うさぎの子
ひだまり童話館『ぬくぬくな話』参加作品です。
冷たい風が山肌を撫でカサカサという乾いた音と共に枯れ葉が積もっていく。こんもりと積もった枯れ葉の中に茶色い毛の塊がちょこんちょこんと2つ顔をだした。ふわふわのほっぺを寄せ合いながらぬくぬくとお互いの体温で暖をとっている。すると少し離れた場所から母うさぎが子ウサギたちを呼んだ。
「ほら、早くそこから出なさい。まだ緑の葉があるうちに食べておかないと。冬が越せないわよ」
「えー、だって寒いんだもん」
「そうだよ。それにいざとなったらお母さんのお乳を飲めば大丈夫だよ」
子ウサギは口々に言った。彼らは子ウサギと言っても母うさぎと大きさがほとんど変わらない。乳離れもとっくに済んでいたが母うさぎの乳はまだ飲み盛りの赤ん坊でもいるように張っていた。
「そんなことを言って。いつ乳が止まるか分からないでしょう?」
母うさぎはいつまでも張った乳に困っていた。幾度と子育てをしてきたがこんなことは初めてだった。それにチクチクと張る乳の痛みは悲しい出来事を思い出す。母うさぎには3羽の子うさぎがいた。しかしそのうちの1羽を野良猫に襲われてなくしたのだった。その時も母うさぎの乳はチクチクと痛んだ。悲しそうな母うさぎの顔を見て子うさぎたちは枯れ葉の中から出ると母うさぎに寄り添った。そうするとうさぎたちは何だか安心できた。
「これからどんどん寒くなるわ。私たちは助け合わなければ冬は越えられない。仲間たちのためにも生きなければいけないのよ。今のうちに少しでも多く栄養のあるものを食べておきましょう」
母うさぎはそう言うとぴょこぴょこと木の間を走った。子うさぎたちもぴょこぴょこと続いていく。
途中、母うさぎは立ち止まり鼻をピクピクと動かした。風に流されて上手く嗅ぎ取れないけれどそれは山では嗅いだことのない匂いだった。子うさぎたちも鼻をピクピクとして匂いの先を探し出す。
「なんだろう? この匂い。ちょっと甘くて不思議な香り」
「うん、何か知ってるような。全然違うような……」
その時、一際濃い香りがウサギたちの鼻に入り込んだ。2羽の子うさぎは顔を見合わせた。
「乳だ! 美味しそうな乳の香り!」
子うさぎたちは嬉しそうに匂いの方へと走り出す。母うさぎは乳の匂いの中にかすかに人間の香りを感じた。
「待って! 人間がいるかもしれないわ」
しかし、走り出した子うさぎたちに聞こえていない。母うさぎが慌てて追いかけると子うさぎたちは急に立ち止まり怯えた顔をした。
そこにいたのは子ウサギよりもずっと小さな子猫だった。汚れた毛布に震えながら眠る子猫の横には皿にミルクが入っていた。毛布からは人間の匂いがする。この子猫は人間に捨てられたのだろう。
まだ目も完全に開いていない子猫はうさぎたちのかすかな気配を感じたのか小さな声でみゃーと鳴いた。すると母うさぎの乳が子猫の鳴き声に反応して乳が滲み出た。
その乳の香りに子猫はさらに乳を求めて鳴きだした。口もつけていない冷たいミルクにハエがブンブンと集まり出している。放っておけばいずれ、ハエたちはこの小さな子猫に卵をうみつけるだろう。
「お母さん、早く逃げよう。こいつは猫だ! 弟を襲ったのと同じ凶暴な猫だよ!」
母うさぎは子猫を見た。子猫はか細い声を絞り出し全身で母を求めていた。猫は怖い。しかし、そこにいるのはただ母を求めているだけの小さな命だった。母うさぎの乳がチクチクと痛み、疼く。母うさぎはたまらずに自分の乳をやった。
「お母さん?」
子どもたちはとてもびっくりしていた。母うさぎは一生懸命に乳を飲む子猫を優しく見守る。
