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第一話:部屋ごと異世界転移! 全裸メイドと始まる新生活

神城龍馬、23歳、独身。東京の片隅にある築浅アパートの一室が、今日の終着点だった。午前9時から始まった仕事は、終わってみれば午後9時を回っていた。保険会社の営業職に就いて五ヶ月。慣れない仕事は心身を深く蝕んでいた。今日もノルマ達成にはほど遠く、上司の嫌味を聞き流すのに精一杯だった。早くこの疲労感を洗い流して、寝てしまいたい。


カチャリ、と鍵を開け、重い足取りで部屋のドアを開ける。その瞬間、室内に満ちる淡い光に、龍馬は目を瞬かせた。蛍光灯の明かりとは違う、青みがかった不思議な光。何かの間違いか、と一瞬頭をよぎったが、確かに自分の部屋だ。しかし、この光は何だ?


恐る恐る一歩足を踏み入れると、その光の源が判明した。部屋の中央、フローリングの上に、一人の女性が横たわっている。


「……は?」


龍馬は言葉を失った。女性は全裸だった。水色の長い髪が床に広がり、整った顔立ちにはまだ幼さが残っているように見える。年齢は二十歳くらいだろうか。均整の取れた肢体は、モデルと見紛うほどだった。


「ちょ、ちょっと待て。何だこれは?」


焦りが込み上げ、龍馬は咄嗟に部屋を間違えたのかと思い、ドアノブに手をかけた。しかし、なぜかドアが開かない。強く引いても、押しても、ビクともしない。


「いや、鍵を開けて入ってきたのだから、ここは自分の部屋だ」


冷静になろうと、一度大きく深呼吸をする。しかし、目の前の現実がそれを許さない。部屋に戻って、まだ横たわっている女性に目を向ける。その時、女性がゆっくりと目を開け、静かに上半身を起こした。


「え、あ……」


龍馬は、裸の女性を目の前にして、どこに視線を置けばいいのか分からず、あたふたする。女性はそんな龍馬の戸惑いをよそに、澄んだ瞳でじっと見つめてきた。そして、おもむろに口を開く。


「◆※△□◎◇!」


龍馬は、その発せられた言葉に呆然とした。どこの国の言葉だろうか? まったく聞き覚えのない、抑揚のない響きだった。


「何を言っているんだ?」


思わず龍馬が声を出すと、女性はぴたりと話しをやめた。そして、再びゆっくりと口を開く。今度は、少し間が空いた後、はっきりとした日本語が耳に届いた。


「只今のマスターの発言により、言語のインストール完了」


「は?」


呆然とする龍馬に、女性は向き直り、ゆっくりと、しかし感情のこもらない声で話し始めた。


「私はルミリア。マスターであるあなたの指示に従う魔導生命体です。マスターはこことは違う異世界の管理者に選ばれ、私が遣わされました。今後は常にあなたとともにありますので、何なりとお申し付けください。そして今この部屋は既に部屋ごと異世界に転移され、どの国にも属さない島の中にあります。」


ルミリア、と名乗る女性は、淡々と信じられないことを告げた。異世界? 転移? 頭が情報を処理しきれずに混乱する。だが、もし本当ならば、このドアが開かないのも、部屋に現れた全裸の女性も、全て説明がつく。


「異世界に……転移?」


龍馬は、まだ信じられない思いでルミリアを見つめ返した。そして、一縷の望みをかけて、もう一度ドアノブに手をかける。今度は、軽くひねると、何の抵抗もなくドアは開いた。


だが、その先は、見慣れたアパートの廊下ではなかった。


目の前に広がっていたのは、深い緑に覆われた森の一角。草木の匂いと、遠くで聞こえる波の音が混じり合って、潮の香りが風に乗って運ばれてくる。空には見慣れない鳥が舞い、頭上には東京では見たこともないような大きな月が輝いていた。遠くには、海らしきものがキラキラと光っている。まさしく、どこかの無人島のような光景だった。


「信じられない……本当に……」


龍馬は茫然と立ち尽くした。たった数分前まで、東京のど真ん中で疲労困憊のサラリーマンだった自分が、今、見知らぬ異世界にいる。しかも、部屋ごと。


その時、ルミリアが龍馬の隣に立つ。彼女はまだ、何も身につけていなかった。


「……魔法生命体……なぜ君は裸なんだ?」


龍馬は思わずそう尋ねた。さすがに、いつまでも全裸の女性が隣にいるのは、心臓に悪い。


「私は先ほど管理者に生命を与えられたばかりだからです。気になるのであれば、魔法で服を作成します。どんなものがお好みですか?」


ルミリアは、感情の読めない表情でそう答えた。生命を与えられたばかり? そんなことがあり得るのか。しかし、目の前の状況がその言葉を肯定している。どうせなら、と龍馬の頭に、少しだけ不純な考えがよぎった。


