01 最弱のスライムに育てられた少年、最強の剣聖皇女を助ける
01 最弱のスライムに育てられた少年、最強の剣聖皇女を助ける
スライムの里は、地図にもない場所にある。
なぜならば、スライムは人間からも魔物からも、誰からも必要とされていないからだ。
里はスライムと動物たちが仲良く暮らす、平和でのどかな場所であった。
しかし、今日ばかりはみんな右往左往している。
なぜならば、この里において唯一の人間である、少年が旅立つ日だったからだ。
みんなの憩いの場である森の広場には、色とりどりのスライムたち。
そしてウサギやシカ、クマやイノシシ、モグラや鳥などの動物たちが勢揃い。
中心にいる少年を、心配そうに見つめていた。
少年の目の前にある切り株、そこに乗っていた水色のスライムがぷるぷるしながら言う。
「スライよ、今日はお前の16歳の誕生日。
人間オスは16歳になると、掟としてひとりで故郷を離れ、立派なオスになるために学校というものに通わなくてはならない。
お前がいま着ているのは、遥か遠くの街から取り寄せた学校の制服だ」
スライと呼ばれた少年は、黒と赤を基調としたロングコートの制服一式をまとい、腰からはポーチを提げている。
「我らスライムは、魔物からは除け者にされ、人間からはいじめられる不遇の存在。
この里で育ったお前が一歩でも外に出れば、厳しい現実が待っているかもしれん。
だがそれを乗り越えてこそ、お前は一人前のオスになれるのだ」
水色のスライムに寄り添っていた、ピンクのスライムがぷるぷるする。
「でも辛かったら、いつでも戻ってきていいからね。
あなたは人間でも、パパとママの本当の子供なんですから」
スライ少年はしゃがみこみ、バスケットボール大の両親を抱きしめる。
そのマシュマロのような弾力を感じられるのも、これで最後だ。
「オヤジ、オフクロ、行ってくるよ。
スライムは世界最弱って言われてるらしいけど、そうじゃないってことをこの俺が証明してみせる」
スライは立ち上がると、広場の仲間たちを眺め回す。
「みんなも、元気でな」
最後にそう言ってから背を向ける。
広場をあとにするスライ、その背中からは別れを惜しむ声、そして森の動物たちの鳴き声がいつまでもいつまでも鳴り響いていた。
スライは森を出て、草原を歩く。
馬車も通らない小さな道のかたわらには、花畑があった。
スライムのように鮮やかな花畑の中心には、桜の木が立っている。
それはまだ小ぶりで、桜の季節には少し早いのに満開だった。
まるでスライの旅立ちを盛大に祝うかのように咲き誇っている桜。
スライはその近くで立ち止まると、ピッと指で挨拶した。
「……師匠、俺のこと見守っててくれよな」
「やーだね!」
返事をするように、腰に提げていたポーチからなにかが飛び出してくる。
ソフトボールくらいの大きさのそれは、そこが定位置であるかのように、スライの左肩にちょこんと乗った。
「ぷっはー! 窮屈だったぜ!」
「なんだ、ライムじゃねぇか」
ライムと呼ばれたのは、ライムグリーンのスライム。
スライにとっては悪友よりの親友といった存在である。
「広場にいないと思ったら、こんな所にいたのかよ。見送りにきてくれたのか?」
「この俺様が見送りなんかシャバいことすっかよ、ヌッ殺すぞ! オメーがクソザコで心配だから、ついてってやろうと思ってな!」
「いや、ひとりで行かなきゃダメな掟なんだけど……」
「ひとり!? テメー、すっかり人間きどりじゃねぇか!」
ちなみにではあるが、スライムは『ひとプル』と数える。
「ちったぁ頭使えよ! ふたりならダメだけど、ひとりと『ひとプル』ならオッケーってことだろ!」
「なるほど、それもそうだな」
「それに、俺様は都会で暮らしたこともあっからな!
人間どもから『ライムのライちゃん』つって頼られまくってて、イカみてぇに引っ張りだこだったんだからよ!」
「なんだかよくわかんねぇけど、頼りになりそうだな。実をいうと俺、ちょっと不安だったんだよ。
師匠以外の人間と話したことねぇからさ」
「ったく、しょうがねぇなぁ! そこまで言うならついてってやんよ!
