第一章7話 急展
翌朝、三人は城へと帰っていった。
「金次……、何ニコニコしているの?」
「姫がいい気味でしたからな。 金次は胸がすきました」
「あんたねぇ……」
いつもの日常。 永生家御一行が帰路についた後に繰り広げられている桜姫と金次が戯れ。
しかし、今回は違った。
金次は、戯れを止め、冷たい表情に変わっていく。
桜姫は、そんな金次のいつもとは違う違和感に、戸惑いはじめていた。
「どうしたの、金次?」
「軒申の者か?」
金次は、虚空を見つめ呟く。
「御意」
どこからともなく声が聞こえてきた。
「君らが気配を出すということは、私か桜姫に火急の用があると思って間違いないか?」
「御意」
「城ではなく、私らにか……」
「御意」
「まさか最悪の事態ではないだろうな?」
「…………お察しのとおりです。 返す言葉がありません」
「お前らは何をしていた!」
いつも温厚な金次が怒鳴り上げた。 桜姫は金次の違和感にただただうろたえるだけであった。
金次は、桜を見る。
哀しい表情で……。
「父上に報告は?」
「別の者が早馬にて……」
「…………父上の判断を仰ごう。 いいか、まだ誰にも気取られるなよ」
「御意」
気配は、消えた。
「金次、だれ今の? のけざるって何?」
「軒申は、永生専属の忍びです……」
「忍び? 忍びが私たちに何の用なの?」
「…………姫、気をしっかり保って下さい。 いいですね?」
「なに? 何言ってるの?」
「……………………御館様、奥方様、景虎様……、御三方がお亡くなりになりました」
「は?」
桜姫は金次が何を言っているのか理解できなかった。
桜姫は知っている。 金次が冗談を言う時はいつも笑っている事を。 真剣な顔で、こんな事を言う事はまず無い。
「……本当なの?」
「…………」
金次はこれ以上、何も言わなかった。
沈黙の肯定。 金次とて、今だ信じられないのである。
その後、金次の父、実綱が神社に馬を飛ばして来た。
「父上……」
「……虚報ではない。 私が検分してきた」
「………………」
一縷の望み、虚報の線が完全に途絶えた。 金次は膝をつき、地面を力いっぱい叩く。
「……姫様は?」
「奥です」
「そうか」
実綱は、神社に入っていく。 金次もそれに続いた。
桜姫は、背を壁に預け、虚空を見つめていた。
ただ茫然……と。
「姫様、お久しぶりでございます。 尚江実綱でございます」
実綱は平伏し、桜姫に語りかける。
「……………」
姫はチラリと実綱を見た。
「この度は、姫様にお願いの儀がありまして、罷り越しました」
桜姫は何の反応もせずに、ただじっと実綱を見る。
「姫様、時間がありませんので単刀直入に言います。 永生の家督を早急に継いでくださいませ」
実綱が言い終わると場は静寂に包まれる。
金次ですら、実綱の言葉の半分も理解できなかった。
「父上、何を……」
「これしかないのだ。 永生の崩壊を防ぐには」
「ですが、永生の臣ですら姫の事を存じているのは尚江の他には宇佐見殿くらいです。 そんな姫が家督を継ぐなどと家中が混乱します」
「誰が姫様が継ぐと言った?」
金次は、実綱が何を言っているのか、もはや全くわからなかった。
「何を言っているのですか?」
「姫様……、姫様は景虎様となって永生家の家督を継いで頂きます。 御館様たちの無念を晴らすために!」
「尚江殿……」
桜姫は、初めて口を開いた。
「は……」
「景虎たちは、だれに殺されたのです?」
「目下調査中であります」
「……私が景虎を偽り、永生を継ぐ事で、景虎を殺した奴らの撒き餌になるということですね?」
実綱は、頷いた。
「父上!?」
金次は驚くと共に同時に憤慨の感情をあらわにした。
「他に方法があるか? 永生が断絶しない方法が! お前にその策があるなら言ってみろ!」
金次は、うなだれる。
「わかりました……、私は今を最後に桜を捨てて、景虎となりましょう……。 補佐していただけますね、尚江金次」
「……姫の……御心のままに」
「ありがとう」
桜姫は短刀を取り出し、長い髪をバッサリと切る。
「これで桜は、父と母の元に向かいました。 私は永生景虎……。 永生家の頭首です」
桜姫は、決意を秘めた眼で語った。
