第一章10話 銀太とお嬢
話は飛んで、現代日本のとある町……。
そこには山県組という、土木建築、いうなれば大工の会社があった。
会社といっても昔がたきの大工衆で地域密着型の今時珍しい会社であった。
「おやっさん、呼んだ?」
「銀太君、来たか……」
社長室、といってもただの居間に、山県組社長が従業員を呼んだ。
「休んでいる所悪いね。 ちょっと頼みがあって」
「何です?」
「例の公共工事の件で役場に呼ばれたんで、至急行かなきゃならんのだがね……」
社長は困った顔をしてタバコに火を付けた。
「お嬢がふて腐れている……というわけですか」
「本来なら今日は遥を遊園地に連れていく約束していたんだけどね……。 全くタイミングが悪すぎる」
「で、俺がお嬢を遊園地に連れていけというわけですか」
「遥も銀太君には懐いているからね……、頼まれてくれないかい?」
「いっすよ、それくらい」
「そうか……。 悪いね」
社長は財布から2万円を取り出し、銀太に渡した。
「多くないっすか? お嬢はまだちっちゃいからアトラクションもたいして乗らないだろうに」
「いや、これは銀太君へのおこずかいだよ」
「へ?」
「休みの日にわざわざ遥の面倒を見させるんだ。 これでも少ないかなって思うけど」
「いや、気にしないでほしいっすよ。 俺も遊ぶんで」
「そういってくれるとありがたいよ」
「じゃあ、夕方には戻ってきますね……」
そんな理由で、社長令嬢の遥を連れて遊園地に遊びに来た銀太。
社長令嬢と甘美な響きとはいっても小学校に上がったばかりの小さな少女で、早い話が子守であった。
「銀ちゃん、銀ちゃん、観覧車乗りたい」
「はいはい……、お化け屋敷ね」
「ちがーーう! 銀ちゃんの意地悪!」
遥は銀太の手を引っ張って観覧車の列に並ばされた。
「うへ……、この行列に並ぶの?」
「観覧車乗りたいの!」
「はいはい……。 わかったわかった」
「あのね、銀ちゃん」
「ん?」
「これあげるね」
遥はポケットから飴玉を取り出して銀太に差し出した。
「お、サンキュ」
銀太は飴玉を受け取り、ポケットにしまった。
ふと、銀太は空を見る。
「おかしいな……。 今日は一日晴れるといっていたのに」
どんよりと、雲が空を覆っていた。
天気予報が外れるのは稀にある。 だからこの時は気にしていなかった。
「あっれ……、銀太?」
「え?」
「やっぱ銀太か……、久しぶり」
「あ、ああ……、久しぶり」
銀太に声をかけてきたのは中学時代の同級生だった。
名前は忘れたが……。
当時、そんなに仲良くなかったがこうやって偶然会ったら声をかける。
そんな程度の間柄だ。
「銀太、今何してんの?」
「ん? 鳶やってる」
「うへ……、肉体労働かよ。 大学いかねえの?」
「いや、興味ないから」
「あ、そっか……。 お前高校中退だったな」
「まあね……」
「ああ、紹介するわ、こいつ俺の彼女」
男の横にいた女がジロジロと銀太を見て鼻で笑った……ような気がした。
「お前は彼女作らないの?」
銀太の勤める山県組は男ばかりの職場で女と出会いなんかこれっぽっちもない。
唯一いるのは、専務……。 社長の夫人くらいだった。
銀太も健康な男。 彼女は欲しいが出会いがなさすぎる。
「まあ、そのうちにね」
「そういや俺、車買ったんだけどさ……、今度一緒にどっかいかね?」
「車?」
「親父から買ってもらったやつなんだけどさ」
といって車のキーを見せる。
「車ないから……」
「え、マジで?」
男の隣にいた女が男の袖を引っ張って言った。
「ヒロくん、もう行こうよ。 可哀相だって」
女は銀太を見下すような目で見ていた。
と、そこへ……。
ガン
「いったああああああ!」
男のすねを遥がおもいっきり蹴飛ばしていた。
「銀ちゃんいじめるな!」
「んの、ガキが!」
男は遥に掴みかかろうとするが、銀太は遥を抱いて引き寄せる。
「小さい子に何しようとしてんだ、お前……」
「銀太、なんだそのガキは?」
「俺の勤め先の社長令嬢」
「社長令嬢?」
遥は二人を見てこういった。
「じゃあね、おじちゃん、おばちゃん」
「おばちゃん!?」
女は過剰に反応した。
「だっておばちゃん臭い香水」
「このガキ!」
銀太は女から掴みかかられそうになる遥を抱き、一目散に逃げ出した。
そして……。
「お嬢………」
「だって銀ちゃんいじめるんだもの」
「……………」
「銀ちゃん、怒ってる?」
「………いや、スカッとした」
「ならよかった」
「いや、よくないけどね」