「今、この子は虫よりも弱いただの赤ちゃんなのよ。どんな子どもにも母親が必要だわ」
それから母うさぎは子猫の世話をした。最初は怯えていた子うさぎたちも一緒に過ごすうちに子猫を弟のように可愛がった。夜にはみんなで固まって寝た。1匹増えただけで温かさが増して、それはとても幸せなひとときだった。子猫はうさぎの乳を飲んですくすくと育っていった。
「僕も早くお兄ちゃんたちみたいな立派な耳にならないかなぁ!」
うさぎに育てられた子猫は自分もいつかうさぎになれると信じていた。
「俺たちもそう思ってるよ。でも猫はうさぎになれないんだよ」
それを聞いた猫はしょんぼりとした。
「立派な耳がなくてもお前は俺たちの弟だよ」
すっかり立派になった子ウサギたちも心から子猫がうさぎになれたら良いと思っていた。でも子猫は葉っぱを食べないし、うさぎはコオロギを追いかけたりはしない。それでもうさぎたちはそっと子猫に寄り添った。ぴゅうと冷たい木枯らしが吹いてもみんなでぎゅっとしていれば平気だった。
「ねぇ、ぼうや、うさぎも猫も温かい。温かさはみんな同じね」
母うさぎが言った。
「うん」
子猫は嬉しそうに返事をして母うさぎに頬ずりをした。母うさぎはそれに応えるように穏やかに目をつぶる。
母うさぎは子猫が我が子と同じように愛おしくてたまらなかった。
そして山にその年初めての雪が降った。緑の葉はもうほとんどなく、うさぎたちは木の皮や茶色くなった草を食べた。子猫は乳だけでは足りずに枯れ葉を掘り起こして、そこにいる虫を食べるようになった。寒くなるとうさぎたちは群れの巣穴で過ごすことが増えてきた。しかし、仲間のうさぎは子猫を仲間として認めなかった。
「あの猫をどうするつもりだ? あいつは飢えれば私たちを食うぞ」
「あの子はまだ子どもよ。それに私は乳がまだ出ますからお腹が空いたならあの子には私の乳をやります」
「何故おまえが猫にそこまでしなければならない?」
仲間のうさぎはいら立ちながら言った。
「あの子は私の子ですから」
母うさぎは迷いなくそう答えた。
それから雪が積もりだし、食べるものがなくなると猫は次第に飢えていった。大好きなうさぎたちを見るとよだれが止めらなくなった。やりたくないのに柔らかな首元に噛み付いて襲いたくなる。子猫はそんな自分が怖かった。
「大丈夫か?」
子ウサギが心配して近づくと子猫はシャーっと牙を剥いた。
「兄さんたち僕に近づかないで!」
「なんだよ、どうしたんだよ。俺たちが嫌いになったのか?」
「そんなわけないよ。僕が嫌いなのは自分なんだ。僕は自分が怖い。このままじゃお母さんや兄さんたちを傷つけてしまう。もう一緒にはいられないよ」
猫はポロポロと涙を流した。母うさぎは静かに言う。
「そうね、一緒にはいられない」
仲間のうさぎたちが猫を見る目はますます冷たくなっていた。このままでは兄弟のうさぎたちも巣穴を追い出されてしまうだろう。子猫は小さく頷いた。母うさぎは子猫のそばに行き、慰めるように鼻をピクピクと動かした。
「だからぼうやは私と一緒にここを出るのよ」
「じゃあ俺たちも」
子うさぎたちも言ったがそれは母うさぎが許さなかった。
「あなたたちはもう立派な大人のうさぎよ。前にも言ったでしょう? うさぎは仲間のためにも生きなければいけない。でも私はぼうやの母だからこの子のそばにいるわ」
母うさぎと子猫は兄弟のうさぎに見送られながら群れから離れた。
雪が降る中、泣き続ける子猫に母うさぎはぴったりとよりそう。
