第一章6話 桜と景虎
鬼母堂様からやっと解放された桜は、ヨロヨロになりながら、湯をすませて寝室に向かっていた。
ふと、蝋燭が灯っていて明かりの漏れる部屋がある。
桜は、その部屋を覗いた。
そこには、書を読んでいる双子の弟の景虎がいた。
「あいかわらず本の虫ね、虎千代」
景虎は、本から目を離して桜を見る。
「挨拶が遅れました、姉上。 お久しぶりでございます。 ご健勝そうでなによりです」
「このボロボロの私を見てご健勝とか言えるなんて目の病でも患っているの?」
「まあ、辞令文句ですよ」
「ところで虎千代、何読んでんの?」
「桃太郎侍ですよ」
「ああ、おとぎばなしね」
「姉上、これは史実より生まれた話なのをご存知ないのですか?」
「そうなの?」
「後世、話をおとぎばなし風にするために様々な創作はありますが、これは史実にあった出来事なんですよ」
「猿と犬とキジを連れて鬼退治でしょ? どこが史実なのよ」
「創作にするために従者を犬、猿、キジに……、敵を鬼に変換したとしたら?」
「へえ」
「キビダンゴは、そうですね。 この場合だと恩賞ですかね」
「じゃあ、鬼に例えられたのは誰なのよ、可哀相に」
「鬼は、大陸人でしょう」
「じゃあ、鬼が島の宝は?」
「鉄の精製方ではないかと推察されています」
「鉄?」
「鉄は大陸より渡ってきたんですよ。 字もそうですし、姉上の好きな軍学も大陸を経てこの倭国に伝わってきているのです」
「虎千代って家を継ぐより歴史学者のほうが向いているんじゃない?」
「私も出来ることならそうしたいのは山々ですけどね。 でも私は永生家の頭首になってやらなければならないこともあります」
「やらなければならないこと?」
「姉上の解放に決まっているじゃないですか」
「私はどこかの囚われ姫様ですか」
「姉上の場合、大人しく囚われているタマではないですね。 姉上のほうが頭首にむいてますよ」
「何言っているんだか。 虎千代は永生の次期頭首だよ。 まだ頭首にすらなっていない状態で弱音はいてどうするのよ」
「全く、自分でも情けない限りです。 姉上の様に強く不動の心を持てればいいんですが」
「相変わらず、家臣たちに色々陰で言われてるんだ」
「………まあ、事実の事ですしね」
「私ならそんな無礼な家臣、斬り捨てるけど」
「さすが姉上としか言えない言葉ですな。 姉上がうらやましい……。 金次のような忠義者がそばにいて」
「金次ね……。 あれは私をからかって遊んでいる節もあるけどね」
「けど、鬱にはならないでしょう……。 こんな山奥でも姉上が姉上のままでいるのは金次のおかげですからね」
「金次は関係ないよ……。 私の精神力の賜物だって」
「そういうことにしておきましょう」
景虎は、桜の前では虎千代に戻る。
虎千代は景虎の幼名で、今は元服しているので公私ともに景虎でいる。
景虎の名前は、景虎にとって重い。
永生を継ぐ者としての役割を担った景虎にとって苦しい名前なのだ。
元服した以上、一人の大人、それも永生家次期頭首として振る舞わなければならず、家でも虎千代に戻る事はできない。
そんななか、桜だけは景虎を虎千代と昔のままで呼び、永生家次期頭首ではなく弟として扱ってくれるもはや唯一の人となっていた。
事情により滅多に会うこともできないが、桜は景虎にとってやすらげる場所であり、落ち着く事ができる貴重な場である。
景虎は家臣の間では頼りない貧弱なバカ息子と陰口を叩かれているのを桜は金次より聞いている。 金次は評定の際のみ登城するため、そういう裏まで耳にいれては桜に報告していたりしていた。
そういうわけで桜も、景虎が置かれている微妙な立場を理解しているからこそ、なんとか励ましたいと思っている。
桜本人は、存在だけで励まされている事を気付いてはいないが……。
「虎千代、負けるな。 頑張れ」
「はい、負けませんし、死力を尽くして頑張りますよ」
「虎千代なら大丈夫。 なんたって私の弟だから」
「本当に私は姉上の弟なんでしょうかね……。 二卵性とはいえども双子には変わらないのに」
「そう思うならその負け犬思考をやめなさいよ。 卑下ほど自分にとって減算なことはないんだから」
「はい、肝に銘じます」
「じゃあ、復讐しなきゃね」
「はい?」
「虎千代を馬鹿よわばりしている駄目家臣に報復しなきゃねえ」
「姉上……、穏便ていう単語を姉上の辞書に是非とも加えてくださいませ」
「とりあえず、成谷に椎田、南条だよね、虎千代を馬鹿にしている筆頭の家臣は」
「姉上、どこでその情報を……。 しかもこんな山奥で」
「私のシモベが評定の度に登城しているでしょ」
「シモベって……、少しは金次に気を使ってあげたらどうですか」
「金次が真の忠臣なら考えなくともないけどね」
「全く姉上は」
景虎は、心の底から久しぶりに笑った。 本当に久しぶりに……。
桜の口頭から出て来た、永生家臣で、成谷、椎田、南条という姓がでてきましたので彼らの比較を。
・成谷長安……成田長秦。 忍城主。 史実では、謙信が鶴岡八幡宮を参拝した時に成田家のしきたりにより騎乗したまま出迎えたため、謙信の怒りを買い上杉家を離反。その後北条に属した。
・椎田安種……椎名康胤。 越中(現富山県)の守護代。 史実では武田信玄の誘いに乗って上杉より独立。
・南条高弘……北条高広。 厩橋城主。 史実では越後(現新潟県)の国人。 武田信玄の誘いにより離反。 帰参後、北条家の誘いに応じてまた離反。 で、また許され帰参する。
参考文献(?)太閤立志伝5参照。
一応、後書き設定集ぽいのはついでに移転・・・。




