入学式っス!
「もういい。行け」
華ちゃん先生の涙ぐみながらの言葉で、五人の龍造寺四天王は脱兎の如く去っていった。何やら用事があるらしい。
ユウダイとマナブはクラスも見ずに屋上に駆け上がったため、華ちゃん先生にクラスを教えてもらった。
「ヒロハル、もう入学式まで時間がない。体育館まで案内してやれ」
そう華ちゃん先生の指示が出たので、四人は一緒に体育館への廊下を歩いている。大きい二人の歩く速さが速いので、自然にユウダイとマナブは早足になる。
三歩先を行く二人の身体は、目に見えてデカい。それぞれの鍛えている半身が、自然に比べられて引き立っている。
「本当ヒロ先輩の上半身もハル先輩の下半身も、ゴリラみたいにスゴイっスね!」
「ユウダイ、何失れ――」
ユウダイの言葉をマナブは非難しようとしたが、
「な、何言ってんだ馬鹿」
「ほ、褒めすぎだよー」
二人は顔を赤くして照れ、マナブは困惑した。ヒロが歩きながら後ろに首を回し、話しかける。
「しっかし、お前らも良い度胸してるぜ」
「新入生が入学式で脱いだのは、今まで僕たちだけだったからねー」
ヒロは荒っぽく、ハルは穏やかそうだった。性格も鍛えたい部位も全然違うのに仲が良いのか、とユウダイは思った。自分とマナブも性格は全然違うので、そういうものか、とも。
見ただけで、尋常でない努力が分かる身体。自分はこういうものに憧れて春校に来たのだと、ユウダイは改めて喜びを噛みしめた。
「二人とも、筋トレしたくて春校に来たんだろ?」
「はいっス!」
いえボクは――、というマナブの声は、ユウダイの返事でかき消される。
「なら、僕たちが教えてあげるよー。今日校舎の案内とかあるはずだから、放課後筋トレ館に来なよ」
「ありがとうございます!」
ユウダイは溌剌と答えたが、マナブは一応という感じで、答えた。
体育館に近づくと、一年生が体育館に入っていくところだった。
「じゃあ行ってきな。出席番号は名前順だし、何となくわかるだろ」
ユウダイとマナブは、二人のクラスである一年C組の列へ、小走りで向かった。
○
二人は、体育館の入口で立ち止まった。
「よかった? 指導なんて請け負っちゃったけど」
ハルは二人の背中を見つめながら、ヒロに尋ねた。
「放っておけねぇって。ハルの方こそ、人に自分の時間を使うの珍しいだろ」
「放っておけない。僕だって、そうだよ」
ハルは、笑って応える。
「似てるね」
「あぁ」
大きな筋肉への憧憬も、筋トレへの興味も戸惑いも、自分がより大きくなりたいという気持ちも。どれも強く身に覚えがあるものだった。
自分たちも着席しなければならなかったが、なんとなく二人が着席するまで、ヒロとハルは見守っていた。
○
体育館が中学に比べて大きいと、ユウダイは思った。生徒数も違えば、資金も違うのだろう。バスケコートは三面あったし、きれいに掃除が行き届いていた。
生徒は全員着席しているようだが、まだ入学式は始まっていなかった。
「あー、こんな学校だって思ってなかったよ」
ユウダイの隣に座ったマナブが、呟く。
「まぁ、筋トレ目的じゃなく進学目的の生徒も多いみたいだし、いいんじゃないっス? オレはマナブも筋トレもやりたいんだと思い込んでたっスけど」
「うーん、でもボク、身長もないし、格好良くならないんじゃないかな……」
それに、筋肉を大きくするのにも才能ってあるでしょ、僕運動神経とか本当ないから。
「それ、誤解――」
『静かに』
ユウダイはマナブの誤解を解こうと思ったが、マイクの声で止めた。
入学式が、始まるようだ。
式は通常どおり進んだ。中学校の入学式なんて覚えていないけど、同じようなものだったのだろう。ただユウダイの胸は、期待と喜びでときめいている。学長挨拶です、というアナウンスが流れ、朝から一緒に正座で並んだスキンヘッドが、壇上への短い階段を上る。
(さすがに服着てると、威厳あるっスね)
