ようこそ春校へ!①
人間が万物の霊長であると嘯こうと、生物であることから、逃れられはしない。生きるために必要なカロリーを摂取することにも、排泄にも、遺伝子を残すことにも、快感を感じることから逃げられない。
しかし、未来を予測できる生物であるが故に、より良く生きることにも快感を得られる。自身の成長、知識の取得、貯蓄、計画とその実行にも、快感を得ることができる。
そういう風に、できている。
高校二年生の始業式。気持ちの良い快晴の朝。
ヒロは十人の男子高校生を引き連れて、歩いていた。彼らが用意する、プロテインを溶かした水筒を受け取って、飲みながら歩いている。
引き連れて――というよりも、勝手に着いてきているだけだ。話しかけられれば応えるが、ヒロからはほとんど話しかけることはない。
「ヒロさん! 今度比武やる時は見学させてください!」
「おー、今日十時から夏校でやるから、勝手に来い」
「ありがとうございます!」
そんな程度だ。校門が見えてくる。
十人は全員他校の生徒なので、そこで解散する。近くはない学校の生徒もいるはずだが、わざわざヒロの春校までやってくる。見送りのためだけに。
(全員ホモじゃねぇだろうな……)
あまりの甲斐甲斐しさに、少し恐怖することもある。
ヒロは校門を通り過ぎて、桜並木を横目で見ながら、校舎へと歩いていく。
高校生活も、一年が終わった。長かったような気もするし、短かったような気もする。
「やぁ、ヒロ」
後ろから呼ぶ声で振り返ると、小学校からの仲であるハルがいた。今の季節と同じあだ名を持つこの男は、本名を大翔という。
コンビニで買ったのか、サラダチキンを手にして噛みながら歩いている。
(行儀悪いな)
プロテインを飲みながら歩いているヒロが言えることでもないが、そう思う。
178センチのヒロ――隆洋よりも少し背が低く、183センチあった。けれど、中学生の頃はもっと差があった。ヒロの方が、背は伸びていた。
「相変わらず、引き連れているみたいだねぇ」
校門でのヒロを見ていたのか、ハルは言った。
「別に、引き連れてるわけじゃねぇよ。帰れって言うのも、気が引けるだけだ」
「優しいねぇ、ヒロは」
欠伸を隠さず伸びをしながら、いつもの間延びした言い方でハルが言う。元々細い糸目なので、目は変わらない。ヒロは大きなツリ目なので、表情の変化は分かりやすい。
「ハルはどうしてんだよ。お前にも着いてくる奴、いただろ?」
「僕は帰れって言ったよ。邪魔だし」
ハルは物腰や言葉こそ穏やかだが、あまり人に気を遣わない。言葉遣いが荒っぽいヒロの方が、他人にも気を遣いがちだ。
「どんな春休みだった?」
「ほとんど一緒にいたでしょ? 己を鍛える春休みだったよ」
それもそうだと、ははっと笑う。
「確かにな。まぁ、マサに一歩くらい近づけただろうよ」
祝日の過ごし方と、あまり変わっていない。学校の筋トレ館で筋トレして、道場やジムで技を磨く。休養日には、二人して映画館やカラオケに行ったり、ヒロの家でごろごろしながら漫画を読んだり、DVDを観たり。
「二年か……、やるのは今年だな。燃えていかねぇと」
火のように赤い髪のヒロは『燃』という言葉をよく使う。
「うん、そだねー。燃えて行こー」
慣れているハルは、笑いもせずにゆるく応える。自分の長い茶髪を揺らす風のように、穏やかに。
二人で歩いていると、数人から『ヒロハル』と1セットで名前が出る。男子生徒は挨拶をくれ、女子生徒は歩みを速める。
具体的に言えば、男子生徒からは、
「お、ヒロハルじゃん。今日もデカいなー」
という反応であり、女子生徒からは、
「ヤダ、ヒロハルじゃん。ちょっと、早く教室行こ」
という具合である。思春期の二人の心には、浅くない傷がつく。
度々全裸で校内を走り回ったのが悪かったのだろうか。ヒロとハルは、女子生徒からとても遠くに、距離を置かれていた。男子生徒は面白がって、話しかけることも多かった。
(……せめて、聞こえないように言ってほしい)
ヒロは傷つきながら、横のハルを見た。細い糸目の表情は読みにくいが、長い付き合いのヒロには、傷ついているのがわかった。目尻が少しだけ下がっている。
ハルの服は、いつも通りチグハグだ。学ランの上衣は平均より2サイズ大きい程度なのに、ズボンは平均より5サイズ大きい。ズボンの足元が太い、昭和のヤンキーのような着こなしになっている。
別に、ハルのセンスが壊滅的に悪いというわけではない。下半身の筋肉が、発達しすぎている。上衣と同じサイズだと、ズボンの太もものあたりにふくらはぎを入れるのが精々だ。
しかし、そう思うヒロもある意味同じと言えた。ハルの逆、ヒロのズボンは上衣より、3サイズ小さかった。ヒロの方は、上半身が発達しすぎていた。腕と胸のあたりはちょうどいいのだが、横腹の部分はスカスカである。
そういうわけで、顔を見ずとも遠目で二人の姿を見れば、ヒロハルのコンビということは、バレてしまった。
「……過去の行いかなー」
並んで校門から校舎の玄関に向かう途中、気にしないように装うのを諦めたのか、ハルはこぼした。それを聞いたヒロも、俯いてため息を吐いた。二人して、大きな体を小さくさせる。
しかし、下を向くヒロは、ハルの下半身を見て気づく。ヒロはこらえきれずに立ち止まり、ハルの太腿を強く掴んだ。
「おいハル、またお前の大腿筋太くなってんじゃねぇか」
脚を捕まれたハルは足を止め、
「ッ。ねぇ、そんなに強く掴まないでよ」
と痛がるような声を出した。しかしここでハルも気づき、ヒロの大胸筋、というか胸を掴み返す。
「そういうヒロだって……、この大胸筋は、どうしたこと? 今にも爆発じゃない」
細い声で囁くよつに言う。二人の距離は、吐く息さえ届きそうなほど、近い。お互いの筋肉の各部位を触りながら、褒め合っていく。
そういった具合で、最も人通りの多い場所で立ち止まり、お互いに筋肉を愛撫しながら褒め合うのだった。通りがかる生徒たちは、驚いた表情や冷たい目で見て、早足で通り過ぎる。
実は、女子生徒が距離を置いているのは、全裸で走ることではない。校内で突然立ち止まり、お互いの筋肉を触りながら褒め合う関係性である。
これについては男子生徒もドン引きしており、大きい筋肉に敬意を示す生徒がほとんどであるこの私立『春の宮高校』で、序列も高いのにも関わらず二人がイマイチ尊敬されないのは、ヒロとハルの仲が良すぎるからである。それはそれは、気持ち悪いレベルで。