第一章35話 御舘の乱1
「金次はうまく椎名を足止めしているな……」
伝令からの報告を聞き、銀太はほくそえむ。
「いよいよだね、銀ちゃん」
「……………あのー、ハルカサン?」
「銀ちゃん、なんか他人行儀だよ」
「いや、お留守番をお願いしたはずなのになんでいるの?」
「だって、わたしだけ何もしないってなんかはがゆくて」
「いやいやいやいや。 はがゆいとかそんなのはどうでもいいって。 いいか、お嬢。 いまから俺がするのは戦争だよ。 危険がいっぱいなんだ」
「銀ちゃんだって危険でしょ? じゃあ、一緒だね」
「いやいやいやいや。 一緒だね、じゃない! とっとと春日山にお帰り」
「イヤ」
「イヤじゃない。 帰りなさい!」
「イヤだもん」
「拗ねたってダメ。 お嬢はわかっていないよ。 お嬢が下手したら桜姫より危険な立場にいるって事を」
「なんで?」
「お嬢は神子だろ。 反乱軍しかり、魔王軍しかり、お嬢を狙う理由は数多にある。 桜姫が討ち取られれば上杉家が終わる。 それはそれで大変だけど、敵からみたら小事。 だけどお嬢が討ち取られるとそれこそ魔王軍に火に油を注ぐ結果になることくらいわかるだろ?」
「でも銀ちゃんが守ってくれるよね?」
「え……?」
「守ってくれるって言ったよね?」
「言ったけど……」
「じゃあ、私は銀ちゃんの傍を離れない。 何があっても銀ちゃんの傍にいる」
「…………」
銀太は頭をぼりぼりかく。
「全く、身なりはこんなに大きくなったのに、性格はあっちにいたころと全く変わりもしない。 変な奴だな」
銀太は遥の頭を撫でる。
「わかった。 ただし、間違えても俺の傍から離れるんじゃないぞ?」
「うん!」
銀太は軍配を持ち、上杉の兵に指示を出した。
「夜まで指定した箇所で待機。 軒猿衆が城に火を放ったのを合図に一斉に城に攻めかかる。 いいか、小火じゃ意味が無い。 盛大に焼き払うぞ」
「しかし雨が降りそうですが大丈夫でしょうか?」
兵の指摘は最もと言わないばかりに、空は厚い雲に覆われ、今にも雨が降りそうだった。
「降らないさ」
銀太は空を見上げる。
「確かに空模様は怪しい。 こんな雨季の到来の近い日によもや火攻めとか誰も考えていないだろう。 誰も考えていないからこそ奇襲として成り立つのさ」
「しかしなぜ火攻めを? 城には少数の兵士か残っていないから力攻めでも落ちるでしょう」
「力攻めだとこちらにも被害が出る。 それに、窮鼠猫を噛むって諺、この世界にあるっけ?」
「は? なんです、それ?」
「猫に追い詰められたネズミは捨て身で猫に噛み付くって意味。 追い詰められた者の抵抗を舐めないほうがいいって教訓の言葉さ」
「はあ・・・」
「それに火攻めだと、目立つだろ?」
「目立つ?」
「この別働隊の目的は城を落とすことじゃない。 出陣している椎名が本拠を焼かれて冷静でいられるわけないだろ? そうなれば反乱軍は恐慌する。 それを冷静に欠いた椎名に鎮める力があると思うか?」
「……はあ」
「最終的な目的は葵・一之瀬で椎名の首を謙信公が取ること。 この城攻めはそのための工程の一つに過ぎない。 功を焦る気持ちもわかるが、城を取ってはいおしまいとなるわけがない。 なにより、椎名にはまだ逃げ道があるからね」
葵城、市ノ瀬城、椎名城を落としてもまだ椎名を支持する城はある。 国力の消費を気にせず全てを叩き潰す方法もあるが、魔王が畿内を平定してしまうのも時間の問題。 悠長に時間をかけるわけには行かない現状がこの短期決戦という構想。
百勝しても一敗地まみえるだけで瓦解した国家が銀太の世界にはある。
目先の小さな手柄に焦ったばかりに後に痛い目を見るという状況を銀太は自分の世界の歴史で知っている。
数学とかは嫌いだったが歴史の好きな銀太は自然とそういった先人の知識を無意識に吸収していたのだ。
「まあ、囮作戦なんて戦略的にあまりいい評価を受けない作戦だけどね。 俺の頭じゃこれ以外の方法思いつかないし、今考えられる最良の作戦だわな」
誰に聞かせる訳でもなく、ボソっと銀太は呟いた。
「やっぱり銀ちゃん、すごいね」
「ん?」
遥が銀太に声をかけた。
「銀ちゃん、こっちに来て間もないのに」
「すごくなんか無いよ」
「いや、銀ちゃんはすごいよ。 私はここに着たばかりのころ、何年も泣いてばかりいたのに」
「泣いて?」
「うん……。 泣いたな、あのころは……」
無理も無い。 いきなり親元を離れさせられた幼い少女が、不安や寂しさで泣かないわけが無い。
泣くなというのが無理な話であった。
「そのときだったかな。 桜ちゃんに会ったんだ」
「…………」
この世界に来て一年目、私は一人、いつものように寝所で布団をかぶって泣いていた。
このときはまだ、神子としての修練は始まってもなく、本願寺の立派な一室を寝所として与えられてはいたけれど、広く、寂しい間取りは孤独の感情を増長させていた。
女の涙は武器にもなる。
無意味に人前では泣かない。
ママはそう私に教えてくれた。
だから人前では絶対泣かなかった。
でも、一人ぼっちのときは寂しくて、悲しくて、不安で、こっそりと泣いていた。
もう二度とパパやママには会えない。
銀ちゃんにも会えない。