スーツの上からでも、厚い身体はわかる。おそらくオーダーメイドなのだろう、胸に対して細いウエストまでの角度が、街中で見るサラリーマンとは一線を画する。
「新入生諸君、入学おめでとう! 儂が学長の、春の宮一馬である!!」
マイクをわざわざオフにして、学長は壇上で怒鳴った。太い声は朝と同じように、腹の底が震えるように低かった。
「え、あの変質者学長だったの?」
というような声が、ざわめきに混じって聞こえてくる。ユウダイは、自分のように学長を知っている新入生ばかりでないことに、少し驚く。
隣のマナブを見てみると、未だに慣れないようで、一度ビクッと体を震わせた。驚く生徒は多かったが、学長は構わず話し続ける。
「諸君は、社会に出るための準備をこの春の宮高校で行うことになる。そして、その出る先の社会は、簡単な環境ではない。ずいぶん前から、多数の社会問題が取り沙汰されており、その多くが致命的なものである」
どうやら、真面目な話をするようだ。
「自殺者は毎年三万人を越えている。少子化、高齢化、高齢者の医療費増大。年金制度の破綻。教育現場における犯罪紛いのいじめ。精神的に満たされない者の増加。悲しいことに、この場では挙げられないほどに多い!」
学長は、一度両手で壇を叩く。
「これらの問題は経済や教育、情報関係など複雑に絡まっており、最早根本から変えねば解決できない。物理的な身体なくして、人間は存在できない。心も当然重要だが、今まであまりにも我が国は身体をないがしらにし過ぎてきた。
スクラップ&ビルドである。筋トレもまた、筋肉を破壊し再生する、スクラップ&ビルドである。そしてそれに成長が伴うことは、物体が重力により上から下に落ちるように、太陽が東から西へ登るように、神に約束された、信頼できる、科学に裏打ちされた否定しようのない事実なのである」
マイクをオフにしたまま、学長は話し続ける。
「数日前は到底持ち上げられなかった重さが、今日は持ち上げられる。今日ギリギリ一回持ち上げられたものが、明後日には何度か持ち上げられる。あと一回持ち上げられるかどうか迷いながら、一気に息を吐いてなんとか持ち上げる。快感じゃ! 達成感が体中を駆け巡る。想像してみろとは、言わん。こればかりは、やってみなければ分からんのだ。二週間やってみてくれ。七〇を超えた儂が、十五歳の小僧と小娘に、頭を下げてお願いしよう。二週間でいい、やってみてくれ!」
そう言って学長は勢いよく、本当に頭を下げた。机に頭をぶつけるのではないかという勢いだった。しばらく姿勢を変えなかったが、やがて頭を上げ、再び語りだす。
「二週間後には、初心者の身体には目に見える変化があるだろう。筋トレにより、男は厚くなり、太くなり、美しくなる。そして、生物的に脂肪のつきやすい女性も、くびれができやすくなり、太りにくくなり、美しくなる。男子生徒も女子生徒も、美しくなる過程と結果で必ず快感と達成感を得る」
声に熱が籠っている。スーツの下の肉体が、膨らんでいるような気がした。力が入っているのか、興奮で血液が回り、筋肉が膨らむということがあるのだろうか。
「君たちが得るのは、美しさ、しなやかさ。力強さだけではない。何よりも得られるのは、自信じゃ。重量の数値でも筋肉の肥大化でも、目に見える結果を自分のトレーニングで作り出した事実。無理に思えた重さを、遂には持ち上げられるようになった成長。諦めようかと思ったあと一回を上げた経験。それらは根拠のない思い上がりでも、問題の軽視でもない、本当の自信と言えるものじゃ。積み重ねた努力と目に見える結果は、信じられる。努力が報われる経験を、体感できるのじゃよ」
学長が黙ると、体育館は耳が痛いほどの静寂となった。誰もが学長の話に、聞きいっていた。毛が生えて数年の中学生で、本当に自信を持っている者などほとんどいない。十五歳で何かを成し遂げた人間など、少ないからだ。
