第七話:理想のマイホームは事故物件に限る
魔王城『パンデモニウム』。
断崖絶壁にそびえ立つその城は、まさにこの世の終わりのような威容を誇っていた。
空は常に雷雲に覆われ、飛竜が飛び交い、城門を守るのは巨人族の兵士たち。
普通の人間なら、足を踏み入れるだけで失神するような場所だ。
だが、案内役のヴォルグに連れられた俺――ヨリシロにとっては、最高に居心地の良い空間だった。
「……いいですね、ここ。空気が重くて、湿り気があって」
「……そ、そうか」
隣を歩くヴォルグの顔色は悪い。
彼は知っているのだ。俺という存在が、この城にいるどんな魔物よりも異質であることを。
長い廊下を抜け、巨大な扉が開かれる。
謁見の間。
真紅のカーペットの先に鎮座するのは、漆黒の玉座。
そこに、一人の男が頬杖をついて座っていた。
「……戻ったか、ヴォルグ。して、其奴が『例の男』か?」
重厚なバリトンボイスが広間に響く。
魔王ゼノン。
三メートルの巨躯、ねじれた角、そして燃えるような金色の瞳。
彼から放たれる覇気だけで、並の戦士なら心臓が止まるだろう。
だが、俺は優雅に日傘を畳み、胸に手を当てて一礼した。
「初めまして、魔王陛下。ヨリシロと申します」
「うむ」
魔王は俺を一瞥した。
その金色の瞳が、俺の肉体を透過し、その奥にある「ナニカ」を覗き込むように細められる。
「……ほう。人間ごときが平然としていると思えば。貴様、背負っておるな」
「はい?」
「凄まじい怨念だ。四体……いや、それらが絡み合って一つの災厄と化している。よくもまあ、そんな『おぞましい化け物』に取り憑かれて、正気を保っていられるものよ」
魔王は感心したように鼻を鳴らした。
彼に悪気はなかったのだろう。強者として、俺に宿る力の大きさを純粋に評価した言葉だった。
――しかし。
ピクリ。
俺のこめかみに、青筋が浮かんだ。
「……陛下」
俺の声色が、氷点下まで下がる。
謁見の間の空気が一変した。ヴォルグが「ひっ」と息を呑む。
「今、『おぞましい化け物』と仰いましたか?」
「ぬ?」
「訂正していただきたい。彼女たちは化け物などという粗雑な呼び名で括られる存在ではない」
俺は一歩、前に踏み出した。
魔王の覇気になど微塵も怯まず、真っ直ぐにその目を睨み返す。
「彼女たちは僕の最愛の妻たちです。その美しさと情熱を理解できないのは仕方ありませんが、公衆の面前で僕のパートナーを悪く言われるのは、非常に気分が悪い」
シーン……。
広間が凍りついた。
魔王に対して説教をする人間など、有史以来初めてだろう。
側近たちが色めき立ち、武器に手をかける。
「き、貴様! 陛下に向かって無礼な……!」
「よい」
魔王が手を挙げて側近たちを制した。
彼は俺を怒るどころか、その瞳に興味深げな光を宿し、口元を緩めたのだ。
「……なるほど。取り憑かれているのではなく、愛し合っている、か」
「はい。そこは譲れません」
「ククク……ハハハハハハ!」
魔王が豪快に笑い出した。城が揺れるほどの笑い声だ。
「面白い! 人間の中にも、これほど肝の据わった狂人がいたとはな! ……悪かった。我の認識不足であったな、謝罪しよう」
「……ご理解いただけて光栄です」
俺も表情を緩める。
どうやらこの魔王、話が分かる男のようだ。人間の王よりよほど器が大きい。
「さて、ヴォルグから報告は聞いておる。嘆きの平原にて、我が軍の脅威であった王国軍を一掃してくれたそうだな」
「ええ。少々『掃除』をさせていただきました」
「見事だ。我らは実力主義。種族に関係なく、功績ある者には相応の報いを与えるのが流儀だ」
魔王は身を乗り出し、ニヤリと笑った。
「褒美をやろう。金か、地位か、あるいはハーレムか? 望むものを言うがよい」
「では、お言葉に甘えて」
俺は即答した。
