第三話:紫外線と返り血は美容の大敵
『腐敗の森』を抜けると、そこにはのどかな街道が広がっていた。
青い空、白い雲、どこまでも続く草原。
典型的な異世界の風景だが、今の俺――ヨリシロにとっては、最高のデートコースだ。
「いい天気だね。でも、ちょっと日差しが強いかな」
俺は独り言のように呟きながら、着ていたシャツの襟を立て、袖をしっかりと伸ばした。
今の俺の体には、四人の最愛の女性(都市伝説)たちが宿っている。
彼女たちは基本的に夜や暗闇を好む。直射日光は肌(と俺の精神衛生)によくない。
『……ヨリシロ、暑い』
『眩しい……焼ける……』
脳内に、不満げな声が響く。
俺の肌の上で、刺青たちがモゾモゾと動く感触がした。
背中のメリーさんは日陰を求めて肩甲骨の下へ潜り込み、胸元のクチサケは不機嫌そうに鋏の絵柄をカチカチと打ち鳴らしている。
「ごめんごめん。次の街に着いたら、日傘でも買おうか。それまでは我慢してね」
俺は自分の体を愛おしげに撫でた。
端から見れば、何もない空間に話しかけながら自分の体をまさぐる変質者だろう。だが、誰に見られているわけでもない。
――そう思っていたのだが。
「おい、そこの不審者」
街道の岩陰から、粗野な男たちが姿を現した。
薄汚れた革鎧に、手入れのされていない剣や斧。目つきの悪さからして、十中八九、盗賊だ。数は五人。
「……何か用かな? 今、デート中なんだけど」
「あぁ? デートだぁ?」
リーダー格の男が、俺の周りを見渡して鼻で笑った。
「女なんてどこにもいねぇじゃねぇか。頭がイカれてんのか?」
「いるよ。一番近くにね」
「チッ、気味の悪い野郎だ。まぁいい、身ぐるみを置いていけ。金も、荷物も、その服も全部だ」
男が剣を突きつけて脅してくる。
異世界のお約束的な展開だ。
普通なら恐怖するか、あるいは戦闘態勢をとるところだろう。
だが、俺が反応したのは「服も全部」という単語だけだった。
「……服を脱げって言ったのか?」
俺の声色が、スッと低くなる。
「あぁ? そうだ。抵抗するなら殺して剥ぎ取るだけだがな」
「断る」
俺は即答した。
一歩も引かず、真顔で盗賊たちを睨みつける。
「ここで服を脱いだら、彼女たちが直射日光に晒されてしまうじゃないか。紫外線は美容の大敵なんだぞ。シミにでもなったらどう責任を取るつもりだ」
「……は?」
盗賊たちがポカンと口を開けた。
理解できない、という顔だ。当然だろう。彼らは「命」の話をしているのに、俺は「スキンケア」の話をしているのだから。
「テメェ……俺たちをナメてんのか!!」
顔を真っ赤にしたリーダーが、怒号とともに剣を振り上げた。
殺気。
だが、それは先ほどのオークたちと同じ、「金品を奪うための暴力」に過ぎない。俺個人への執着がない、乾燥した殺意だ。
ヒュンッ!
剣が俺の脳天めがけて振り下ろされる。
俺は動かない。避けない。瞬きひとつしない。
守る必要がないからだ。
ガギィッ!!
鈍い金属音が響き、盗賊の剣が空中で「何か」に阻まれて静止した。
俺の頭上数センチ。
そこには、俺の胸元から伸びた『巨大な赤い鋏』が、刃を受け止めていた。
「な、なんだコリャァ!?」
男が驚愕に目を見開く。
俺のシャツの胸元――クチサケの刺青から、赤黒い瘴気が溢れ出し、それが実体化した鋏となって顕現しているのだ。
「……あーあ」
俺は困ったようにため息をついた。
「怒らせちゃったね。彼女、独占欲が強いんだ」
鋏が、ギリギリと音を立てて開く。
その隙間から、女のはっきりとした声が聞こえた。
「……私の。……私だけの」
「ひっ、うわあああああ!?」
男が剣を引こうとするが、遅い。
パキンッ!
鋼鉄の剣が、飴細工のように鋏で噛み砕かれた。
そして。
「邪魔を、するな」
ザンッ!!
