第十二話:エルフの集落と聖樹の危機
フィリアの案内で、龍馬とルミリアはエルフヘイムの奥深くへと進んでいった。枯れかけた森の景色は、奥へ進むにつれてさらに深刻になっていく。しかし、フィリアの顔には、龍馬の『調律の魔法』への希望の光が宿っていた。
「フィリア、エルフの皆さんは、普段どこに住んでいるんだ?」
龍馬が尋ねると、フィリアは遥か彼方にそびえる巨大な樹木を指し示した。
「我らは、この森の中心にそびえる『聖樹ユグドラシル』の根元に集落を築いております。そこが、我らがエルフヘイムの中心であり、最も神聖な場所です。」
見上げるほどの巨大な樹木。その頂は雲に隠れ、根元は広大な大地に深く根を張っている。まさに、世界を支える大樹といった趣だ。
「聖樹ユグドラシル……。あそこまで枯死病が及んでいるのか?」
龍馬の問いに、フィリアは悲しげに頷いた。
「はい。聖樹ユグドラシルの生命力も、徐々に弱まっております。聖樹が枯れれば、我らエルフの命も尽きると言われております……。どうか、貴様の力で、聖樹を救ってくだされ。」
フィリアの言葉に、龍馬は使命の重さを改めて感じた。島の遺跡の魔力異常を『調律』した時とは比べ物にならないほどのスケールだ。
やがて、一行は聖樹ユグドラシルの根元に広がるエルフの集落に到着した。集落は、樹木の枝や幹に沿って、自然と一体化したように築かれている。木製の家々や、空中にかかる吊り橋が、周囲の自然と調和していた。しかし、集落全体を覆うのは、沈痛な雰囲気だった。多くのエルフたちが、枯れかけた聖樹を見上げて、悲しみに暮れている。
「フィリア様! お戻りになられましたか!」
集落の入り口で、数人のエルフがフィリアに駆け寄ってきた。彼らは、龍馬とルミリアを見て、警戒の眼差しを向ける。
「皆の者、恐れることはない。この方こそが、我らが古き伝承に語り継がれし、『調律者』、神城龍馬殿だ。この森の枯死病を癒す力を秘めておられる。」
フィリアがそう告げると、エルフたちはざわめいた。驚きと、かすかな希望の入り混じった視線が、龍馬に集中する。
その時、一人の年老いたエルフが、杖をつきながら現れた。彼は、最も古参の聖樹医術師であり、エルフヘイムの長老であるエルロンだ。
「フィリアよ、まことか? この若者が、伝説に語られし調律者であると?」
エルロンの瞳は、智慧に満ちた光を宿していたが、その表情は疲弊しきっている。彼は、龍馬をじっと見つめ、その魔力を探るように目を細めた。
「確かに……。この若者の体から感じる魔力は、尋常ならざるものがある。だが、枯死病は深き根を張っており、並大抵の力ではどうにもならぬ。本当に、聖樹を救えるのか?」
エルロンの言葉には、長年の絶望が滲んでいた。
「長老、この方のお力は確かです! 先ほど、枯れかけた大木を、実際に回復させてみせました!」
フィリアが力強く証言すると、周囲のエルフたちから、驚きの声が上がった。
龍馬は、エルロンの前に進み出た。
「長老エルロン殿。俺は神城龍馬。この枯死病は、森の魔力バランスの歪み、不純な魔力によって引き起こされています。俺の『調律の魔法』で、それを浄化することができます。この目で、この森と、聖樹ユグドラシルの現状を確かめさせてほしい。」
龍馬は、まっすぐにエルロンの目を見て言った。その言葉には、偽りのない誠実さが込められていた。
エルロンは、龍馬の目から、確かな決意を感じ取ったのだろう。彼は、ゆっくりと頷いた。
「よかろう。では、我らが希望、調律者よ。聖樹の元へと案内しよう。しかし、病は深く、道は険しい。覚悟せよ。」
エルロンの言葉に、龍馬は深く頷いた。
ルミリアは、その間、ずっと龍馬の傍らに静かに立っていた。彼女の視線は、周囲のエルフたちに向けられていた。彼らの悲しみに満ちた表情に、ルミリアの瞳が微かに揺れる。龍馬がフィリアの悲しみに共感したように、彼女もまた、エルフたち全体の悲しみを共有しているようだった。
