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第十二話:平行線の愛と正義



 パリリンッ!!


 俺の激情に呼応するように、空を覆っていた『聖絶結界』に亀裂が入った。

 物理的な破壊ではない。俺の中から溢れ出したドス黒い瘴気――彼女たちの愛(怨念)が、聖なる光の密度を上回ったのだ。


「な、そんな……!? 私の結界が、ただの人の感情で……!?」


 聖女アリスが愕然と目を見開く。

 無理もない。彼女の常識では、聖なる力は邪悪なものを一方的に浄化するはずのものだ。

 だが、俺たちは違う。


「言ったはずだ。僕たちの愛は、君の信仰よりも重いと」


 俺は右手を突き出した。


「行け、みんな! この不躾な客人に、お帰り願おう!」


 俺の号令とともに、俺の肉体という「檻」から四つの災厄が解き放たれた。


『アアアアアアアッ!!』


 絶叫とともに、彼女たちは実体化する。

 聖なる光に焼かれ、皮膚は爛れ、煙を上げている。だが、その動きに躊躇はない。痛みよりも、「ヨリシロを傷つけられた怒り」が勝っているからだ。


「ひるむな! 悪霊どもを討て!」


 騎士たちが剣を構えて殺到する。

 先陣を切ったのは、左腕から飛び出した花子さんだった。


「……汚い」


 彼女がボソリと呟き、虚空に手をかざす。


「ヨリシロをいじめる光なんて……全部、流しちゃえ」


 ゴオォォォォォ……!


