三、彼と彼女の出会い
数年後。枯れ木の森を並んで歩く二人の男女がいた。
男は深緑色の着物の中に白い洋服を着、紺色の袴を履いている。黒い短く切られた髪が風になびく。歳は二十歳を超えて少しであろう。
女は薄桃色の布地に鮮やかな桃色の花を散らした着物姿であった。長く黒い髪を簪で結わえている。歳は男と同じか少し若い印象である。
「藤市さんのご友人がこのような場所に住んでいるなんて、未だに信じられません。それに言い伝えられていると聞きました。ここに入れば命はない、と」
「まぁ、みずきが初めてだからね。この事を教えたのは。入っても大丈夫だよ。現に僕は無事なわけだし。それに悪い人物ではないし、君もきっと気に入ると思う。ただ」
「ただ、なんですか」
「顔立ちは彼の方が良いから、心変わりはしないでほしい」
「誰が心変わりをするものですか。ここに来た理由は貴方が一番分かっているでしょう」
この男、藤市の冗談が混ざった願いも相手である女、みずきには通用はしなかった。二人がこの森へと訪れる事となったのは藤市の願いであったのだ。
遡れば二日前。藤市はみずきと結婚の約束を交わしていた。互いの親へと挨拶を済ませた後のこと。
「大切な友人への報告をしなければならなかった」
と、藤市が告げた。みずきは友人への報告はまだ早いと思っていたようで、藤市のその発言には驚かされた。みずきは藤市へまだ先でも良い事を告げるが藤市は言う事を聞かず、
「彼は家族も同然だよ。命の恩人でもあるし」
そういって、力強いまなざしをみずきに向けた。それならば仕方ない、とみずきはそれを了承した。その時、藤市は子供のように喜んだという。
その後、藤市が会う約束を取り付け今日に至る。
「どのようなお方か気になります。早くお会いしたいですね、って。藤市さん」
並んで歩いていた筈の二人であったが、気付けばみずき一人だけが取り残されているではないか。藤市の姿は辺りをくるりと見回しても影すら見当たらなかった。恐らく藤市が気付かぬ間に知らぬ道に行ってしまったのだろう。
「このような枯れ木だらけの中でも迷う事ってあるのですね」
みずきの放ったその言葉に誰も返事をする事もなく、ただ空気に溶けて消えて行った。
みずきは困った。藤市のいないこの状況下でどうすれば良いのかが分からなくなってしまったのだ。
「藤市さあん。いたら返事をお願いします」
まずは大きな声で藤市の名を呼んでみる。しかし返事は返っては来なかった。みずきは藤市が自分の声の届かない場所にいるのだと、推測した。
「少しだけ前に進んでみましょうか。こうなってしまっては仕方ないですしね」
自身にそう言い聞かせ、前に進む。元来た道を戻って行ったとしても変わらぬ景色が延々と広がるだけであるこの場所。更に迷う恐れの方が高い。前に進む事も更に迷う要因に繋がってしまうであろう。しかしみずきは何もしないよりは良いと判断したのだ。
「何をしている」
みずきが一歩踏み出したその時であった。前方から男の声が聞こえたのは。だがその声の持ち主は探している藤市の物ではなかった。その声は藤市よりも僅かではあるが低い声であった。みずきは声の聞こえた前方を見る。
するとそこには月のように輝く銀色の短い髪が印象的な男が立っているではないか。洋装の上から藍色の着物を羽織り、片手には黄金色の扇子。そして素足であった。
「人を捜しています。この辺りで若い男を見ませんでしたか」
明らかに異質な風貌なのに怖いと思う事もなく、みずきは躊躇いもなく近付きながら男に藤市を見かけなかったかと尋ねた。すると男もどうやら人を探していたようで、みずきと同じような言葉をかける。
「何故お前が此処にいるかは知らないが、今はどうでもいい。俺も捜している男がいる。時間になっても現れないし、鈴の音も聞こえないし困ったものだ」
みずきはたった一人だけ目の前の男以外の男を見掛けている。その人物とは藤市の事である。
「一人だけ見ましたが、貴方が捜している方ではないかもしれません」
「それでも構わない。と言うよりは恐らくそいつで間違いない」
「はぁ」
みずきは不思議に思いながらも男に藤市の事を話した。名前だけを伏せ、藤市の特徴を男に詳しく説明する。その説明を聞いた男は徐々に表情を変えていく。
その表情はとても恐ろしく、少なくとも落胆したり、喜んでいる様子ではなかった。
「やはり間違いないか。否、あいつ以外の男であっては困るが。念の為に聞くが、そいつは藤市と言う男か」
「そうですけど、貴方は」
みずきの言葉に推測を確信に変えた男は、みずきの両肩を強く掴み、
「どこに行ったかを聞く前に、だ。あんたは誰だ。この領域に入った人間がどうなることか」
「知っています。ですがその言い伝えを打ち破った人を知っているので怖くありません。それに藤市さんを探しているのは私も同じです。どこに行ったかなんて私が知りたいです。分かりましたらその手を離していただけませんか」
男がまるで襲おうとしているような鋭い目つきでみずきを問い詰めようとしたが、みずきは一切ひるむことなく目を逸らさず、手を離すよう訴えた。すると男はすぐさまその手を離す。
「目的は同じか。本当なら出て行けと言うつもりだが、藤市の知り合いのようだしあんたもすぐには出て行かなさそうだな」
「ええ」
みずきは若干着崩れた羽織を軽く整え、改めて自己紹介をした。
「誰か、という質問に答えていませんでしたね。私はみずきと言います。漢字はありません。平仮名です」
それにつられてなのか、男の方も名乗ってみせた。
