妥協点を探れ
どうすりゃいいのだと自問自答したって答えが見つからない、この状況を打破する方法が見つからない、わたしはいま、大混乱しているのだろう。
そりゃそうだ。
なんであの男と同じ教室で、補修を受けざるを得ないんだわたしは!
確かに苦手科目はどん底だがね、どん底だがね!? ここ数か月の間補修でこの男の事見た事なかったんだけれども!
ちらりと視線をそっちにやるのも怖い、だって私は徹底的に逃げまくってきていたのだ。
黄金の左はあんまり使わないように。学校の中で暴力沙汰はよろしくない。と入学してから、慣れない環境に色々面倒を見てくれている先生に、怒られたから、私は可能な限りマコなるサメ男から逃げていた。
登校時間は不定期でさらにランダムに遅刻寸前をさいころで決めて、教室の移動時間もまたさいころを転がし、下校時刻はどこかの部活を見に行くという、好奇心旺盛なニンゲンを演じて、どこに行くかも鉛筆転がしで決めていたんだからね!
ここまで頑張って、マコとの接触がないようにがんばっていたというのに。
数日前の中間テストの結果、とある教科が非常に危ない事になっており、救いの手である補修を受ける事になった。
それはいいんだけれどね、いいんだけれどね。
今まで、その教科の補修とかで見た事のない男が、いきなり現れて堂々と私の隣に座る時点で、色々終わっている感が半端じゃないのだ。
ほんとどうしよう、相手の何かのせいで妙な汗をかいており、補修のプリントが埋まらない。
さらにわからなさ過ぎて終わらない、畜生、誰だこんな問題考え付いた奴! あ、教員の誰かか。
唸り声をあげそうになる生徒はほかにもたくさんいるのに、隣の男はさらさらと何かをシャーペンで書き連ねてひっくり返している。
この野郎、余裕だな……?
余裕の癖に何で補習受けんだ、受けんじゃねえよ腹立たしい。
呪いの声に似たものを口から漏らしかけながら、わたしは何とかプリントを埋めた。
埋めた頃にはすっかり日も暮れていて、夕暮れの橙色がきれいである。
海の上の学校は夕日も非常にきれいなのだ。
そこは毎度毎度、その色の絶妙な具合に感謝したくなる。
色が分かる生き物に生まれてよかった、と思うわけだ。
しかし。
そこでがくんと頭が揺れて、わたしは先ほど埋めたはずのプリントの大部分が白紙という事実から、居眠りをしていた事を知った。
なんたることだ、これではいつまでたっても寮の部屋に帰れないじゃないか。
早く帰りたいし、帰れば接触が無くなって安全だというのに。
……だが、マコなる男子生徒も補修を受けている身の上、終わったら必要以上に目立つ時間が過ぎれば寮に戻るはずだ、と予想していれば。
なんだか首に、生温かい風を感じる。
「……ああ、やっぱり警戒心ってのが足りない」
ぼそりと言われた言葉が首元から聞こえてきて、ざらりと柔らかい温かいものが首をはい回る。
「普通に考えて、おれたちの雌なら、求愛している雄の隣で眠れるわけがない」
鼻を鳴らす音がひどく、獣チックだ。
「眠る事は、相手を自分の領域に入れているって事だ。普通は入れない。それも拒絶を繰り返している相手を、その距離まではいれない」
淡々とした声が続ける。頭の中は真っ白だ。声も何も出てこない。
「それとも、あんたは、表面上だけ避けているのか?」
たいした手腕だ、と褒めるような事でもない事を、褒める声で我に返る。
わたしは、相手が今にも食いちぎるように開いた口を、押しやった。
間一髪、首に噛みつかれる前に間に合った。
しかし相手は、その事を阻止されたという事が不満そうだった。
「あんたなあ。……どっちかにしろ、おれを散々に壊しておいて、受け入れたり否定したりしてんな」
だったら。
私は相手を見据えようとして、その強い視線にぎょっとした。
私相手に見つめる色じゃないと心底思うくらいのものである。
唇が引きつったのが分かった。自分で分かったくらいだ、相手もきっとわかったに違いない。
そんな事をどこかで思いながら、つばを飲み込み言い切る。
「全力で拒否する! だいたい一回も受け入れてないから!」
