ベクトル、パワー、スピード
「ところで、どう練習していくつもりなの? 一応責任持って、そこまでは面倒見るわよ」
気を取り直してという風に、マユは振り返って言う。
「課題1は、見切りの練習か。これは比武と組手、スパーで、相手の動きを待って数こなしていくか」
ヒロがあぐらをかいたまま、ハルを見上げる。
「課題2は、相手の行動に応じた動き? こっちはよくわかんないね。どう練習していこうか?」
二人して、マユを見た。分からないことをすぐに相談するのも、結果を出すコツなのだろう。
「同時にやりなさいよ。避けても受けてもいいから、そこから相手の動きに合わせた攻撃をするの」
マユは、ヒロを見て手招きをする。突いてみろという合図だ。
ヒロは半歩踏み込めば突けるという位置まで歩き、そこから構えて追い突きで突く。右構えから、右足を出すで踏み込むとともに、右拳で順突きを出す。
フルパワーでもないが、最後まで勢いは止めずに突く。練習でも、当てないつもりの打撃を出すことは、間宮道場では怒られる。
マユは左腕の中段外受けで逸らしながら、左に踏み込んだ。そこで終わらず、左手でヒロの手首を取ってヒロの進行方向に伸ばした。
「う、おっ」
ヒロが間の抜けた声を出しながら、前のめりに倒れる。ガン、と大きな体が床に落ちた音がした。
「痛ってー。おいおい、今の何だよ」
振り返りながら、マユに尋ねる。
「捌きの一種ね。分かりやすく途中で投げるやると、こうなるってことよ」
「スゴいね。ヒロ、今の何が起こったの?」
ハルが目を輝かせている。新しい技術を目にした時の、二人の反応だった。
「……俺が突こうとした方向に、そのまま勢い増やさせて流された、な。でも、できるか? 反発しそうなもんだけど、俺できなかったな」
やられたヒロも、不思議そうな表情で答える。
「そうね、それで正しいわ。タイミング、力の量と向きがキモよ」
「あー。速くもなく遅くもなく、大きくもなく小さすぎもしない力で流す、てことか?」
「力の方向。この前習ったベクトルだね」
「そう。そして、相手の突きのギリギリで流すこと」
二人して、黙る。
「……相手が軌道修正できる段階で避けても、相手が突く方向を変えちまうってことか」
「遅すぎたら当然当たる。それでも同じベクトルにして、力の量も合わせなきゃいけない。スゴいね、高等技術じゃん」
難しさに見合うリターンは、確実に大きい。
本来打撃は、繊細なものである。狙いが上下前後左右の、いずれに数ミリずれれば威力は半減される。数センチでもズレてしまえば、ほとんど無力化されてしまう。動き、防ぎ、避ける相手に完璧なタイミングで当てられることなど、そうそうない。
誰しも、その奇跡のようなタイミングを求めて殴り、蹴っている。
では、相手の体勢を崩して無防備な体勢を取らせれば? もし捌きを身につけられたなら、その奇跡が容易に手に入るのだ。
「……なんか、悪いな。ここまでしてもらって」
先ほどまでフザケていたヒロも、有難さに謝ってしまう。何かを返してやりたいぐらい、感謝の気持ちを持て余すほどのものをもらってしまった。
「マユせんせー。僕にも何か教えてよー」
ヒロばっかりずるいー、と子どものような声を出すハルに、あんたは中町ジムで教えてもらいなさいと、冷たく突き放す。
「何でヒロにだけ教えてあげるのさー」
「当然、見返りが求められるからよ。ヒロ、忘れてないわよねぇ?」
ハルは何のこと? と不思議がって。マユは悪戯っぽく笑いながら、ヒロを見る。
「……あー。感動するぐらいすげぇ技教えてくれたら、何でもするって言ったこと、か?」
ヒロは二人の視線を受けながら、頭を掻く。
「今何でもって言った?」
「何でもって言ってたのよ」
二人して、確認を取る。
「まぁ俺に出来る範囲だけどなー。で、何だよ」
マユは楽しそうに、笑って揺れる。
「えー、どうしてくれようかしらぁ?」
さっきの恨みもあるしねー、と口ずさみながら、今にも踊り出しそうだった。
「ま、ゆっくりと考えてみるわ。毎週道場来るでしょ? 考えておくから覚悟しときなさい」
じゃ、今日はおっしまーい。
そう言って、道場の出入口から出て行ったかと思えば、戻ってきて道場に押忍と挨拶をして、また去っていった。
「ちなみにヒロ、その約束っていつしたの?」
「多分、初めて県の交流大会で優勝した時だった」
「ていうとー、中三の時だから二年前?」
「怖いわ、ていうか怖い」
二人で寒気を感じながら、掃除をして道場を出た。




