第十四話:管理者からの警告と『終焉の螺旋』
深淵の洞窟の奥へと進むにつれて、不純な魔力の淀みはさらに濃さを増し、まるで生き物のようにうごめく黒いモヤが壁や天井に張り付いていた。龍馬の放つ光魔法も、その闇を完全に払いきれない。ルミリアの表情は、微かに青ざめているように見えた。
「マスター……この奥から、非常に強い魔力の波動を感じます。この『侵食魔法』の根源は、すぐそこにあるはずです。」
ルミリアの声は、警戒と、かすかな不安が混じっていた。
「分かった。気をつけよう。」
龍馬は、右手に魔力を集中させ、いつでも『聖浄の光』を放てるように準備した。この奥には、ただの魔物だけではない、何か得体の知れないものが潜んでいるという予感がした。
その時、龍馬の頭の中に、直接語りかけるような声が響いた。それは、感情のない、機械的で、しかし威厳のある声だった。
「調律者、神城龍馬。警告する。これ以上の深部への侵入は、危険を伴う。」
「この声は……管理者か!?」
龍馬は驚いて立ち止まった。ルミリアも、管理者からの直接通信に、微かに体を震わせた。
「我々は、お前の行動を監視している。お前の使命は、この世界の魔力バランスを正常化すること。しかし、この深淵は、お前の能力の範疇を超える可能性がある。」
管理者の声は、警告を含んでいるようだった。龍馬は、その言葉に反発を覚えた。
「範疇を超える? そんなこと、やってみないと分からないだろう! お前は俺を信じてこの世界に呼んだんじゃないのか!?」
「我々は、論理と確率に基づいて行動する。お前の成功確率は、極めて低い。退却を推奨する。」
管理者の声は、一切の感情を挟まずにそう告げた。龍馬の胸に、じりじりとした苛立ちが募る。しかし、ルミリアがそっと龍馬の腕を引いた。
「マスター……管理者の言葉は、私たちを案じてのことです。しかし、この侵食魔法の根源を断たなければ、エルフヘイムの危機は去りません。」
ルミリアの声には、はっきりとした「決意」が込められていた。彼女は、かつて自分が管理していた異世界が滅びた経験から、この脅威を放置することはできないと考えているのだろう。
龍馬は、ルミリアのその強い眼差しを見て、決意を固めた。
「俺は退かない。管理者、俺の使命は、この世界の調律だ。そして、この世界の悲しみを、俺はもう知ってしまった。たとえ確率が低くても、俺はやるべきことをやるだけだ!」
龍馬が力強く宣言すると、管理者からの通信は途絶えた。沈黙が洞窟を支配する。
「よし、ルミリア。行くぞ。」
龍馬は、一歩前へと踏み出した。
さらに奥へと進むと、洞窟は巨大な空間へと繋がっていた。そこは、まるで巨大な植物の根の内部に入り込んだような場所だった。無数の太い根が天井から垂れ下がり、地面には、奇妙な形をした結晶が不気味な光を放っていた。そして、その空間の中央には、黒い瘴気のようなものが渦巻いている。
「あれが……侵食魔法の根源か!?」
龍馬は、その瘴気に、これまで感じたことのない悪意と、重苦しい絶望の波動を感じ取った。
「はい、マスター。あれは『終焉の螺旋』。異世界の魔力を吸収し、変質させ、その世界そのものを枯らす、最悪の『侵食魔法』の具現化です。この世界の魔力中枢に深く根ざし、全てを蝕もうとしています。」
ルミリアが、その黒い渦を見つめながら、震える声で説明した。彼女の瞳には、かつての異世界の「滅び」の光景が重なっているようだった。
「この螺旋が、お前の過去の異世界も滅ぼしたってことか?」
「……はい。あの時、私は、この終焉の螺旋を止める術を知りませんでした。無力でした。」
ルミリアの声には、深い「悲しみ」と「自己嫌悪」が滲んでいた。龍馬は、彼女が背負ってきた重荷を感じ取り、胸が締め付けられる思いだった。
「今回は、俺がいる。一緒に、これを止めるぞ、ルミリア!」
龍馬は、ルミリアの手を強く握った。彼女の冷たい手が、龍馬の温かい手のひらに包まれる。
「はい、マスター……!」
ルミリアは、龍馬の言葉に、瞳に微かな光を宿した。
