第一章1話
主命を受けた多恵は、ナストリーニと、旧ファラスの国境にある街、リベルに来ていた。
お互いの国境線にあるこの街は、お互いの交易品が入れかう土地として栄えていた。
形式上、ウェンデスの支配下にある街だが、ここにウェンデス軍を大量に常駐させるだけで、隣国であるナストリーニに不必要に警戒心を持たれるという事と、ファラス統治時代からの名残で、リベルという街が自治意識が極めて強く、強硬な支配に抗う風習からか、ウェンデスも必要以上の干渉を行えない街である。 そんなわけでリベルという街はウェンデスとナストリーニの間柄にとって中立地帯ともいえる場所だった。
そんな地に多恵は、主……。 すなわちリーズの命令で自ら来ていたのだった。
「はあ……」
多恵は軽くため息をついた。 主命であるものの、受けた任務は子供のお使いといっても過言ではない。
多恵は、リーズより渡された手紙をある人物に届けるという、誰でも出来そうな仕事を受けたのだ。
多恵はこの仕事を、部下にさせるつもりだった。
しかし……。
「この仕事、多恵がやってくれな」
「え?」
「多恵じゃなきゃ無理だからさ」
「な、なんで私じゃなければ無理なんです?」
「行けばわかるよ」
リーズはそう言って意地悪く笑い、それ以上の事は何も教えてくれなかった。
リーズ本人には、言ってすらいないが、多恵がリーズの周辺にいるのはリーズの身辺警護の意味あいもある。 それを言うとリーズは頑なに拒むだろうが、自らの主を自発的に警護して何がいけない……。
リーズは軍人として、それなりに護身術を体得してはいるが、私たちの同業や、暗殺を糧にする一族から自身を守るのはほとんど不可能である。
何より先日……、新白衆の最たる手練であった郁美ですら連絡を断った。
警戒しすぎて損な事はない。
そして私がリーズの周辺にいることは決して不自然ではない状況ではなく、自然とリーズの警護ができる状況なのだ。
周囲が、リーズと新白衆と主従関係にある事は、ウェンデス国内は疎か、近隣の外国勢力にも知れ渡っている事実であるため、常に多恵がリーズの周辺にいるということは自然な状況であった。
だからこれまで、リーズらにも疑われる事もなく、リーズの身辺を多恵が警戒することができた。
しかし今、多恵はリーズの傍を離れてこんな所にいる。
ため息をつきたくなるのは当然の事ではないだろうか。
やがて、一軒のひなびただんご屋が多恵の目の前にあった。
多恵はだんご屋の席に腰を下ろした。
「いらっしゃいませ、お嬢さん……」
だんご屋の店員とも見える男が声をかけてきた。
「ご注文は何にいたしましょう?」
多恵はその男を見て、
「砂時計をくださいませ」
と言った。
それを聞いた店員は今まで浮かべていた愛想笑いをやめ、声のトーンを落として言った。
「うちはだんご屋でございますが?」
店員は不快な表情を見せて言った。 それでも多恵は引かずに
「砂時計をくださいませ」
と、にこやかに返した。
だんご屋はあごで中に入るようにというジェスチャーをした。 多恵は指示に従い、だんご屋の中に入っていった。
だんご屋の中は薄暗く、忍びの職業柄、夜目のきく多恵でなければ全く周囲が見えない環境であった。
(一応、提督の言われたとおりにやったけど……、今だ殺気が消えないのは何故かしらね)
薄暗い中に、座布団に座ってあぐらをかいているものと、その背後につねに殺気を放って立っている男が二人。
歓迎とはほど遠い空気である。
多恵は表面上は冷静を保っていたが、先ほどから当てられている殺気と、一向に口も聞いてくれない男たちに戸惑っていた。
やがてあぐらをかいている男が声を発した。
「お嬢さん、うちの事をどこで知りなすった?」
「私の主君からですわ」
「主君……ね。 はてさて、仁義も弁えない顧客もいたものだ……。 私らのところに来るのは本人でない話にならないという暗黙のルールがあるのだがね」
「私ではご不満でございますか?」
「娘さん……。 帰って御主君に伝えな。 不義理な顧客とはこれまでとな」
あぐらをかいている男は火を取り出し、タバコに火をつける。
その火の光によって、あぐらをかいている男の顔がはっきりと見えた。
かなりいかつい顔をした翁で、明らかに同業。
「私がそれを聞いて……、はい、わかりましたっと言うと思いますか?」
あぐらを組んでいる男はいぶがしげに多恵をマジマジと見る。
「胆は座っているな……。 だが娘さん……。 あんたぁ、若い……。 若すぎる」
カンっと、キセルを灰皿に叩き、あぐらをかいている翁は言った。
「あんたの主君は何者だね?」
(……さて、これは素直に言っていいものでしょうか……。 明らかに不快がっておりますが)
多恵は少し迷ったが、言わなければその場で退場になりそうな雰囲気を感じ取った。
「ウェンデス海軍、リーズ提督でございますわ」
「ああ、あの青二才か……。 と、いうことは娘さんは新白衆かね?」
「はい」
「なるほどね……。 本人が来れない理由は?」
「存じません」
「……………………」
知らないから答えられない。 そもそも私の仕事は、手紙を渡す事だ。 それ以上の事は何も聞いていない。
「相変わらずだな、青二才め……。 提督に出世しておごっているようだな」
「おごる暇なんか無いと思いますけど」
「主君思いだな……。 私があの青二才を悪く言うのに気に触ったか?」
「もちろんですわ……。 当然のように憤慨しております」
「せめて本人が来れぬならば、新白衆の頭領を連れて来い。 それが私らに通す筋というものと違うか? こんな三下の小娘を遣すとは」
「私は確かに小娘ではありますが、うちの提督はきちんと最低限の筋は通してますわ」
「あん?」
「申し遅れました。 新白衆頭目、多恵でございます」
「…………娘さんが?」
「はい」
「それを私らに信じろと?」
「信じてもらうよりないですね。 私は忍びでございますから、わざわざ頭目である印を持ち歩くわけにはいかないですから」
本当は印となる短剣を持っているけど、見せた所でまずわかるわけない。 そもそも、私自身ですら、これが印ですっと言って見せて信用する代物ではない。
それだけ、威厳も風格もないただの短剣だからだ。
はっきり言ってナマクラにすぎないこの短剣を継承した私自身、何の冗談かと、先代に問い詰めた事があるくらいだ。
まあ、そんな話はとりあえず置いて置こう。 さて、この耐え難い沈黙は何を意味するやら……。
まあ、十中八九……、私を信用出来ないからこその沈黙だろうけど……。
「まあ、リーズの青二才には借りもある……。 この度の件、本当にリーズの使いであるという証は立てられるか?」
「証になるかどうか知りませんが、提督より手紙を預かっております」
「手紙……とな?」
多恵が手紙を取り出し、差し出した。
それを後ろに控えていた男が、多恵に近づき、その手紙を受け取る。
これで多恵は任務を果たした。 リーズ提督は返事を受け取る必要はないとまで言っていたし……。
でも、それこそ子供の使いじゃないんだ。
返事を受け取って持ち帰るまでが、私の使命。
あぐらをかいている男は薄暗い部屋にも拘わらず、手紙を読み始めた。