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右の拳と左ミドル 【筋トレとバトルの小説】  作者: 松明ノ音
第一話 始める春の初め
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初めての本音



 夕方。帰るころには、陽も沈みかけていた。

「スゴかったっスねー……」

 呆気に取られて無言で帰っている途中で、ユウダイは呟いた。

「うん、スゴかった」

 マナブも、それしか言えなかった。

 静的ストレッチをしながら、ヒロハルのトレーニングを見ていた。重量は当然高重量で、注意するように言われていたフォームも、美しいと思うほど完璧にやる二人を見て、圧倒されたのだ。そして呆然とする間に、一時間以上経っていた。

 まだいたのかお前ら、とヒロに言われて気づいた。失礼しますと言って、帰った。

 ヒロハルの二人は、途中でシェイカーを手にしたり、バナナを食べたりしていた。

「多分、ボクらが今日教えてもらったのなんて、本当に基礎の基礎の一種類なんだろうね」

「そうっスねー。奥は深くて、道は長そうっス」

「そういえば、ハル先輩に蹴られたのは大丈夫だったの?」

「痛くはないようにしてくれたと思うんスけど、びっくりしたっスね」

 他人事のように、ユウダイは笑った。

「やっぱり、あれだけ太い脚で蹴ると、スゴいんだね」

「ハル先輩に蹴られても、ヒロ先輩に殴られても、死ぬ気がするっスね……」

 二人は、筋トレだけでなく、比武も強いのだろうか? マナブは、聞いてみたいと思った。

(でも、あんなにスゴい人たちに教えてもらえるんだなー)

 ヒロハルは帰りがけに、また来い、教えてやる、と言ってくれた。

「感謝すべきっスね。明日も行こうっス!」

「……うん。それができたらいいんだけど」

 マナブは、俯きながら言う。明日は花の稽古で、明後日はピアノの稽古だった。

 ユウダイにそれを言うと、ユウダイは不思議そうな顔をした。

「前から思ってたんスけど、マナブはピアノとかって、楽しんでやってるんスか?」

「うーん。子どもの頃に母さんに薦められて、そのままずっとやってるんだけど」

 正直、好きではない。褒められたり、賞をもらえたりするのは嬉しい。ただやはり、やりたくてやっているわけではないという気がする。

「言ってみたらいいんじゃないスか。おやじさんもおふくろさんも、そんなに気難しい人に見えなかったっスよ?」

「……何だろねー。ボク、わがままって言い慣れなくて」

「わがままってほどじゃないっしょ。子どもが好きなことをやりたいから、好きじゃないことをやめたいって言うのなんて」

 マナブは、思ったように言えるユウダイを、少し羨ましく思った。

(でも、そうだよね。ボクは変わりたいんだ。言ってみることから、何かが変わるかもれない)

「……そうだね。言ってみるよ」


 夕飯には、珍しく父も最初からいた。

 入学式はどうだったの? と聞く母にマナブは、先輩に筋トレを教えてもらったことを言った。

 すると、両親は驚いた顔をして、黙ってしまった。

(あれ? マズいこと言っちゃった?)

 そう思って、箸を進めていると、父が沈黙を破った。

「やってみて、どう思った?」

 マナブは答えに迷ったが、思ったままを言うことにした。

「……楽しか」

「そぉぉぉおうだろぉぉぉおう!」

 父が食い気味に、叫んだ。

「いや、マナブが春の宮を受験すると決めてから、父さん嬉しくってなぁ! いつ筋トレを始めるかと楽しみにしていたが、まさか入学式初日から始めるとはなぁ!」

 父は初めて見るほどに饒舌だった。

(あれ? 父さんって、冷静で厳格で寡黙な父親じゃ……?)

 マナブがちょっと引いてしまうほど。というか、こんな父は初めて見た。ピアノで一位を取った時にも、これほど喜ばれたことはない。

 ヒロハルという二人の先輩に教えてもらったことや、筋トレの内容を話した。

「ヒロ先輩には、フォームからしっかり教えてもらってさ、重量もボクに合ったのを探してくれてーー」

「そうか! しっかりした優しい先輩なんだな! 良い先達に着いていくのは大事だぞ!」

「もう持ち上がらない、って思ったのを、もう一回やれるって言われて、必死にやったんだ。そして出来たらすごく嬉しくてーー」

「そうだろう! その感覚なんだよ! それも、筋トレの素晴らしさの一つだ!」

「プロテインって、初めて飲んだよ! これが筋肉になるって言われて飲んだら、本当美味しく感じてーー」

 マナブは、父が嬉しそうな顔で激しく相づちを打ってくれるのがまた嬉しく、笑って話し続けた。

 こんな風に父と話すのは、初めてだった。今思えば、父とは共通項がなかった。筋トレが好きだったことさえ、知らなかった。

(父さんと話すのが、こんなに楽しいなんて――)

 父を尊敬してはいたが、話す時はいつもそれ以上に緊張していた。もしかしたら実は筋トレが好きだった父も、ピアノや花をやっていたマナブに、どう付き合っていいか分からなかったのかもしれない。

 今思えば、父は週に何度か倉庫に行っては、汗をかいて帰ってきた。それについて聞くと、筋トレしていたのか知らなかったのか、と逆に驚かれた。

(……改めて、何も見えてなかったんだなぁ)

 そう思って、笑った。

 しかし、途中でずっと黙っている母が気にかかって、母の方を見た。

 母は、右手で口を塞いでマナブを見ていた。その目から、スッと涙が流れた。

「お母さん? 何で泣いてるの?」

 母が薦めたものではないことを楽しくやっていることに、気分を悪くしたんじゃないかと思い、不安になった。

「……嬉しくてね。マナブがこんなに嬉しそうに話すのは、初めてだったから」

 マナブは、母が気遣いで言っているのかと、迷った。でもどうやら、そうではないらしい。

「実は、母さんと結婚したのは、母さんが父さんの筋肉に惚れたからなんだ」

 子どもとしてはあまり聞きたくない、両親の馴れ初めをマナブの父が話し始めた。

 楽しい話も、あまり聞きたくない話しもあったが、マナブにとってこの日の夕食は、これまでで一番楽しいものになった。

 マナブが実は、ピアノも花もそんなに好きじゃないというと、二人には驚かれた。好きなものをやれと、言ってくれた。好きで続けているものと、思っていたようだ。確かにこれまで、不平も不満も言ったことがなかった。それがよくなかったのかな、なんてことを思った。

 母は筋トレのために、食事内容を変えようと提案してくれた。食後、父と倉庫に行った。自分が使っているという器具を見せてくれ、今度は父さんともするぞ! と嬉しそうに言った。

 思ったことをそのまま言うことが、こんなに楽しい夕食にしてくれるなんて、思ってもみなかった。

 マナブは嬉しく、風呂に浸かりながら一人呟いた。

「あぁ、こんな簡単なことでよかったんだ」

 自然と、笑みがこぼれた。風呂から出て鏡を見ると、体が大きくなっていると感じた。特に胸が張っていて、

(男の体っぽい。)

なんてことを、マナブは思った。

 実際には、筋肉が成長したわけではない。夕方のトレーニングにより、血液等が鍛えた部位に集まって膨らむ『バンプ・アップ』を起こしているだけなのだが、知らないマナブは、ただただ嬉しかった。

 鏡を長時間見る、なんて経験は初めてだったし、母親から長風呂でのぼせたのかと心配されるのも、初めてだった。

 明日も筋トレしよう。そう楽しみに思いながら眠るのも、初めての経験だった。




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