鋏が一閃。
リーダーの男の上半身が、スライドするようにずり落ちた。
鮮血が噴水のように舞い上がる。
「あーっ! もう!」
俺は慌ててステップバックした。
目の前で人間が死んだことなどどうでもいい。それより重大な問題がある。
「血が飛ぶじゃないか! このシャツ、気に入ってるのに! 洗濯しても落ちにくいんだぞ!」
俺の叫び声が、静まり返った街道に響く。
残された四人の盗賊たちは、リーダーの死体と、返り血を気にする被害者(?)を交互に見て、顔面蒼白になっていた。
「な、な、なんだコイツ……!?」
「化け物だ! 逃げろッ!」
盗賊たちが背を向けて走り出す。
賢明な判断だ。だが、もう手遅れだ。
「逃げる? ……僕から?」
俺の足元が、勝手に動き出す。
俺の意思ではない。両足に宿るテケテケが、獲物を逃がすことを許さないのだ。
「うわっとっと!」
俺の体が前のめりになり、地面スレスレの角度で滑走を始めた。
足が地面を蹴るのではない。見えない何かが地面を削り、俺の体を弾丸のように加速させる。
「アハハハハハ! 待てぇぇぇぇ!!」
俺の口から、俺のものではない甲高い笑い声が漏れる。
速い。風圧で顔が歪むほどに速い。
あっという間に盗賊たちの背中に追いついた。
「ひぃッ!?」
振り返った盗賊の足元を、俺は迷うことなく駆け抜ける。
ズバババババンッ!!
すれ違いざま、鋭利な鎌のような衝撃波が走り、四人の盗賊の足首が同時に切断された。
ドサドサドサッ、と芋虫のように転がる男たち。
「あが……あ、足が……俺の足がぁぁ!!」
地面を這いずり回る彼らを見下ろしながら、俺は息を整える。
強制的な全力疾走で少し息が切れたが、心地よい疲労感だ。
「こらこら、テケテケ。そんなに急発進したら危ないよ。……でも、ナイスランだ。愛を感じたよ」
俺は太ももをポンポンと叩いて褒めてやる。刺青が嬉しそうに熱を帯びた。
さて、まだ息のある盗賊たちをどうするか。
俺が考えるよりも早く、俺の左腕――花子さんが動いた。
左腕の刺青が、まるで蛇のように手首まで這い出してくる。
俺は抵抗せず、その手を盗賊たちにかざした。
「……掃除の時間だってさ」
ギイィィィ……。
何もない空間に、古びたトイレのドアが出現する。
今度は『三番目』じゃない。もっと奥の、暗い個室だ。
ドアの隙間から、赤黒い水が溢れ出し、這いつくばる盗賊たちの足を濡らした。
「な、なんだこれ……つめてぇ……!」
「引きずり込まれ……うわあああああ!!」
水面から無数の白い手が伸び、彼らの体を掴む。
抵抗も虚しく、彼らはズブズブと小さなドアの向こう側――終わりのない異界へと飲み込まれていった。
バタン。
ドアが閉まり、ふっと空気に溶けて消える。
後には、血痕ひとつ残っていない。
完璧な証拠隠滅だ。
「ふぅ……」
俺は額の汗を拭った。
リーダーの返り血が少し袖についてしまったのが残念だが、彼女たちが怪我(日焼け)をしなかっただけマシとしよう。
「みんな、ありがとう。僕を守ろうとしてくれたんだね」
俺が微笑みかけると、全身の刺青が一斉に締め付けてきた。
痛いほどの抱擁。
『守ったんじゃない』『お前は私のものだから』『傷ひとつつけさせない』
そんな重たい愛のメッセージが、直接脳髄に流れ込んでくる。
「分かってる、分かってるよ。愛されているなぁ、僕は」
俺は恍惚とした表情で空を見上げた。
異世界に来てよかったこと。
それは、法的にも倫理的にも邪魔されることなく、彼女たちの愛(殺戮)を解き放てることかもしれない。
「さて、街へ急ごうか。この血を落とすための洗剤も買わないとね」
俺は死体の消えた街道を、鼻歌交じりに歩き出した。
その背後――背中には、誰もいないはずなのに、くっきりと少女の影が落ちていた。




