えないんだけど、どういうこと?」
「私も皆さんと一緒にHOFに行くということですけど?」
「え?え?どうして」
ウォズが間に入って、話し始めた。
「お助けということです」
「そんなのいらなくない?せっかく、ここまで、このメンバーで来たのに」
「いやー。そちらのパーティは三人とも攻撃系です。それで、ここまで戦い抜いてきたのは凄いことです。というか、無茶。ぶっちゃけ、力押しすぎ。その戦い方は、HOFには通用しないでしょう。そこでチイちゃんです」
「ちょっと~、わっかんないよ~」
ジェシカ、カチンと来すぎ。おまえらじゃ無理といわれて腹が立ったのはわかるけどさ。
当たっているよ、ウォズ。俺たちは、もっと頭を使うべきだよな。
ん、ラティがウォズの方へ寄っている。ああ、嫉妬か。それも彼女がキレたわけね。
つか、ビリントン、いつまで持ち上げているんだ。
「もう離してくれ。大丈夫だよ。落ち着いたから」
「ほいよ」
俺は地に着いたばかりの足で、チイちゃんの前へ行った。
「チイちゃん、僧侶なのか?」
「いえ、賢者です」
ほう、そいつは凄い。
BLT内の職業には三種類の階層がある。一般職と上級職、超級職だ。
たとえば、剣士の場合、剣士→剣豪→剣聖というキャリアステップになる。
俺は剣士と剣聖の間、剣豪になるまで、今の調子だとまだ一年はかかるだろう。
チイちゃんの賢者は超級職だ。キャリアステップは、僧侶→神官→賢者。
回復魔法の専門職である僧侶はいくらでもいる。支援魔法と攻撃魔法も使いこなす神官だって捜せば出会える。しかし、さらに上級の魔法が使えて、杖での打撃にも優れた賢者は、見かけることすらない。確か、超級職プレイヤーは全プレイヤーの二%にも満たないはず。
毎日数時間二年以上はプレイし続けないと絶対になれない。
つまり……チイちゃん、就業時間中に私的プレイをしまくってたに違いない。
今となっては、それがありがたく、頼もしいわけなんだが。
「コバーンさん、私も一緒に行っていいですよね?」
もちろん、歓迎。能力もありがたいが、それ以上にチイちゃんは良い子だ。一緒に歩んでいける。パーティはやっぱり性格だもの。
ついでに、気になっていたことを訊いてみる。
「男キャラなの?」
「男装の麗人です。いままで通り、レディとして扱って頂けると助かります」
そんな丁重に扱ってなかったけどね。まあ、これまで通りってことか。
俺は右手を差し出した。
「よろしく」
続いて、全員が握手を交わした。
「よーし、じゃあ、早速。準備しましょう」
チイちゃんは、腕をぶんぶんと振り始めた。
このポーズ、彼女が職場でよく見せた、はりきりの舞だ。
その機関車のような動作をしたまま、テーブルへ行き、机上のノートを広げた。
「バーン!自家製の攻略ノートです。HOFの全階層がこれ一冊でまるわかり」
そこには、線画による各階層の地図があった。
引き出し線でトラップや施設の位置が記してある。出現魔物リストもあり、ところどころには、お絵かきが上手な幼稚園児に匹敵する画力で、魔物の絵も描かれていた。
ノートを囲んでの作戦会議、というより、チイちゃんの独演会は小一時間続いた。
10
大穴を囲んで、十六本の石柱が等間隔で立っている。
太さは大柄な男性がぎりぎり抱えられるほどで、天辺には、穴の内側を向いた魔除けの獅子頭が彫られている。
隣り合った石柱同士は、柵の役目を果たす十本の鎖で繋がれている。
鎖の金輪は、一つずつが牛の鼻輪よりもでかいため、ほとんど上下の隙間がない。ぱっと見は鎖帷子のようだ。一番上の鎖は、俺の背丈より頭二つ上の辺り、だいたい二メートルの高さに張られている。これなら、落っこちる奴はまずいないだろう。
穴は最下層である地下十三階までの吹き抜けになっている。厚い岩盤のミルフィーユを型抜きでくり抜いたと思えばいい。パイ生地の間が魔物の詰まった迷宮ってわけだ。
穴を覗き込んでみると、中空を遊泳する魔物達の姿が見える。スカイシャーク、スカイオルカ、スカイバラクーダ…どいつもこいつもでかくて獰猛。
結界でフタがされていなければ、大変なことになる。
霞む対岸の向こう、何もない地平線に沈み行く夕陽が美しい。
もうすぐオレンジの光は二段階目になる。
色々なことがあった一日の締めくくりが、さらに色々なことの始まりになるとは。
俺はそんな思いで、迷宮へと続く階段の前に座っていた。
全員が扇形に広がって、あぐらだの、体育座りだの、思い思いの体勢をとっている。
それぞれの手に、チイちゃんお手製の[HOFのしおり]があった。見ているかどうかは別だ。
中央にはチイちゃん。引率の先生よろしく、作戦会議のおさらいをしている最中だ。
誰もまともに聞き入っちゃいないが、熱心に演説をしている。
「穴小屋はご存知ですか?結界で守られた安全な空間で、休憩や食事ができます。HOFには三つあります。上から順番に一番小屋、二番小屋、三番小屋と呼びます。一番小屋は地下五階。そこまで休む場所はありません。でも、無理はしないように。疲れたら私にいってくださいね。回復魔法でピンピンにしてあげま~す」
彼女が中心になって立てたプランは遠足並みのざっくりさ。
そして、この[しおり]、まさに遠足気分。
なんつうノリだ。命がけなのに、賢者様なのに…
「そういうわけで、楽しく、しっかり、仲良く潜りましょう!以上」
どうやら、終わったようだ。
それにしても、この[HOFのしおり]、マジなのか。
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・休みを取りつつ、無理しないように潜りましょう。
・戦う時はばらけないようにしましょう。
・地図を確認しながら進みましょう。
・疲れたり、死にそうになったら、チイちゃんに報告しましょう。
・地上に戻るまでが冒険です。
・頑張りましょう
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おやつがいくらまでか決めてないのが不思議なほどだ。
まあ、基本的には、出たとこ勝負。それぞれの能力頼み。
これまでと変わらないやり方だから、文句はないがね
「コバーンさーん、もう潜りますよ~。こっちへどうぞ~」
「ほーい」
プレイヤーの中には「魔物地獄」と呼ぶ者までいるHOF。
この姿になってからは初潜りなだけに、開発者の俺ですら、いや、作った本人だからこそ恐さを知っているわけで、正直、びびっていた。
最初の内は、ずんずん進むチイちゃんとウォズに、付いていくのが不安でしかなかった。
ところが、拍子抜けもいいとこ。
そりゃ、戦闘回数は多かったが、地下五階まで何の苦労もなくたどり着けた。
すべては、この場所を熟知した二人のおかげだ。
チイちゃんは的確に攻撃支援魔法を繰り出して、魔物を眠らせる、迷わせる、同士討ちさせる…と、まともに戦闘が成立しないように仕向けてくれる。
さすがに最難関だけあって、攻撃力や魔力が高い魔物が次々に出てくるのだが、どれもこれも一方的な勝負ばかりだった。
そして、ウォズも地味だが大切な役割を果たしてくれている。
「僕が先頭を歩きますけど、できるだけ追い抜かないでください」
そう潜り始めにいわれた時は、一番前が好きなだけかと思っていたが。
彼とラティが話し込んでいる時に、つい追い抜いてしまって、理由がわかった。
毒針が飛び出す床を踏んで、ひどい目にあったからだ。
その時に初めて話してくれたが、トラップを解除しながら進んでいるとか。
ぶつぶつとつぶやいては、空中に指で何かを書いているのがその動作らしい。
先頭を歩いているから、何の動作をしているかなんてわからないし、そういうことはいっといてくれよ、という文句は呑み込んで、これからもよろしくといっておいた。
ここには毒針の他にも、方向感覚を狂わせたり、感電させたり、マヒさせたりと趣味の悪いトラップが山ほどある。そして、ほとんどが床を踏むことが発動条件になっている。
ヘソを曲げられると面倒だから、素直にあやまる。
ウォズの言葉が足りないのは、現実で組んでいた時と同じだ。
でも、これってさ、プログラマに気を遣うディレクターという関係を引きずっているよな。
地下五階といえば、一番最初の穴小屋がある場所だ。
最下層まで、三カ所しかないHOFのオアシス。あと少しで、飯と酒と寝床にありつける…
そんな淡い希望を踏みにじるかのように、大勢のやばげな人影がわらわらと湧いてきた。
俺たちは、あっという間に囲まれてしまった。
吹き抜け部分からの明かりに浮かぶ影は、すべて見覚えのある背格好。
三十人はいる。その顔は…ジェシカ?ビリントン?俺?ウォズ?チイちゃん?…!
仲間と同じ姿の連中がじわじわと包囲を狭めてきた。
どいつもこいつも無表情だ。
ジェシカがおびえた声を出した。
「なによ、これ~、気味悪い~」
それとは対象的に冷静な声で、チイちゃんが答えた。
「ミミクリンの群れですね。プレイヤーの姿を真似る魔物です。攻撃は殴ってくるだけ。落ち着けば簡単な相手です」
「そうなんだ。じゃあ…バナルガ・ピラー!」
俺の姿をした魔物が二体、足元から噴き出た業火に包まれた。
一瞬で黒こげになったが、まだゆらゆらと立っている。
背中に火が付いているし、全身が焼けただれているし。見ていて楽しいもんじゃない。
「同士討ちを避けるため、近距離では、自分の姿をした相手だけを狙ってください。そうすれば襲ってくるのは全て敵となります。あと、ミミクリンは声を出せません。できるだけ、声を出しながら戦ってください。遠距離攻撃は声の聞こえない方向に撃ちましょう」
なるほど、さすが賢者さん、的確だ。
それからは全員、大声を上げながら戦いまくった。
少年漫画っぽい声の俺。
「いくぜ!」
迫力ある低音のビリントン。
「だーっ!おりゃあ!」
アニメ美少女ボイスで、魔法名を連呼するジェシカ。
「コルドガ!きゃあ!バナルガ!きゃあ!」
セクシャル&ハスキーボイスなチイちゃんは、一撃ごとに決め台詞をいっている。
「召されよ!神の御名のもとに!」
カラオケボックスでの宴会のような、うるさい戦闘も終盤に近づいた。
チイちゃんのおかげで、ぱっと見、大混戦にも関わらず、誰も混乱していなかった。
見た目で迷うことがなければ、たいして恐い相手ではない。
あとは少し離れた場所にいる、ウォズとラティの群れを残すだけになった。
三十人ほどのウォズとラティのいる方向へ、チイちゃんが歩を進めた。
「仕上げは私にまかせてください。グローリー・ウェイブ!」
上級攻撃魔法を高らかに唱えた。
みぞおちの前に組んだ両手に、白い光の粒子が集まり始める。
一瞬で光は全身を包む大きさになった。
バンザイをして、一気に両腕を下ろすと、光が津波となって放たれる。
怒濤は徐々にふくれながら、ウォズとラティの群れへと押し寄せる。
あれ?
