第九話:妻たちの嫉妬と家事バトル
『黒百合の館』での初夜が明けた。
朝、俺が目を覚ますと、体が鉛のように重かった。
金縛りだ。
目を開けると、天井から逆さまにぶら下がったシズ(幽霊メイド)が、俺の顔を至近距離で睨みつけていた。
「……死ね。……呪われろ……苦しめ……」
彼女の長い髪が俺の顔にかかり、冷たい霊気が肌を刺す。
普通の人間なら心臓麻痺を起こすようなモーニングコールだ。
だが、俺は最高の目覚めを迎えた。
「おはよう、シズさん。……なんて重厚なハグなんだ」
「は?」
「全身を縛り付けるようなこの圧迫感。君の『行かないで』というメッセージが痛いほど伝わってくるよ」
俺が恍惚とした表情で囁くと、シズはビクリと体を震わせて天井へと退避した。
「な、なんなんだお前は……! 金縛りだぞ!? 恐怖しろよ!」
「恐怖? まさか。愛の拘束プレイだろ?」
俺がウィンクすると、シズは顔を赤くし(幽霊なのに)、壁をすり抜けて逃げ出した。
まったく、照れ屋なメイドさんだ。
――しかし。
このやり取りが、俺の中に住まう「本妻たち」の逆鱗に触れたことを、俺はまだ気づいていなかった。
***
朝食の時間。
ダイニングルームに行くと、すでにテーブルセッティングがされていた。
ただし、食器は欠け、テーブルクロスはボロボロだが。
「……毒入り紅茶と、カビたパンです。どうぞ召し上がって、そのまま逝ってください」
シズが投げやりな態度でトレーを置く。
俺は紫色の湯気が立つ紅茶を一口すすった。
「うん! 舌が痺れるような刺激的な味だ! ありがとう、シズさん」
俺が笑顔で礼を言うと、シズは「チッ、死なないのか」と舌打ちをした。
その時だった。
ドンッ!!
俺の胸元から、クチサケが実体化して飛び出した。
彼女はシズを鋭い眼光で睨みつけると、手に持った巨大な鋏をテーブルに突き立てた。
「……ヨリシロの世話をするのは、私」
「ひぃッ!?」
シズが悲鳴を上げて空中に浮く。
クチサケは俺に向き直り、頬を膨らませた。
「あの女の料理なんて、ダメ。……私が作る」
「え、クチサケが?」
「私の方が、上手。……見てて」
クチサケは厨房へと向かった。
俺とシズ、そして他の刺青たちも興味津々でついていく。
クチサケはまな板の上に野菜(庭に生えていた謎の根菜)を置くと、鋏を構えた。
「……私、きれい?」
ズダダダダダダダダダダッ!!
目にも止まらぬ高速連撃。
鋏が開閉する音が重なり合い、一つの轟音となって響く。
数秒後。
そこには、細胞レベルまで粉砕された野菜のペーストと――真っ二つになったまな板、そして切り刻まれた調理台の残骸があった。
「……できた」
クチサケが得意げに胸を張る。
俺は冷や汗を流しながら拍手した。
「す、すごい切れ味だね! 野菜の繊維を感じさせない、離乳食のような優しさだ!」
すると今度は、俺の足元からテケテケが飛び出した。
「アハハハ! アタシも! アタシも手伝うぅぅ!」
「お、テケテケもやる気かい?」
「庭! 庭の草むしりスル!」
テケテケは窓を突き破って庭へと飛び出した。
ズガガガガガガガガッ!!