そのかわり、これからは俺様を師匠って呼べよ! それかハゲ野郎って呼べ! ってだれがハゲ野郎だ!」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
荒波割れる断崖が続く、海沿いの街道。
冷たい風が吹き荒れ、人気のないその道端には、ふたりの少女がいた。
ふたりとも学校の制服に身を包んでいたが、ひとりは剣を携えており、もうひとりは魔法使いの杖を握りしめている。
彼女たちはいかにも野盗といった風情の男たちに取り囲まれていた。
剣士風の少女が、腰に携えた剣の柄に手をかけたが、「おっと!」と野太い声が制する。
「おかしなマネをしたら、こっちのお嬢ちゃんがどうなっても知らねぇぜ?」
魔法使い風の少女は野盗たちの手にあり、首筋にナイフを突きつけられていた。
「お友達の命が惜しかったら、その剣を捨てな。でも剣は抜くんじゃねぇぞ、鞘ごと腰から外すんだ」
剣士少女は「くっ……!」と悔しそうに呻きつつ、腰のベルトから細身の剣を外す。
「地面に捨てて、途中で拾われちゃかなわねぇからな。二度と拾えねぇように、崖に向かって投げ捨てるんだ」
「そんな、この剣は……!」
「クダクダ言ってねぇで、さっさとしろ! お友達をブッ殺されてぇのか!」
剣士少女は逡巡したが、やがて目をきつく閉じて剣を高く放り捨てる。
剣は放物線を描きながら欄干を乗り越え、崖下へと消えていった。
その瞬間、野盗たちの顔から張りつめたものが無くなる。
「ぎゃははは! コイツ、マジで捨てやがった!」
「剣さえなけりゃ、もはや剣聖皇女なんかじゃねぇ! ただのガキだ!」
剣士少女は目を剥いた。
「あ……あなたたち、わたしを知ってて……!?」
「たりめーだろ! ただのガキを襲うんだったら、わざわざ人質なんか取るかよ!」
「ということは、あなたたちはケイオス組から雇われたのね!?
どうりで、こんな誰も通らない所に野盗がいると思ったら……!」
「いまさら気付いたところで遅ぇよ! お前たちはもう、学校には行けねぇんだ!
これから奴隷として、遠いところに売り飛ばされるんだからな!」
「でもその前に可愛がってやろうぜ! 学校じゃ教えてくれないことを、たっぷりと教えてやるとするか!」
「ぎゃははははは!」と嘲笑が迫ってくる。
むくつけき男たちに取り囲まれ、絶体絶命の少女たち。
剣士少女は悔しさで全身を震わせていた。
魔法使いの少女は恐怖で泣いていた。
そして少年は、ノンキであった。
「なら、俺にも教えてくれよ」
「だ……誰だっ!?」
その場にいた者たちが、一斉に声のしたほうを見る。
そこには、奇妙な少年が立っていた。
右肩にスライムを乗せ、そのへんで拾ったような棒きれで左肩をトントンと叩いている。
「オヤジが、学校ではなんでも教えてくれるっていってたけど、教えてくれないこともあるだなんて知らなかったぜ」
少年は緊張感のまるでない声で、ズカズカと輪のなかに入り込んでくる。
少女たちも野盗たちもポカーンとしていたが、やがてハッと我に返った。
「ふ、ふざけんな、このクソガキっ! それ以上近づくと、コイツの命はねぇぞっ!」
少年は「なにやってんだコイツら」と肩のスライムに向かって話しかける。
「おいおい、そのくらい見てわかんねぇのかよ! オスどもが、あのメスをいじめてんだよ!」
スライムの答えに、少年は「ふーん」と唸る。
手にしていた棒きれをカランと足元に落とすと、その手で肩のスライムをガッと掴む。
少女を人質に取っている野盗めがけ、ノールックでスライムを投げつけた。
野盗の顔面にスライムが命中し、緑色の粘塊となってびちゃっと貼り付く。
「うわっぷ!? な、なんだこれ、取れねぇ!? く、苦しいっ!? い、息が出来ねぇっ!?」
周囲にいた者たちはその光景に目を奪われていて、少年の動きを見ていなかった。
そして瞬きほどの間に、さらに信じられないことが起る。
少年と、人質だった魔法使いの少女は5メートルは離れていた。
しかし少年はその場から一歩も動かず、しかも一瞬にして少女を野盗の手から奪い去り、抱き寄せていたのだ。