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「引き出しの奥の過去」

事件からしばらく経ち、わが家には警察の人たちがちょこちょこ顔を出すようになった。

近所の交番勤務らしき若い巡査から、いかにも刑事ドラマに出てきそうな渋いスーツ姿の捜査員まで、バラエティに富んでいる。

私はどちらかというと「お巡りさん=道案内」ぐらいのイメージしかなかったのだが、今回はそうはいかない。

何しろ「事件」だからだ。


 聞かれることは多岐にわたる。

最後に息子を見かけたときの様子や、普段の友達関係、部活のこと、さらには私たち家族のふだんの生活サイクルまで。

果てには「奥さんとの仲はどうですか?」なんて、プライベートの核心に突っ込んでくる。

いや、そもそもそんなに仲が悪いわけではない…はずなのだが、いざ聞かれると歯切れが悪くなる。

インスタントラーメンのスープみたいに、うまく混ざらない沈殿物が少々あるような気がしないでもない。


 もっと困るのが、私自身への質問がやたらと細かいことだ。

「最近は何をされてましたか?」「夜はどこに行かれましたか?」といった外出確認はもちろん、意外なことに「東京に住んでいた頃のお知り合いは?」なんて切り込んでくる。

いや、昔の知り合いは何人かいるが、詳しく語るにはちょっと抵抗がある。

たとえば、“ラーメン好きな知人”の存在をどこまで話したものやら。

正直、向こうが何を疑っているのかも掴めず、つい言葉を濁してしまう。


 妻はというと、私とは別の部屋で話を聞かれているようだ。

リビングから薄く聞こえる声が、いつになく低いトーンで続いているのがわかる。

それでも客間や台所は片付いていて、外から見れば「普段通り」にも見えるかもしれない。

しかし、普段であればテーブルに置いてあるはずのティーセットが、今日はやたら奥まった位置に隠されている。

おそらく、落ち着いてお茶を淹れる余裕もないのだろう。

目の届くところにあったはずの冷蔵庫メモもどこかへ消えている。

とにかく家の中がそわそわしているのだ。


 警察の方々も当然ながら真剣な表情で、家族以外にも息子の友人や学校関係者に聞き込みをしているらしい。

担任の先生はかなり驚いていたようで、「何か手がかりになることがあれば…」と協力を申し出てくださったと聞く。

そんな中、「もしかしたら家族内でゴタゴタがあったのでは?」という視線が私に向けられているのは、気のせいだろうか。

もちろん「いやいや、そんなことはないですよ」と答えはするが、どうにも言葉が足りない気がする。

まるで、引き出しの奥にしまい込んだ何かをこじ開けられそうで落ち着かない。


 実を言うと、私には東京で暮らしていた頃の話をあまり大っぴらにしたくない理由がある。

大昔からの友人ならまだしも、深く立ち入られると困る“知り合い”というのが存在するのだ。

もちろん、これは事件とは全然関係ない……はずなのだが、そういうときに限って「あの人、今どこで何をしてるんだろう」と頭をよぎってしまう。

以前、思いがけずSNSでつながったきり連絡を取っていなかったが、なぜか最近「お元気ですか?」というメッセージが届いていたような記憶もある。それを警察が知ったら、あらぬ方向に疑われやしないだろうか。


 世間は想像以上に“事件”というものに敏感なようで、近所でも妙に距離を置かれる気配を感じる。

わが家の前を通る際に視線を感じることが増えたし、ゴミ出しに行けば「こんなタイミングだけど大丈夫?」なんて、どう反応していいか困る声をかけられる。


いつのまにか外を歩くときも、周りの顔色をうかがう自分がいる。

それでも食事は取らなければならないし、洗濯物も干さなくてはならない。日常の雑事は淡々と続くという不思議さを、私はこの数日で痛感している。


 そんなわけで、警察の捜査は着々と進んでいる。

息子が学校でどんな行動をしていたのか、部活外でどこに寄っていたのか。

それどころか、家族同士の人間関係まで丹念に調べられるらしい。

私としては「なぜ息子がこんな目に?」という気持ちがある一方で、自分が微妙に疑われている雰囲気もあって落ち着かない。

人間というのは、潔白なら胸を張ればいいはずなのに、何故か挙動不審になってしまうから不思議だ。


 それでも、はっきりさせないと先に進めない。

私もできるかぎり協力するつもりでいる。

息子がなぜこんなことになったのかを知るためにも、あの東京時代の話を、いずれは誰かに話す場面がくるのかもしれない。

引き出しの奥に眠る思い出は、今はまだ動かしたくないけれど、いつまでも封印できるかどうかはわからない。

何もかもが中途半端に宙ぶらりんで、これが“疑惑”というやつなのだろうか、とぼんやり考えている。

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