ここは頑として強調しなければならない、だろう。
色々あって噛みつかれたりしているわけだが、自主的に噛まれた事なんて一度もない。
そしてさらに言ってしまえば、色々な事をすっ飛ばしているのは相手の方なのだ。
「受け入れてないし、いきなり血がにじむほど噛みつかれて、迷惑はこっちだ!」
傷の痛みはまだ覚えている。
その時の事だって覚えている。
だから、はっきりと言って拒否したつもりだったのだが。
「ふうん。噛みつかれてとろけそうな顔をしてたのはどっちだ」
ぐいと顔がまた近付く。その何かに当てられかけて、視線が揺らぐ。
こっちが負ける、このままだったら私が負ける、と何かが……たぶん危機意識がアラームを鳴らす。
「いやだいやだというくせに、あんた、なんでこんなに距離を許してんだ?」
若干下から覗きこまれている。
自分より身長の高い相手が、首を動かして体を曲げて、覗き込むなんて新鮮だ。
……なんて現実逃避をしているのがいけなかったのか。
「これだけ自分の領域に招いておきながら、拒否するなんざ、ニンゲンは理解ができないな」
顔が近付いて、それから体温がぶつかる。
キスをされている、と気付いたのは数秒遅れてからで、とっさにとった行動はわたしにとっても理解しがたい事だった。
何が条件反射だったのか、相手の唇の端を噛み切ってしまったのだ。
「っ!」
それが予想外だったのか、マコが顔を離す。瞬間的にとられた距離を利用して、わたしは立ちあがってプリントを片手に、補修の教室を飛び出した。
そして。
「先生、隣の男子が襲ってくるので監視下で補習をお願いします!」
職員室に飛び込み、補修の担当の先生に言ったのだが。
先生は訳が分からない、という顔をした後に、こう言ってきたのだ。
「……おまえ、マコの求愛の相手だろう? ほかの誰がそんな命知らずなことするんだ?」
全く持って話が通じていない事である。
「そのマコが襲ってくるんです! マコという人物かどうかはわからないですが!」
「何の問題があるんだ? さすがにサメでも、校内で繁殖行動は取らないから、問題は起きないだろう?」
「わたしはそれを受け入れてません!」
「はあっ!?」
わたしの絶叫に度肝を抜かれたように、その先生が叫んだ。
なんだなんだと視線が集まってくるのがわかる。
「おいおいおいおい!? あれだけはっきりかじられてて受け入れてないとかなんだ? お前の情操教育どうなってる!?」
「わたし転勤してきたニンゲンの人間です!」
こっちの言葉もかなり怪しくなった後、先生が顔を抑えて呻いた。
「そうだ、異文化……そうだ、そうだ……なじみ過ぎていてすっかり忘れていた……」
ひとしきり呻いた後に、ちらりと視線が送られたのは保険医の女性である。
「先生……こういう時の対処法はどうしましょうか……」
「マコはすっかりその気のようだけれど? もうあなたしか見えていないわ」
彼女が困った顔の後に、変な方向に視線を向けてくすりと笑う。
「サメの純情は始末が悪いわね、本当に。……しっかり話し合って、去ってもらうしかないわ」
それも一回、血を流すほどのキスマークを受け入れた後に、拒否とか本当に信じられない思考回路でしょうからね、と彼女が続けた。
なんだかとっても、死亡フラグみたいなものが見えている気がして、仕方がないのだが。
「お迎えが来ているわ」
彼女の指摘に続く指先の方向は、間違いなく出入り口である。
何だこの既視感。
嫌な感じに振り返れば、入口で睨むような顔をしているマコが、口の端から血をにじませて立っていた。
これと話し合い?
わたし殺されないかな、と真剣に悩んだ。
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当事者どうして話し合えって、相手は隙を見て噛みついてくる奴だ、二人きりなんて詰んだも同じ。
間違いが起こらないように、立会人が欲しいと先生に訴えた所、わたしの出身地を思い出した先生が一人、買って出てくれた。
ありがとう、科学の先生! テストで赤点取らないようにがんばる!
