「告白と、その後に続くもの」
さて、そろそろ正直に書かねばならない。
私の筆は一見、軽妙なエッセイを装ってきたかもしれないが、じつを言うとその裏には、かなり洒落にならない真実が隠れていた。
実は――息子のことを、この手で殺したのは私だ。
こんな告白をいきなり聞かされても、多くの方は「冗談じゃないか?」と思うだろう。
ところが残念ながら冗談ではない。
そもそもあの子が大きくなったら二郎系ラーメンに連れて行くなどと言っていたが、それももう叶わない話だ。
どうしてこんなことになったのか? それは私が抱えていた、とある秘密から始まる。
東京に住んでいた頃、ラーメン好きの“友人”と一緒に行列に並んでいたと書いた。
しかし、単なる友人というよりは「愛人」というほうが正しい。
しかも、ヘビー級の豚入りラーメンを何時間でも並んで食べられるほどの行動力と、“妙な計算高さ”を持ち合わせていた女性だった。
私は当時、今の妻と婚約間近でありながら、どうにも誘惑には勝てず、その女性と深い仲になってしまった。
そして結婚して静岡に引っ越した後も、こっそり連絡を取り続けていたのだ。
しばらくは平穏な日々を装っていたが、最近になって彼女から連絡が入るようになった。
金銭的に困っているから助けてほしい、と。
困ったことに彼女は私との“親密な証拠”をいくつも握っていたらしく、もし支払いを渋るなら妻や世間にバラすと言い出したのだ。
さらに悪いことに、息子がスマホをいじっているとき、どうやら私とその女性のやりとりを見てしまったらしい。
純粋な息子が母親に告げ口するのは時間の問題だった。
そこで私の頭に浮かんだのは、“息子にバレるなら、黙らせるしかない”という短絡的な考えだった。
愛人の言葉を鵜呑みにしたわけではないが、「バレて困るなら、なかったことにすれば?」と何度か半ば冗談で彼女から言われていたのも事実だ。
気づけば河原で息子を呼び止め、衝動的に手をかけてしまった。
あまりにあっけなく、取り返しのつかない事態になった。
こうしてみると、人間というのは実に勝手な生き物だ。
ラーメンの脂身よりも自分の保身を優先するし、愛情のはずがあった家庭さえも守る気力が失せる。
あれだけ面倒くさがりだった私が、ここまで必死に取り繕っていたのだから、ある意味すごい集中力ともいえるかもしれない。
では、なぜこんなふうに書き綴っているのか?
理由はふたつある。
ひとつは、警察の捜査が進んでいる以上、遅かれ早かれボロが出るだろうと悟ったこと。
いずれは何らかの方法で真実を告白しなければならないのなら、いっそ自分で自分の首を絞めにかかるほうがマシだと思ったのだ。
もうひとつは、これまで“軽妙なエッセイ”として読んでくださった方々を最後に裏切ってしまおうという、歪んだ自己顕示欲。
要は、これが私流の“舞台挨拶”なのである。
まるで舞台裏で悪役が「実はヒーローも僕が倒したんですよ」と囁くようなものだ。意地悪だと思われても仕方がない。
それでも、ここまで書いた以上はもう取り繕えない。
これまでの話をエッセイだと思って読んでいただければこそ、その裏に隠された冷酷さを感じ取っていただけるはずだ。
思えば、母親の雑誌代をくすねたのとは比べ物にならない悪事を犯してしまった。
ただ、あの頃の腹黒さは今も健在だなと我ながら思う。
人間の裏側とはこんなに薄っぺらいものか、と呆れる方もいるだろう。
いずれ警察が私を訪ねてくるだろうし、裁判か何かになるのかもしれない。
もしかしたらこの文章が証拠として提出される可能性だってある。まあ、どのみち世間にバレるなら、先に白状しておくのも一興というわけだ。
──ということで、この場を借りて改めて言っておく。
「実は私がやりました」という一文。
それこそが私が書きたかった結論だ。
エッセイ調で逃げ回るのはここまで。
読者の皆さんには、今まで軽妙な話を並べておいて最後にこんな仕打ちをして申し訳ない。
だが、ちょっと考えてみてほしい。
世の中のドラマやエッセイなんて、程度の差はあれ、どこかしら誇張や嘘が混じっているものだ。
私の場合、その“嘘”があまりにも大きかったというだけである。
最後までおつきあいいただいて、ありがとうございました。
これでやっと、筆を置くことができます。