轟音とともに砂埃が舞い上がる。
彼女は超高速で庭を這い回り、その鎌のような爪で雑草を刈り取っていく。
だが、その勢いは止まらない。
雑草だけでなく、植木、花壇のレンガ、さらには庭に置かれていた石像までもが、次々と粉砕されていく。
「きれいサッパリ! ネ!」
戻ってきたテケテケは満面の笑みだ。
窓の外には、更地どころかクレーターと化した庭が広がっていた。
「……うん、ワイルドだね。風通しが良くなりすぎたくらいだ」
俺が引きつった笑みを浮かべていると、今度は左腕の花子さんが動いた。
「……お掃除なら、私が一番」
花子さんが廊下の埃を指差す。
彼女が手をかざすと、空間に『三番目の個室』のドアが現れた。
「――流しちゃえ」
ゴオォォォォォ……!
ドアが開くと同時に、強烈な吸引力が発生した。
掃除機なんてレベルではない。ブラックホールだ。
廊下の埃はもちろん、カーペット、壁紙、置いてあった壺、さらには近くにいたシズまで吸い込まれそうになる。
「きゃあああああ!? やめろ! 私まで吸うなァァ!」
シズが必死に柱にしがみつく。
俺も慌てて花子さんを止めた。
「ストップ! 花子さん、ストップ! 家財道具まで断捨離しなくていいから!」
ドアが閉まると、廊下はコンクリート(石材)むき出しのスケルトン状態になっていた。
「……きれいになった?」
「うん、リフォーム前みたいにスッキリしたよ……」
家の中は惨憺たる有様だった。
調理台は壊れ、庭は消滅し、廊下は素材の味そのもの。
だが、彼女たちは「どう? 凄いでしょ?」と俺の褒め言葉を待っている。
そんな中、俺の背中からポスッと重みを感じた。
メリーさんだ。
彼女だけは実体化せず、俺の背中にぴったりと張り付いている。
「……メリーさんは、何もしないのかい?」
『……私は、ヨリシロの背中を守るのが仕事。……ここが一番、落ち着くから』
何もしない。
だが、この状況下ではそれが一番の「家事(平和維持)」かもしれない。
「……ふふ」
俺は思わず笑ってしまった。
シズは涙目で震えている。
「わ、笑い事じゃないぞ! 私の屋敷が……思い出の屋敷が、めちゃくちゃじゃないか!」
「ごめんごめん。でも見てくれよ、シズさん」
俺は破壊された屋敷を見渡して言った。
「これが『愛』だよ」
「は?」
「彼女たちは僕を喜ばせたくて、張り切りすぎちゃったんだ。そのエネルギーが大きすぎて、物理的な強度が追いつかなかっただけさ」
俺はクチサケ、テケテケ、花子さん、そして背中のメリーさんを順番に撫でた。
「みんな、ありがとう。最高の家事だったよ。君たちの愛の深さ、痛いほど伝わった」
彼女たちが嬉しそうに体を擦り寄せてくる。
それから、俺はシズに向き直り、深く頭を下げた。
「だからこそ、シズさん。改めてお願いだ」
「な、なんだ……」
「この通り、彼女たちは愛が重すぎて制御が効かない。このままじゃ、僕たちの愛の巣が瓦礫の山になってしまう」
俺はシズの手を取った。
「君のような『屋敷のプロ』が必要なんだ。彼女たちの暴走……いや、溢れ出る情熱をうまくコントロールして、この家を守ってくれないか? 僕たちの家族として」
シズは呆然と俺を見ていた。
殺そうとした相手に、ここまで信頼され、必要とされるなど初めてだったのだろう。
彼女は頬を赤らめ、視線を逸らした。
「……べ、別に。……屋敷が壊されるのが癪なだけだ」
「引き受けてくれるのかい?」
「……毒見役くらいなら、やってやる。あと、掃除と洗濯も……お前らに任せたら家がなくなるからな!」
ツンデレな承諾。
俺はガッツポーズをした。
「やった! ありがとう、シズさん! いや、メイド長!」
こうして、崩壊寸前だった『黒百合の館』に、頼れる管理者が加わった。
最恐の都市伝説と、地縛霊のメイド。
奇妙な同居生活は、前途多難ながらも賑やかに始まったのだった。




