信用ならぬは
『信用ならぬは、加賀の大工に富山の商人』と言う言葉がある。
加賀の人間はおっとりしていて、大工など春先までには家が建つといいながら、のんびり構えて、気が付けば年の暮れまで待たされる。
富山の人間は勤めて忙しなく、商人などゴミでもうまいこと言って売り捌くもんだから、気が付けば安物買いの銭失いになりかねない。
なんて事はない、土地柄を可笑しく揶揄しているだけだが、兎角この二国は相性が悪い。
では、加賀の男と富山の女が夫婦になれば、どんな塩梅だと気にしてみれば、ちょうどそんな家庭が東京にあった。
加賀、つまり石川県出身の旦那は、大工の倅というわけではないのだけど、なるほど殿様気質というか、どことなく浮世離れしていて、「うん」とか「ああ」とか曖昧な相槌ばかりを打って、特に家では良きに計らえで済ますことが多かった。
実際外では取り分け無口と言う訳でもないのだけれど、家では一もの申せば十の言葉が返ってくるものだから、言葉の洪水に飲み込まれ、言葉酔いし、波風立てずそれでいいやで済ますに限ると諦めていた。
では、妻はどうか。名を静香と言うが、皮肉としか思えないほどよく喋る。しかもこちらは富山の商売人の生まれだもんだから筋金入りである。
大事なことも取り留めもないことも、同じ調子でガヤガヤ語るもんだから、誰に対しても聞き流されることが多く、「私はちゃんといいました!」がいつしか口癖になっていた。
ではでは、子供はどうか。3つ歳の違う姉妹がいるのだけど、姉の茜は母親に似てよく喋る。トリガーが戻らなくなったマシンガンのように、次から次へ言葉を生み出すのは母親と同じだが、それでいて加賀の姫さま気質というか、持ち前の器量良しもあいまって、どことなく品があり何より愛嬌がある。おしゃべりする時は目をまん丸に見開いて、可愛らしくクスクス話すもんだから、大概のものは虜になり聴き入ってしまう。加賀の品と富山の活発さ、両方良いところどりしたような娘が、姉の茜だった。
ではではでは、妹の葵はというと、これはいささか残念であった。口は加賀の血が色濃く、一度頭で咀嚼しなければ言葉がでてこない。ならば姉のように愛嬌があるかと言われれば、饒舌になれず伝わらないことへの不満で、いつも顔をしかめてしまうものだから、姉に劣らずのせっかくの器量良しも台無しで、可愛げのない子だと蔑まれる。
「姉ちゃんはあれほど愛らしく人懐っこいと言うのに、妹はぶっきらぼうでニコリともしない。何考えてんのか知らないが、愛想のない子だよ」
周りからそんな風に後ろ指を刺されることもしばしばで、そんな折は世知辛い世間のことなど諦め、一人閉じこもり本の世界に逃げ込むのが葵の日常となっていた。
一事が万事この調子だから、大事なことも聞き漏らす。気が付けば冬休み、一人で母方の実家に里帰りすることになっていた。小学3年生の葵にとって、一人旅は初めての経験となる。
「だから母さんは、何度も言ったでしょう。今年は茜お姉ちゃんの中学受験勉強で構ってやれないから、一人でおじいちゃん家行きなさいって。
葵はうんって答えたよね?」
果たして言ったか。とんと思い当たる節が無く葵は首を傾げるが、母親がそう言うのならそうなのだろう、少なくとも母親の中では。
行けと言うなら行くのはやぶさかだけれど、「葵がいるとうるさくて、茜お姉ちゃんが勉強に集中できないから」と言う理由に甚だ納得ができない。集中したいなら、まず姉自身の口を閉じろと。
得意の舌先三寸で如何に中学受験が大事かを語り、両親を説得して受験に漕ぎ着けた姉が、なんて事はなく、ただ志望校の制服が可愛いからと言う呆れた志望動機であることを、葵だけは知っていた。
『アウトプットばかり得意でインプットが疎かだから、姉様の成績は横這いですのよ』と頭の中では嫌味も言えるが、実際には陸に上げられた鯉のように口をパクパクさせるだけで、こうして流されるままになるのが葵の最たる残念なところだった。
そして冬休み、流されるまま列車に押し込まれ、葵は一人富山に向かう。雪国富山はさぞかし寒いだろうに、抵抗虚しくよそ行きのロングワンピースを着せられて。
