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第四話:芸術論争は足切りで決着を



 森を抜けてしばらく歩くと、城壁に囲まれた宿場町が見えてきた。

 辺境の街『ルルリエ』。

 王都からは離れているが、冒険者や商人が行き交う活気ある街だ。


 俺は門番の鋭い視線を受けながら、検問の列に並んでいた。


「おい、そこのお前。服が汚れているな。何の血だ?」


 槍を持った門番が、俺のシャツに残る赤黒いシミを指差して誰何する。

 当然の反応だ。今の俺は、どう見ても「何かあった」直後の姿をしている。

 だが、俺は笑顔でこう答えた。


「ああ、これですか? 愛のキスマークです」

「は?」

「彼女たちがちょっと情熱的すぎて。甘噛みのつもりが、出血しちゃいまして」


 嘘は言っていない。

 さっきの盗賊の血だが、原因はクチサケたちの「独占欲」によるものだ。広義にはキスマークと言っても過言ではない。


「……頭のおかしい奴か」


 門番は顔をしかめたが、俺が武器を持っていないこと(ハサミや鎌は体内にある)、そして何より、俺の左腕に彫られた少女の刺青と目が合った瞬間、急激に顔色を悪くしたことで、それ以上の追求を諦めたようだった。


「……通れ。だが、街中で騒ぎは起こすなよ」

「ありがとうございます。静かにデートを楽しみます」


 俺は堂々と門をくぐった。


 ***


 街に入って最初に探したのは、雑貨屋だった。

 目抜き通りには露店が並び、異世界の果物や武具が売られている。

 俺は一軒の服飾店の前で足を止めた。


「いらっしゃい! 何をお探しで?」

「日傘をください。できるだけ色が濃くて、日光を通さないやつを」

「男さんが使うのかい? 珍しいねぇ。まあ、この黒いレースの日傘なんてどうだい?」


 店主が出してきたのは、貴婦人が使うようなゴシック調の日傘だった。

 俺はそれを広げ、自分の肩にかかるように差してみる。


「どうかな、クチサケ。これなら日焼けしない?」


 俺が胸元に話しかけると、シャツの下で刺青が「こくり」と頷くように動いた。

 背中からも『……私も、入れて』というメリーさんの甘えた声が脳内に響く。


「うん、大きさも十分だ。四人全員、影に入れるね」

「……お、お客さん?」


 店主が引きつった笑みを浮かべている。

 独り言が多い変な客だと思われているのだろう。だが、これで彼女たちの肌(俺の皮膚)を守れるなら安いものだ。

 俺は金貨(盗賊のポケットから拝借した)を支払い、新品のシャツと日傘を手に入れた。


 着替えてさっぱりした俺は、日傘を差して大通りを歩く。

 傍から見れば、黒い日傘を差した男がニヤニヤしながら歩いているという、不審者極まりない光景だ。

 人々が遠巻きに俺を見ている。

 その視線には「恐怖」や「侮蔑」が混じっているが、俺にはどうでもよかった。

 俺の世界には、俺と彼女たちしかいないのだから。


 ――しかし。

 その平穏なデート(散歩)は、唐突に遮られた。


「おい、そこを退け! 馬車が通るぞ!」


 怒号とともに、立派な馬車が通りを暴走してきた。

 人々が悲鳴を上げて左右に避ける。

 俺もまた、日傘がぶつからないように道の端へ寄ろうとした。

 だが、馬車は俺の目の前で急停車した。


 バァン! と扉が開き、中から恰幅のいい男が降りてくる。

 上質なシルクの服に、これみよがしな宝石の指輪。見るからに高慢な貴族か、あるいは成金の商人か。


「なんだ、この薄気味悪い男は! 貴様のせいで馬が怯えたではないか!」


 言いがかりだった。馬が怯えたのは、俺ではなく、俺の中にいる「捕食者たち」の気配を感じ取ったからだろう。

 だが、男は俺の顔を見るなり、さらに不快そうに顔を歪めた。

 男の視線が、俺の首筋――シャツの襟から覗く、赤い刺青タトゥーに釘付けになる。


「……なんだその、汚らわしい絵は」


 ピクリ。

 俺の足が止まった。


「……今、なんて言いました?」

「聞こえんのか? その首の、ミミズがのたうち回ったような気味の悪い落書きだ! 美しい街の景観を損ねる! 今すぐ焼いて消せ!」


 男はハンカチで鼻を押さえながら、汚物を見る目で俺を見た。

 周囲の野次馬たちも、クスクスと笑っている。

 「確かに気味悪いよな」「呪われてるんじゃないか?」そんな声が聞こえる。


 ああ。

 だめだ。


 俺の中で、何かが切れる音がした。


 俺を馬鹿にするのは構わない。無能と言われようが、変質者と言われようが、痛くも痒くもない。

 だが。

 俺の最愛の彼女たちを。

 この世界で最も美しい、クチサケのラインを。

 「汚らわしい」と言ったか?


「……ふっ」


 俺は笑った。

 日傘をゆっくりと閉じる。

 その瞬間、俺の周囲の気温が十度ほど下がった。


「貴様、何を笑って……」

「可哀想に。あなたは『美』というものを理解していないようだ」


 俺は男に一歩近づいた。

 男の顔が強張る。俺の目を見て、本能的な恐怖を感じ取ったのだろう。俺の瞳には、一切の理性が宿っていないからだ。


「このラインの美しさが分からない? この情熱的な赤が、ミミズに見える? ……眼球がついている意味がないじゃないか」


 俺の胸元が熱くなる。

 クチサケが怒っているのではない。

 俺の怒りに呼応して、彼女が興奮しているのだ。俺が彼女のために怒っていることが嬉しくてたまらないのだ。


「ひ、衛兵! 衛兵は何をしている! この狂人を捕らえろ!」


 男が後ずさりながら叫ぶ。

 駆け寄ってくる衛兵たち。だが、遅い。


「テケテケ。……やっておしまい」


 俺が静かに告げた瞬間。


「アハハハハハハハハ!!」


 俺の足元から、影が爆発した。

 地面を削る音。風を切り裂く音。

 何かが「高速で通過した」という事実だけが残る。


「え?」


 男が間の抜けた声を上げた。

 次の瞬間、彼の視界がガクンと下がった。

 膝から崩れ落ちたのではない。

 膝から下が、なくなっていたのだ。


「…………へ?」


 男は自分の足元を見た。

 太ももの半ばから、きれいに切断されている。

 あまりの切れ味に、痛みを感じる時間すらなかった。

 一拍置いて、真っ赤な噴水が上がり、激痛が脳を襲う。


「ぎゃあああああああああああああ!!!」


 絶叫が響き渡る。

 群衆がパニックになり、蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。

 衛兵たちが槍を構えるが、震えて動けない。


 俺は血の海に沈む男を見下ろし、優しく諭すように言った。


「足なんて飾りですよ。……美を理解できないあなたには、立つ資格すらない」


 俺の両足には、返り血一つついていない。テケテケが完璧に制御した証拠だ。

 俺は足元の刺青を愛おしげに撫でた。


「いい子だ。きれいな切り口だったよ」


 そして、泡を吹いて気絶した男を跨ぎ、俺は何事もなかったように日傘を差した。


「さあ、行こうか。……次は美味しいものでも食べよう」


 悲鳴と怒号が飛び交う街の中を、俺は軽やかに歩き出す。

 胸元のクチサケが『ありがとう』と囁いた気がして、俺は今日一番の笑顔になった。

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