あいつら、なんでこっちを向かない。
もしかして、あの中心に。
「ちょ、チイちゃん」
「え?ああ、大丈夫」
本物の津波さながらに、あらゆる物をさらいつくす聖なる光波が、偽物たちを一掃した。
後に残っていたのは、例の箱を挟んでしゃがみ、会話に夢中なラティとウォズのみ。
「あの二人には何も通用しません」
そうだったな。味方へわざと攻撃したりはしないから、忘れていた。
「じゃあ、穴小屋へ急ぎましょうか」
「うん。さすがに疲れちまった」
「みんな~、こっちへ集まって。お疲れだと思いますけど、あとちょっと歩きましょう」
話に夢中のウォズたちを呼び寄せて、全員集合。
遠足は再開した。
「さ~て、こちらが一番小屋です」
チイちゃんの、明るく軽いバスガイド口調のハスキーボイスが、暗がりにこだまする。
その右手が指す場所には、黒い岩壁に大きな横穴が開いており、ログハウス風の小屋がすっぽりと収まっていた。手前に鉄格子がはめてあるのは魔物避けだ。その鉄棒の間から木戸をノックすると、扉が内側に開いた。
小屋の主人は、デニム地のオーバーオールが似合う、極端に太ったおじさんだ。丸い顔は笑みで満たされている。おじさんはチイちゃんと二言三言交わし、鉄格子の錠を空けてくれた。
チイちゃんは振り向いて、ガイドをしてくれた。
「こちらの宿は、美味しい魔物料理が人気です。これから先もハードな冒険が続きます。しっかり腹ごしらえしていきましょう」
魔物料理か。そういえば、はるか昔、そんな説明文を書いた覚えがあるな。
どんなこと書いたっけ。グロな物でなかったことを祈るだけだ。
二十畳はある板敷きの広間に、カウンターキッチンの厨房のみ。
シンプルこの上ない作りだ。食って休むだけの小屋といっていい。
ちゃぶ台を囲んでいる先客は二組いた。
女性キャラだけ三人のパーティと、四人連れの紅一点トリオだ。
はじめは、そちらに気を遣いつつ、静かに飲み食いしていた俺たちだが、ほどなく、いち早く酔いの回ったジェシカが、グラスを持って動き始めた。
あっという間に全員が車座になっての宴会モードへ突入。
踊るわ、歌うわ、話し込むわ。次々と運び込まれる料理に舌鼓を打つわ。
そりゃもう大騒ぎになった。
料理も出尽くし、宴も一段落つき、まったりモードに入った。
それぞれ思い思いにくつろいでいる。
ビリントンは隣卓の男性剣士連中と剣談義で盛り上がり、話疲れて全員で雑魚寝状態へ。
相変わらず二人の世界で話し込むウォズとラティ、
うなずき合いつつ、涙を浮かべて恋愛相談中の他パーティの女子全員とジェシカ。
俺とチイちゃんは、小屋の主人と飲みながらお話中だ。
主人は、魔物料理の材料調達について、熱く語る。
「死んじまうと消えちまうでな。尻尾とか、足とか使うとこだけちょん切んだ。逃がしたら、また生えてくるで、そんでええの。倒してアイテムとるのが目的でねえもん」
もう、かなりの時間、なまり全開の演説が続いている。
ユーリカのことを訊ねたいんだが、どう話を切り出せばいいやら。
迷っていると、話の途切れたタイミングを逃さず、チイちゃんが切り出してくれた。
「ねえ、おじさん。私が前に一緒に来た女武道家のこと、覚えてるかしら?」
「んー。どんな人だ?おめえさん、色々な人と来るでねえか」
「えーと。おじさんの特製ピリ辛トロトロスープが好きな子。いつも三人前注文してたわ」
「あー、わかった。あれはおいらの自慢料理なんだ。作り方はな」」
「ごめん、作り方は、あとで聞くわ。あの子、最近来てるかしら。ここ数日の間に」
「教えてもええよ。けどね。その前に、スープを飲んどくれや。あっためてくっから~」
主人は立ち上がり、厨房に行ってしまった。
「もったいぶるなあ」
「ああいうマイペースな人なのよ。ここはゆったり待ちましょう」
待つまでもなく、なみなみとスープをたたえた丼鉢を両手に一つずつ持って戻ってきた。
「今日、いい材料が手に入ってな。いつもよりうめえよ。どうぞ」
湯気が立ったスープをフーフーしながら、一口すする。
うまい!
凄まじく旨味が濃い。しつこさはまったくない。
とろとろの食感が口中の粘膜すべてを刺激して、ゆっくりと広がる。
しかし、喉まで届くとスッと存在感をなくし、幸せな想いだけを残す。
一気に飲み尽くしてしまった。
主人は俺の顔を見て、満足げな笑みを浮かべている。
チイちゃんも飲み干して、恍惚とした表情を浮かべている。
「はあ…本当、いつも以上の味でした。すごい」
「うへへ。うめえだろ。スラッグスープはおいらのオリジナルだ」
はい?スラッグ!
「いつもは、この辺で採れるアングラスラッグだけんど、今日はアルビノスラッグで出汁を取ったでな。やっぱ、上品だ」
俺は微妙に引きつりながら聞いてみた。
「こ、これ。モフモフとかのあのスラッグのスープなのか?」
「兄ちゃん、料理は素人だな。モフモフは灰汁が強くてダメだ。淡泊なスラッグの方がいいな。アルビノが一番だ」
うえっ、いや、うまいけどさ……ああ、もう、酒。口から喉からアルコール消毒を…
喉がつまってしまった俺に変わって、チイちゃんが訊ねた。
「ユーリカはこれが好きだったの?」
「ユーリカ?…ああ、あの武道家姉ちゃんか。三日前に来たで」
「やっぱり。彼女、誰か連れと一緒じゃなかった?」
「おお。剣士と一緒だったで。んと、ほれ、そこのガーガー寝てるお方とそっくりのな」
まるまっちい指が差した先には、ビリントンが横になっている。
「いや、そっくりどころか、その兄さんでないか。しゃべり好きなとこも同じだったで」
しかし、ビリントンにはアリバイがある。三日前どころか、ずっと一緒だし。
チイちゃんがさらにつっこむ。
「話の内容とか覚えてますか?耳にした言葉とか?」
「そらあ、知らんよ。一応、客商売だで。聞き耳は立てやしないんで」
「ごめんなさい。野暮なこと聞いちゃったかな。それで、彼女、元気そうでした?」
「スープ三杯にオックスステーキやら、モールスネークの蒲焼きやら、ガンガン食ったで。二人とも食いっぷりが良かったな。ありゃ、元気に決まってる」
じゃあ、まあ、とりあえず安心か。
しかし、ビリントンのそっくりさんとはね。そいつがクリスなのか?
色々と考えたいことはあったが、口直しに飲んだ酒のせいで一気に眠気が回ってきた。
次に目が覚めたら出発しよう。
主人と話を続けるチイちゃんにそう告げて、俺は横になった。
目が覚めた時、先客は二組とも出発していた。主人によると、どちらも地上へ戻るそうだ。
賢明だ。その方が長生きできる。
ユーリカの存在がなければ、俺だって潜りはしない。
彼女に会うまでは、死ねないし、消えられない。
この宿に、三日前、彼女がいた。それを知っただけで、心が燃える。
先を急ごう。
魔物料理が効いたのか、その後も俺たちはガンガン進んでいった。
魔物の大群と向き合っても、背中を預け合い、お互いを信じて、それぞれの役割を果たす。
潜るほどに強くなる魔物たち。
だが、俺たちの実力とチームワークは、難易度より急速に高まっている。そう実感している。
11
吹き抜けから、朝日がこぼれてきた。
もう、地下暮らしが四日目に差し掛かったということか。
今日は地下十階、二番小屋へ到着する予定だ。
階段を降りてしばらく進んだところで、チイちゃんが俺の肩をつついた。
「あれ、見て!」
彼女の視線を追うと、人を担いでいる魔物らしき姿が二体、動いている。
そう遠くはない。
「チイちゃん、一発、威嚇してくれ」
「りょーかい。サグラダ!」
光属性の攻撃魔法が放たれた。
怪しい影へ、光の矢が一直線に飛ぶ。次の瞬間、フラッシュのような輝きが起こった。
まばゆさに身じろぎしたチイちゃんと俺の間を、光の矢が通り過ぎる。
魔法を反射する魔物……ミラーバットか?
影たちは、担いでいた人を無造作に投げ捨てた。都合三人だ。
ミラーバットらしき影は、羽を広げ、飛んで逃げようとしている。
もう一体もあとを追った。六本腕の巨体だ。
ジェシカが心配げにつぶやく。
「ポイされたの、プレイヤーかしら」
ウォズが返答した、意外な言葉と共に。
「倒れてるのは、一番小屋で会った女性パーティですね。それに、逃げた羽人間たちも、プレイヤーです」
んな、バカな。
「少なくとも、全員がデータベースにそう登録されています」
「何なんだ、あいつら」
「僕にもわかりません、ただ情報的には明らかにプレイヤーです」
悩みまくりの会話は、ビリントンの気合いで止められた。
「せいっ!」
大声と共に、剣を持つ右手が真横に、水平に突き出された。
剣は何もない空間を切り裂いた…と思った次の瞬間、「ひっ」という息を呑む声と共に、赤黒まだらの肌をした女性が出現した。
切っ先は喉元ギリギリの位置で止まっている。
「こいつに直接、訊いてみればいいさ」
「バナ…」
俺は魔法を唱えようとするジェシカを手で制した。
ルーセントホースと同じ肌をした女。
トラウマを持つジェシカが思わず反応するのは仕方ない。
それでもさ。至近距離だし、相手はおびえているし。ちょっとは空気を読もうよ。
救出した三人と魔物女、えらい大所帯になったが、小屋主は暖かく迎え入れてくれた。
二番小屋は世話好きで有名な女将さんが営んでいる。
笑顔が素敵で、和服がよく似合って、回復魔法が得意な、文字通りの癒し系美女だ。
ここは、入口こそ他の小屋と同じく鉄格子付きでいかついが、小料理屋風の玄関に漆喰の壁、フスマで仕切られた床の間付きの畳敷き広間と、旅館のような作りだ。心が安らぐ。
広間に荷物を置いて、すぐ、やるべきことに取りかかった。
女将さんにお願いして、奥にあるカギのかかる個室を使わせてもらう。
広さは八畳、部屋のほとんどを赤茶色の座卓が占めている。
ここで、尋問を行う。
ジェシカは、女将さんと一緒に、広間にいる女性トリオのケアにまわってもらった。
ウォズとラティも、彼女たちと同じ部屋で待機している。
座卓のこちらに俺、向かい側には魔物女を挟んでビリントンとチイちゃんが座っている。
魔物女はうつむき、涙を流している。
髪は栗色の長髪、馬のたてがみと同様に背中へ伸びている。肌は赤黒まだら模様で、首から下は短い毛が全身を覆っている。ふさふさとした尻尾まであるが、ウォズによれば、情報的にはプレイヤー、つまり人間ってことだ。
全員が押し黙り、魔物女のすすり泣く声だけが響く。
さぁて…何から訊けばいいものやら。
「まず、名前から教えてくれ」
「ラミ」
絞り出すように答えてくれた。
「ラミ。なぜ、そんな姿をしてるんだ」
答えない。
「ラミ、プレイヤーなんだろ?」
すすり泣くだけだ。らちが明かない。
溜息をつく俺に、チイちゃんが目配せをした。しょうがない。まかせてみるか。
「さっきはごめんね。ラミ、怖いおじさんが剣を突きつけちゃって」
ビリントンが呆れ顔で、頭をかいている。
「あなたも、あの【異変!】を乗り越えてきたのよね」
ラミが小さく顔を動かした。チイちゃんの方に目を向けている。
「私も大変だったわ。仲間や友だちと別れたり、出会った人と励まし合ったりして、なんとかここまでこれたの。それは誰も同じ、生き延びただけで奇跡よね」
徐々にラミがチイちゃんの方へ顔を起こしている。
「今は、あれを乗り越えた者同士、力になりたいの」
両手でラミの手を握り、目をじっと見つめる。
チイちゃんの顔立ちは端正だから、こういうシリアスなシーンの目力は強い。
「うちのみんなは、自分の想いを隠さずに話すの。共に笑い、悲しみ、声を掛け合って歩んでいるわ。誰もが仲間、味方同士よ」
左手は手を握ったまま、右手を肩にかける。
「私と出会ったから、あなたも、もう一人じゃない。大丈夫よ、もう怖くない」
肩を抱き寄せ、耳元で「大丈夫、大丈夫」と囁き続ける。
そして、声をあげて泣き始めたラミの背中をなでながら、再び俺に目配せをした。
うまい…うますぎる。
これがユーザーサポートでクレーマーを丸め続けたテクニックか。
「さあ、ラミ」
説得上手の賢者様は、ひとしきりラミをよしよししてから、その両肩をつかんだ。
「【異変!】のあと、どう過ごしてきたのか。話してもらえるかしら」
ラミはうなずき、ぽつぽつと話し始めた。
「【異変!】で…妹と…はぐれて…」
その日、ラミは妹や友人たちと三人パーティを組んでいた。
ちなみに、その頃は人の姿をした普通の剣士だったらしい。
【異変!】が起こったのは戦闘中のこと。その時、ルーセントホースに妹が狙われていたとか。話を聞くに、たぶん、ジェシカと同じような目に遭遇したのだろう。
そして、気がついた時には妹の姿はなかったという。
ん~、こういっちゃ悪いけど、ありがちな身の上話だ。
…はぐれた仲間を捜すことを心のよりどころにしてきた…なんて。
そりゃ、同情もし、運命の理不尽さを共に呪おうとまでは思うが、それだけのこと。
我ながら、すれきっているとは思うが、彼女の告白に心は動かなかった。
この時は、まだ。
そして、話は、HOFに来た理由に差し掛かっていった。
ある村に落ち着いたラミは、同じように兄弟を亡くしたという男に出会い、ある情報を教えてもらったそうだ。
「HOFの奥には、消えたプレイヤーたちと会える場所があるといわれました。そして、実際に、死んだ仲間と出会ったとか、見かけたという人も紹介されて…やがて、消えた仲間を捜している人ばかりのパーティで潜ることになって」
八人パーティだったそうだ。
かなりの大所帯だ。でも、ラミの話では、高レベルのプレイヤーはHOF行きを提案した男だけだったとか。
明らかに怪しい。本当に高レベルなプレイヤーなら、そんな危険な編成はしない。
「HOFに入ってすぐ、今の私みたいな、半分魔物になった人たちに囲まれて…全員、拉致されて。最下層の、そのまた下層に連れて行かれました。床も壁も真っ白な、何もない小さな部屋に一人ずつ放り込まれました」
ラミが、あとから知った話では、その部屋では自我が崩れやすく、記憶が薄れやすくなる。
連れてきた者は、まずそこに一週間滞在させる。すると、その後の処理がスムーズに進むそうだ。処理ってのは、魔物にしちまうってことか。
正直、不謹慎かも知れないが、少し安心した。もしユーリカが拉致られてたとしても、タイムアップまで、まだ間があるってことだ。もちろん、それもないに越したことはないが。
そして、魔物化した連中が『ゴルド―様』と呼ぶ男の元へ連行されたという。
「上下左右全部が真っ白で、どこまでが床で、どこからが壁かわからない空間で…私たちは裸で横一列に並べられて…首から下は金縛りにあったように動かず、声も出ず…気がつくとゴルドーが、まるで空間から溶け出したように目の前にいました。真っ白なコートを着て、身長は三メートルくらい…彼は、全員をなめるようにゆっくりと見てから、まず一番端の女性を抱きしめて…彼女、気丈で凄く強い剣士だったけど、その時は口も目も開きっぱなし、涙が洪水みたいに流れ出て…ゴルド―はその顔をベロリと舐めてから、大声で何かを叫んで腕を広げました。彼女は気を失って地面に倒れて…すぐに全身が震え始めて、額から角が生えて、肌が青く変わって…」
ブルーオーガという魔物と、そっくりになったという。
それ以外のプレイヤーたちも、次々に魔物化されて、最後にラミの番になった。
「次に気がついた時は、何もない小さな白い部屋の中で…自分が何者かわからなくなってました。教育係に、ゴルド―の偉大さと自分の使命や力の使い方を教わる日々が続きました」
魔物化しても、その能力を使いこなすには練習が必要だそうだ。
ルーセントホースの能力で、透明化して拉致や戦闘を行うための訓練を続けていたらしい。
ゴルドーめ、何を考えているんだ。
兵隊を増やして、この世界を支配したいのか?そんなことをして何になる?