 出現したのは、古びた木製のドア。

 だが今回は、そこから手が伸びるのではない。

 ドアが猛烈な勢いで周囲の「光」を吸い込み始めたのだ。

 本来、浄化されるはずの穢れが、逆に聖なる力を「汚れ」として認識し、異界の便器へと吸引していく。


「け、結界の光が薄れていく!?」

「バカな! 聖なる魔力を『汚物』扱いだと!?」


 アリスの騎士たちが狼狽する。

 その隙を、テケテケが見逃すはずがない。


「アハハハ! 足ガ留守ダヨォォ!!」


 地面スレスレを高速移動する影。

 聖なる加護が薄れた騎士たちの足首を、彼女の爪が次々と刈り取っていく。


「ぐああああっ!」

「立てない! 足が!」


 ドミノ倒しのように崩れる前衛。

 アリスは顔面蒼白になりながらも、杖を構え直した。


「くっ……私が! 私が直接浄化します!」


 彼女は杖の先端を俺に向けた。

 極大の光魔法。直撃すれば、俺ごと背後の屋敷まで消し飛ぶ威力だ。


「主よ、邪悪を滅ぼすいかずちを――」


 詠唱が完成する直前。

 彼女の耳元で、冷たい声が囁かれた。


「……もしもし、私メリーさん」


 ゾクリ。

 アリスの全身が粟立つ。

 いつの間にか、彼女の背中合わせの距離に、ボロボロのドレスを着た少女が立っていた。

 結界の内側も外側も関係ない。「背後」という概念がある限り、メリーさんはどこにでも現れる。


「……今、あなたの後ろにいるの」

「ッ!?」


 アリスは反射的に杖を後ろへ振った。

 だが、そこにはもう誰もいない。

 気づけば、彼女の首筋に冷たい刃物のような感触――クチサケの巨大な鋏が添えられていた。


「……チェックメイトだね」


 俺はアリスの目の前に立っていた。

 彼女は完全に包囲されていた。

 背後にはメリーさん。首元にはクチサケ。足元にはテケテケ。そして、聖なる力を無効化する花子さん。


 アリスは悔しげに唇を噛み、俺を睨み上げた。


「……殺しなさい。肉体は滅びても、私の魂は神の御元へ行くだけです」


 潔い態度だ。

 彼女は本気で、自分が「殉教者」になると信じている。

 だからこそ、俺は冷めた目で彼女を見下ろした。


「殺す? なぜ?」

「え?」

「君を殺して何になる? 死体が増えれば片付けが面倒だし、君の血で庭が汚れるのも嫌だ」


 俺はクチサケに目配せをして、鋏を引かせた。


「帰れと言ったはずだ。僕たちは静かに暮らしたいだけなんだ。君のような『正義』の押し売りには興味がない」


 アリスはその場にへたり込んだ。

 殺されるよりも屈辱的な扱い。

 「敵」としてすら認識されず、ただの「迷惑な訪問者」として追い返されようとしている。


「……なぜですか」


 アリスの声が震える。


「なぜ、そこまでして……。あんな禍々しいものに囲まれて、平気なのですか? 貴方は人間でしょう? 温かい太陽の下や、神の祝福の方が、幸せに決まっています!」

「それは君の幸せだ」


 俺はしゃがみ込み、アリスと視線を合わせた。


「僕にとっての幸せは、この薄暗い屋敷で、彼女たちの重い愛に押し潰されながら眠ることだ。誰かに決められた『正しい幸せ』なんて、僕には必要ない」


 俺は彼女の杖を指先で弾いた。


「君の神様は、君の後ろに立って守ってくれるかい? 君のために、服を汚して泥だらけになってくれるかい?」

「それは……」

「僕の神様カノジョたちはやってくれる。だから僕は、彼女たちを愛しているんだ」


 決定的な拒絶。

 アリスは言葉を失った。

 彼女の信じてきた「正義」や「常識」が、目の前の狂気によって粉々に砕かれた瞬間だった。


 ――だが。

 その時、アリスの瞳から光が消えることはなかった。

 むしろ、その碧眼に、今までとは違う「昏い熱」が宿り始めたのだ。


「……ああ」


 アリスは、恍惚とした表情で俺を見つめ返した。


「なんて……なんて深い『闇』なのでしょう」

「は?」

「貴方は、そこまで絶望しているのですね。正常な判断力を失い、痛みすら愛だと錯覚してしまうほどに……貴方の魂は傷つき、汚染されてしまっている」


 彼女は立ち上がった。

 恐怖で震えていた足が、今は使命感で大地を踏みしめている。


「分かりました。私の祈りが足りなかったのですね。一度や二度の浄化で救えるほど、貴方の呪いは生易しいものではなかった」

「……おい、話聞いてたか?」

「諦めません」


 アリスは俺の手を――まだ火傷の痕が残る俺の手を、両手で強く握りしめた。


「私は聖女アリス。神に誓って、貴方を救い出してみせます。たとえ貴方がそれを望まなくても、貴方が私を憎んでも……私は絶対に、貴方をこの闇から引きずり出してみせる!」


 その瞳は、もはや慈愛ではない。

 一種の「狂信」。

 俺が彼女たちに向ける狂気とはベクトルの違う、厄介極まりない「正義のストーカー」が誕生した瞬間だった。


「撤退します! 負傷者を運んで!」


 アリスはテキパキと騎士たちに指示を出し、最後に俺を振り返った。


「また来ます、ヨリシロ様。次はもっと強力な祝詞じゅもんを持って。……覚悟していてくださいね」


 彼女は嵐のように去っていった。

 残されたのは、荒らされた庭と、呆然とする俺たちだけ。


「……なんだ、あいつ」


 俺は頭を抱えた。

 話が通じないにも程がある。

 俺の拒絶を「病気が重い」と解釈し、さらにやる気を出してしまったようだ。


『……ヨリシロ、あいつムカつく』

『次来タラ、殺ス……』


 クチサケたちが不満げに唸る。

 俺は苦笑しながら、彼女たちの火傷を撫でた。


「まあ、いいさ。何度来たって返り討ちにするだけだ。……それより、怪我の手当てをしよう。シズ、救急箱と、あと毒消し草を持ってきてくれ」


 俺はボロボロになった彼女たちを抱き寄せ、屋敷へと戻る。

 聖女という新たな「宿敵」の出現。

 それは、俺たちの平穏な生活を脅かすトラブルであると同時に、俺たちの絆を試す「スパイス」になるのかもしれない。


 この日から、魔王領の『黒百合の館』は、人間界の聖女にとって「攻略すべき最難関ダンジョン」として認定されることになったのだった。

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