お洒落は根性と割り切る姉とは違い、葵は機能美を大事にしたいと考えているが、銀世界にスカートとは阿呆かと主張するも、母親の見栄には勝てず虚しく白旗を上げた。もちろんレギンスにコートと防寒には備えているが、それでも予想するに絶対寒い。もうこの時点で帰りたい気持ちでいっぱいの葵だったが、不幸なことにさらにいっぱいの東京土産を持たされる。頼むから荷物は先に郵送してくれと嘆願するも、そこは商売人の娘、基本ケチな母親が認めてくれる筈もなかった。
ピアノの発表会の格好でバーゲンセールに付き合わされたような気分だと、出来ることなら列車よ、このまま冬休みが終わるまで延々と走り続けてくれと願う葵だったが、列車は予定に狂いなく、昼前に富山駅についた。狂いがあったのはプラットホームに立った葵の覚悟のほうで、予想を1.5倍超えた寒さで心が折れる。というか、吹雪いている。
よし、着替えよう。コンマ3秒で葵は決断する。
母様、お里が知れた身内相手に見栄などあったものか。背に腹は変えられませんぜと、到着早々デニムパンツへの着替えを決意する。口にしないだけで、葵の心はおしゃべりである。
そうと決まれば、早足で構内のトイレを目指すも、右手にカバン、左手に大量の土産を持った子供は目立ったのか、何者かに後ろからコートを引っ張られ、そのまま抱きつかれた。突然現れた暴漢に、もちろん葵は対処できない。
(こう言う時は、叫べばいいのか?
キャア?もしくはギャア?イヤーは狙いすぎ?
ませたガキだとか怒られないだろうか。でも、最近はロリコンと呼ばれるおじさま方も多いから、不審者には十分気を付けろと姉さんも言ってたし、やっぱり勇気を持って叫ばなきゃ。
上手く声出るだろうか。
そうか一旦肺に空気を入れて……。)
そんな間抜けな思考で硬直する葵を暴漢は待ってはくれず、小さな葵の体を強引に反転させ、顔を近づけてきた。キスでもされるのかと身構えた葵は、思考のまま叫ぼうとするがやはり失敗で、空っぽの肺から振り絞ったカスカスの空気が喉を通過し、「ふぃ」となんとも間抜けな一言をつぶやいたところで、その暴漢が母の兄嫁である叔母であることに気がついた。せっかちな叔母は、改札口で待ちきれず、120円払ってプラットホームまで迎えに来ていたのだった。
「あら、葵ちゃん大きくなって!
3年生?一年ぶりかしら。
静ちゃんに似てべっぴんさんやね。可愛い、もういっぺん抱きついちゃおう。
その格好寒くない?東京より寒さがこたえるでしょう。
葵ちゃんだから青いワンピースなの?茜ちゃんは赤とかピンク好きだからかね。
お腹空いてない?もうちょっと我慢できる?
いま配達の途中で、悪いけど少し寄り道したいの。
今日の夕飯はご馳走やよ」
姉や母親に勝るとも劣らない言葉の応酬にあい、やはり葵は「はあ」とか「まあ」とか相槌を打つのがやっとだった。
狼狽る葵を見て、「まあ大人しい。加賀の血やね」と、これまた上機嫌にケラケラ笑った。
叔母は悪い人ではないが、やはり商売人というか富山の人というか、人の話をまるで聞かない。葵から手荷物を奪い取り、空いた葵の手を引きながらも、途切れない一方通行のおしゃべりを続けて、訳のわからぬ間に、パーキングに止めてあった軽トラックの助手席に、葵を押し込んだ。暴漢ではなく人攫だったようだ。配達の途中と言っていたが、きっとこれから何軒か旅館やらホテルやらを梯子することになるのだろう。
口の廻らない、頼りない主人に代わってグゥと葵の空きっ腹が抗議したが、言葉すら聞く耳を持たない叔母に届くはずがなく、あえやく軽トラックのやんちゃなエンジン音にかき消された。
ちなみに『葵だから青い?』の質問には心の中でNOと答える。というのも、姉の茜が赤やピンクを好むため、母親としてはお古でないことを主張するため別の色を葵に着せたがった。選択肢が狭まった葵に、青、黒、緑を突き出し、じゃあ青となった次第だ。
母様、その発想がすでに貧乏くさいと、葵はやはり心の中だけで毒を吐く。もう一度言うが、心の中でのみ、葵は饒舌なのだ。
ほんのちょっと長めの短編です。