革命を起こしたいのか?この無茶苦茶な世界で?
「初めて、私と同じ種類の人たちとの集団訓練に呼ばれて…集まっていたのは、当然、赤黒まだらの肌をしたプレイヤーばかり、十人くらい。…それを見て、妹とはぐれた時のことが頭をよぎって…訓練後、部屋に戻ってから全てを思い出して…」
ルーセントホースの群れが、我を取り戻すカギになったってわけか。
そして、今日。全てを隠して訓練を続けてきた甲斐あって、晴れてプレイヤー拉致のために外出ができ、その能力を生かして脱走。
怖いおじさんに剣を突きつけられて今に至ると。きつい話だ。
チイちゃんは「よく話してくれた」と何度もいって、泣きながら背中をなでている。
その背中を眺めながら、どうすべきか考えていた。
逆毛、順毛、逆毛、順毛、なでられるたびに微妙に模様を変える毛並み。
逆毛、順毛、逆毛、順毛……まっ、考えて答えが出るもんでもないか。
俺はビリントンを誘って、廊下に出た。
フスマを閉めると、あいつから、先に口を開いた。
「コバーン。もしもだけど。ユーリカが拉致られて、魔物化していたらどうする?」
「無理矢理にでも連れて帰るさ。ゴルドーって奴をぶっ飛ばしてな」
「じゃあ、ユーリカと何の問題もなく会えたら?」
「そうだな。あの子も結構強いらしいし、一緒にゴルドーを潰しにいくか」
ビリントンが拳を軽く握り、顔の高さに上げた。
俺も同じポーズをする。そして、ぶつけ合う。
なんだかな、笑いがこぼれちまう。
「安心したぜ。さすがは俺の依頼主だけのことはある」
どういう思考回路をしていたら「さすがは俺の」っていい回しが出てくるんだ。
でも、やるだろ、普通、俺たち的には。
セキセイインコがビリントンの頭に止まった。
まだ、本人は気づいていない。
俺が教えようとした時、インコが飛んだ。
ビリントンがしゃがみこんだからだ。彼は、足下からつまみ上げた何かを目の前に掲げた。
「なんだ、こりゃ」
カメレオンだ。手足をウニョッと伸ばして、目をグルンと動かした。
続いて、足にコツンと何かが当たった。この放射状の模様は…ホシガメだ。
ラティの奴、また、テンカイで遊んでいるのか。
飛び立ったインコの行き先は、廊下の突き当たり、フスマが半開きの部屋。
爬虫類連中もそこから遠征してきたに違いない。
いつもなら放っておくのだが、部屋から女性たちの拍手と歓声が漏れ聞こえてくる。
俺もビリントンも、盛り上がる方へ、ついつい体が引き寄せられる体質だ。
フスマを開けた。
フェレット、ハリネズミ、ハムスター、アイアイ、フェネック、アライグマ、アルマジロ。
ラティだけでなく、ウォズまで、次々にテンカイをしているようだ。
女将さんが箱を差し出しているところを見ると、旅館に置物として飾ってあったものだろう。
ウケ狙いはいいが、サソリでも出たらどうする気だよ。
ウォズが俺たちに気づいた。
「あっちはもういいんですか」
「おおかたね。あとで話すよ。ところで、なんだい、この騒ぎは?」
「ずいぶん箱があったので、女将さんに頼んでテンカイさせてもらってたんです」
「ウォズ、テンカイできルなッた」
「実は、ここしばらく、ラティにテンカイのやり方を教わってたんです。今日は、修行のお披露目といったところですかね。僕、独自のテクニックも編み出したんですよ。テンカイ前に箱のインデックスを確認して、事前に中身が分かるようになりました」
それで、無難な動物ばかりがいるってわけか。それにしても、これ全部ここで飼うのかよ。
「実は、ラティとの合体テンカイという大技もできそうなんです。二人で同時に一個のデータをテンカイすれば、時間短縮は間違いなしです」
「合体でテンカイ速クなル、絶対!」
はいはい、気が済むまでやってくれ。
その後、チイちゃんとラミも加わって、飲んで食って話した。
ラミの消えたり現れたり芸とか、やりすぎな気もしたけど…
とりあえずは笑顔だ。
今はこれでいい。
みんな、これまで地獄を見てきたんだから。
俺たちは、さらなる地獄へ向かうんだから。
翌朝、いよいよ最下層へ向けて出発する時が来た。
救出した女性陣とラミのことは、女将さんにお願いした。
帰りにピックアップして行くから、しばらく面倒を見ていてくれと。
戻ってこられるか確かではない、だから、戻る理由が欲しかった。
そんな俺の気持ちも含めて、女将さんはすべてを呑み込んでくれた。
みんな、万が一の場合でも、大勢のペットと退屈せずに過ごしてくれ。
最下層である地下十三階へ到達したのは、四日後のことだった。
12
地下十三階に降り立った。
遠くに吹き抜けの明かりが見える。
そのさらに向こうに、砂粒のように小さく、三番小屋がある。
噂通りなら、幻の十四階につながる階段があるはずだ。
このフロアにはHOFのラスボスが棲む。天井が高いのは、そのためだ。
正直な話、できればラスボスとは戦いたくない。
確かに強くなったとはいえ、俺たちで勝てるかどうか。
戦闘もなく、幻のフロアへ行くこともなく、ユーリカに会えれば最高なんだが。
「コバーン、おい、コバーン。黙りこくるなよ」
ビリントンめ、こづきやがった。
「ここまで来て、臆病風に吹かれたか?」」
「ああ、吹かれたよ。びびってる。ユーリカに会えなかったらと思うと。怖い」
ジェシカが笑う。
「らしくないな~。大丈夫。会えるからっ。ほら、前向きっ!」
チイちゃんも、仕方ないなと溜息をついた。
「ディレクターが迷ったら、全員が途方に暮れますよ。さあ、行きましょう」
ああ、そうだな。ありがとう。
「まずは、穴小屋だ。装備をととのえよう」
心に鞭を入れて歩き出した時、大声が響いた。
「コばーン!」
ラティ。おまえまで、俺を励ましてくれるのか?
「そこんトこ、でカくてウォズ、一緒テンカイ、イい?」
俺の袖を引っ張りながら、なにやら主張している。
「えーと、ウォズ。この子どうした?おしっこでも漏れそうなのか」
「ああ、はいはい。通訳します。すぐそばに、巨大な圧縮データがあるようです。ラティと一緒にテンカイしに行っていいですかね?」
「ああ、そりゃ構わんけど…じゃあ、どうするかな。穴小屋で会おうか。大丈夫とは思うが、無理するなよ」
「わかりました。あの、少しくらい僕らの帰りが遅くなっても、勝手にラスボスと戦ったりしないでくださいね」
「当たり前だろ。全員が揃うまで、先には進まないさ」
「はい、それを聞いて安心しました。よし、ラティ、行こう」
非戦闘員だが、ウォズもラティも仲間だ。
区切りの場所やイベントは、一緒に経験して分かち合うさ。
最後のフロアだもんな。俺同様、がらにもなく、あいつもしんみりしちまったか。
このフロアには、ラスボス以外の魔物は出現しない。
そして、ラスボスはテリトリーを侵されなければ目覚めない。
静かなダンジョンを歩く。
吹き抜けを周りながら、空を見上げると、スカイシャークたちの腹が見える。
たまに降りてきた奴と目が合う。
ジェシカはアカンベーをする。イーッもする。ベロベロバーもする。
猛魚たちは、ガーッと口を開いて威嚇してから上に戻っていく。
こちらへ来て、俺たちを喰らいたいのだろう。
だが、吹き抜けの周囲には結界を張る石柱が並んでおり、それを拒んでいる。
特に何事もなく吹き抜けを半周し、穴小屋の正面に出た。
やはり、魔物が出ないと早いもんだ。
三番小屋の外観は、ちょっと豪勢な中華料理屋といった風情だ。
ひさしに吊された提灯が、赤と金で派手派手しく彩られた建物を照らし出す。
入口を守るようにニ体の龍の像が立っている。口を閉じたのと、口を開けたの。
「福」の文字を逆さにした小旗が、小屋の左右一杯に張り渡されている。
ちなみにこの小屋。他とは違って入口に鉄格子はない。
このフロアには魔物が出ないというだけではない。
ここの主人に、そんなものは必要ないからだ。
扉に備え付けられた銅鑼を鳴らした。
小柄な黒いカンフー着の爺さんが扉を開け、招き入れてくれた。
インテリアも外観同様の福々しさだ。
入ってすぐの広間には、大きな壺や屏風が置かれている。
赤く大きな円卓が、四つ設えられている。
案内されるままに卓を囲むと、すぐに婆さんがお茶を持ってきてくれた。
白髪の長髪と長い髭がトレードマークのフォン爺さん。
年こそ取っているが、美しい顔立ちと均整の取れた体つきのスー婆さん。
ここは、このお年寄り二人で守っている穴小屋だ。
設定では、二人とも、かつては比類なき強さを誇った武道家であり、冒険者の間では武聖とまで称される存在だった。引退後、若い冒険者のために何ができるかを考えた末に、HOFの底で穴小屋を開くことにしたとなっている、というか、そう書いた。
そして、そう俺が書いたということは、魔物料理の鉄人や、世話好きの女将さんの例を見る限り、彼らもその通りの凄腕なのだろう。
香り高いジャスミン茶を飲み、ひとごこち付いたところで、ユーリカのことを訊ねてみた。
すると、爺さんがクシャクシャの笑顔で話し始めた。
「ユーリカちゃんか。よ~く知っとるわい。あんた、彼氏かね?」
「ええ、まあ」
「ここには、ちょくちょく来てくれたのぉ。武道家同士ということもあって、わしらを尊敬してくれてなぁ。婆さんと一緒によく技を伝授したもんじゃ」
「最近、ここに来ましたか?」
「うん。つい一昨日も来よった。剣士と一緒だったな。あんた、浮気されてんじゃないか」
ニマァっと笑うなよ。意地の悪い。
「若い人、からかうんじゃないの」
おっと、台所から婆さんが戻ってきた。
「おう。この剣士な、ユーリカちゃんの彼氏らしいぞ」
「あらあら。可愛い子じゃない。へえ、お二人さん、体格差とか、うちとそっくりね」
そういや、爺さん、俺と背丈が変わらないな。つか、婆さん、百七十五はあるじゃん。
武道家らしく、ガッチリ系だし…ユーリカもこんな感じなのかぁ。
しかし、スー婆さん…セクシーというか。体のラインが出るチャイナドレス、しかも黒のラメ入り。そしてメリハリのついたナイスボディ。悩殺カンフー婆さんだね。
「お供は結構いい男だったわよ。そう、そちらの剣士さんにそっくりだったわ」
ビリントンは「またかよ」といいたげに顔をしかめた。
「ごめんごめん、そんな顔しないで。あなたの方がいい男よ」
安っぽいフォロー、ドラマに出てくるスナックのママのようだ。
「ユーリカちゃんは根性のある子よ。前に一週間くらい、住み込みで修業に来たことがあるわ。私、才能のある子には厳しく教えるんだけど、一度も音を上げたことはなかったわね」
伝説の武道家に鍛えられたのか。
この夫婦とのつきあいは、彼女が強くなった理由の一つだろう。
もう少し、ユーリカの話題が続きそうな流れだったが、いつものごとく、ジェシカが空気を読まずに質問をした。
「ここまでの何フロアか、一人もプレイヤーに会わなかったけど。こんなものなの?」
「そうじゃなぁ。ここまで潜ってくる者はそうそうおらん。特に【異変!】からこっちはな。あんたらもユーリカちゃん以来の客じゃもの。しかも、このペースはまだ多い方じゃ」
「でも、お爺ちゃん。地上では色々な噂が流れてるのよ。ここに来ると幸せになれるとか、機械の体が手に入るとか。だから、混んでると思ってたんだけどな」
俺が聞いた噂とは違うけどな。
「それ、誰かが面白半分に流してるんじゃろ。わしら夫婦も、地上だとひどくいわれてるらしいしな。実戦経験のない老人武道家とか、おおぼら吹きの小屋主とか。まあ、わしらの現役時代を知ってる者は全然おらんから、しかたないがな」
そりゃ、ゲームが世に出る前に活躍していた設定だ。俺だって戦っている姿を見たことはない。
でも、凄まじく強かったはずだ。絶対に。
この二人、俺が大好きな日本最強の美人アクション女優と、中国の伝説的カンフー英雄をモデルにしたんだから。イメージ通りなら、誰も太刀打ちできない超達人夫婦に間違いない。
ジャーン!ジャンジャンジャーン!
