2.任務と目的
クルス村で一番大きな家に案内されたディルクは家の主から丁重に迎えられた。村長のフィリップ・アルトナーである。
「なかなか来られないから心配しましたよ」
「ええ、………ちょっと方向音痴でして」
苦笑いするフィリップはにこにこ笑いディルクを椅子へ座るように伝えた。ディルクは椅子に座ると30代前半の美しい女性がお茶をいれてくれた。
「ありがとうございます。えと………」
女性はにこりと笑った。
「フィリップの妻・アンナです」
そう言いアンナは主人の隣へと座った。随分と若い奥方だと思いながらもディルクは会釈した。
「………そして、ニコルちゃんの罠にかかったのですね。実に運がない」
「いえ、おかげで目的地に到着できました」
「そういうのはあなたくらいですよ。あの子のことは許してあげてほしい。普段はとても良い子なんだが、こうと決めるとどうも強情でね」
フィリップはふふと笑ってみせた。親戚の女の子について語るような口調であった。
「さて、世間話もここまでにして。私たちの要望は既に銀十字から聞いているはずです」
フィリップの柔和な笑みは厳しいものへと変わった。これからは仕事の話だと区切ってるようであった。
「我々の要望は人狼の駆除。そして人狼に攫われた村の少女クレアの救出」
確か、先ほどニコルが言っていた。ディルクは瞼を閉ざし先ほどの少女の言葉を思い出した。
攫われた女の子をどこへやったかと。
それはとても必死な声で、声であった。
なるほど。
彼女は友人を助ける為にあんなに必死になったということか。
ディルクは瞼を開けにこやかに笑った。
「はい、そのつもりで来ました」
それを聞きフィリップは満足げにうなずいた。
「しかし、銀十字も太っ腹だ………こんな田舎村に異端戦争の英雄を送ってくるとは」
その言葉にディルクは首を横に振った。
「僕は英雄じゃないですよ」
「いえ、ご謙遜を。異端戦争で人狼を一番狩った『赤ずきん』の二つ名を持つディルク殿………英名はこの田舎にも鳴り響いております」
鉄さびの匂いが蔓延する中、血の舞う戦場に十代の少年は人狼を恐れることなく剣をふるった。
まるで人狼の動作を予測するように剣は人狼の急所へ一気に貫かれていく。
その度に元々赤かったフード付きのマントがさらに真っ赤に染まっていった。
フードから覗く銀は赤色に反射して、緑の瞳も鮮やかな赤に染まった。その姿を見て人は『赤ずきん』と呼び人狼からの脅威をとりのぞく英雄とほめそやした。
「………僕の名など、黒皮病の特効薬を開発した村長さんの祖先に比べれば大したことはありません」
「ふふ、それは昔の話ですよ」
ディルクの言葉に過去の出来事だと言いながらフィリップは嬉しげに笑った。
言葉では謙遜しているが、祖先の偉業は彼の自慢なのだというのは手に取るほど伝わってくる。
このメリル国を含めた大陸中に黒皮病という死の病が蔓延していた。
黒皮病。
人の皮膚が徐々に黒く変色し、呼吸苦、全身の血流不全を起こし体内の各臓器を壊死させ最終的に死に至らしめる恐ろしい病であった。
死病、人狼、魔女、吸血鬼と異端者に対して、人々は為す術を持たなかった。
死病と異端者によってこのまま人は全滅してしまうのではないかと人々は絶望した。
そんな中、メリル国の田舎のクルス村で黒皮病にかかった子供が助かったという報告があった。
なんとクルス村の男が黒皮病の特効薬の生成に成功したというのだ。
ただちにその特効薬の製法は国中に広まり、多くの学者たちが研究を重ね改良しつづけた。
黒皮病は早めの投薬さえ行えば後遺症も残さず生存をはかれるものへと変わっていった。
その偉業は人狼を多く倒した程度の少年では比較にならない程のものだ。
上機嫌なフィリップは祖父や親から聞かされた昔の話を饒舌に話した。
「祖先のおかげで田舎村は随分助けられてたそうです。このクルス村は医者も呼べない程の田舎でしたからね。祖先が独学で試行錯誤してようやく特効薬の製法を見つけたと言われています」