その時、終焉の螺旋から、不気味な唸り声が響き渡った。黒い瘴気がうねり、その中から、巨大な影が姿を現した。
「グオオオオオオ!」
それは、全身が漆黒の結晶と粘液に覆われた、巨大な化け物だった。体長は五メートル以上。鋭い爪と牙を持ち、その異形の顔には、無数の赤い目がギラギラと光っている。まさしく、終焉の螺旋が生み出した、最悪の魔物だ。
「アビス・ロードです! 終焉の螺旋から生まれた、この侵食魔法の守護者! 非常に強力です! マスターの『聖浄の光』をもってしても、完全な浄化には時間がかかります!」
ルミリアが警告する。アビス・ロードは、龍馬たちに向かって咆哮を上げ、巨大な爪を振り上げた。周囲の空気が歪み、不純な魔力の奔流が襲いかかる。
「くそっ、やっぱりデカいのが来たか!」
龍馬は、即座に『魔力障壁』を展開した。しかし、アビス・ロードの攻撃は、龍馬の障壁をひび割れさせるほどの威力だった。
「マスター、終焉の螺旋そのものを浄化しなければ、アビス・ロードは何度でも再生します! 私がアビス・ロードを足止めします! その隙に、マスターは終焉の螺旋に『調律の魔法』を集中させてください!」
ルミリアが、これまでにないほど強く、そして明確な意思を込めて言った。彼女の全身から、淡い光が溢れ出し、その光は、彼女の体を包み込みながら、わずかに結晶化していく。
「ルミリア!? お前、まさか……!」
「私は、マスターの盾となります! 私の全ての魔力を、マスターを護衛し、アビス・ロードを足止めするために使います! これが、私の管理者からの使命、そして、マスターへの……忠誠です!」
ルミリアは、そう言い放つと、アビス・ロードに向かって飛び出した。彼女の体から放たれる光が、アビス・ロードの攻撃を受け止める。その光は、一見頼りなく見えるが、終焉の螺旋が生み出す不純な魔力と拮抗しているようだった。
しかし、その光は、ルミリア自身の体を蝕んでいく。彼女の身体が、徐々に半透明になり、ひび割れていくのが見て取れた。
「ルミリア! やめろ! そんなことをしたら、お前が……!」
龍馬は叫んだ。彼女が、自分のために命を削っているのが分かった。感情を持たないはずの彼女が、自分を守ろうとしている。その事実に、龍馬の胸は張り裂けそうだった。
「マスター……躊躇しないでください! 私の存在意義は、マスターの使命を全うさせることです! そして……あなたを、守りたい……!」
ルミリアの声は、か細くなっていた。しかし、その言葉には、今まで彼女が見せたことのない、強い「愛」と「献身」の感情が込められていた。彼女の瞳は、龍馬をまっすぐに見つめ、そこに、これまでで最も強く、そしてはっきりと、透明な涙が浮かんでいた。
龍馬は、その涙を見て、拳を強く握りしめた。ルミリアを犠牲にするわけにはいかない。だが、この終焉の螺旋を放置すれば、エルフヘイムが、そしてこの世界が滅びる。
「ルミリア……絶対に助けるからな! だから、もう少しだけ、耐えてくれ!」
龍馬は、全身の魔力をかき集め、終焉の螺旋へと向き直った。ルミリアが自分のために命を懸けている。ならば、自分も全てを賭けて、この脅威を終わらせる。
「くそぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!」
龍馬の全身から、これまでで最も強大な青白い光が溢れ出した。それは、洞窟全体を照らし出すほどの輝きだった。
『調律の魔法』。この世界を救うために与えられた、唯一の力。
龍馬は、その全てを終焉の螺旋にぶつけるべく、渾身の力を込めて叫んだ。
第十四話では、管理者が龍馬に警告を発し、深淵の危険性を伝えることで、物語の緊張感が高まります。そして、ついに「侵食魔法」の根源である「終焉の螺旋」と、その守護者「アビス・ロード」が出現。ルミリアが龍馬を守るために自己を犠牲にし、これまでで最も強い「愛」と「献身」の感情を発現させます。龍馬もまた、ルミリアの献身に応えるべく、覚悟を決めて全力で「調律の魔法」を行使しようとします。