序 村の惨状
久しぶりにクルス村を訪れようとしたディルクはクルス森に入ると目の前をふらりと歩く人間がいた。今にも倒れそうで危ない足取りで、みれば怪我をしている。
よくみるとそれは自分の知人であった。
「ケヴィン」
ディルクは前回クルス村滞在中の協力者の青年に声をかけた。
「ああ、よかった。今たどり着いたのか。王都まで行かずにすんだ」
安心した表情でケヴィンはその場に崩れ落ちた。
よく見れば腕と足に噛み痕がみられる。狼に襲われた痕だ。
「どうしたんだ。狼に襲われたのか?」
ケヴィンは素早い身のこなしとナイフ使いに秀でいたため自警団に所属している青年であった。かつては盗賊に身をやつしていたが、今では村から信頼を得た戦士である。ゲルトともときどき鍛錬をしているため、狼に後れをとることはまずないはずだった。
「ああ………急に狼が強くなって、それに村に人狼が現れてパニック状態なんだ」
「何だって。狩人たちは?」
クルス村には五人の狩人が滞在しているはずだ。あまり接点は持っていないが、腕は確かであり彼らがいるならば安心だとディルクは1か月前に村を後にしたんだ。
「殺されたよ。新しい人狼に」
「新しい人狼?」
ヨハンナのことを言っているのだろうか。しかし、ケヴィンの応えはディルクの心をおおいに荒立たせた。
「ニコルだよ」
何かの聞き違いだろうとはじめはそう反応したが、ジルケの言っていることは嘘ではないと表情からわかる。
「何故?」
すでに彼女が人狼にはなっていないと確認ずみである。ディルクが首にかけている銀のロザリオを手にしても何も起きなかった。
ディルクの動揺を感じ取りつつもケヴィンは重い唇を動かし、事の次第を説明した。
この数週間の間に狼に襲われる村人たちが三人現れた。死体を調べると狼に食われた痕もあったが首筋に人の歯の痕があった。狼だけではなく人の形をしたものの所業の可能性もある。
狩人の目を盗み、そのようなことをできること。
村の中に人狼がいるのではないかと疑心にかられた。
そして村人たちが真っ先に疑ったのはニコルであった。
狩人たちはディルクが銀のロザリオで違うと証明したため注意はしていたがそこまで疑ってはいなかった。
しかし、日が経つにつれ村人たちのニコルへの疑いは強くなっていった。
そして先日ついに不安は爆発した。
クレアの母を筆頭にニコルを引きずり再度人狼か否かを狩人に確認を求めたのである。
狩人たちもこの混乱を収めるのはもう一度ロザリオを使用して違うと証明するしかない。
そして、狩人がニコルにロザリオを持たせようとした瞬間、ニコルの傍に近づいた狩人はその場に倒れてしまった。
倒れた狩人の胸には風穴が開けられていた。一瞬で絶命していた。ニコルの方をみると彼女の右手は赤い血で染まっていた。無表情な瞳で狩人たちをみつめる。
こんなことをふつうの少女ができるはずはない。
異端者。人狼。
すぐにそう認識した狩人たちは手に武器を持ち彼女を囲うが、ニコルは素早く狩人の武器をかわした。その間に一人の首を180度回転させたり、先のように狩人の胴体に右手をあて腹を抉り腸を引きずり出したりと常人とは思えない狂事に及んだ。
村人たちから悲鳴があがった。
やはり彼女は人狼になってしまったのだ。
何故、城から戻ってきたあの時に殺してしまわなかったのかと倒れる狩人に野次をとばす者もいた。
4人目の狩人を殺し、5人目を目前にしニコルはゆっくりと近づいてきた。
狩人は首にかけていた銀のロザリオを引きちぎり、ニコルの方へ投げつけた。それはニコルの頬にぶつかり、そのまま地面に落ちていく。
じゅわ
肉の焼ける音がし、ニコルの右頬には火傷ができていた。
銀のロザリオによって起こったこと、これは彼女が異端者であると示唆することだ。
狩人は両手で剣を持ち、人狼としてニコルを切り伏せた。いや、切り伏せようとした。
ニコルの右手でそれは受け止められ、狩人の首は左手で首を絞めつけられた。抵抗する間もなく狩人の首は絞めつけられ、骨は砕かれ首の血管も破けそこから血が噴き出た。ニコルの顔にかかり彼女はそれをぺろりとなめとった。
気づけば、先ほどの火傷はすでに消失していた。
村人たちは逃げようともがくが周囲には狼が囲っており逃げるに逃げられない。
自警団たちも応戦したが、相手がニコルとなるとうまく力が出せずにいた。
「なんだ、もうばれてしまったのか」
残念そうな男の声が響いた。するとニコルのすぐ横に銀髪の美しい男性が立っていた。
「全くあの狩人が来るまで待っていようと思ったのにしょうがない」
これくらいの展開は予想できたが、と男はせせら笑った。ディルクが倒したはずの人狼カリスであった。
「しかし、まさかお前がここまでするとは。よい素質の持ち主だ」
さすがに狩人を瞬殺できるほどとは思っていなかったようだ。
カリスは上機嫌にニコルの頬を撫で顎を捉え上をあげさせた。相変わらず無表情な顔でニコルは静かにカリスを見上げた。
人狼の祖の血を直接与えられたニコルは間違いなく人狼であった。しかし、その血は常人には受け取るにはあまりに辛いものであり、人狼に変わり果てる過程でニコルの精神は壊れてしまった。心を失った彼女はカリスの意志に忠実に従う操り人形である。
この数日カリスに命じられ、以前と同様の村娘を演じ続けていたのだ。
満足げに笑ったカリスは怯える村人たちに振り向き仰々しく挨拶をする。
「はじめまして、私はカリス。カタリーナ姫の騎士をしている者だ。クルス村の諸君よ。我が姫を苦しめた罪をここで償ってもらおうか」
そう彼が言い放ち、指を鳴らすと村の家に一斉に火が放たれた。ここですべてを殺そうとしているのだ。
狩人も倒され、自警団も思うように戦えない。このままでは嬲り殺しにされるだけである。
ケヴィンは狼の群れへ突進し、狼に襲われながらも村を飛び出した。
途中、自警団の援護で彼は何とか村の脱出に成功した。
傷を負いながらもケヴィンは急いで王都へと向かった。
この惨事を伝え、すぐに戦力になる狩人を派遣してもらうのだ。
もしかしたらそろそろ来るディルクに会うかもしれない。そうした期待の中彼は森の中を懸命に走った。内心、ニコルのことを知ったら彼はどれだけ心乱れるか予想できたとしても、それ以上に村の惨状を何とかしたいと思った。
そしてディルクに今接触することができた。
「すまない………、ニコルを止めてくれ」
ケヴィンもディルクとニコルの関係を知っていた。いつの間にか仲良くなっており、将来の約束も誓い合う仲になっていたことも。
彼にとって今自分がお願いすることはかなり酷なことだろう。
だが、ケヴィンは村を守るために頭を下げ懇願した。
「ニコルを殺してくれ」
その言葉はずしりと重くディルクの体にのしかかった。