「黒皮病の特効薬は我が国だけではなく大陸中に大きな影響を与えました。その話はのちのちに聞きたいですが、僕がここへ来たもう一つの目的を話しましょう。僕はただ人狼退治で来たわけではありません」
「といいますと?」
ディルクの言葉にフィリップは首を傾げた。
だがすぐに納得した。
ただ田舎を守る為なら彼程のてだれを派遣する必要などない。
「僕はあるものを捜しに来たのです。それはこの村にあるかもしれない」
ディルクは一呼吸おいて言葉にした。
「カタリーナ姫の肉体」
その言葉にフィリップはがたりと椅子から立ち上がった。
「カタリーナ姫、とは人狼を世に生み出したあの魔女の」
「はい。御存知ですよね。魔女として処刑されたカタリーナ姫の死体は首都で晒されました。彼女を崇拝する人狼たちはそれに怒り、見張りの兵たちを喰い殺しカタリーナ姫の肉体を奪ったと言います。そして今でも彼らはカタリーナ姫の肉体を守っている。いつか目覚めるその日まで………」
突然その話を何故したのだろうか。
フィリップはしばらく考えた。
答えが出る前にディルクは言った。
「僕は思うんですよ。カタリーナ姫の肉体はこのクルス森のどこかにあるのではないかと。実はこのクルス森はカタリーナ姫が住んでいたのではないかという文献がありました」
といっても個人が所有している大昔の書籍の数行から導き出した仮説なのだが。
どうして人狼が生まれたか、カタリーナ姫の出自は、人々はどう対処してきたのか。
それは口伝を元に200年前に編纂された書物くらいしか残っていなかった。
「人狼たちはカタリーナ姫をひどく愛していた。だから姫の愛した故郷で過ごさせているのではないか」
「それは、すごい話ですわ」
アンナは苦笑いした。
それが事実ならあまり良い話ではない。
人狼の親玉がこの森のどこかにいるということだ。恐ろしいことである。
恐怖を払拭するようにただの仮定であるとディルクは苦笑いしてみせた。
だが、ディルクの仮説を聞いていたフィリップは真剣な面持ちをしていた。
「………いや、可能性はあるかもしれません。実はこの村の歴史は400年より以前の物がないのです。400年前に教会の書庫が火事になって、文献は全てなくなったと言われています」
もしかしたらこの村、森から魔女が出たという汚名を消してしまおうとしたのではなかろうか。
そんな考えがよぎってしまった。
「ひょっとしたらここじゃないかもしれません。ですが、もしカタリーナ姫の肉体を見つけることができたら………」
人狼の力を削ぐことができる?
幾度とない異端戦争の中多くの人狼を狩ってきた。だが、それでも人狼の存在を消し去ることは容易ではない。
向こうは人よりもずっと長い寿命を持っている。強靭の肉体も長く維持できている。
対して人は老化というものがいずれ襲ってくる。体力の限界が出ていずれ寿命が尽きてしまう。後進を育成しても人狼の増殖と寿命の長さに追いつけないことが度々あった。
だからこそ、人狼の力を削ぐ手を見つけなければならない。
それがどんな手であろうかと。
無駄であるかもしれない。だが、何もしないよりはましである。
「それに最近は狼や人狼の動きが活発です。数年前に何人かの大人が人狼によってやられましたし、今回の件も」
フィリップはぶつぶつとここ数年の出来事の違和感を感じているようであった。
それがカタリーナ姫に関係していることであればどうにかしなければならない。
「カタリーナ姫探索の為に滞在することを許して下さい。勿論要望の人狼退治もします」
それにフィリップは快く承諾した。
村にとって悪い話ではない。
カタリーナ姫の捜索をしている間、英雄と呼ばれていた狩人がこの村に滞在してくれるのだ。
「宿屋の宿泊費は私が負担します。どうぞ好きなだけ使ってください。詳しいことは明日村人から聞きこんでも構いません。あなたに協力するように言っていますので。あと、助手もつけましょう。道案内なり戦力の足しなり好きに使ってください」
「ありがとうございます」
ディルクはフィリップの厚意に感謝した。