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五、してはいけない行為(後)

 永は母親譲りの腰まであろう長い銀髪を持ち、父親譲りの大きな目を持った少し浮世離れした美しい青年へと成長した。

 桜里が亡くなった後、永は桜里の後を継ぎ護る者として生きる事となる。母のように美しく舞う事は出来なくても、永は桜を咲かせる事に喜びを感じていた。最愛の母と、顔を覚えていないが母を愛した父が笑っているように思えたのだろう。

 桜の季節である春が過ぎても、永は少しでも母に近付きたくて毎日のように、大樹の前で舞いの練習をしていた。



「誰だ」

 何時ものように春がやって来た。護るようになって十年近くの歳月が流れた頃の事である。永は舞いを踊り終えた時、ふとおかしな気配を感じた。

 その方向を振り向き何時もより低い声色で相手を炙りだすと、怯えた様子で赤い着物を着たおかっぱ頭の十六、七の女が木の影から姿を現した。


「ご、御免なさい。お願いですから食べないで」

「何を言っているんだ。誰がお前を食う、だって」


 永は女に近づき、そして彼女の髪に触れた。女は恐怖で動けないでいるのか、逃げる素振りすら見せなかった。


「何しに来た。それを言ったら帰れ」

「小さい時からずっと聞かされていました。この森には桜を咲かせる神様がいるって。里の皆が誰も信じてくれないので、私」

「本当に神様がいるか確かめに来たって事か。残念だな。俺は神様じゃない。人間ではない血は混ざっているが、な」


 そのまま永は女を無理矢理退散させ、その日は終わった。だがこれだけでは終わる事はなく。女は毎日のように永の元へとやって来ていたのだ。

 来る日も来る日も、永が無視しようが脅そうが彼女にはまるで無関係のようだ。


「お前、いい加減飽きろ」

「嫌です。この場所を見つけて以来、私は貴方の舞う姿を見る事に幸せを覚えているからです」


 永は小さく溜息を一つ吐き、


「勝手にしろ」

 と、半ば諦めた口調で女を突き放した。すると女はその言葉を待っていましたと言わんばかりに目を輝かせていた。永にとっては奇妙な生活の幕開けであった。

 そしてこの女との出会いが今後の永の運命すらも変える事を知らずに。



 二人が出会ってから半年後。互いの名前を知る事のないまま女は桜の季節でもないに関わらず、未だ永の元を訪れては舞いの練習をする永の姿を見つめていた。


「もう戻られるのですか」


 何時もより練習の時間が早く感じた女は小屋へ戻ろうとする永に久方ぶりに声をかけた。永は何でもないと言い、その場を立ち去ろうとしたその時であった。僅かではあったが永はよろめいた。

 その瞬間をすかさずに見ていた女は急ぎ足で永の傍まで歩み寄り、彼の身体にすっと手を触れた。


「酷い熱。そこまでしてどうして舞いを。家は何処ですか。私」


 女が永を抱えて移動しようとした時、それを永が振り払おうとする。しかし熱のある永に女を上手く振り払う事は出来なかった。


「放っておけ。お前には無関係だろう」

「こんなに熱を出している人を放ってなんておけません。さあ、場所を教えて下さい」


 永は絶対に教えるものかと心の奥底で決めていた筈であろうに、小屋の方向を指で差した。女は指差す方向に彼の住む場所があると即座に判断し、その方向をただ真っ直ぐに歩いた。幾らか進んだ頃、永の意識は途絶えた。



「分かりました。その女性の方に介抱していただいた事が切欠で、お付き合いをなされたのですね」

「そうだが、どうして分かった」

「お父様も同じような出会い方をなされていますから」


 今まで永はそのような事を考えもしていなかったのだろう。みずきにそう言われ初めて気付いたのであった。それを知ると永は頬を赤く染めた。


「遺伝とはまた違うとは思いますが、親子揃って倒れられるなんて不思議な話です」


「そうか。まあ良いか。言う前に分かったならば、話す手間も少しは省けるな。その女の名前は(せつ)と言った。最初の内は雪と過ごす時間は大変ではあったが、楽しかった。だがやはり幸せは長くは続かなかったよ」