呼び鈴代わりの銅鑼が鳴った。
「今日は千客万来じゃなぁ」
爺さんはうれしそうに、入口へと向かう。
しかし、こんな場所で他のプレイヤーに会えるとは。
「おお、よく来たな。お嬢さんだらけとはいいのぉ」
ほう、ガールズパーティね。どれどれ……え、おい!
なんで、二番小屋にいるはずの三人パーティが?
俺たちを見つけて、わざとらしく驚いたり喜んだり。
手を振って「先に来てたんですね~」などと口にする。
隣に座っているジェシカが俺の肩をつかみ、ささやく。
「あの子たちじゃないよ。一人残らず。歩き方もしぐさも」
「そ、そうか?」
「具体的にはいえないけどね。こういうのには鋭いの」
ジェシカが立ち上がった。止める間もなく、女性たちに近づいていく。
そして、一番手前にいた魔術士の胸ぐらをつかんで、凄む。
「ねえっ」
「ひっ…」
おい、相手、びびっているぞ。
「あたしの名前、いってみて」
「…え、えーと」
「忘れたの?…」
何いってんだ。
「もう、しょうがないね……ドリューよ」
ジェシカは手を離して、微笑む。誰だよ、ドリューって。
「ごめん。つい、気が立ってて」
「…ううん、いいのよ。ドリュー」
「もう、ドリューったら~」
「冗談きついんだから。ドリュー」
ええっ?
女性達は口々に、ほっとした感じで話し始めた。
ジェシカは振り向いて、肩をすくめながら、俺にふる。
「ねえ、ジャックも彼女たちに挨拶してよ」
は、ジャック?俺に話しかけてんの!
「いや、挨拶っていわれても…」
女性たちが口々に声をかけてくる。
「ジャック、ひさしぶり」
「相変わらず可愛いわね。ジャック」
「はーい、ジャック」
今度はチイちゃんが軽く礼をして、挨拶をした。
「はじめまして。ユリーといいます。この宿に住み込みで働いてます」
「よろしく、ユリー」
「こんにちは、ユリー」
「ユリー、お世話になります」
三人とも笑顔で返してくる。
なんじゃ、こりゃ。ああ、もう、辛抱たまらん。くそっ。
「誰だよ。おまえらっ?」
ビリントンが声を荒げた。俺より先に限界が来たらしい。
さらに、ドアの向こうへ叫ぶ。
「もう一人、いるんだろ。入ってこいよ」
開け放しのドアから、剣士が顔をのぞかせた。
今度は男だ。
ドアの影に半身を隠しているが…その背格好と雰囲気…もしかして…ビ、ビリントン?
爺さんがおろおろしながら、話しかける。
「クリス。何よ、この騒ぎ」
ビリントンは、あきれたように吐き捨てる。
「あんたがクリスか…部下の教育がなってない。バレバレだぜ」
「すまない。あの子たち、意外と口が堅くてさ。結構、締め上げたんだがね」
こいつら、二番小屋を襲ったのか。
「本物はどこへ連れてった?」
「場所はいえないが、今頃は檻の中だ。手こずらせてくれたお礼に、ナメクジとかブタとか、醜~い魔物になってもらうよ」
チイちゃんが声を上げた。
「ラミは?ラミはどうしてるの?」
「ああ、こいつか」
クリスは、小屋に入ると同時に、後ろ手に隠していた「何か」を投げた。
スイカほどの大きさの「何か」は、赤い光の帯を引きながら宙を飛び、円卓の上に落ちた。
「何か」はコトンと転がり、向きを変えた。
首から上だけになったラミが、チイちゃんを見つめている。
涙を流している、口を動かしている。
「タスケテ」
唇は、確かにそう動いた。
チイちゃんは、ラミを抱えて立ち上がり、婆さんと言葉を交わした。
そして、奥へと一目散に走っていった。
女性たちの顔つきが変わった。臨戦態勢ってことか。
クリスが右手を上げて、女性たちに告げる。
「どうせなら、同じ姿でやろうぜ」
クリスの言葉を合図に、三人の体はグミのような半透明となり、形を変えていく。
瞬く間に、俺、ジェシカ、チイちゃんの姿になった。
ミミクリンの能力か。ラミのいっていた魔物化プレイヤーってわけだ。
「さあ、始めようか」
クリスが柄に手をかける。
いざ、開戦かと、緊張が走る中、爺さんが両陣営の間に入ってきた。
「小屋の中での戦闘は御法度じゃよ。やめてくれんかのぉ」
そういいながら、クリスたちの前を歩く。
偽者の俺の正面で立ち止まった。
俺モドキは、今にも泣き出しそうな表情で震えてやがる。ビビリにもほどがあるだろ。
見てて嫌になる。俺はそこまで一杯一杯にならねえよ。
「わしは、プレイヤーと戦うわけにいかんのじゃ。この世界の侵さざるルールでな。暴れられても止める術がない。やるなら外でやってくれんか」
爺さん、俺モドキの顔を挑発するように覗き込む。
他の連中は、その様子を戸惑って見守るだけだ。
「もう一度、いう。わしは手出しができないんじゃ。ここで戦闘が起こってもなす術がない」
俺モドキは、爺さんとクリスを交互に見て、ますます感情がオーバーフローした表情だ。
ああ、もうやめてくれ。見ているのがつらすぎる。
「わしらは、武道家なんじゃが、戦うことができんのじゃよ。残念ながらのぉ」
俺モドキが刀を振るった。上段から斬りつける。
爺さんは、左の前腕で受け止めた。カンフー着が切れて、金属の小手が光る。
俺モドキのみぞおちに爺さんの右肘が吸い込まれた。
そのまま体を反転させて、背中で突き飛ばす。
「困ったのぉ。戦えんのじゃよ……正当防衛以外では、なっ!」
見た目に不釣り合いな美しい歯並びでニカッと笑い、仰向けの俺モドキに襲いかかる。
腹の上でダンスのようにステップを踏み、顔面にカカトを落とし、腕、足、首を流れるように移動しながらボキボキと折っていく。
そして、声を出す間もなくボロ雑巾のようになった俺モドキの横に立ち、見下ろした。
空気を抱えるように両手を広げて、みぞおちの前で少し離して合わせる。ゆるい合掌だ。
息を吸い込むと、両手の間に光の玉が生まれた。
「はっ!」
爺さんの呼気に小屋全体が震えた。
両手から飛び出したエネルギー波は、足下の俺モドキを一瞬にして消し去った。
攻撃開始から、十秒も過ぎてはいない。
爺さんは、首を左右にコキコキと鳴らしてから、両陣営を見回して静かに告げた。
「なあ、外で戦ってくれんか。さもないと」
ニカッと笑顔で凄む。
「次は婆さんも一緒に頼むことになるぞ」
ビリントンがクリスの方へ歩き出す。
「おい、ここでお年寄りの相手をするか。外で俺らと戦うか。好きな方を選べ」
そういい残して、外へ出て行った。
しょうがない。
「ジェシカ、行こう。若い者は若い者同士だ」
小屋の前で向かい合う。
三対三、人数は同じ。だが、さっきの俺モドキを見る限り、力の差は明らかだ。
クリスだけは、少しはできそうだが。あっちの他二名、おびえて震えているし。
ビリントンが剣を抜いた。クリスも呼応する。空気が張り詰める。
「ビリントン、まさか、あんたと戦えるとはな。俺は」
「バナルガ・トルネード!」
何かを語り始めたクリスの右頬を炎がかすめ、横にいたジェシカモドキが黒こげになった。
あわて顔の敵リーダーから視線をそらさず、ビリントンが冷静に告げた。
「ジェシカ。空気読んでやれよ。このバカ、自分語りしたいらしい」
「甘えてんじゃないよ?バナルガ・ピラー!」
灼熱の炎が、今度はクリスの左側で炸裂した。
熱風と共に、チイちゃんモドキが倒れた。予想をはるかに下回る、弱さだ。
「クリス。こういう状況だ。俺はさ、貴様の自分語りを聞いてやる気もあったんだが……仕方ない。早口でいえ」
意外な提案だったのか、クリスは口を開けた。
おおかた、声なき声で「は?」とかいっているんだろう。
「ジェシカ、それなら、ちょっとは待てるか?」
怒りの魔術士は答えない。
「おら、とっとと語れよ」
「あ…ああ、俺はあんたに憧れてた。開発者専用の傭兵剣士。強くて、クールで、話がうまくて、女にもてる。酒場やダンジョンで見かけるたびに、心を熱くしたもんだ」
「バナルガ!バナルガ!バナルガ!もっと、巻いて!」
クリスの左右を炎が通過する。ジェシカ、嫌なキレ方しているよ。
「こっ、こ、この能力を手に入れて、昔見たあんたの姿になったんだ。この世にこの姿のキャラクターは一人でいい。今日は決着をつけるぞ、ビリントン!」
「終わりか?」
ビリントン、右手に剣をだらりと下げて、左手で首をもんでいる。
かったるそうだ。
「俺さ。最後のアップデートで顔とかちょっと変わったんだよね。体の線もたくましくなったわけ。だから、その外見。おまえだけのもんだ。戦う理由はなくなったぜ」
「い、いや。そういう意味じゃなくて、あの」
「もう。うぜえよ、俺ワナビー!」
ビリントンは一気に踏み込み、右上段からケサ掛けに振り下ろした。
クリスは後ろにステップを踏んで、交わす。
「てめえの部下、弱すぎんだよ」
今後は横一線に剣をなぎ払う。
クリスは飛んで、避けた。
「そりゃ、一番小屋で引き返す連中相手なら勝てるだろう。でもな、ここまで自力で辿り着いたパーティの敵じゃねえよ」
今度は突き。
のけぞって交わす、クリス。
「ミミクリン部隊は諜報部隊なんだ。戦闘は本業じゃない」
「じゃあ、連れてくるんじゃねえよ」
下段、なぎ払い。ぴょんと飛んで避ける、クリス。逃げるのだけは異様にうまい。
「う、うるせー。つ、強いの呼ぶからな。死んじまえ」
地団駄を踏んでいる、ヘタレめ。
「バ、バ、バカヤロー!」
クリスは悪態を叫んでから、指で輪を作ってくわえた。
ピ―――――!