「土地と家をください。僕たちが静かに暮らせる場所を」
「家か。よかろう。どのような場所が希望だ? 王都を一望できる丘の上か? それとも南の温暖なリゾート地か?」
「いえ」
俺は首を横に振った。
「希望条件は三つです。第一に、日当たりが悪く、常に薄暗いこと。第二に、湿気が多く、ジメジメしていること。第三に……人里から離れ、夜になると不気味な音がするような場所であれば最高です」
「…………は?」
魔王がポカンと口を開けた。
側近たちも顔を見合わせている。
「日当たりが……悪い方がいいのか?」
「はい。彼女たちは直射日光が苦手ですので。カビが生えるくらい湿度が高い方が、肌の調子もいいんです」
俺が胸元のクチサケを撫でると、彼女も同意するようにシャツの下で動いた。
魔王は数秒の沈黙の後、再び腹を抱えて笑い出した。
「ハハハハ! なんだそのリクエストは! 普通は逆を望むものだろう! 陰気な場所を好んで欲しがるとは、本当に変わった奴だ」
魔王は笑い涙を拭いながら、ふと何かを思い出したように顎に手を当てた。
「……ふむ。日当たりが悪く、湿気があり、人が寄り付かぬ場所……。一つ、心当たりがあるな」
「おお、ありますか」
「うむ。城下町の外れ、深い森の奥にある古びた屋敷だ。『黒百合の館』と呼ばれておるが……あそこはずっと空き家でな」
魔王が意味ありげに目を細める。
「実はな、あの屋敷には『先客』がいるのだ」
「先客?」
「ああ。かつてあの屋敷に仕えていたメイド長の霊だ。屋敷への執着が強く、死してなお、あそこに留まり続けておる。近づく者には不幸が訪れ、住もうとする者は三日と経たずに呪い殺されるという……いわくつきの物件だ」
「へ、陛下!」
慌てて声を上げたのは、側に控えていた宰相らしき老人だった。
「ま、まさかあの屋敷を彼に与えるおつもりですか!? あそこは我が国でも最悪の心霊スポット! 功労者に対する褒美として、呪われた屋敷を押し付けるなど失礼にも程があります!」
宰相の言うことはもっともだ。
呪いの屋敷を与えるなど、普通なら嫌がらせ以外の何物でもない。
だが。
「……素晴らしい」
俺の声は震えていた。
恐怖ではない。歓喜でだ。
「え?」
「呪われたメイド長……! 死してなお屋敷を守り続ける執念! 最高じゃないですか!」
俺の目がキラキラと輝き出す。
「そのメイドさんは、まだ屋敷にいるんですね? 家事を手伝ってくれたりするんでしょうか?」
「あ、いや……家事というか、侵入者をモップで絞め殺したり、紅茶に毒を盛ったりするらしいが……」
「働き者だ!」
俺は手を叩いて喜んだ。
「決定です! ぜひその屋敷をください! いやぁ、まさか異世界で、メイド付きの優良物件(事故物件)に巡り会えるなんて!」
「ほ、本当にいいのか? 命の保証はないぞ?」
「構いません。むしろ呪いがある方が落ち着きます。妻たちも『新しいお友達ができる』と喜んでいますし」
俺の背中や足元で、怪異たちが『アソボウ』『ナカヨクシヨウ』とざわめいているのが聞こえたのだろう。
魔王は、もはや呆れを通り越して感服したような顔をした。
「……クク、そうか。毒を食らわば皿までと言うが、貴様の場合は毒そのものを好んで喰らうタイプか」
魔王は玉座から立ち上がり、宣言した。
「よかろう! 『黒百合の館』の所有権を、貴様――ヨリシロに譲渡する! あの屋敷の呪いごと、好きにするがよい!」
「ありがとうございます、陛下! 一生ついていきます!」
こうして、前代未聞の商談は成立した。
俺たちは魔王公認で、最凶の事故物件を手に入れたのだ。
「さあ、みんな。新居に行こう。引っ越しの挨拶もしないとね」
俺は心躍らせながら、謁見の間を後にした。
新たな生活。
そして、まだ見ぬ同居人(呪いのメイド)との出会いに胸を膨らませて。