と、言うわけで現在の時刻は夕刻、放課後の現在わたしは、マコと机一つ分空けて相対している。
うん迫力めっちゃあるわ、ガチで三白眼の男前は夕暮れとあいまって迫力がちがう。
「……教師連れて、話し合いってなんだ」
機嫌が悪そうだがわたしは突っ込む。
「何かにつけ噛みつきそうになるやつと、二人っきりで話し合いなんて馬鹿でしかない!」
「一回目で拒否しなかった癖によく言う」
「地球の文化とこっちの文化の違い勉強しろ! こっちでも一発目にキスマーク点けるなんて非常識なんだってな!?」
わたしの突っ込みに、舌打ちをするマコ。
非常識の事実は認知、していたらしい。
頭っから非常識なわけじゃないらしい。
ならもっと問題か?
常識をおもんばからないわけだから……どっちにしてもアウトぉぉぉぉ!
「それを言うなら発情期にふらふらしてる方も、襲えって公言するような物だろうが」
「地球の人間は発情期だから襲う、なんてしない」
見境なく襲う屑野郎もいるわけだが。
「まあ、おかげで発情期気にするようになって自衛手段増えたけど」
「そこは気分がいいな。俺以外の誰も許さない感じがますます、欲しくなる」
これ本気で言ってんの、ちょっとびっくりして言葉もでなけりゃ顔も赤くなるんだが。
こうやって臆面もなく、求められるとほだされそうになる部分が……
「大体、これと決めた相手に求愛続けて何がいけない? 一生に一度の相手だって分かってんのに」
「この年でそれが分かるって言ってる方が不思議なんだけど」
「わかるだろ、一生に一度だって事くらい普通に」
文化の違いはなはだしいな!?
「人間で、一度目でこれと思い定める事なんて普通、ない」
逃れられないお見合いなら、とにかく。
「とにかくお前は何が言いたい」
「所かまわず噛みつこうとしてくるのやめろ」
「……噛みつかなけりゃいいのか」
「そう! 噛みつかれるの、痛いんだ」
「……あの程度で? 確かに出血するが」
「マコ、人間の皮膚はサメ族よりも柔らかいし弱いんだ」
先生がここで突っ込む。
今まではマコのペースに飲み込まれて、言葉が言えなかったらしい。
「大体、マコ、お前は本能にとらわれ過ぎだ。どうしたんだ、今までは常識と良識を理解していたのに」
「こいつ以外どんな雌も欲しくない、奪われたくないってなればなりふり構ってられないだろう」
直球の欲望だな!?
人間がこれを言ったらドン引きだぞ、地球じゃドン引きまっしぐらだぞ。
なんて思って先生の反応を見れば。
先生はしょうもない生徒を見る顔になっていた。
おい、わたしの側じゃないのか先生。
「とにかく、今の様な手段をとり続けていれば彼女が思いっきり嫌がるだろう。彼女が嫌だという事をして迫るのはよくない」
「……んだったら、どうやって邪魔なほかの奴らを押しのけんだよ」
淡々とした声が、妙なくらい心臓のあたりに刺さる。
あ、こいつ、ほかの男子にとられたくない程度には、わたしの事好きなんだ。
……はっきりいおう、自分がちょろい。
ちょっと可愛いじゃないかと思った自分がちょろい。
しかし、女の子ってこう言う物な部分はある。
嫌いじゃない見た目の男子に、好意を向けられて、嫌になる女子がいたら手をあげてほしい。
性格はよく知らないが。いまだ噛みつかれるところでわたしとマコの認知は止まっているのだから。
「彼女が何が嫌なのか、ここではっきり聞き給え」
「……俺のする事で、何が嫌なんだ」
先生の促しで、マコがわたしの眼をはっきり見つめて問いかけてくる。
「噛みつかれるの。いちいちかなり痛い」
「……噛みつかなきゃいいんだな」
念押しにわたしは、頷いた。
「わたしはあんたよりも、肉体的には脆いし弱いって事を念頭に置いて欲しい」
「……あー、わかった」
ちょっと考えたのちのマコは、しぶしぶという顔で頷いた。