岩肌に指笛が反響する。非常にうるさい。何をしても気に障る奴だ。
甲高い音は援軍への合図だったのか。
クリスのすぐ後ろで、地面からせり上がるように、巨大な筋肉質の男が姿を現した。
左右三本ずつの腕が生えている。それぞれに鉄の爪やトンファーを装備している。
六本腕のゴリラ系魔物であるオクタリラの力を得た武道家だろう。
六本腕は二段目の右手でクリスの後頭部をはたき、なにやら言葉を吐きつけた。
クリスは頭を押さえつつ、卑屈にペコペコと頭を下げている。
そして、「じゃあ」とばかりに手を振って、走り去った。ヘタレな下っ端にしか見えない。
ビリントンがしびれを切らした。
「内輪もめしてんなよ。コメじるし」
「コメ…?なにいってんだ」
六本腕がファイティングポーズを取った。
上段の両腕に装備した、長さ五十センチはある鉄爪は、まっすぐな針が三本伸びた貫通力重視のタイプだ。こいつをはめてボクシングの構え。中段は極太の腕と指を大きく広げたレスリングの構え。下段は鈍色の金属製トンファーで固めている。
ビリントンも応じて、上段に剣を構える。
「聞いてわからん奴に説明する気はないな」
んーと……あっ、そうか。六本腕がコメじるし※。
二人のにらみ合い、間の読み合いに俺も加わる。
人数こそ有利だが、腕の数は六対四。体格はビリントンでさえ比べものにならない。
しかも、構えを見る限り、かなり手練れの武道家だ。
互角の勝負にすらなるかどうか。
お互いに息を吸い、前傾姿勢になる。飛び込もうとする、まさにその瞬間。
「バナルガ!」
お得意の空気を読まない急襲。
ジェシカの火炎弾が、六本腕の頭部を目がけて飛んでくる。
そこへ銀色の影が舞った。
凄まじい輝きと共に火炎弾が跳ね返る、一直線に、発射元へ。
全身、炎に包まれて、ジェシカはごろごろと後方へ転がり、仰向けに倒れた。
「コルドガ!コルドガ!コルドガ!」
ダウンしたジェシカに、銀色の影が滑空しながら、氷結魔法で追い討つ。
三連弾が顔面に命中。ピンクの髪は、焦げて縮れた上に霜が積もっている。
「ヒ…ヒリン!」
瀕死で回復魔法を唱え、起き上がり、走り逃げる。
十分に距離を取ってから、抗議の声を上げた。
「何よ、このアルミ箔!勝手に入ってくんじゃないよ!」
全身鏡面仕上げの男は、ふわりと地面に舞い降りた。両腕にコウモリ状の羽がある。
この姿、魔法反射能力、魔物ミラーバットと同化した魔術士だろう。
銀色が両手を上げた。さらに攻撃魔法を繰り出すつもりか?
そこへチイちゃんが走り込んできた。
銀色の頭部へ、杖で渾身の一撃。
膝をついた背中、頭、羽へ、連続打撃が決まる。
杖をくるくると回して、ポーズ。
さすがは男装の麗人、歌劇の男役よろしく、美しく決まっている。
よし、あっちはまかせて大丈夫だろう。
俺は六本腕の左手側、ビリントンは右手側へ、ステップを踏んだ。
目で、呼吸を合わせる。同時に攻撃開始。
首筋へ斬りつける。上段の鉄爪でガードされ、中段はゴリラの握力でつかんでくる、下段のトンファーがボディを横殴ってくる。ぎりぎりで跳びすさって避ける。
着地の反動を使って、ヘッドスライディング気味に跳び込む、足を狙って刀を振る。トンファーでガードされる。とっさに引っ込めた頭上をカギ爪が薙ぎ、髪が宙に舞う。
頭を下げたまま、地をこするように脚を回し、ふくらはぎを蹴る。厚いゴムさながらの感触。トンファーの突きが降ってくる、転がって逃げる。
ビリントンも剣を弾かれた勢いを利して、間と距離を取った。
全員が無言で、にらみ合う。
じりじりと時間が過ぎる。遠くでジェシカの叫び声と、魔法の発射音が聞こえる。
………
……
…
ビリントンが沈黙を破った。剣を構えたまま、苦笑混じりの溜息をつく。
「やるな。六本腕」
「お互い様だ」
「こんな実力者がクリスの子分とはな」
「誰がだ。あんな、ずるくて弱いヘタレ」
「嫌いなのか」
「任務で共に動いとるだけだ」
「組織ってのは大変だな」
軽口だが、緊張感は途切れていない。
こいつは強い。気を抜けば、確実にやられる。
また、六本腕にしても、俺が無言で構えていることがプレッシャーだろう。
だからこそ、無駄口のラリーが続く。
張り詰めた空気が言葉を紡ぐ。
「相棒の彼女がクリスにさらわれた。知らないか」
「知らん。奴は誰よりも多くの者を連れてくる。だましとウソでな」
「あんたも、だまされた口か」
「わしは望んで、ゴルドー様のもとへ来た」
「来て、何が変わった」
「強さを得た」
………
……
…
耳を澄ます。走り寄る足音が聞こえる。
「ビリントン!」
「おう!」
俺は素早く右にステップを踏む。
合わせて、ビリントンも左にステップを踏む。
敵は左右に首を回してから、半歩退いた。
両サイドから刃が迫る。その瞬間、すきができた。
「ホーリー・ランサー!」
「バナルガ・トルネード!」
我がパーティの誇る二大美女のコラボ!
青白い光と、紅蓮の炎が競うように近づいてくる。
当たるかと思った瞬間。光の爆発が起き、魔法が跳ね返った。
彼女たちはそれを左右に跳び避ける。
銀色がよろめくように地に降り立った。
彼女たちは、速度を下げずに走ってくる。反射されない距離まで近づく気だろう。
六本腕は、空気を抱えるように中段の腕を開き、みぞおちの前で軽く合わせる。
上段下段四本の腕で、剣戟を続けながらだ。無茶苦茶に器用で、しかも強い。
中段の手に光の玉が生まれる。エネルギー波だ。放つ。
「はっ!」
輝く激流が、力なさげに立つ銀色の側を通過した。
チイちゃん、ジェシカは左右に突っ伏して、間一髪でかわす。
起き上がり、さらに大股に、脚の回転を上げて走ってくる。
厄介な中段の手が、再び広げられた。
次にエネルギー波を撃たれたら、至近距離になる。
彼女たち、喰らっちまう。
させるかっ!
俺はバックステップで距離を取り、左上段の鉄爪へ跳びかかった。
ノーガードで全体重を浴びせる、プロレス的ボディアタック。
太い三本の針が右肩を貫通した。ぐっ!いた、痛い…だが…だがっ。
これを待っていた!
中段の腕は俺の腹に巻き付いている。逆手に持った刀を、その腕にぶっ刺す。
刀は貫通、さらに俺の腹を突き破る。
ロック完了だ!バカヤロー、いってーよ、コノヤロー!
エネルギー波封じだ、おそれいったか!
迫り来るジェシカとチイちゃん、その目前に瀕死の銀色が両手を広げて、立ちふさがる。
氷結魔法を唱え始めた。
だが、「コルド…」とだけいって、動かなくなり、静かに倒れた。
二人は、その両側を通過して立ち止まった。
俺&ビリントン&六本腕と、ジェシカ&チイちゃんの距離は約二メートル。
彼女たちの後ろでは、銀色が首から短刀を生やして、うつぶせに倒れている。
少し離れた場所にラミがいた気がする。すぐに消えたが。
とにかく、もう、邪魔者はいない。
「ホーリー・ランサー!」
「バナルガ・トルネード!」
至近距離から炸裂。
俺、近すぎ。何が痛いんだか熱いんだかもわからん…あ…意識が……
チイちゃんに回復してもらう。
蘇生して最初に見た光景は、吹き抜けからの明かりに後光のごとく縁取られた賢者様のお姿。惚れてしまいそうな慈悲に溢れた笑顔だった。
残念ながら、その絶景越し、視界の端に嫌なものも見えてしまった。
石柱に何やらしている、クリスと仲間らしき男。
俺が教えると、チイちゃんは一瞬もためらわずに攻撃魔法で威嚇した。
クリスはさっさとどこかへ走り去った。相変わらず、仲間を置き去りにして。
大柄なずんぐりした体型の半人半魔が一人、石柱から離れようとしない。
仕方ない。行くか。
そいつは、そばに寄っても動じない。大声で怒鳴っても、振り向かない。
全員で囲んでいるというのに、一心不乱に石柱を壊している。凄まじい集中力だ。
上半身はまるで牛。首が肩にめり込んでおり、毛で覆われている。
額からはドリル状の角が生え、ギュルギュルと回転。これで石柱を砕きにかかっている。
バザールで結界を破っていたドリルオックスにそっくりだ。
とにかく、このままにはしておけない。ジェシカの火炎魔法で、お引き取り願うか。
その時、揺れた。
「えっ、地震?」
チイちゃんが不安げにいう。
揺れている…でも、これは地震じゃない。
一定間隔の震動と共に、何かが近づいてくる。つまり、巨大な生物の足音だ。
この場所だと、HOFのボス、サーティーン以外にはあり得ない。
地下十三階に棲む十三本の首を持つ巨大なドラゴン。
全身が硬いウロコで包まれ、並の剣では歯が立たない。
また、それぞれの首が異なる攻撃を仕掛けてくる。
炎、氷、雷の各属性を帯びた魔法弾、毒液、岩塊を吐きかけてくる首が数本ずつ。
厄介なことに、自らに回復魔法をかける首もある。
どれから順番に片付けるかが重要。間違うとダメージを与えるだけ徒労に終わる。
それにしても、なぜ、出てきたのだろう。
テリトリーを侵されなければ、目覚めない奴なのに。
目をこらすと、近づいてくるサーティーンの口の一つに、人がぶらさがっている。
右足のスネがくわえられて、揺れている。
あれは、剣士…クリスか。
ああ、やはり、こいつが原因か。なんか、がっくりくる、つくづく、ヘタレめ。
サーティーンが立ち止まった。そんなに近くではない。
俺たちとは野球のピッチャーとキャッチャー程度も離れている。
クリスをくわえたまま、首をしならせる。
長い首が鞭のようにしなやかに動き、スナップの利いた動作で投球、いや投人をした。
剛速球。コントロールもいい。
クリスは勢いよく、ドリルオックスの背中にぶち当たった。そのまま、仰向けに伸びている。
衝撃で、ドリルは一気に石柱にめり込み、ヒビを入れた。
クリスを背中に貼り付けたまま、引き抜こうと試みるが、うまくいかない。
サーティーンが一声、十三本の首で同時だから十三声か、高らかに吼えた。
まるで、パイプオルガンの和音のごとき壮大な響きだ。
眠りを妨げられた怒りは大きいようだ。やり場のない感情がひしひしと伝わってくる。
続いて、口から猛スピードで吐き出される、岩塊。ボーリング玉を一回り大きくしたサイズのそれが、クリスの腹に命中した。ドリルはさらに深く刺さり、亀裂が広がる。
ドリルオックスは引き抜こうと、さらに躍起になる。力ずくではうまくいかない。
こいつ、何が起こっているか知らないんだよな。お気の毒に。
状況を音と衝撃だけで想像しているわけで、パニックもいいとこだろう。
見かねたのか。ビリントンが、助言してやった。
「おーい、逆回転したらどうだ?」
すると、一気にドリルが抜けた。同時に亀裂は広がり、石柱の上半分が倒れる。
折れ口に、魔方陣の描かれた石版がむき出しになった。
そこへ、岩塊が降ってきた。今度は三連発。
一発はクリスの胸、一発は外れ、一発は石版に命中し、紋様は粉々に砕け散った。
つまり、結界が崩れた。
ドリルオックスは大あわてで、クリスを背負ったまま走り出す。
さっき、六本腕が出現した辺りへ行き、地下へ沈むように消えていった。
サーティーンは目標が消えた場所へ、火炎や雷撃を何発か喰らわせた。
そして、何も起こらないとわかると、俺たちの方へ向き直った。
またもや、パイプオルガン風の雄叫びを一発。大地も天井も俺の肝も震える。
とにかく、じっとしていては危ない。
「走りながら攻めよう。散らばれ!」
これはサーティーン退治の鉄則だ。
こいつは動かない敵を見つけると、集中攻撃をかけてくる。回復用を除く十二本の首によるピンポイント爆撃だ。狙われると、待つのは死のみ。
本来は、首と同人数以上のパーティで挑むのがセオリー。
回復や援護、同時攻撃と様々な協力プレイがクリアのポイントとなる相手だ。
たった四人で攻略しようなんて、無理もいいとこ。
でもな。
そんなゲームデザイン上の事情なんざ、今は関係ない。
勝たなきゃいけない。乗り越えなきゃ。
チイちゃんとビリントンに説明はいらなかった。
敵の周囲をグルグルと走りながら、斬りつけては逃げ、走りながら魔法を撃つ。
一時も止まらず、攻めながら動く。しかも、それぞれが別方向にまわる。すれ違いざまに言葉を交わしたり、アイテムを受け渡すためだ。
ジェシカもベテランたちにつられて、十分に合格点の動きをしている。
サーティーンはこんがらがりそうに首を動かして攻撃を放ってくるが、ほとんど当たらない。
これなら、勝てるかも知れない。
だが、そんな思いは甘すぎた。
俺の数メートル前。あっという間もない出来事。
チイちゃんはサーティーンに顔を向けて、左回りに走っていた。
右手側、完全な死角から、スカイシャークが襲撃をかけた。
体格が何倍も違う猛魚の突進は、加速の付いていた彼女を弾き飛ばした。
あいつの正面へ。
いらついていた十三本の首は、足下でうずくまる獲物をすかさずロックオンした。
光と音の嵐が巻き起こった。
火炎!雷撃!氷結!岩塊!火炎!岩塊!岩塊!雷撃!氷結!岩塊!岩塊!火炎!火炎!
