初めての正座指導②
それが、今から三十分前の出来事である。
「悪いと思ってるっス。優等生のマナブに、こんなことさせることになっちゃって」
「……もういいよ。仕方ないし、勉強で巻き返す」
「これからオレに何かできることあったら、何でも手伝うっスよ!」
ユウダイからは、誠実な思いを感じた。
マナブは、その思いに感動――しなかった。服着てたらよかったのにと思って、冷めた目でユウダイを見ていた。
ユウダイの額でも、スリッパが鳴った。坊主頭から伸ばして一度カットして、今は高校生風の額を出したショートカットになっている。
「貴様ら、この状況で私語とは勇敢だな」
いつの間にか、華ちゃんは目の前にいた。美人が台無しの形相だった。
「……というか、貴様ら何組の誰だ? 新顔だな」
きょとん、とした顔は可愛らしかったが、マナブは返答することに恐怖した。入学式から目をつけられることが、怖かった。
「一年生っス。まだ、組は知らないっス」
代わりに、ユウダイが答える。
「……何、だと?」
急に、座っていた生徒たちもざわつき始め、全員が目を丸くして見てきた。赤い短髪の上半身が極端に大きい生徒と、茶色い髪の座高が高い生徒に至っては、こちらを睨んでいるように感じる。
学長は正座をやめて膝立ちになって、こちらを見ていた。学長が立ち上がり、歩いて――こなかった。足が痺れていたのか、一歩も歩かずに倒れた。
しかし、それでも這ってマナブとユウダイの前にやって来た。
スキンヘッドで、太い眉と口髭、目は若者のように爛々と輝いている。見下げる位置であっても、マナブはその面貌に威厳を感じ――なかった。仕方ない。足の痺れにみっともない恰好で喘いでいる、パンツ一枚の七十代である。学長は、痺れに苦しみながらもマナブ達を睨み、
「君たち、新入生じゃというのか……!」
威厳こそ感じなかったが、校内の最高権力者に睨まれる事態には、マナブは狼狽した。ユウダイもなのだろう。二人して細い声で、はい、と答えた。その答えに、学長はさらに目を開いた。足の痺れが和らいだのか、二人の前で再び正座した。
「入ってきたばかりの、入学式のその朝に……」
言って、マナブの腕を、確認するように何度か軽く叩いた。
「横の彼はともかく、君は、かなり細いではないか」
言われてマナブは、
(マズイ……かな?)
ユウダイ以外の九人からは、マナブも脱ごうとして屋上にいたと、誤解されていることには気づいている。朝から裸で挨拶をするマッチョの学長だ。脱ぎたがるマッチョの思考回路なんてわからないけれど、鍛えていない線の細い自分が脱ごうとしていたことに、怒りを感じているのかと思った。
学長はマナブから手を離すと、真剣な表情でユウダイとマナブに身長や体重、スポーツ歴などを聞いてきた。
「ユウダイ君、175センチ65キロ、野球を六年。マナブ君、155センチ40キロ、スポーツ歴なし、か」
学長は確認するように、二人が言ったことを復唱した。そしてその眼は、改めてマナブの目を正面から見据え――、涙を流した。マナブが意味も分からず動揺する間さえなく、
「「「「「感動したッ!」」」」」
五人の先輩たちが一斉に立ち上がった。そして五人は、学長の後ろに陣取った。足は痺れていなかったようだ。
「お前が、どういう思いで屋上にいたのか理解した」
「勇敢だ」
「敬意を表する」
「何か困ったら」
「我々に言うがよい」
「「「「「我ら、龍造寺四天王が助けてやる!」」」」」
全員で息を揃えて喋ったり一人ずつ喋ったりする五人に、二人は圧倒されるしかなかった。言うまでもなく、全員パンツ一枚のマッチョである。ようやくの思いで、ユウダイが口を開く。
「……五人なのにっス?」
その台詞を聞くと、龍造寺四天王の五人は人差し指を立てた右手を前に出し、チッチッチッと言葉で言った。
(あっ、なんかむしゃくしゃする)
マナブが初めて会った先輩に、小さくない苛立ちを感じたのも、初めてだった。
「「「よくぞ聞いてくれた!」」」
「「我らこそ!」」
「ナリマツ!」
「ヒャクタケ!」
「キノシタ!」
「エリグチ!」
「エンジョウジ!」
「「我ら五人そろって!」」
「「「龍造寺四天王!!」」」
五人は、決まったと言わんばかりのドヤ顔で、マナブたちを見つめていた。マナブは、
……四天王なのに?
そう思わざるを得なかったが、言わなかった。五人とも黒髪の短髪で、一度でそれぞれを覚えられない。というか、覚えてお近づきになりたくない。
「テメェを変えるために、入学式に人前で鍛えてもいない身体を晒す、か」
「僕たちの記録が、唯一無二のものじゃなくなったのは悔しいけど、認めるしかないみたいだね」
学長の左隣にいた上半身が異常な生徒と、座高が高い生徒も、納得したような顔で言った。
龍造寺四天王が移動したことで、マナブは、座高が高い生徒は下半身が異常にデカいため高く見えるのだ、ということを理解した。そして、全員揃ってしている有り得ないような誤解の内容も。
「さしずめ、ユウダイ君は友人の勇気に付き合った、というところかのう?」
マナブは、ユウダイが誤解を訂正してくれることを願って見たが、
「……はいっス」
と目頭を左手で抑えて答える友が目に入り、諦めた。
(何? ユウダイ、空気を読むのは体育会系の処世術なの?)
ガラにもなく心で悪態をついたところで、今まで責め立てていた女教師を思い出す。
最後の希望、華ちゃんはあらぬ方向に顔を向け、口を手で押さえて震えていた。
ぐすっ
鼻をすする音が聞こえる。
ブルータス、お前もか。マナブは、誤解を解くことを諦めた。しかし意外にも、評価は上がっているらしい。
(高校生って、難しいや)
マナブは窓から見える青空を見上げ、そう思った。