「尚江殿の他に、私の味方になってくれる将はだれですか?」
実綱は答えた。
「宇佐見忠光、垣崎景家、芝田永敦。 以上でございます」
「それだけですか……。 金次から景虎の事を聞いてはいましたが、やはり幸先は不安ですね」
「我らが必ずや補佐いたします」
「それでは、国外の最近の情勢はどうなっておりますか?」
「………竹多が北上し、我が領土を狙っております。 永生景清様の命により、山中島の地で三度ほど合戦を行い退けて参りましたが、竹多は諦める様子はなく現在は睨み合いが続いております」
「苦しい状況ね。 そんな時に家督交代を行ったらこれぞ好機とばかりに謀叛を企てる輩もいるに決まっている……。 どう対処するべきか、金次の意見を聞かせて」
「そうですね……。 先代の恩を忘れ、我欲に走るものをどうして許容できましょうか……。 徹底的に潰すのが上策かと」
「誰が裏切る?」
桜は真剣な顔で聞いてくる。
「その時になってみないとわかりません。 ですが、成谷、椎田、南条には警戒しておくに越した事はないでしょう」
「そうね。 あいつらは景虎を陰で批判する不忠者。 有り得る話」
桜は目を閉じる。
「大変だね……、これは」
「御意」
「そういえば軒申の忍びは私を支持してくれるのかな?」
実綱は、天井を見上げて言った。
「どうなんだ、軒申?」
「軒申の総意として、代表して言わせて頂きます。 軒申は、桜姫……、永生景虎様に忠誠を誓わせて頂きます」
「頼りにしていますよ」
「は……、今回の失態、軒申の不覚の致す所。 挽回、いえ……これ以上の愚を行わぬ事を肝に命じます」
「尚江殿、私は公では言を封じます。 金次を私の側近になるよう取り計ってください」
「そうですな。 言で景虎様が景虎様でないという事を晒す事になります。 金次が景虎様の口になるよう、取り計らわせて頂きます」
「問題は、対外的につじつまが合う言の封じ理由ですが……」
「今回の件で喉に傷を負った。 それで通じるでしょう」
「となると、喉を隠す装束が必要となりますか。 用意できますか?」
「すぐにでも」
「最後に肝心な事なんですが、私はどうやって城に戻りますか?」
「その辺りは抜かりなく」
「わかりました、任せます」
実綱は、立ち上がり一礼をして
「それでは私は今後の準備を行います。 今夜には迎えに参りますので」
そう言って、実綱は神社からでていった。
それを確認した桜姫は、金次に言った。
「ごめん、金次……。 今だけ泣いていい?」
「………御意」
桜姫は、金次の言葉を聞いて安心してすすり泣きだした。
「虎千代……、父上……、母上……」
「私に遠慮する事はありません。 思うがままに……」
「虎千代! 父上! 母上! うわあああああああああああああん」
金次に抱き着き、桜姫はボロボロと涙を流した。
双子は、魂を共有する言わば半身とも言えると、どこかで聞いた。
虎千代は桜姫にとって半身。 その半身を失う辛さは、金次には完全に認識できはしない。 だから変な慰めは、逆に桜姫にとって慰めにはならない。
「…………………」
だから、ただ黙って、泣き疲れるまで泣き疲れるまで泣かした。
この傷は癒してはいけない。 仇をとるまで。
だが、塞ぐ事はできる。
それを出来るか、金次は不安はあるが、必ずやってやる。
金次はそう、天に誓った。
・尚江金次→直江兼続。 本作品での読みは「なおえかねつぐ」です。 時代が合わないのは百も承知です。 そもそも彼は関ヶ原(直江状)や御館の乱で活躍した、戦国末期の武将ですしね。 第一章は彼か、桜姫の視点で進みますので言ってしまえば主人公です。 ちなみに桜姫は創作キャラです。 該当する史実の人物はいません。
・山中島→川中島。 川を山に変えただけです。 作中は、竹多家の勢力圏になっております。
・軒申衆→軒猿衆。 太閤立志伝で上杉に従属していた忍び衆ですね。 詳しい事は分かりません。(汗
・竹多家→武田家。 史実では、甲斐(現山梨県)の虎こと、武田晴信(信玄
)率いる、戦国最強を言わしめた勢力。 織田信長によって滅亡させられたけど……。 本作でも最強の騎馬隊を保有しています。 上杉謙信の宿敵ですね。