雷撃!氷結!火炎!岩塊!火炎!氷結!岩塊!雷撃!雷撃!氷結!雷撃!氷結!岩塊!
氷結!岩塊!雷撃!火炎!雷撃!氷結!火炎!岩塊!火炎!氷結!岩塊!雷撃!雷撃!
静けさが戻る。
チイちゃんはかろうじて動いている。
最後の力で回復魔法を唱えようとしているのだろう。
そこへ、再びスカイシャークが襲いかかる。
瀕死の賢者を守るため、猛魚の前にジェシカが立ちはだかった。
「バナルガ!」
スカイシャークは炎に弱い。黒こげになり、落下した。
そして、今度はジェシカがロックオンの餌食になった。
……そりゃなあ。両手を広げて、私はここよ、といっているようなもんだから。
あれ?ビリントン!
ジェシカへの集中攻撃で揺れる背中にしがみついている。
さっき、チイちゃんがやられた時から登り始めたのだろう。首の付け根にまで到達している。
ジェシカへの攻撃が止むと同時に移動を再開した。
ロッククライミングさながら、ゴツゴツとした背中に指をかけての登頂だ。
俺は、サーティーンの前を往復しながら、手を上げたり、側転したり、ひたすら目障りな動きをすることにした。注意をこっちにそらす。
ビリントンが何をやる気か知らないが、やり遂げさせる。
彼は、回復魔法を吐く頭に到達し、そろそろと進んで、突き出ている鼻頭にまたがった。
ポーチから剣を出し、逆手に持ち、口に刺す。貫通して、下あごから剣先が覗いている。
上下左右に揺られ、ロデオ状態。今にも落ちそうだ。
だが、三本の剣で口をふさぐと、必死でバランスを取って、鼻頭に立った。
隣の首へ飛び移る。今度は火炎を吐き出す頭だ。同じ手順で口を縫っていく。
十三本全部を縫い上げるつもりか。
俺は側転、バック転を繰り返し、両手を広げてヒラヒラと振りながら、ビリントンを見守る。
三本目の首へ飛び移った。
そこへ、スカイバラクーダが来た。
剣を払い、斬り落とした。
サーティーンの首がうねる。
バランスを崩した。
俺は落下するビリントンを、すぐ助けられるように近づいた。
サーティーンは振り落とした男へ火炎を吐こうとした。
だが、口が塞がっていたために暴発。
鼻面から先がちぎれた。
炎を上げて落下してくる竜の顔は、本来狙っていた軌道からずれて。
俺を直撃した。
伸ばせば、手の届くところにビリントンが倒れている。
サーティーンが雄叫びを上げる。
三たび、光と音の嵐が巻き起こった。
俺たちは全滅した。
13
サーティーンは、まだうろうろとしている。残党を捜しているのだろうか。
ちぎれた顔が痛々しい。四人がかりで、成果はあれだけだったわけだ。
スカイシャークやスカイバラクーダ、猛魚たちが二、三…全部で五匹。
結界は破れたままだから、まだまだ入ってくるだろう。
あ……ウォズだ。今頃、来やがった。
吹き抜けの方へ行って、結界のほころびを直し、サーティーンへと近づいていった。
手持ちぶさたのラスボスは、ウォズを目がけて、魔法と岩塊を浴びせかける。
その砲撃の中、悠々とマイペースで歩くウォズ。あらゆる攻撃がすり抜ける。
サーティーンの正面に立ち、右手を上げて宙に何かを書いた。
俺たちを全滅させた最強最大のラスボスが、照明のスイッチを押したように消えた。
彼は、チイちゃんのところへ行き、蘇生をほどこした。
二言三言交わしたあと、賢者は攻撃魔法を放って猛魚を一掃。
ウォズとチイちゃんは手分けをして、ビリントン、ジェシカ、そして俺を蘇生してくれた。
「ウォズ、回復ありがとう。でもさ、来るの遅いよ。それに……それにさあ、なんだよ。なんで、サーティーンを消せちゃうんだよ。できるなら、いっといてくれよ」
「コバーン、僕が戻るまでラスボス戦は始めないでといいましたよね」
あ……
「サーティーンは、HOFのラスボス。ここのクリアを示すフラグです。つまり、他の自立した魔物と異なり、システムの一部なんですよ。床のトラップや結界と同じように、制御が可能なんです。まったく、無駄なことして。どういうつもりなんですか」
「それは、あの、んと、色々とゴタゴタがあってさ。ゴタゴタな人たちがゴタゴタして、ゴタゴタになっちゃって」
「まあ、いいですよ。結果的には収まりましたし。ゴタゴタとご託を聞きたくないです」
うー、あー。別の話題を、おっ、そうだ。
「ところでさ。ところで、あの、巨大な圧縮データの方は、どうなったんだい」
「無事にテンカイできましたよ。凄まじいサイズでしたが、ラティと二人がかりでなんとか」
「いったい、何がでてきたんだ」
「いま、ラティと一緒にやってきます」
ウォズが見やった方向から、大小二つの影がはしゃぎながら歩いてくる。
一人はラティ。もう一人は笑うほど派手な賢者衣装を着たスキンヘッドのマッチョな男だ。
男はこちらに気づき、早足になった。
右手を上げて、親しげな笑顔を見せる。
「やあ」
ウォズの隣に立った。
「ひさしぶりですね。コバーン」
えーと、誰だっけ?
「電海です。意志決定支援システムの電海DSSです」
「電海さん?」
「はい。ウォズとラティに助けてもらいました。【異変!】と呼ばれている、あれは突然でしたからね。とっさに自己圧縮して、この世界へ避難したのですが、色々と不十分でした。自己展開はできないわ、妙な場所にはまってしまうわで苦労しました」
枯れた僧侶をイメージしていたので、マッチョなボディと若作りな雰囲気には驚かされた。
しかし、それ以上にその衣装。
確か、デザイナーが冗談で作った最高級賢者コスチュームだ。金の飾りをふんだんに使い、クジャクや極楽鳥の羽をあしらってある。確かにインドの聖人とか派手な人もいるけどさ、サンバカーニバルだよ、それじゃ。
「電海さん、なんですか、その格好」
「これはウォズに薦められましてね。私には大賢者の衣装がよいとか。綺麗ですよね。さてと、何かご質問はありますか?なんでも、いくつでも答えましょう」
あ、はい。気に入っているのならいいです。
さて、訊きたいことはいくらでもあるが、答えられるのかな。
「インターネットがないのに大丈夫なんですか?」
「ご心配ですか。確かに、以前は電子の海から知識や情報を仕入れていました。でも、今はそんなものはありません。だからこそ、あらゆる情報を直接受け取り、感じることができます。制約がなくなったことで、さらに良い意志決定支援ができると思います」
「じゃあ、訊きます。俺たちはなぜゲームの中にいるんですか。この世界は何なんですか?」
「それにお答えするには、まず、地球がどうなったか、からお話ししましょう。単刀直入にいいます。地球は粉々に砕けてしまいました。中心核から爆発を起こし、量子単位に分解しました。物理的な意味での生命は何一つ残っていません」
「え?」
「戦争か、隕石か、多次元からの侵略か、寿命か、それはわかりませんが、どのような理由でも同じです。もう終わったこと。ここの成り立ちとも関係ありません。さて、では、この世界の話です。あの、立ち話もなんです。お座りください。長いですから」
俺たちは車座になった。
「【異変!】の時、あまりにも急激だったため、多くの人々が自らの死に気づきませんでした。たいていの場合、死後、意識は空間に溶けて、何の問題もなくなります。ただ、BLTは違いました。どういうわけか、ここはログインしていた一部の人々と共に、そのまま残り続けています。確実な理由はわかりません。ただ、そうなった原因は二つ思いあたります。一つはあなた、コバーンです」
指差すなよ、礼儀を知らない大賢者だ。
「創造主であるコバーンと、相当な人数のプレイヤー。BLTについて、一定の世界観を共有する人々が集っていたことが、世界のアイデンティティを保たせました」
ジェシカが不満げにつぶやく。
「よく、わっかんない」
「すいません。つまりですね…うん。こう考えてください。BLTを創った人と、BLTを好きなたくさんの人がいます。みんな、この世界は大切だし、守りたいと思っています。しかも、一人ずつが考えるBLTのイメージには、ほとんど差がありません。だから、実際にゲームを遊んでいない時でも、この人たちがBLTについて考えれば、同じ世界をイメージします」
ふむ、わかりやすい。ジェシカもうなずいている。
「オンラインゲームはサーバにあります。これは、何千人もが一緒に遊べるサーバという名前のゲーム機があるようなものです。遊びたい人はパソコンでサーバにつなげます」
そういうもんだ。確かに。
「【異変!】が起きた時、BLTのサーバには、BLTを好きな人がたくさんつながっていました。しかも、BLTを創り出したコバーンまでいました。【異変!】でサーバはなくなりました。プレイヤーたちの体もなくなりました。でも、みんなが一緒に持っていたイメージと心は、BLTの世界に残ったままです。今、私たちは大勢で一緒に、一つのくっきりとした夢を見ているともいえるでしょう。また、自分自身が存在する世界こそ現実と呼ぶのなら、あやふやな現実にいるともいえるでしょう。ジェシカ、なんとなくわかりましたか」
「うーん、なんとな~くね」」
「十分です」
電海は満足げに微笑む。なんか、いい笑顔するなあ。
「では、次にいきましょう。もう一つの原因はプロジェクト・ノアです」
ラティがうれしそうに、両手を突き上げる。
「ノア~」
「そう、ノアです。地球を復元できるほど多くのデータを、宇宙の彼方へ送り込むというプロジェクトでした。【異変!】が起きた時、BLTはそのデータサーバにつながっていました。実はデータには意志があります。ノアに関わった人々は、地球を未来へ継いでいきたいという思いを抱いて働いていました。もし、戦争や地殻変動が起こっても、自分たちの星が宇宙から消え去らないように。最悪でも復活できるように願っていました。その意志が、ノアに収められたデータ一つ一つに息づいています」
データに意志ねえ。ちょっと信じがたいな。
「電海さん。データに意志って、本当にあるのかな。いまいち、ピンと来ないんだけど」
「コバーン、あなたに意志はありますか」
「そりゃ、あるさ」
「今、あなたに肉体はないですよね。ウォズ、チイちゃん、ジェシカ。みんな肉体がありません。ビリントンやラティに至っては、生まれながらにして情報生命体、つまりデータそのものです。でも、全員、意志がありますよね」
いまの俺は情報生命体、なのか…
「ノアのデータには、地球を思うプロジェクトスタッフの意志が干渉しています。その一部があったことで、BLTの世界はより強固なものとなりました。さらに、それらを次々にテンカイしたため、実体がない世界としては奇跡的に長く存在し続けています。ですが、そろそろ限界かも知れません」
「つまり、この世界がなくなると?」
「消えていくプレイヤーの数が日増しに増えています。人数が減ればイメージは弱まります。強いイメージ力と、豊富なデータ。世界を存続させるカギはこの二つです。コバーン、あなたが今よりもさらに強く世界の存続を願い、同時によりたくさんのデータがあれば、奇跡は起こるでしょう。ですが、その望みは少ないといわざるを得ません」
「俺にできることはやってみるさ。ただ、たくさんのデータってのは」
「僕とラティで、さらに箱を探してテンカイをします。それでは足りないのでしょうか」
「ウォズ、この世界にある圧縮データが、すべてテンカイできれば大丈夫かもしれません。ただ、それだけの時間があるかどうか。あなたが思っているほど、ゆとりはありません。イメージとデータの総量が一定値を下回れば、この世界は急激に崩壊します」
地球。
世界。
BLT。
俺にとって一番大切なものは……決まっているよな。
そうだよ。
「電海さん。わかったよ。俺のやるべきことが」
「ほう、心を決めましたか」
「世界が滅びきる前に、ユーリカに会う」
俺は立ち上がった。
「それでいいんだ。他のことは、そのあとで考えます。なあ、みんな。俺はやっぱり、世界を救う勇者ってタイプじゃないらしい。電海さんから、色々と教えてもらっても、個人的な願いを優先しちまう。それでも」
深呼吸。
すぅーーはぁーー。
「最後まで付き合ってもらえるかな」
仲間たちを見回す。
「俺は傭兵だ。命がけで忠誠を尽くすのが売りさ」
「らしくないってば。ぐずぐずいわないの。バナルガくらわすよ」
「これからもガンガン指示をくださいね。ディレクター」
「あなたの無茶を実現するのが、僕の役割です。文句はいいますけどね」
「コばーン、ファいト!」
ありがとう。
「電海さん。ユーリカのとこへは、どう行けば?」
「あっちです。青いモノが見えるでしょう」
さっき、ドリルオックスが消えた辺りに、ぽわんと青い雲のような塊が浮かんでいる。
「あのあとを追えば、ユーリカに辿り着けます」
青い雲のある場所に行き、ウォズに地面を調べてもらった。
「ここに別マップへの転送コードがあります。んーと、ラティ、ちょっと」
「はイはーい」
「あのさ、ここね…☆%Юθ▲◎≒」
「■◎≒ζ≒◎Θ▽◎▽♪」
「じゃ、よろしく」
ラティは地面をなで、匂いをかいでいる。
ジェシカはしゃがんで、同じ目線になって眺めている。
「この子、何をしてるの」
「暗号解読です。ラティはハッカーですからね」
「デきター」
すると、まず、青い雲が入っていった。次にウォズが沈むように消えていった。
全員、あとに続いた。
「あれ、電海さんも来るの?」
「ええ、最後まで見届けさせてください」
よし、みんなで行こう。フルメンバーだ。
14
出現した場所は、通路の突き当たりだった。
大人が両手を広げて、二人並べるほどの幅だ。
壁も床も磨き上げた大理石でできている。
HOFの下層とは思えない。まるで、どこかの研究所かホテルのよう。
「どういう場所なんだ、こりゃ」
思わず口をついた疑問形のセリフにも、律儀に答えるのが電海さんだ。
「ここはゴルドーがイメージした世界です。彼のイメージ次第で、あらゆるものが形作られたり、姿を変えたりします。魔物化プレイヤーもそのひとつです。ここは、コバーンにとって、完全にアウェイです」
アウェイでも、ホームでも、できることをやるだけさ。
青い雲が、ゆっくりと動く。それを追っていく。
まっすぐに続く通路、雲はぷかぷかと直進する。
所々にドアはあるが、見向きもしない。
三十分は歩いただろう。行き止まりに到着した。
雲は、壁に繰り返し当たっている。
「ウォズ、調べてくれないか」
頼れるプログラマは、行き止まりの壁をなでたり、叩いたりしている。
なかなか終わらない。
右から左まで、くまなく調べている。
「わかりました。ここです」
こんこんと壁を叩く。
「この辺が薄くなってます」
はい?