「マスター……この、聖樹ユグドラシルから、非常に強い魔力の歪みを感じます。そして、この不純な魔力は……この世界の、深淵に繋がる、何かと関係している可能性が高いです。」
ルミリアが、龍馬の耳元でそっと囁いた。その声には、かすかな緊張感が混じっていた。
「深淵……?」
龍馬は眉をひそめた。単なる病気ではない、もっと根深い問題が隠されているのかもしれない。
エルロンの案内で、龍馬とルミリアは聖樹ユグドラシルの根元へと向かった。近づくにつれて、聖樹の巨大さが、さらに際立ってくる。幹の表面は、一部が黒ずみ、生命力が失われているのが見て取れた。そこからは、以前見たのと同じ、黒い不純な魔力が滲み出ている。
「これが聖樹ユグドラシル……」
龍馬は、その圧倒的な存在感に、再び息を呑んだ。しかし、同時に、その生命の象徴が、今まさに死に瀕しているという事実に、心が締め付けられた。
「長老、この不純な魔力は、どこから湧き出ているんだ?」
龍馬が尋ねると、エルロンは聖樹の幹の、さらに深くへと続く洞窟を指し示した。
「聖樹の根元には、古より『深淵の洞窟』と呼ばれる場所がある。そこは、我らエルフでも立ち入ることを禁じられた、聖なる、しかし同時に危険な場所だ。枯死病の根源は、どうやらその洞窟の奥深くから湧き出ているらしい。」
「深淵の洞窟……」
龍馬は、その名に、何らかの悪意を感じた。ただの魔力異常ではない、何か意図的なものが潜んでいるような予感がした。
「マスター……私の分析では、この不純な魔力は、この世界の魔力バランスを意図的に崩そうとしている、『侵食』の魔法と非常に酷似しています。そして、その痕跡は、かつて私が存在した、別の異世界の崩壊にも関係していました。」
ルミリアが、かつてないほど真剣な声で告げた。彼女の瞳には、微かに、過去の記憶がフラッシュバックしているかのような、複雑な感情が揺らめいている。
「別の異世界の崩壊……? それって、どういうことだ、ルミリア!?」
龍馬は驚いてルミリアを見た。彼女は、まだ何か隠していることがあるのだろうか?
ルミリアは、その問いに答えなかった。ただ、その表情は、僅かに苦痛に歪んでいるように見えた。
「……マスター。深淵の洞窟の調査が、この世界の調律の鍵となるでしょう。そして、この侵食魔法の根源を断ち切らなければ、枯死病は何度でも再発します。」
ルミリアはそう言って、深淵の洞窟の入り口をじっと見つめた。その瞳には、かつてないほどの、強い決意と、そして、かすかな不安が混じっていた。
龍馬もまた、深淵の洞窟の入り口を見つめた。そこには、ただの病気以上の、この世界を脅かす、根源的な悪意が潜んでいる。
「よし、ルミリア。行くぞ。このエルフヘイムを救うために、そして、お前が抱えているかもしれない過去の謎を解き明かすために。」
龍馬は、ルミリアの手をそっと握った。ルミリアは、龍馬の手の温かさに、僅かに驚いたようだったが、すぐにその手を強く握り返した。
二人の間には、言葉以上の確かな絆が生まれていた。聖樹ユグドラシルの根元に広がる深淵の洞窟。その奥に、この世界の危機を招いた真の元凶が潜んでいる。龍馬とルミリアの、この異世界での本当の戦いが、今、まさに始まろうとしていた。
第十二話では、龍馬とルミリアがエルフの集落と長老エルロンに出会い、聖樹ユグドラシルの危機を認識しました。枯死病の真の原因が「深淵の洞窟」にあること、そしてルミリアが「侵食魔法」という言葉と共に、自身の過去に何か関連があるかのような示唆を与えることで、物語の謎がさらに深まります。龍馬とルミリアの絆も深まり、いよいよ物語は核心へと迫っていきます。