「私はぼうやのそばにいるわ。ずっとずっとね」
母うさぎと子猫は寄り添い、お互いの体温と不安や哀しみを分け合った。
それから子猫はうさぎの乳を飲んで飢えをしのいだ。しかし、冬の厳しさは容赦なく母うさぎと子猫を襲う。降り止まない雪が山を包み、わずかな食糧さえも覆い隠していく。食べ物が少なくなるとうさぎの乳の出はどんどんと悪くなっていった。
ある吹雪の日、雪が吹き込む小さな穴に身体を寄せ合うと子猫は母うさぎの腹に顔をうずめ乳を探した。
「お母さん、僕お腹がすいたよ」
「もう乳は出ないのよ」
しかし、そう言った母うさぎはとても優しい目をしていた。そして続けて言った。
「だから私を食べなさい」
子猫はびっくりして全身の毛が逆立つのを感じた。
「何言っているの? 嫌だよ!」
「言ったでしょう? 私はずっとぼうやのそばにいるって」
「そんなことできるわけないじゃないか!」
しかし猫の腹が鳴り、爪はうさぎを切り裂こうと力が入る。同時に子猫は罪悪感と嫌悪感に苦しんだ。
「猫はうさぎを食べるのよ。今なら分かる。私の子を襲った猫もただお腹が空いていただけ。生きるためにそうしただけ。何も悪いことなんてしていない。だからあなたも私を食べて生きなさい」
うさぎの言葉が猫の心に突き刺さる。
「僕はうさぎは食べない! だって僕はうさぎの子なんだ! お母さんを食べるくらいなら僕は……僕は……」
猫はたまらず走り出した。
「ぼうや!!」
猫はうさぎが呼び止めるのも聞かずに吹雪の中を走り出した。走って走って山を下り、力尽きるまで走り続けた。
寒さと空腹で死にそうだった。でも家族を傷つけるよりずっといい。猫は息が苦しくても肉球から血が滲んでも走り続けた。
子猫が夢中で走り続けると道はいつしか平坦になり吹雪も止んでいた。雲の隙間から月明かりがこぼれ、雪でびしょ濡れになった猫を照らした。子猫は立ち止まった。霜焼けで感覚のなくなった足が小刻みに震えている。その足が踏んでいたのは凍った黒くて固い地面だった。
ピカっと眩しい光が目に入る。光はすごい速さでブーンと大きな音を立てながら猫に近づいていた。その眩しさに目を閉じると身体から力が抜けてぱたりと倒れた。
「もう動けない…」
眩しい光は倒れた子猫を照らすとキューっと音を立てて止まった。
「こんなところに子猫が?」
車から出てきた男が倒れた猫を抱き上げた。子猫は微かに息をしていた。子猫を優しく抱え車に戻ると後部座席から小さな女の子が身を乗り出した。
「お父さん! 何を持っているの!?」
車の中のライトに照らし出されたのは今にも死にそうなほど痩せほそって震えている子猫だった。
「まぁかわいそうな子猫」
女の子の隣で母親が言った。
「子猫はママとはぐれちゃったの?」
「そうね、この寒さでは子猫はひとりで生きていけないもの」
すると女の子はひざに置いていたうさぎのぬいぐるみで猫を包み込んだ。
「大事なミミちゃんを子猫にあげてもいいの?」
母親が聞くと女の子は頷いた。
「だって子どもにはママが必要でしょ? だからこれからはみみちゃんがこの子のママなの」
うさぎのぬいぐるみには女の子の温もりが残っていた。そのぬくぬくとした温かさに子猫の震えは止まり安心したように穏やかな寝息を立て始めた。
「こうして見るとまるで本当にうさぎに育てられたみたいだね」
父親が言う。
「まぁ、パパったら。うさぎが猫を育てるわけがないじゃない」
ママはそう笑った。
車は子猫を乗せて走り出す。子猫はうさぎのぬいぐるみの中で母うさぎや子うさぎと共に眠る幸せな夢を見ていた。