学校のピアノ
学校のピアノ
今年の夏季休暇の時に久しぶりに実家に帰る事にした。僕たちが通っていた地元の小学校が、少子化の影響で廃校になることが決まったようなのだ。そこで、最後に学校に集まって同窓会をやろうという提案が友人から持ち上がり、僕もその連絡を受け帰郷する事にしたのだ。
うちの会社はお盆の時期に約1週間の夏季休暇がある。いつもは妻と二人で温泉旅行に行くのが常であるのだが、今年は二人で僕の田舎へ行く事にした。1人で行くから良いよと言ったのだが、私も行きたいと妻が言ってきたのだ。結婚当初、一度僕の実家に来た事があるが、それ以来だ。急にどうしたんだと尋ねると、あの素朴な田舎の自然がまた見たくなったのということだった。
僕の田舎はT県のK町の外れだ。実家の片側は小さな山になっていて、その斜面の中間にお寺がある。このお寺の裏手に実家のお墓もあるので、急な細い山道を登ってお墓参りに行くのが大変だった。そして、実家の反対側には渓流が流れている。山奥の川なので水は澄んでいて綺麗だ。子供の頃は、よくこの川で水遊びをしたり、西瓜を冷やして食べたりしたものだった。
父は早くに亡くなってしまったが、還暦をとうに越えた母は、まだ元気である。電話やメールで連絡はとっているが、こうして顔を合わせるのは久しぶりなので、母は大喜びで僕たちを歓待してくれた。妻が持ってきた好物の大納言の羊羹の効果もあっただろうとは思うが……。
この日は、川のせせらぎの音をBGMにビールを飲んで、早々に床について寝てしまった。
翌日、同窓会の会場である母校に向かって僕は歩いていた。妻も途中まで一緒に来たけれど、名所の女陰岩を見に行くと言って、川の方に降りる道を歩いていった。
妻と別れてから、田舎の道をぽくぽくと歩き、だらだら坂を登った上に小学校はあった。僕らが通学していた頃は木造の校舎だったけれど、今では鉄筋に建て直されている。それでも都会の小学校と違い、2階建ての小ぢんまりとした校舎はあの時の大きさのままだった。
・・・この銀杏の木はまだあるんだ ・・・
校庭の真ん中にでんと聳える銀杏の大木は、その実を炒めて先生が食べさせてくれたっけ。僕は懐かしく思い出していた。
「おい、ユウジ 」
いきなり声をかけられて驚いて振り向くと、そこには僕と同年代の男が二人いた。だけど、申し訳ない事に僕は二人が誰なのか咄嗟に思い出せなかった。
「ユウジで、いいんだよな? 」
どうやら向こうもはっきり僕とは分かっていないようで、僕はおかしくなっていた。
「ああ、そうだよ そっちは、コウイチとカズヒコか 」
僕は、必死に記憶を辿り、その面影に合う名前を思い出していた。どうやら、それで間違いなかったようで二人の顔を見て僕は安心した。
「それにしても暑いな 最近の暑さは異常だぜ 」
「早く中に入ろう 俺たちの頃にはなかったけど、今は教室にクーラーがあるんだよ 」
「それは助かるな 僕らが子供の頃も夏は暑かったけど、ランニングシャツと半ズボンで走り回っていたものな 今、そんな事したら命に関わりそうだよ 」
「スイッチは入れて動かしてあるから、教室はもう冷えているはずだよ 」
僕たちは、夏の日差しから逃げるように校舎の中に入っていった。学校の昇降口からスリッパに履き替えて中に入ると、ひんやりとした空気に包まれた。
「気持ちいいな まるで、天国だ 」
「ホント 涼しいな 」
「でも、おかしいな 俺たちが使う教室のクーラーしかつけていないんだけど 」
「おいおい、教室の入り口、開けっ放しなんじゃないか 」
僕たちは、急いで同窓会を行う予定の教室に行ってみたけど、教室の入り口はきちんと閉まっていた。そこへ、なにやらピアノの音が聞こえてきた。
「ああ、ショパンの別れの曲か 誰が弾いているんだろう 」
「夏休みで生徒はいないはずだから、きっと同窓会にきた俺たちの同級生の誰かだろう 」
僕たちは早速、音楽室に行ってみたが、そこには誰もいなかった。聞こえていたピアノの音も消えている。
「行き違いかな? 」
「でも、廊下は一本だしおかしいだろう この教室の中に隠れているんだよ 」
「ピアノが弾けて、隠れて脅かそうなんてする奴はヨシミだろう 」
僕が自信たっぷりに言うと、コウイチとカズヒコは顔を見合わせていた。
「そうか、ユウジは都会に出ていたから知らなかったのか 」
「ヨシミは事故で亡くなっているんだよ その追悼の意味も込めてみんなで会いたかったんだ 」
「えっ…… 」
僕は言葉がなかった。子供の頃の元気なヨシミの姿が脳裏に浮かんでくる。
「そうなのか…… 」
白状すると僕は、この同窓会でヨシミに会えるのも楽しみにしていたのだ。どんな風に成長したのか楽しみで仕方なかった。そのヨシミが亡くなっていたなんて……。僕は、がっくりと肩を落としていた。すると、またピアノの音が聴こえる。
「サティのジムノペティだ…… 」
僕たちがピアノに目を向けると、そこにはピアノの鍵盤を弾く人の姿があった。
「ヨシミだ…… 」
僕は一目でわかった。だって、ヨシミはあの頃のままの姿だったから……。そして、コウイチとカズヒコも子供の姿に戻っている。ふと気がつくと僕も子供の姿になっていた。いや、これが現実なのか。大人になっていたと思っていたのは僕の夢だったのかもしれない。
「ヨシミ、やるじゃん 」
「ふふーん 当たり前でしょう 」
ヨシミは、生意気そうな顔で僕たちを見下していた。そうだよ。これが現実なんだ。僕は、不思議と体から力が湧いてくるのを感じた。体力が有り余っていたあの頃は、夏休みといえば川遊びだ。
「こんなとこにいないで、川に遊びに行こう 」
僕は、ヨシミの手を握っていた。ヨシミは驚いたみたいだったけど、にっこりと笑うとウンと返事をしたんだ。僕は嬉しくて天にも昇る気持ちだった。
「…… …… あなた…… 」
なんだろう。聞いた事のある声が聴こえる。いつの間にかコウイチとカズヒコの姿は消えていた。ヨシミは僕の瞳を見つめて淋しそうな顔をしている。
「あなた…… あなた 」
煩いなぁ。静かにしてくれないか。僕は、その声を振り払おうと腕を振った。そして、気がついた。
「良かった 気がついたのね 」
そこには、ヨシミではなく妻の顔があった。
「昨日から電話もメールも全然応答がないし 心配だから急いで来たのよ 小学校で同窓会と聞いていたから探していたら教室で倒れているんだもの ここは暑いわね 熱中症かもしれないから病院に行きましょう 」
僕は訳がわからなかった。妻とは一緒に実家に泊まったはずなのに、妻は来ていないと言う。
「きっと、暑さでやられて混乱しているのよ 」
妻は軽く言うと僕を車に乗せた。車の中はエアコンが利いて外とは別世界だ。妻の言う通り僕は暑さにやられて夢をみていたのかもしれない。でも、左手にはヨシミの柔らかな手の感触がありありと残っていた。そして、車が走り出す寸前、ピアノの音が僕の耳に届いていた。
ある暑い夏の日の出来事だ。僕は車の助手席で、左手を見て幸せな気分に浸っていた……。




