第三十七話:深淵の底と侵食者の本体
燃え盛る炎の荒野の中心に開いた巨大なクレーター。その底の見えない闇の穴からは、強烈な破壊の魔力が吹き上がっていた。龍馬は、その穴の縁に立ち、その奥から蠢く、生きた悪意のような気配を感じ取っていた。
『マスター。この魔力の奔流の奥に、次元侵食者の本体が存在します。これまで遭遇したどの歪みよりも、強大で、そして純粋な悪意を感じます。』
ルミリアの声が、龍馬の心の中で、かつてないほどの緊張を帯びて響いた。
「純粋な悪意、か……。管理者たちが、感情を排除しようとした理由が、少し分かった気がするな。」
龍馬は、深く息を吐いた。感情が、ここまで負の方向に極まると、世界を滅ぼすほどの力になる。それを目の当たりにしてきたからこそ、彼は今、この場所に立っているのだ。
龍馬は、躊躇することなく、穴の中へと飛び込んだ。
穴の内部は、まるで生き物の食道のように、ヌメヌメとした黒い壁で覆われていた。壁からは、無数の黒い触手が伸び、龍馬の体を捕らえようと蠢いている。足元は滑りやすく、どこまでも続く暗闇が、龍馬の精神を蝕もうとする。
『マスター! 周囲の触手は、マスターの魔力を吸収しようとしています!』
ルミリアが、警告した。
龍馬は、自身の『調律の魔法』で、触手を弾き飛ばしながら、深部へと降りていく。彼の光は、周囲の闇をわずかに照らし、その奥に、さらに巨大な空間が広がっているのが見えた。
やがて、龍馬の足は、固い地面へと着いた。そこは、広大な空洞になっており、周囲の壁は、黒い結晶のようなもので覆われている。空間の中心には、おぞましいほど巨大な存在が蠢いていた。
それは、不定形の黒い塊で、複数の目が不気味に光り、無数の触手が空間全体に伸びている。まるで、この空間そのものが、その存在の一部であるかのようだった。
「……よく来たな……調律者よ……。」
その存在から、直接脳に響く声が発せられた。声は、無数の魂の叫びが混じり合ったような、おぞましく、そしてどこか悲しげな響きだった。
『マスター! あれが、次元侵食者の本体です! 膨大な次元の魔力を吸収し、自身の存在を肥大化させています!』
ルミリアが、緊迫した声で告げた。
「お前が……次元侵食者か。」
龍馬は、そのおぞましい存在を前に、冷徹な目を向けた。この存在が、多くの世界に歪みをもたらし、生命を脅かしてきた元凶なのだ。
「……我は……ただ……飢えているだけだ……。満たされない……この渇きを……。」
次元侵食者の声は、どこか諦めと、そして苦痛に満ちていた。その言葉に、龍馬はわずかな違和感を覚えた。純粋な悪意であるはずの存在が、「飢え」や「渇き」を訴えるのか。
『マスター! 彼らの魔力反応は、これまでのどの侵食者とも異なります! その魔力の中に、微弱ですが、『生命の魔力』と『魂の魔力』が混じっています!』
ルミリアが、驚きの解析結果を伝えた。
「生命の魔力……? 魂の魔力……?」
龍馬は、その言葉に眉をひそめた。このおぞましい存在が、生命や魂の魔力を持っているというのか。
「……我は……かつて……お前たちと同じ……『生命』であった……。しかし……『管理者』によって……『歪み』と見なされ……『排除』され……『喰われる』運命となった……。」
次元侵食者の声は、悲痛な響きを帯びていた。その言葉は、龍馬に衝撃を与えた。管理者によって「排除」され、「喰われる」運命となった?
「まさか……お前も、元は……調律の対象だったのか!?」
龍馬は、驚きを隠せない。
「……我は……ただ……生き残るために……次元の魔力を喰らい続けた……。そして……この姿に……歪んでいった……。」
次元侵食者の言葉は、彼が純粋な悪意によって生まれた存在ではないことを示唆していた。彼は、生き残るために、次元の魔力を喰らい、結果として現在の姿になったのだ。
『マスター! 管理者ネットワークの過去の記録を解析中……。データを発見しました! この次元侵食者の正体は、かつて、非常に広大な次元に存在していた『星の意志』でした! しかし、その次元が、何らかの原因で『歪み』と判断され、管理者によって『消去』された記録が残っています!』
ルミリアが、衝撃の事実を告げた。星の意志。それは、管理者たちが管理する世界(次元)の一つだったのだ。
「星の意志が……! 管理者に消去されただと!?」
龍馬は、管理者の行動に憤りを覚えた。彼らは、感情を排除し、論理のみを追求するあまり、無慈悲な判断を下してきたのか。
「……管理者め……。彼らは……我々の『感情』を……『歪み』と断じ……我々の存在を……消し去ろうとした……。」
次元侵食者の声は、怒りと、そして深い悲しみに満ちていた。
「……我は……復讐を誓った……。彼らの『管理』する全ての次元を……喰らい尽くすことで……。」
次元侵食者の言葉は、彼の行動の理由が、管理者への復讐であることを示唆していた。彼が次元を侵食し、歪ませてきたのは、生き残るため、そして、管理者への復讐のためだったのだ。
龍馬は、その真実に、複雑な感情を抱いた。彼は、これまで世界の歪みを正すために戦ってきた。しかし、その歪みの原因が、管理者自身の行動によって生み出されたものだとしたら?
「……さあ……調律者よ……。我を止めるか……? それとも……このまま……我らの『復讐』を見届けるか……?」
次元侵食者の声が、龍馬に問いかけた。彼の周囲の空間が、さらに激しく歪み、破壊の魔力が龍馬へと迫ってくる。
龍馬は、その圧倒的な魔力の奔流を前に、静かに、しかし力強く答えた。
「俺は……お前を止める。」
龍馬は、目を閉じた。管理者の行動が原因であったとしても、この次元侵食者が他の世界に与えてきた被害は、決して許されるものではない。そして、何よりも、彼の『調律者』としての使命は、世界の歪みを正し、そこに生きる生命を守ることにある。
龍馬の全身から、金色の光が溢れ出した。それは、これまでで最も強く、そして慈悲と決意に満ちた輝きだった。
『神威の調律』。
彼の新たな戦いは、単なる魔力の調整だけでなく、悲しき復讐者との、魂をかけた戦いとなるだろう。そして、この戦いの先に、管理者たちの『真の歪み』が潜んでいるのかもしれない。




