第五話:人間社会は愛を育むには狭すぎる
カンカンカンカンカンッ!!
街中に警鐘が鳴り響いていた。
平和な宿場町ルルリエは、今や蜂の巣をつついたような騒ぎになっていた。
原因はもちろん、俺だ。
「止まれ! 貴様、包囲されているぞ!」
「抵抗をやめて投降しろ! この凶悪犯め!」
大通りの真ん中。
日傘を差して優雅に歩く俺の周囲を、五十人は下らない衛兵たちが取り囲んでいた。
槍、剣、そして屋根の上には弓兵。
完全に「国家の敵」扱いである。
「……はぁ」
俺は深く、重いため息をついた。
うるさい。本当にうるさい。
せっかくクチサケの機嫌が良くなって、今日の夕飯は何にしようかと相談していたところだったのに。
「あのね、衛兵さんたち。少し静かにしてくれませんか? 彼女の声が聞こえないじゃないですか」
「黙れ! 貴族様への傷害、および公務執行妨害! 即刻処刑されても文句は言えんぞ!」
衛兵隊長らしき男が唾を飛ばして怒鳴る。
俺はうんざりして、肩をすくめた。
これだから人間は嫌いだ。
彼らは「ルール」や「常識」という名の物差しでしか測れない。
俺がなぜあの貴族の足を切断させたのか。その「愛ゆえの動機」を理解しようともせず、ただ「法を犯した」という事実だけで集まってくる。
「放てェッ!!」
隊長の号令とともに、屋根の上から矢の雨が降り注いだ。
四方八方からの射撃。逃げ場はない。
――普通なら。
「……メリーさん、頼めるかい? 日傘に穴が開くのは嫌なんだ」
俺がボソリと呟くと、背中の刺青がふわりと熱を持った。
『……うん。後ろは、任せて』
シュンッ!
俺の背後空間が歪む。
降り注ぐ矢が俺に届く直前、それらは空中でピタリと止まり、次の瞬間には「逆流」した。
いや、違う。
屋根の上の弓兵たちの背後に、いつの間にか「フリルのドレスを着た少女」の幻影が出現していたのだ。
「え……うわあああああ!?」
ドサドサドサッ!
屋根の上から、弓兵たちが次々と落下してくる。
彼らの首には、見えない電話線のようなもので絞められた痕が残っていた。
メリーさんが直接手を下すまでもない。彼女の領域(背後)に立った時点で、彼らは「詰み」なのだ。
「ひ、ひぃぃッ!?」
「ゆ、弓兵部隊が全滅だと!?」
「かかれ! 全員で押し潰せ!」
恐怖に駆られた衛兵たちが、半狂乱になって突撃してくる。
有象無象。
まさにその言葉が相応しい。
「邪魔だなぁ……。テケテケ、散歩の邪魔者をどけてくれる?」
「アハハハ! いいよぉ! 全部、刈り取ってあげる!」
俺の足元から黒い影が走り抜ける。
あとは一方的な蹂躙だった。
近づく者の足首が飛び、転倒したところをクチサケの鋏が首を飛ばす。
だが。
「増援だ! 警備隊を呼べ!」
「逃がすな! 魔法部隊も連れてこい!」
倒しても倒しても、次から次へと新しい衛兵が湧いてくる。
路地裏から、大通りから、窓から。
彼らは弱い。弱いが、数が多すぎる。
「チッ……」
俺は舌打ちをした。
服が汚れる。血の匂いが充満して、せっかくのデートの雰囲気が台無しだ。
何より、この「分かり合えない感じ」が精神的に疲れる。
人間の街は、生きづらい。
彼らは俺たちを「化け物」と呼び、排除しようとする。
俺たちが彼らを愛そうと(殺そうと)しても、彼らは悲鳴を上げて拒絶するだけだ。
これでは愛が一方通行すぎる。
「……ねえ、みんな。ここを出ようか」
俺が提案すると、鋏で衛兵の首を切り落としたクチサケが、ふと動きを止めた。
『どこへ?』
「ここじゃないどこか。人間のルールが通じない場所へ」
俺は思い出す。
最初に召喚された城で、国王が言っていた言葉を。
『魔王軍の脅威』。
人間と敵対し、力こそが正義とされる場所。恐怖と暴力が日常にある世界。
そこなら、あるいは。
「魔王の国に行こう。あそこなら、もっと骨のある連中がいるかもしれない。それに……魔族なら、もう少し『殺されること』に理解があるかもしれないしね」
俺の歪んだ期待に、彼女たちが反応する。
『ヨリシロが行くなら、どこでも』
『魔王……強い? 足、速い?』
『……三番目の個室より、広いかな?』
肯定の意思。
俺は満足して頷いた。
そうと決まれば、こんな薄汚い路地裏に用はない。
「花子さん。……移動手段をお願いできるかな?」
俺が左腕を掲げる。
花子さんの刺青が妖しく光り、空間に不釣り合いな「公衆トイレのドア」が出現した。
「逃げるぞ! 追え!」
衛兵たちが殺到してくる。
だが、俺は彼らに背を向け、ドアノブに手をかけた。
「さようなら、人間たち。君たちは退屈すぎたよ」
ギィィィ……。
ドアを開けると、そこは暗闇の異空間。
俺は日傘を畳み、優雅にその中へと足を踏み入れた。
「待てェェェェ!!」
衛兵の剣が俺の背中に届く寸前、ドアがバタンと閉まる。
そして、そのドア自体もまた、古い映画のフェードアウトのように空気中へと溶けて消えた。
後には、切断された足と、首のない死体の山。
そして、理解不能な恐怖に震える衛兵たちだけが残された。
***
人間たちが治める国から、一人の「厄災」が消えた。
しかしそれは、平和の訪れではない。
世界で最も愛が重い男と、最恐の都市伝説たちが、よりにもよって魔王の領土へと解き放たれた瞬間だった。
行き先は魔王の国。
新たな「愛の巣」を求めて、ヨリシロたちの狂気じみた旅が始まる。