「……今、社会は自信を持たない者で溢れている。胸を張って人生を歩めることは、楽しく素晴らしいことであるが、覆せる状況や立場ばかりではない。社会には、困難なことが多くある。それに押し潰されないだけの力を、身体を、心を、ここで養っていけ。正しい努力には正しい結果が出ることを、ここで体感してゆけ。そして、魅力的な人間になってほしい。魅力的な異性が職場や周りにいれば、いいとこ見せようと仕事を頑張れる。うまくいけば、結婚し結婚率は向上する。少子化もこれで解決する! 自信を持って己を愛することができる者には、きっと、人を愛することができる」
説教という感じではなかった。自分の趣味を人に押しつける態度も、感じなかった。どうやら学長は、本気で新入生のことを心配して筋トレをしろと、頭を下げているようだった。
「儂も子どもの頃は、人見知りで人と話すことが苦手じゃった。今のように、大勢の生徒の前で話すなど、とんでもないことじゃった。儂が筋トレを始めた時の身長と体重を教えようか。176センチ、41キロよ! 当然ガリガリであった。それが今や――」
おもむろに上着に手をかけ、スーツの上衣を翻した。かと思えば、金色のパンツ一丁になっていた。どうやって脱いだのかも分からないほどの、早脱ぎだった。
おぉ……。
感嘆の声が、新入生の席を中心に上がった。学長は腰に手をやり、壇上で仁王立ちしている。
堂々とした立ち姿だ。胸を張っているため、大胸筋が前に出ている。腹は太いのに、腹筋が割れている。ユウダイは、腹筋が割れているのに太い腹を、初めて見た。それだけ筋肉量が多く、脂肪が少ないのだろう。
「すごい……」
隣のマナブも、思わずという声で呟いた。
鍛えられた体は、美しい。肩や腕の隆起は山のようで、上腕にも二の腕にも小さな山がある。筋肉群の流れは波のようだった。
一般的な中学生は、ボディビルの大会など見に行かない。実際にその目で鍛え上げられたマッチョを初めて見た新入生たちは、感動していた。
(あんな風に、なれるのだろうか)
学長の話もあり、自分があの体になった姿を想像した者も、いただろう。
その想像は、プロスポーツ選手になることの想像に似ていた。違う点は、現実にできる可能性の高さだった。
「諸君に何が言いたいかというと、筋トレをしようということである。筋トレはいいぞ! 鍛えた結果は、自分に自信をもたらしてくれる。昨日より今日の自分は確実に強い。確実に太い。確実に厚い。確実に美しい。今年も志の高い生徒がいるようで、心配はなさそうじゃがな。朝から感動させてもらったところじゃ」
自分たちのことを言われていると思うと、ユウダイは少し気恥ずかしさを感じた。感じながらも、恥ずかしさとは違う理由で、胸は熱くなる。隣のマナブの目にも、少し光が入った気がした。
「運動神経なぞ関係がない! 身長も関係がなく、むしろ低い方が有利な面もある! 君たちの成長を、進化を止めるものは、君の体にもなく、この学校にもない! 諸君、儂の話など聞かなくてもよい! 今すぐにダンベルとバーベルを持ち上げよ! 春の宮高校の筋トレ館には、器具! プロテイン! 仲間! 鍛えたい者が求める、そのすべてがある!!」
言って学長は、一礼をして壇上から降りた。
静寂の後に、うぉぉおお! という歓声が一部上がって椅子から立つ音がバラバラとした。
ユウダイは、いつの間握っていた拳に、汗が流れているのを感じた。マナブも、握りしめた手を震わせていた。
「本当に出るなよ」
という、マイクを握った教員席の華ちゃん先生の言葉で、歓声はトーンダウンし、またバラバラと椅子に座る音がした。脱いだことを怒っているのか、学長がスリッパで華ちゃん先生に叩かれていた。
学長の話で入学式は終わりだったようで、いくつかの説明が続いた。それも終わると、そのまま始業式を始める旨の、アナウンスが流れる。