その現実に抵抗する術など私は知らなかったので、泣き寝入るしか手段が無かった。
「泣いてるの?」
「え?」
私と同じくらいの年の女の子が私の寝室に入ってきた。
「私、明日からあなたと一緒に修練する桜っていうの。 あなたの名前は?」
「……はるか」
「……はるか? 遥か彼方の遥?」
「……たぶん」
桜は微笑んだ。
「寂しくないわけないよね。 遥のこと、坊さんから聞いたよ。 異世界から呼び出されたって」
「………」
「父上とも、母上とも金輪際会えないなんて、私じゃ無理かな……。 うん、無理。 私だって泣くよ」
「……桜ちゃん」
「私もね、父上や母上や弟とは会えないんだ」
「……え?」
「私、弟と双子なの」
「双子?」
「うん。 遥の世界じゃどうだか知らないけど、こっちの世界じゃね、双子は家に災いを生むという事で双子が生まれた場合は片方が死ななきゃいけないの」
「ええ??」
「でも」
桜はうれしそうに微笑みながら
「母上が助けてくれたの。 私は世間では死んでいなきゃいけない存在。 でも母上が助けてくれた。 でも滅多に会うことは出来なくなっちゃった」
「………桜ちゃん」
「私には金次っていうお目付け役というか、お守りの男の子がいるから寂しくないけど……。 ううん。 やっぱり寂しいか。 私だって金次に隠れてよく泣くよ」
桜は私に近寄り、ぎゅっと抱きしめる。
「同じ寂しさを知ってるから私たち友達になれると思うんだ。 私は遥が泣くような事があれば傍にいるし、私が泣きそうなときは傍にいてくれる?」
「……うん、約束するよ」
私は小指を差し出す。
「?」
「私の世界には指きりっていう約束を守るおまじないがあるの。 小指出して」
桜は小指を出す。
私は桜の小指と自分の小指を絡めた。
「指きりゲンマン、嘘ついたら針千本のーます、指切った」
「は、針千本……飲ます……。 恐ろしい罰だね」
桜は少し怯えている。
「大丈夫だよ。 約束破らなければ問題ないよ」
「……そうだね」
それからというものの……。
「姫ー、桜姫ーー! どこですかー?」
キョロキョロと左右に首を動かしながら桜を探す裃を着た少年。
「こっち来たよ、遥。 準備はいい?」
「え……、でも可哀相だよ」
「いいからいいから」
裃を着た少年はこっちに向かって歩いてくる。
私は桜に渡された紐を手にドキドキしながらその少年の足音が近づいてくるのを確認していた。
「全く、あのお転婆はねっ帰り姫、どこに消えたんだ」
あっちにいる桜の顔は笑っているが額に血管が浮かんでいる。
あちゃー。
金次さん、ご愁傷様……。
金次さんが私たちが隠れている物陰を通り過ぎようとしたとき、私たちは前々からの打ち合わせどおり、紐を引っ張った。
紐はピンっと張り、金次の足をすくう。
「どわ!」
金次は紐に足を取られ豪快にこける。
作戦は成功。
金次はこけたまま、呆然としているのかピクリとも動かない。
桜が金次にツカツカと近寄り、金次の腰に足を置き、ギュムっと踏む。
「誰がお転婆はねっ帰り姫ですか、金次?」
「こんな低俗ないたずらをしている時点で十分お転婆! はねっ帰り!」
金次は地を張ったまま抗議していたが桜は勿論聞いていない。
「無礼な家臣を手打ちにしているだけですよ、私たちは」
「私たち……? まさか、姫。 また遥姫をこの騒動に巻き込んだのですか!?」
金次はがばっと立ち上がる。 腰を踏んでいた桜は金次の立ち上がった拍子に尻餅をつく。
「いった……」
「桜姫、それとそこの物陰に隠れている遥姫。 お説教します、こちらの部屋に着なさい」
「遥! 私のことはいいから逃げて!」
「そんな、桜ちゃんを置いて逃げるわけにはいかないよ!」
「何阿呆なことしてるんですか。 全く、お二人ともご自分の立場は分かっているんですか!?」
金次は桜の首根っこ掴んで引きずっていく。
「無礼者! 放しなさいー!」
そして
「仲が良いことは結構です。 ですが桜姫、遥姫を己の邪道に引きずりこむのは感心できませんね!」
「邪道って何よ、邪道って!」
「そうですよ、金次さん。 仮にも桜ちゃんの家来でしょ? やりすぎると不敬罪になっちゃいますよ?」
「黙りなさい、二人とも! いいですか、遥姫。 女性というものはもっと慎み深い者です。 こんな男っぽいことしていたら嫁の貰い手がなくなりますよ」
「それは男女差別だと思います。 それは最低な考えですよ?」
遥も負けじと口答えをする。
「そーだ、そーだ!」
桜ちゃんと知り合って、寂しさは消えはしないけど、大きく和らいだ。
私にとって桜ちゃんはかけがえの無い無二の親友。
親友の大事に何かしたいけど、私は何が出来るんだろう……。
私が今出来ることなんてたかが知れている。
でも銀ちゃんは、こんなに桜ちゃんの役に立っている。
だから銀ちゃんはすごい。
それにね、銀ちゃん。
私、向こうの世界にいたときからずっと銀ちゃんの事、大好きなんだ。
だから、銀ちゃんがこっちに来てくれたから私は寂しくない。
こっちにきて10年。 心にあった寂しさが銀ちゃんがすぐ横にいるということで寂しさなんかなくなっちゃった。
それが銀ちゃんがすごい理由。
「お嬢……? どうしたんだ?」
「なんでもないよ、銀ちゃん」
私は銀ちゃんや桜ちゃんを守るためこの命惜しくないよ。