 永の表情が少し明るい物から曇った物へと変わったかのように見えた。



 永にとって忘れもしない二百年近く前の事。雪は家に帰らない日々が長く続き、永も特にそれを気に留める事はなかった。きっと雪は連太郎のように親には何かを話しているのだろうと。

 雪が心配をかけまいと家に戻れば、傍にいる事が当たり前のようになり、その度に永は酷く寂しがるようになっていた。


「お父さんにきちんと話をつけてくる。待っていて。そしたらずっと一緒にいられるから」


 と、どこかぎこちない表情で雪がいなくなったのは三日前。今、まさにその状況である。早くこの場所に来て欲しいと永は常に願い続けていた。

 とある月のない夜の事。顔面蒼白の雪が小屋へ勢い良く飛びこんで来た。永は雪の帰りを喜び、抱きしめようとした。しかし雪の様子は普段と違っていた。息を切らし、何かから逃げて来たような、怯えたような表情である。


「私、永が好きだよ。だからお願い。今すぐ此処から逃げて」

「いきなりどうした。話が見えない」

「良いから早く。御免なさい。そうでないとあの人達が、あの人達が」

「居たぞ」


 雪の必死な訴えを掻き消すようにして、聞こえてきたのは男達の怒声。何事かと雪が止めるのを振り払って、永は表の男達の目の前に立った。

 男達は若い者から老いた者まで様々であったが、全員共通して刀を所持していた。


「お前達、何が用で此処に踏み入って来た。事情を話せ」


 永の問い掛けに、一番偉そうな中年の男が永に雄叫びにも似た大声を発する。


「お前か。我が娘を食おうとした化け物は。今此処で成敗してくれる」


 その問いかけにはまるで聞く耳を持たれていないよう。


「どういうことだ。それに娘だと。まさかお前、何かしたのか」


 永が雪の方向を振り向いた時、雪は永の方を向かずに父親であろう男に目を向け、悲痛な訴えを始めた。


「お父さん、違うのです。この方はそのような方じゃない。この森には化け物なんていないのです」

「何を言う、雪。この銀髪が化け物だって証拠じゃないか。この色の髪をお前は見た事があるか。ないだろう。お前は花嫁修業をするから、家を空ける日が多くなると言っていた。だが心配になり後をつけてみればこれは何だ。事実を知った時は青ざめたよ。だからこうしてお前の事をだな」


 永は雪が最後の去り際にみせた表情を思い出し、その時には既に自分のことを知られていたのだと察した。


「嘘じゃありません。何度も何度もそれは言っているのに。分からずや。私はこの方を愛しています。想っているのならば、身を引いていただけませんか」

 そう必死になっている雪を見て、永の頭の中では様々な思考が駆け巡る。今この場が荒れていることへ対する怒り。雪のあの表情で何も感じる事の出来なかった自身への怒り。自身に相談してくれれば良いものを、それを隠していた雪への怒りも勿論あった。