「でもあの二人、銀ちゃんバカにしてたよ?」
「まあ、そうだろうけど」
「銀ちゃん、大学行きたいの?」
「……いや、そんな気はないよ」
「大学行ってもいいけどうちを辞めちゃやだよ」
「いや、だから行かないって。 俺バカだから」
「ええ? でも銀ちゃん、本たくさん持ってるじゃない」
「本?」
「銀ちゃんのお部屋、いっぱい本あったじゃん」
「お嬢、ちょっと待て……。 今、なんつった?」
「だから銀ちゃんのお部屋、いっぱい本あったって……、あ」
「お嬢、いつ俺の部屋に入った?」
「銀ちゃん、顔は笑っているけど目が笑ってないよ?」
「お嬢?」
「銀ちゃんのお部屋汚いよね。 ダメだよ、部屋汚しちゃ」
「話反らそうとして反れてないよ?」
「あ……うぅ……」
「さて、お嬢。 あそこにお嬢の好きなアイスクリームがある」
「あるね」
「正直に言えばアイスクリーム。 嘘をつけば……」
「嘘をつけば?」
「あそこで売っている激辛ホットドック」
「げ、激辛?」
「そう、死ぬ程辛いって意味」
「辛いのはやだ」
「はい、嫌なら正直に答えよう。 いつ俺の部屋に入った?」
「銀ちゃんの仕事中」
「…………………誰の許可を得て?」
「ごめんなさい」
銀太はへこたれている遥の頭を撫でて、
「もう勝手に入っちゃダメだからね?」
「うん」
「じゃあ、アイスクリーム食べようか?」
「うぇ? 銀ちゃん、怒ってないの?」
「素直に謝ったからね。 さて、チョコとバニラとストロベリーと抹茶とワサビ、どれがいい?」
「抹茶!」
「抹茶? 渋いね、お嬢……」
銀太は売店まで行き、売店のお姉さんに
「抹茶とバニラをひとつずつ」
「はい、少々お待ちください」
「はい、お嬢」
「わーーい」
遥は抹茶アイスを受け取り上機嫌になった。
「じゃあ食べ終わったら観覧車のろっか?」
「うん!」
そして再び観覧車の列に並ぶ。
「エライ人数だな」
「そりゃそうだよ、銀ちゃん」
「ん?」
「この観覧車に乗ったカップルは永遠に結ばれるというジンクスがあるから」
「へえ……って、お嬢、なんでそんな事知ってる?」
「ユキちゃんから聞いた」
「ユキちゃん?」
「学校のお友達」
「へえ……、ちなみにお嬢。 どこまで理解してんの?」
「エヘヘ……。 なーいしょだよっ」
「俺なんかじゃなくて学校の奴と乗ればいいのに」
「やだよ、私は銀ちゃんと乗るんだもん」
「へーへー、そいつは光栄で」
銀太は改めて周囲を見渡す。 なるほど、カップルだらけだ。
遥の言うジンクスとやらはかなり周知のことらしい。
銀太はため息をつく。
もし銀太に彼女がいて、ここで一緒に並んでいたら夢心地に浸れるだろう。
だが現実は、子守として13も離れた小学校に上がったばかりの女の子とそんないわくつきの観覧車に並んでいる。
「銀ちゃん、どおしたの?」
「なんでもないよ……、ほら順番」
銀太は遥を抱き抱えて、観覧車に乗った。
ゆっくりと、観覧車は上に登っていく。
「わああああ、おうち見えるかな?」
遥は発言こそませる時もあるが、基本的には子供らしい。
銀太にとって小さな妹ができた感覚だった。
「危ないよ、お嬢」
遥は椅子の上に立ち、窓にへばりついていた。
銀太は、はしゃぐ遥を落ち着かせ、席に座らせた。
「エヘヘ……」
「ご機嫌だね、お嬢」
「銀ちゃんと観覧車乗れたんだもん」
「そいつは光栄で」
「銀ちゃん、私をお嫁さんにしてくれる?」
「お嬢がおっきくなったらね」
「絶対だよ?」
「うんうん、お嬢がおっきくなっても覚えてたらね?」
この位の年の子は、身近の男を好きになるが、それははしかのようなもの。
しばらくすれば学校で新しく好きな男の子ができるし、色々と世間を知る。
「約束だからね、銀ちゃん」
「はいはい」
今の遥は子供。 これから中学生になれば、男は友達に自慢するアクセサリーとなり、高校生ともなれば、やがて世間を知り本当の恋をするだろう。
それはわかりきった事だった。
「銀ちゃん、外、外!」
「ん?」
遥の声に現実に戻った銀太は遥に促されるまま、外を見る。
「は?」
外に広がるのは紫色の空間。
ありえない風景だった。
「な、なんだこれ?」
「銀ちゃん、私の、私の手が!」
遥の手が、透けていた。 いや、透けているのは全身ではない。
「お嬢!?」
「助けて……、銀ちゃ……」
その言葉を最後に、遥は消えた。
「………な、な、な、な」
ふと気付く。
自分の手が透け始めていることを……。
「なんだよ、これは……」
やがて銀太の意識は虚空の彼方へ飛んでいった。