「そうだな、かわいいメイド服が良いかな。」


言ってから、自分で顔が熱くなるのを感じた。何を言ってるんだ、俺は。こんな状況で。だが、ルミリアは一切気にする様子もなく、瞳を閉じた。すると、淡い光が彼女の体を包み込み、光が消えると、そこには黒と白のフリルが特徴的な、完璧なまでに可愛いメイド服を身につけたルミリアが立っていた。細身の体にぴったりとフィットしたその姿は、まるで一流のコスプレイヤーのようだった。


「……すごいな。」


龍馬は素直に感嘆の声を漏らした。目の前で魔法が使われるのを初めて見た。


「マスターの服も、こちらの世界に合うように作成します。」


ルミリアはそう言うと、再び目を閉じた。龍馬の着ていたスーツとワイシャツが、瞬く間に光に包まれ、次の瞬間には、肌触りの良い麻のシャツと、動きやすそうなカーゴパンツに変わっていた。足元も、革靴からトレッキングシューズのようなものに変化している。


「おぉ……これは助かる。」


異世界でスーツ姿では、あまりに浮きすぎる。ルミリアの配慮に、龍馬は少しだけ安堵した。


「この部屋は管理者によってすべての物が転移前のように使えるようになっています。」


ルミリアの言葉に、龍馬は半信半疑で、キッチンの蛇口をひねってみた。ゴボゴボ、と音を立てて、勢いよく水が出てくる。普通に水が使える。ガスコンロも、電気も、何もかもが転移前と変わらない。


「この世界には魔法があります。マスターもこの世界の者以上に魔法が使えるようになっているはずです。」


ルミリアが淡々と告げる。


「俺が、魔法を?」


疲弊しきっていたはずの体が、まるで新しい力を得たかのように、少しだけ軽いような気がした。冗談のような話だが、目の前の全てが現実だ。異世界転移、魔導生命体、そして魔法。


これまでの人生で感じていた全てのしがらみから、自分が切り離されてしまったような感覚。そして、その解放感と共に、得体のしれない、しかし確かな興奮が、龍馬の胸に広がり始めていた。


「ルミリア……だな?」


龍馬は改めてルミリアに向き直った。彼女の澄んだ瞳は、相変わらず感情を映していない。


「はい、マスター。」


「管理者ってのは、俺をこの世界に連れてきた奴ってことか?」


「その認識で間違いありません。管理者は、マスターにこの世界の調律者としての役割を期待しています。その詳細については、マスターがこの世界に適応し、自身の力を理解するにつれて、徐々に明かされるでしょう。」


「調律者……か。」


全く意味が分からない言葉だが、この状況を受け入れるしかない。疲弊しきっていた東京での生活とは、あまりにもかけ離れた、とんでもない非日常。しかし、なぜか、心の中のどこかに、小さな高揚感が芽生えていた。社畜としての未来に絶望していた自分にとって、これはもしかしたら、人生を変えるきっかけになるのかもしれない。


「とりあえず、今夜はここで寝るのか……」


龍馬は自分の部屋を見回した。見慣れた家具、見慣れた壁紙。だが、窓の外は東京ではなく、見知らぬ森と海。


「はい、マスター。この部屋は安全です。管理者によって強力な結界が張られていますので、いかなる魔物も侵入できません。」


ルミリアの言葉に、龍馬は少しだけ安堵した。しかし、まだ戸惑いが大きい。


「じゃあ、ルミリアはどこで寝るんだ?」


思わず龍馬が尋ねると、ルミリアは少し首を傾げた。


「私は魔導生命体ですので、睡眠の必要はありません。マスターのお傍に控え、常に指示をお待ちしています。」


「いや、でも……」


龍馬は言葉に詰まった。確かにメイド服は着ているが、元は全裸だった女性が、この狭いワンルームで一晩中そばにいるというのは、やはり居心地が悪い。ましてや、感情がないとはいえ、目の前で着替えたりするわけにもいかないだろう。


「……とりあえず、今日はもう疲れたから、寝る。ルミリアも、その……どこか適当な場所で休んでくれ。別にずっと俺のそばにいなくてもいい。」


龍馬はそう言って、寝室のベッドに向かった。ルミリアは無言で一礼すると、部屋の隅にある書斎の椅子に腰掛けた。その姿勢は、まるでオブジェのように微動だにしない。


ベッドに横たわると、龍馬はふぅ、と息を吐いた。身体は鉛のように重いのに、興奮しているのか、なかなか寝付けそうにない。窓から差し込む異世界の月の光が、部屋を淡く照らしている。遠くで、波の音が繰り返し聞こえてきた。


明日から、一体どうなるのだろう。


会社は? 実家は? この異世界で、自分は何をするのだろう。


不安と期待が入り混じったまま、龍馬はゆっくりと意識を手放していった。その隣には、静かに佇むメイド服姿のルミリアが、淡い月の光の中で、ただただマスターの安眠を見守っていた。彼女の瞳に、感情の輝きが宿る日は、まだ遠い。

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