 そんな募る怒りが最高潮に達したかと思えば、


「おい」


 今まで見た事もない氷のように冷たい態度で、永はその口を開いた。


「俺は死なない。お前達の言うように化け物だからな。雪、気持ちは嬉しいけれど。引け。もう此処には来るな。そうでないと、お前まで」

「嫌。私が此処をなんとかするから。だからどうか逃げて」

「お前の力じゃ無理だ」


 永と雪の言い争いが始まりかけたその瞬間。


「やってみなければ分からないだろう」


 最初の一振りが、永めがけて振りかざされたが、寸でのところで永はそれをかわした。


「無理だと言っているのに」


 そのまま振りかざした男に肘鉄を繰り出し、落とした刀を拾い上げた永。そのまま傍にいた雪の腕を掴み、


「行くぞ。まずは仕方ないから逃げる」


 渋々永は走り出した。雪もされるがままに永についていく。


「逃がすな」


 辿り着いた先は、舞いの練習をしている大樹の前。


「雪、あいつらが此処に来たら一緒に戻れ。俺のことは気にするな」

「嫌。それだけは絶対に」

「言うことを聞いてくれ。だが、次に襲ってきたら容赦なく俺は切りかかる」

「それは構わないよ。だけど戻るというのは無理な話」


 横棒一線の言い争いのあとで、男たちもまた永と雪の元に辿り着いた。


「さあ、雪。行くぞ。おい」


 雪の父親が傍にいた男に雪を連れてくるように命じ、永も行けと促され。雪は嫌々ながらそれに従う。


「永、今は仕方なく従う。でも私は絶対に」

「戻ったな。よし。やれ」


 絶対に永の元へ戻る、と雪が言いきる前に雪が自身の手元にきたことを確かめるやいなや、父親は永を始末するように男たちに仕向けた。


「だからやめろと言ったのに」


 永は一つ溜息を吐き、持っていた刀を男に振りかざした。


「やめて」


 雪が必死に叫ぶも、永も男達も言葉に応じる事はなかった。


「雪、お前を今此処で失う訳にはいかないのだ。分かってくれ」

「分かりたくない。だから」

「逃げろ、か。聞き飽きたな。出来ない要望を言うな」


 そう言いながらも男一人一人に容赦なく切りかかる永。自分も傍に行こうと、父親に掴まれた腕を振り払おうとする雪。


「放して下さい。永が、永が」

「うるさいぞ」

「きゃ」


 あまりにも雪がじたばたするからか、父親はもう片方の手で雪をはたいた。それを永は見逃してはいなかった。


「お前、よくも」


 血飛沫で赤く染まっていた永は切りかかる勢いを加速させ、一気に男達を始末する。気付けば彼の後ろには傷ついた男達の身体が転がる。それに怯えた者達はすぐさま退散し、残すは雪の父親ただ一人となった。


「流石化け物だな」

「人間は勘違いをするから困る。俺は人を食わない」

「その根拠は何処にもないだろう」

「まあ、そうだが。意地でも俺を殺すなら、俺はお前を殺す。例え雪の父親でも」


 刀を構える永と、雪の父親。雪はどちらにも死んでほしくない一心でやめるように叫ぶも、二人には届いていない様子だ。愛しい恋人と、口では死んでも構わないと言いつつも自分を育ててくれた愛しい父親。何故今は物を向け合っているのか。

 雪は咄嗟に、二人の間に入ろうと駆けだした。


「切りかかってきたのはそっちが先だ。怨むなよ」

「いくら死なないと自負しても、その首をかき切り心臓を刺せば死ぬだろう。娘を屠ろうとした報いを受けろ」

「やめて、やっぱり父さんを殺してほしくない」


 そう言って、二人の間に入ろうとする雪。自分が間に入れば二人とも刃物を下げるだろうと思ったからである。だがその雪の考えは儚く散っていった。


「せ、つ」


 二人が振りかざした刃物が雪の背中と胸を切りつけたのだ。父親の方はそれが酷く恐ろしく感じたからなのか、自分の娘を殺してしまったと嘆き、その場をふらふらと去って行った。

 血の海の中に今漂っているのは茫然とした永と瀕死状態の雪であった。


「な、んで」

「私は、どちらも、好き、だから。どちらも、失いたく、なか、った」

「悪かった、俺が全て悪かったから。だから死ぬな」


 大粒の涙を人生で初めて流した永。それを見た雪は力なく笑い、この世界で最期の言葉を口にした。


「生まれ変わって、貴方の、元へ、行きます。すぐに、でも。そしたら、また幸、せ、に」


 一筋の涙が流れたと同時に、雪は息を引き取った。それと同時に、永は森全体に響き渡るような大きく泣き叫んだ。朝が来るまでずっと、永は雪の亡骸を抱えたままただその場に(うずくま)るだけであった。

 この出来事は翌日には里に広まり、雪の亡骸を始め、永がやった男達の亡骸は残された里の人々によって回収された。その際、ふと聞こえた話し声から雪の父親が里の長だったということ。その父親はあの場から離れた位置で遺体になって発見された事を永は知った。どうやら自害したようだ。

 それ以降、里の人間は森に近づかなくなったし、永も里の人間が立ち入ることをひどく拒むようになった。暫くは大樹の元へ行くことすら出来なかった永であったが、その出来事を忘れてしまってはいけないと思ったのか、再び訪れるようになる。

 その度に母親である桜里の傍に長く居続けたことにより、命を削られたであろう連太郎のように、雪も自分が半分人間でないせいで命を削ってしまったのだと悔やむようになったと言う。













 そして、その気持ちを表すかのように。永が桜を咲かすことはなくなり、森は枯れた。









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