ハルの一人歩き(5)
『朝です。起きましょう。睡眠時間は十分です』
スマホ端末が、ベッドの上のハルに声をかける。
ハルは上体を起こし、両手を上げて伸びをする。
「ふぁぁあ、おはよう。LALUEFEMB」
生体反応と名を呼ぶ声を受け、端末は主人の起床を確認する。
『おはようございます。ハル。昨晩の睡眠時間は、6時間。睡眠効率は93パーセント。寝返りは89回で適性です。本日の予定は――』
端末から立体画面で、青い炎のような頭をしたドット絵のキャラクターが話し続ける。
ラルフェムの声を聞くともなく聞きながら、ハルは灰色のタンクトップと黒の短パンを脱ぐ。肌着の上にカッターシャツを着て、制服を着る。左手に端末を乗せた。
「腕輪になって」
言うと、端末はピと機械音を出してハルの左手首に巻きついた。
自室を出て階段を降りれば、リビングからはすでに食事の気配がしていた。洗面所で顔を洗い、リビングへ入る。
「おはよー」
「「「おはよう」」」
両親と姉が、声を揃えて挨拶を返す。すでに父は食事を終え、新聞を読んでいる。ツリ目の三白眼に四角の黒縁眼鏡をかけ、すでに黒髪をオールバックに整え、後は家を出るだけのようだ。
『……の件に関……肉民主……寺家兼氏は……』
聞こえてくるのは、ニュースの声だ。我が家では、父が在宅の時はほとんど、ニュース番組しか流れない。画面にはオールバックで口髭を蓄えた、筋肉民主党の党首が映っている。スーツの上からでも鍛えられた筋肉がわかる、壮年の男だった。
(相変わらず、鍛えてるなぁ)
そんなことを考えながら、食卓に座る。
「目玉焼きは塩コショウかけたけど、それだけでいい?」
長い茶髪を大きな髪留めによって後頭部で留めた母が、わかっているだろうに聞く。たれ目は今日も糸目だ。
「うん、ありがとう。追加でちょっとかけるから、置いといて」
はいはーい、と言いながら結局、塩コショウはハルの皿の横にまで持ってきてくれる。
ゆっくりと目玉焼きを噛み、ご飯を食べる。味噌汁は猫舌なので、後回しだ。
「大翔、玉子ご飯にはしなくていいのー? 大盛りだから、ご飯も多いでしょう?」
「うん。じゃあ食べようかな」
言うが早いか、めんつゆと醤油、卵が皿の横に並べられる。
「ありがとう」
「どういたしましてー」
母は朝から甲斐甲斐しい。申し訳なくなるほどに。
「……アンタが朝しかいないからでしょ? もうちょっと、家にいてあげなさいよ」
真っ直ぐな黒髪のストレートの髪を両側に均等に分けた姉が、目玉焼きを口にしながら言う。
「アキ姉もあんまり帰ってないでしょ?」
ギロリと父譲りの三白眼で睨む。
「大学生はいいのよ大学生は。アンタがそんなゴリラみたいな体になるために、余計な時間を使ってないんだから」
ハルは喜びでゾクゾクとし、実際に体を震わせる。キモいわーマジでキモいと、姉はその反応に引く。
「いいのよー。大は小を兼ねるし、大きいことは良いことよ」
母は言いながら席に座り、食事を始める。
「お父さんもそう思うでしょー?」
父は新聞を読み終わったのか、畳んで新聞を机に置く。
「……成績は落とすな。それ以外は良心に従って、好きなことをやれ。維持する限り、茶髪も長髪も許してやろう」
そう言って鞄を取り、父は玄関へ向かった。
「行ってきます」
「「「行ってらっしゃい」」」
玄関を閉める音がして、父は仕事へ向かった。
「……アレで外面は良いっていうのは、信じられないわ」
「亜希子。そんな風に言うもんじゃありませんよー」
こぼす姉を、母がたしなめる。この流れでは言わないが、ハルもそう思う。何度か仕事関係の人間と鉢合わせた時、父は完璧な笑顔を見せた。
驚いたが、笑顔は必要な技術だ。それをあの父が理解せず、練習しないわけがないのだ。練習している様を想像すると、おかしな気分にはなるが。
「頭の良い人だからねー、お父さんは。だからあなた達も、頭が良いのよ?」
「……はいはい、感謝してますよー」
言っても無駄だと、アキ姉は判断したのだろう。肯定して食事を続けた。
「そういえば、菜摘がゴールデンウィークは帰って来るわよー」
「ナツ姉帰って来るの? また色々教えてもらわなくちゃ」
長女の帰郷に、ハルは喜ぶ。栄養士となった姉は都会に出て、たまにしか戻って来ない。ハルとヒロの栄養の摂取方法は、ナツから聞いたものだ。その影響で、ハルの食うことへの意識は強い。
「まーた、ハルが甘やかされるのねぇ」
長女のナツとは、ハルは八才離れている。生まれた頃からの猫可愛がりは、加速することはあれど、なくなることはなかった。それは、今も続いている。
「あれ嫉妬? アキ姉にも甘えようか?」
そうやって微笑むハルに、ハンカチを投げつける。
「うっさい愚弟。アンタももう行く時間でしょ」
照れ隠しに言うが、アキもハルがストレッチを頼めば嬉々として手伝ってくれる。頼み事をすれば文句も言うが、断られたことはない。
「そだねー、ありがと。ごちそうさまー」
言って、鞄を手に取ってそそくさと玄関に向かう。
「いってきます」
「「いってらっしゃい」」
革靴を履いて、玄関から出る。空は快晴で、空気は熱くいい匂いがした。夏が、近づいているようだ。学ランは暑く、そろそろ夏服が恋しい。
「さ、今日も強くなりにいこうか」
そう言ってハルは、陽光の中を歩み出した。