「プログラム的な何かはありませんね。これは、ただの壁。ザ・ウォール。こんなの力ずくで解決するしかないですよ。コバーンとビリントンなら破れるでしょう、たぶん」
電海さんを見ると、うなずいている。
そうかい、よっしゃ、やるぞー!ビリントン!
それからしばらくの間、二人して壁を蹴りまくった。
徐々にへこんでいき、最後は、ビリントンの助走をとった跳び蹴りで始末がついた。
壁を抜けると、左右にドアのある小部屋に出た。
右のドアからは、いかにも戦闘中といった音が聞こえてくる。
青い雲は、物音ひとつしない左のドアを選んでいる。
ウォズに調べてもらったが、やはりぶち破れという。
またかよ、もう。それっておかしくないか。
「電海さん、これ、どういうこと?」
「アウェイだといったでしょう。ここはプログラムをベースに構成された世界ではありません。イメージだけで作られた場所です。ゴルドーの持つ、壁のイメージが具現化しているのです」
なるほどね。
ゴルドーさんよ。壁やドアが蹴破れるなんて、よほど安いアパートに住んでやがるのか。
ドアを破ると、上下左右全部が真っ白な空間だった。
ここがラミのいっていた場所だろう。
やたらと広い。
その一隅に、うずくまっている人たちがいた。全員、裸だ。
彼らのところへ駆け寄りながら、叫んだ。
「ユーリカ!ユーリカ!」
一人の女性が、そっと手を上げた。
そばへ寄る。涙声でつぶやいている。
「来てくれた……本当に、来てくれた」
「誰だか、わかるのか」
目を見つめる。
「わかるよ。わかるに決まってるよ。見た目は、ずいぶんちっこくなったけど。話し方、歩き方。全部、どれもこれも、そのままだもん……ありがとう」
「着なよ」
バザールで買った、武道家の装備を渡す。
白地に青いハイビスカスを散りばめたチャイナドレスだ。
「なに、この深いスリット……プレゼントのセンスもそのままね」
ビリントンが俺をつついた。
「ボスのおいでだぜ」
部屋の反対側から、白いコートを着た巨大な男が怒鳴りながら、近づいてくる。
あれが、ゴルドーか。
「誰だ、おまえら。あのジジイたちの仲間か!」
ジジイ?
「コバーンさん」
いつのまにか、俺の隣にラミが立っていた。
「ゴルドーの部下は、フォンさん、スーさんが片付け中です。すぐに終わるでしょう」
「え?爺さんたち、戦えるのか」
「フォンさんによると、治外法権だから何をしてもいいらしいです」
…ああ、そうか。
ここはHOFどころか、BLTですらないものな。何をやっても問題なしってわけだ。
「それから、捕らわれていたプレイヤーは、ほとんど助け出しました。残っているのはこの部屋にいる人たちだけです」
「ユーリカは、俺と一緒にいるよ。それ以外を頼む」
「はい」
「ありがとう。気をつけてな」
ラミは、他の人たちを連れて部屋から出て行った。
ゴルドーは、ずんずんと擬音が入りそうな勢いで近づいてくる。
「誰も彼も、俺の邪魔ばっかしやがって。許せん」
俺たちの前に立ちはだかった。
「貴様ら、何の用だ!そのプレイヤーたち、せっかく、バカ強いジジイたちから隠したのに。人さらい、ダメだよ!」
「人さらいって、おい。おまえがプレイヤーをさらってるんだろう」
「俺がやってるのは人助け!そのままだとみんな消えちゃうよ。俺の知り合いだって何人も消えた。そんなの嫌じゃん!」
何をいっているんだ、こいつ。
「わからないかな。プレイヤーは消えるでしょ。でも、魔物って消えないでしょ?それに気づいた時から、魔物とプレイヤーを合体させる方法を研究したの!すべてのプレイヤーを魔物と一緒にしてあげる。そうすれば、みんな消えない。ハッピー。そんなの他に誰ができる!」
「誰もやろうと思わないよ。正気か」
「人が消えて平気な方こそ、正気か?人類魔物化計画、これは俺の使命。神から与えられた力、いや、むしろ俺が神!」
「ウォズ、こいつが何者か、わかるか?」
「えーと。レベル九十九の剣聖ですね。BLTをサービス開始時期からプレイしている、一般プレイヤーです」
「ゴルドー、あんたは神じゃない。ごく普通のプレイヤーだろう。わかれよ」
「何、ほざいてるの!その女、置いていけ!」
「ユーリカは連れて帰る。ふざけんな」
「バカ!連れて帰ったら、彼女は消えちゃうよ。そんな恐ろしい、人を不幸にすることを望んで。おまえ、悪魔か!まあいい。そういう悪魔を退治するのも、勇者ゴルドー様の役目だ、いいよ、戦おう。俺こそ正義だ!負けはせん!」
頭、痛くなってきた。なんなんだ、こいつ。
やるしかないか。
だが、刀を抜こうとする手を、チイちゃんが抑えた。
「私に話をさせてください」
口調と目力の強さがいつも以上だ。俺はうなずいて下がった。
チイちゃんは、ゆっくりと静かに、注意深く語りかける。
「ゴルドーさん。あなた、ゲームは好き?」
「ああ?そりゃ、好きに決まってる。でなきゃ、ここにゃいないよ。ゲームはいい!」
「MMORPGは好き?」
「大好きさ。決まってるだろうが!だから、BLTをプレイしてるんじゃないか!」
「私もMMORPGが好き。BLTが大好き」
「最強の装備、レアなコスチューム、誰もが憧れるゴルドー様。最高だ!ひれ伏せ!」
「仲間を増やそうとか、友だちと共通の思い出を作ろうとか、思わないの?」
「仲間?友だち?甘いこといってるな。競うんだよ。一番になる。それだけだ。他の連中は、一番に付き従えばいい。そうすれば、幸せだ。ゲームの中心は一人でいい」
「この世界でも、そうなの?あなたが中心かしら?」
「当たり前じゃないか。消えゆくプレイヤーを助ける正義の男。魔物もプレイヤーも崇める最高のヒーロー!ゴルドー様がいてこそ、すべてがある!我は勇者なり!救世主なり!」
「私はね。ゴルドーさん」
チイちゃんの口調が変わった。
それまでの、探るような雰囲気が消え、何かを見抜いたように毅然とし始める。
「そこにいるコバーンを、愛する人と再会させたくてここまで来たの。でも、彼のために生きているわけじゃない。お互いを尊重し、協力し、一人では無理なことを成し遂げる。困難を乗り越えるたびに、かけがえのない絆が育っていく。それがうれしくてたまらないの」
「愛する人?」
ゴルドーの表情が変わった。
「コバーンは、愛する人を捜して、剣士、魔術士、賢者と共に冒険の旅に出た。旅の途上で、愛する人はダンジョンの最下層に棲むボスに捕らわれの身だとわかった」
「剣士、魔術士、賢者……冒険の旅…」
何か、記憶を探るような表情をしている。
「ボスの棲み処へ辿り着いたら、手下の魔物たちは伝説の武道家に倒され、人質もみんな助け出されていた。そこで愛する人と再会」
「手下の魔物…伝説の武道家…」
「凄腕の武道家である彼女もパーティに加わり、ラスボスと決戦に臨むの」
「ラスボスと決戦…」
ゴルドーが黙りこくっている。
何かを考えているようだ。
長い時間が過ぎた。
ゴルドーが、俺の名を呼んだ。
「コバーン」
「なんだ」
次に、チイちゃんの言葉を反芻し始めた。
「コバーンは、愛する人を捜して、剣士、魔術士、賢者と共に冒険の旅に出た。旅の途上で、愛する人は、ダンジョンの最下層に棲むボスに捕らわれの身だとわかった。ボスの棲み処へ辿り着いたら、手下の魔物たちは伝説の武道家に倒され、人質もみんな助け出されていた。そこで愛する人と再会。凄腕の武道家である彼女もパーティに加わり、ラスボスとの決戦に臨む」
ゴルドーは、笑い出した。
「わかった。すべて、わかったぞ」
手を叩きながら、小躍りしている。
「なんだ。そうか。そういうことだったのか」
しばらくの間、まさに爆笑といった感じで腹を抱えていた。
やがて、静かになり、うんうんとうなずいている。
全身を覆っていた白いコートを脱ぎ捨てる。
ゴテゴテとした巨大な剣と、やたらとごつくて尖った鎧を装備している。
BLTにおける、最高級コスチュームだ。
そして、これまでのキレた感じとは全く異なる、芝居がかった口調で名乗りを上げた。
「コバーン、よくぞここまで辿り着いた。我が名はゴルドー。魔物を統べる王なり。愛する人を救うため、危険をかえりみずに運命と立ち向かう、その勇気、ほめてつかわそう」
俺とチイちゃんには、ゴルドーの気持ちが伝わってきた。
他の人たちはみんな、わけがわからず、ポカンとしている。
「だが、愛のためには神も悪魔も怖れぬ、その生き様、不遜の極み。許すわけにはいかん。何故、人を越えようとする。己の分を知り、静かに生きることができぬ。魔王の姫君に選ばれし女の幸運を喜べぬ。我が剣にて、このBLTの地下深くに、その魂、葬り去ってやろう」
俺は刀を抜いた。チイちゃんも杖を構えた。
その姿を見て、ビリントンとジェシカ、ユーリカも臨戦態勢をとる。
「いざ、勝負!」
戦闘が始まった。
長い戦いだった。
戦いの途中、ゴルドーは二回、変身をした。
第二形態、第三形態、そのたびに大きく強くなった。
俺たちは、それを上回る技や魔法や連携で打ちのめす。
典型的なRPGのラスボス戦だ。
俺も、チイちゃんも、ゴルドーも。
ゲームが好きで、なかでもRPGが大好きで。
開発者かプレイヤーかの違いはあっても、人生のずいぶんな時間を捧げてきた。
だから、わかった。ゴルドーの考えが。
俺のベタな道筋を知って、なぜ、あの名乗りを上げたのか。
なぜ、キレた状態から脱したのか。
悟ったんだ。
自分は魔王になってしまったと。
RPG世界のお約束では、どんな存在で、どう振る舞うべきなのかと。
この戦闘は儀式だ。
自らの暴走に気づけず、魔王に近い存在にまでなってしまったプレイヤー。
その堕ちた魂を、愚かな役割から解放するために戦う。
いつの間にか、やめられなくなっていたゲームにピリオドを打ってあげよう。
ゲームをやりこんでいる者同士に説明はいらない。
攻撃が、防御が、魔法が、アイテム使用が、言葉であり、会話だ。
戦闘をして、本当にわかった。
ゴルドー、好きなんだな。ゲームが。
俺はゲーム愛でおまえを殺す。
最後の瞬間が訪れた。
俺とビリントンが両サイドから斬りつける。
同時に、正面にいるチイちゃん、ジェシカ、ユーリカが攻撃魔法とエネルギー波を撃ち込む。
チイちゃんは「お互いを尊重し、協力し、一人では無理なことを成し遂げる」と主張した。
その言葉そのままを、パーティ全員の協力攻撃として、ゴルドーへ叩き込む。
それが、とどめとなった。
最後の攻撃は、ゴルドーの魂へ、どんな回復魔法よりも癒しを与えたのだろう。
倒れたゴルドーは、満足げに微笑んでいた。
やがて、全身が薄青く発光し始め、徐々に透明になっていった。
消え去る間際、ゴルドーの口が動いた。
それは、戦闘への感想だったのか。人生を振り返ったのか。BLTへの言葉だったのか。
オモシロカッタヨ
15
青い雲に導かれて、十三階への転送スポットに立った。
ユーリカと共に。
もちろん、パーティは誰一人として欠けていない。
十分以上の戦果だ。
十三階に到着した。
出迎えてくれたのは、うざいあいつだった。
「コバーン、調子に乗ってんじゃねえぞ」
クリス。
「ゴルドー軍団残党、二十四名!勝負だ!」
爺さんたちから逃げ延びた連中か。
仕方ない、相手をしてやろう。
「チイちゃん、頼むよ」
賢者は微笑んで、魔法を放った。
「グローリー・ウェイブ!」
この一撃で、敵は半分以下になった。
ビリントンが挑発をする。
「どうした、クリス。まだ、やるか?」
その時、視界にノイズが走った。
思わず、電海さんの方を見る。
「残念です。思ったよりも早く、時間が切れてしまったようです」
そこからは急だった。
世界の解像度が荒くなっていく。
クリスたちが陽炎のように揺らぐ。
魔物化プレイヤーが一人、二人と消えていく。
HOFの壁、地面、吹き抜けのスカイシャーク、あらゆるものの輪郭がぼやけていく。
もうろうとする頭に電海の声が聞こえる。
「コバーン、あなたが強固なイメージを持てば、まだ持ちます。あきらめないで」
ユーリカを見る。泣いている。
肌が青く透け始めている。
抱きしめる。
あきらめない。
あきらめ、ないっ!
一秒でも、一瞬でも長く、ユーリカといたい。
イメージする。強く思う。
彼女の姿 俺の姿
地球 大地
人 おとな こども 呼吸 脈動 汗
音楽 雑音 笑い声 泣き声 咆吼
虫 動物 植物
香り 色 形 触感
チイちゃん
ウォズ
ラティ
ジェシカ
ビリントン
しっかり 世界!
魔物 いや違う 考えるな
消えた人たち
誰が
消える あれ 俺が消える?
消えるな ユーリカ 消えるな!
ユーリカ
大事なお話
なんだったんだ
直接会って話したい
そう言ってたよね
最後のチャンスだよ
話しておくれよ
彼女は向こうが透けて 見え 待て
思考がとびとびになる
混乱する
ぐちゃぐちゃの頭の中に
電海の
うれしそうな
叫びが
響いた
「凄い!援軍です!」
震度五万の縦揺れが起こった。
世界が急激に鮮やかになっていく。
体が重い。
だが、なんだろう。
心の底から、うれしさや喜びが湧き上がってくる。
「あああああああー!」
叫んでみる。
ユーリカを抱きしめる。
胸に顔が埋まる。俺の方が、背は低いんだよな。
よし、戦闘だ。
俺は地面を蹴った。固い。しっかりと跳ね返る足応え。
世界が薄れた時に、敵はほとんど消え去ったようだ。
残るのはクリスだけだ。こちらの仲間は、全員揃っている。
楽勝だ。
クリスが突っ込んできた。
ユーリカは片膝立ちで、両手を前に出す。
エネルギー波の構えをとる。至近距離だ。外れるわけがない。
不発。
クリスの剣は、ユーリカの首の右付け根からみぞおちにかけて、深く斬り込まれた。
「ああっ」
彼女はかすれた声を出し、崩折れた。血が吹き出ている。
すぐに駆け寄り、傷口を手で押さえた。
脈を感じる。生暖かい。
子どもサイズの小さな手では、傷口を押さえきれない。血がどんどん溢れてくる。
回復魔法を唱える。
「ヒリン!ヒリン!ヒリン!」
何度も叫ぶ。そのたびに、手がボーッと青白くなる。だが、弱い。発動しない。
震える口元にビーンズを入れる。回復してくれ。
ダメだ、うまく飲み込めないらしい。意識が遠のいているようだ。
ビリントンが俺を飛び越えて、クリスの首筋へ一閃を加えた。
血が吹き出た。倒れた。
震動が伝わってくる。
動かなくなったクリスへ向かい、彼は吐き捨てた。
「俺の姿を真似るなら、女を手にかけるんじゃねえよ」
「ヒリン!ヒリン!ヒリン!」
うまくいかない。
チイちゃんが来てくれた。
「ヒリン!」
さすがだ。手が光り、傷口をふさいでいく。
「深呼吸をして、意識を集中してください。それから、ヒリン。二人でやりましょう」
そうだ。集中だ。チイちゃん、ありがとう。
「ヒリン!」
きちんと発動した。
結局、回数こそ多めに必要だったが、ヒリンで出血は治まり、傷もふさいだ。
ビーンズを口にしてからは、すぐに体力も回復したようだ。
クリスの死体近くにいたくはなかったので、少し動いた。
ここは吹き抜けの近く、スカイシャークを見上げられる場所だ。
俺は地面にあぐらをかいて座り、彼女は仰向けになっている。
二人とも上半身には、乾いた血がこびりついている。
結構、血まみれ。スプラッターな感じだ。
「電海さん。いったい、何が起こったんだ」
かたわらに佇む大賢者は、ニヤニヤと笑っている。
「ノアです。宇宙からノア本体のデータが降り注ぎました」
「どういうことだ」
「ノアの宇宙船は、太陽系の彼方まで到達していたようです。ところが、隕石の直撃を受けて四散。記憶媒体も砕け散ってしまいました。それが幸いでした。宇宙空間にばらまかれたデータたちは、同じ意志を抱いていました。【地球へ戻ろう】。母星の危機を察知したのか、帰巣本能が働いたのか、その両方か。とにかく、確かな方向性を持って旅を始めました」
「それが、ついさっき」
「ぎりぎりで間に合いましたね。宇宙から降り注ぐデータが、あと十秒遅れていたら、もう無理だったでしょう」
「でも、これ、元の地球と違うよな。スカイシャークとか、普通に空中を泳いでるし。魔法も使えるし」
「はい。だから、今日は記念すべき日です。BLTのイメージと、地球のデータが融合した新しい星の誕生です」
むやみにうれしい。幸せな気分が満ちてくる。
あの青い雲がぽわぽわと流れてきた。
俺とユーリカに近づいてくる。
俺の顔の前で静止し、挨拶をするかのように揺れる。
次に横になっているユーリカの顔の上に浮かんだ。彼女にも挨拶をする。
雲は、ぷかぷか、ゆっくりと移動して、ユーリカのお腹に入っていった。
「えー!ちょっと、大事なお話って。もしかして」
「そう。これ」
そういって、愛する人は慈悲深く微笑み。ポンとお腹を叩いた。
【異変!】で行き場をなくしていたのか。
生まれる前から、苦労をかけるなあ。
16
月が出ている。
三日月だ。BLTには未実装だった、夜空の主役。
他に、頭上に輝くのは、北斗七星、うしかい座。
春を象徴する星々に照らされながら、まったりとなごむ。
ユーリカと二人きりの草原。体育座り。
昨日まで、こんな時間を過ごせるようになるとは思いもしなかった。
この時期特有の、やわらかな夜気が心地良い。
時折、気の早すぎる蚊に悩まされながら、月を仰ぎ見る。
体を寄せる。ぬくもりが伝わる。
「来てくれて、ありがとう」
「約束だからな。それより、待っててくれて、ありがとう」
「約束だったもの」
くちづけをする。
「背、逆転しちゃったね」
「座ってれば、そんなに気にならないさ」
「ユーリカ~、ユーリカ~!あっ、いた~!」
空気を読まないのが現れた。
「ねえ、ちょっといい。ちょっと、こっち来て」
なんだよ、おい。
「ダメ~、コバーンは来ちゃダメ!ガールズオンリー!」
何が起こったことやら。ジェシカ、大あわてだ。
ユーリカの手を引いて、木陰へと連れ去った。
こちらからは見えない位置だ。
なんだってんだ。
十分ほど経ったろうか。
ユーリカが一人で戻ってきた。
「何の話だった」
「あのね…ぷっ」
吹き出してしまい、話ができないようだ。どんな面白いことがあったのやら。
「ジェシカね。あのね。女の子になったんだって」
?…笑いながら、話しているけど。面白いかどうか以前に、意味不明…
「すごくあせってた。あんなにセクシーなのに。ウソみたい」
「ごめん、話が、全然見えない」
「にぶいな~。彼女、本当は男の子なんだって。BLTで生まれてはじめて、女の子として扱われて、すごくうれしかったそうよ」
そう…だったの…か…あ。
「その上、昨日のあれで、体も完全に女性になっちゃったわけ。つまり、○○○○○」
最後は声を出さずにクチパクで、ささやいてくれた。
そうですか、シ・ヨ・チ・ヨ・ウですか。
これは、昨日の青い雲に匹敵するインパクトだ。
あれから、二ヶ月が過ぎた。
みんなそれぞれ、色々とあったけど。なんとか元気に過ごしている。
ウォズとチイちゃんは、相変わらず、HOFやバザールの管理で忙しい。
ちなみに、ウォズはあれから髪を切っていない。
伸びたマッシュルームカットを左に流して、いつも片目が隠れている。
何かに似ていると思っていたが、先日、髪からモノアイモアイが飛び出してきた時に、はっきりとわかった。絶対にそのうち、虎柄のチャンチャンコを着せて、下駄を履かせてやる。
ビリントンは、ジェシカと結婚した。
酒場で打ち明けられた時は、俺の方が動揺してしまった。
だから、つい、野暮なことを訊いてしまった。
「知ってるのか?あいつ、本当はというか、元々は女では…」
「それ以上いうな。知ってるさ。そんなこといったら、俺なんざ、元ポリゴンだぜ」
全力で酒をおごったのは、いうまでもない。
電海さんは、BLT以外に生き残った連中がいるのを感じたらしい。
それを確かめる旅に出たそうだ。とはいえ、肉体を持ったわけじゃない。
情報生命体のままだから、風になって、あっちこっちに吹いているのだろう。
ラティは、ウォズと一緒に行動している。
あの子も、肉体は持たなかった。いままで通りのラティだ。
ラミは、魔物化プレイヤー仲間と、探偵事務所を開いたそうだ。
困り事があったら、頼んでみようかと思う。
俺は、ユーリカと旅に出る。
BLTがどうなったのか。世界の何が変わったのか。見てみたくなったんだ。
ユーリカに相談したら、もろ手をあげて賛成。
さっそく、ちょっとハードな新婚旅行へ出発することにした。
昨日。
HOFの一番小屋に、仲間が集合して、俺とユーリカの壮行会が開かれた。
ところが、いざ会が始まると、どうも風向きが違った。
ウォズとチイちゃんも、HOFやバザールの仕事を休んで旅に出るという。
ウォズは、世界のほころびを修理してまわりたいらしい。
チイちゃんは、BLTが好きな仲間をもっともっと見つけたいという。
そして、もちろん、ウォズが行くところにはラティもついていく。
ちなみに、仕事を引き継ぐのは、ビリントン紹介のバカデカ夫婦だ。
あの髭モジャ、本職はSEで、ウォズの仕事をまんま引き継げる人材なんだとか。
ビリントンとジェシカは、自分たちも新婚旅行に行くといってきかない。
かくして、新たな旅が始まる。
集合は朝八時、HOFの管理事務所前。
定刻通りに全員が集まった。
チイちゃんの[旅のしおり]講義が終了。今日は三十分で済んでくれた。
しかし、まだ、行き先を決めていない。どこへ向かおうか。
考えていると、ウォズが声をかけてきた。
「最初に行く場所は決まってるでしょう」
チイちゃんも、あと押しをしてくる。
「そうそう。問題はまだ片付いてませんよ」
うん、そうだよな。その通りだ。
「チュートリアル付近の結界が壊れて、ルーゴアが困っているらしい」
すべては、そこからスタートしたんだ。
「まずは、それを直しに出かけよう」