「永、だ。永遠の永と書いて」
「永さん、ですね。もしかしてと思いますが、貴方は藤市さんのご友人ですか」
「何を言っている。あいつとは、その」
どうやら友人と認めたくないようだ。まるでそれが気恥ずかしい様子。なかなか答えない永に対し、みずきは答えを促した。
「そうでなければ、藤市さんと約束をして、来ない藤市さんを探しには来ませんよね」
その言葉に返す言葉もなかったのか、ついに永は、
「この世で、唯、一人、の」
その言葉から先がなかなか言えずにいたが、
「友人だ。ああ、そうだ。友人だ」
意を決したかのように遂にその先の言葉を言いきった。頬をまるで恋をする乙女のように赤く染め、恥ずかしそうである。その言いきった顔は何処となく誇らしげであった。
まるで何かを成し遂げたかのようなその表情を見て、みずきは優しく微笑んで見せる。すると永は機嫌を損ねたのか、今度はみずきに言い返す。
「何が可笑しいのか説明してくれないか」
「変わったお方だなと思いまして。やはりそうでしたのね」
「あ、ああ。そうだ。俺が藤市の友人だ。あんたこそ藤市を何故知っているんだ」
思ってもいない返事が来たからなのか、僅かではあったが永は石のように固まり、なかなか言葉を発そうとはしなかった。自身の中にあった疑問点を思い出すまでは。
「私は藤市さんと、その、あの」
今度はみずきが言葉を発する事を躊躇った。先程の永と同じ様子である。
「みずきも人の事を言えるような事ではないじゃないか」
「それもそうですね。失礼しました」
みずきが藤市との関係を答えるよりも早く、永が言葉を口にした。するとみずきは永に苦笑交じりで謝罪をする。
「ほら行くぞ」
そう悪態を吐きつつも永が笑みを小さく浮かべると、みずきの右手を手に取り自分の来た道へと歩みだした。
「え」
唐突の出来事であったからであろう。みずきは戸惑いを隠せずにいた。永に何処へ行くのかと問い糺しても答えようとはしなかったのに、みずきは抵抗をしようとは思わなかった。
藤市の友人だからというのは勿論ではあったが、悪い事は決してしない人間だと直感で感じたのだ。枯れ木の森を真っ直ぐに進む二人ではあったが、不運にも共通の捜し人である藤市に遭遇する事はなかった。
「此処に居ろ」
「この場所は何なのでしょうか」
二人が辿り着いた先は、藤市が永と半ば強引に約束をした場所であり、待ち合わせをした場所であった。
「唯一の水のある場所だ。鈴を忘れてどうしようもなくなってしまったら、まず此処に来いと。あいつはこの場所だけは覚えているからな、と言うよりは覚えさせた。だから今日会う為に此処に待ち合わせていたんだが」
「永さんのお家ではなく、ですか」
「最初の一度は来られたみたいだが、それきりだ。あいつの方向音痴は困りものだな」
湖の側にしゃがみこみながらそう不満を言いつつも、満更でもなさそうな永。
みずきはそれを微笑ましく感じていると、二つほど不可解に感じた点が出来た。聞かないままでいるのも自分が納得しないからか、それを思い切って永にぶつけてみることにした。
「確かにあの方は方向音痴です。私も何時もそれに手を焼かされているのですよ。ところで」
「何だ」
「二つお聞きしても良いでしょうか。先程も言っていましたが、鈴と言うのはこの勾玉についた鈴のことでしょうか」
永と同じようにしゃがみこんだみずきが懐からすっと取り出したのは、永が藤市に渡した根付であった。それを見た永はみずきに尋ねる。何故持っているのか、と。するとみずきは答えた。
「お守りだから持っていて、と藤市さんが持たせて下さいました。万が一はぐれてしまったら、それを鳴らすように、とも。すっかり忘れてしまっていましたが」
道理で鈴の音が聞こえない筈だ、と永は納得し、呆れ果てた。
「それは藤市に俺が渡したものだ。藤市が来たら返してやれ。それでもう一つの尋ねたいことは何だ」
「永さん、よく見たら少し目が赤いですね。あ、元々の色味もそうなのですが。なんというか泣いたような跡があって。何かありましたか」
「眼球の色のことならば、藤市が話したかは知らないが。俺は半分人間じゃないからだ。泣いたように見えるのは、その。気のせいじゃ、ないの、か」
明らかに戸惑う様子の永。嘘を吐くのは上手くないらしい。しかしみずきは更に追い詰めようとはしなかった。
「ところで、結局お前は藤市の何なのだ」
それに気付いていない永は話を逸らそうと、改めてみずきと藤市の関係を尋ねた。
みずきの隣に少し離れて腰掛けた永は先程の出来事を思い出し、再度尋ねた。その問いかけに再びみずきは頬を桜色に染めて、小さな声で囁くようにその問いかけに答えた。
「私は藤市さんの妻になる者です」
「何。あの男、婚姻をするのか」
永の表情は信じ難い出来事であったからであろう。その眼を大きく見開いていた。みずきはその驚きように僅かながらに戸惑いを見せた。そんなに驚かれるならば、言わなければ良かったのか、と。
「そんなに驚かれる事なのでしょうか」
まるで結婚する事が悪い事のように感じてしまったみずきの表情に、笑顔は一切なかった。特にそれを気にする様子もなく永は続ける。
「そんな顔をするな。藤市はあれだよな、肥溜に落ちても笑っていそうな奴だよな」
「どれだけ貴方の中で藤市さんは阿呆者なのですか。そうですよね、そんな阿呆者がこうして結ばれるなんて相当の驚きでしょうね」
永が藤市の良さを言う度にみずきの表情は益々暗くなっていく。
「そうだな、ああ。そうだ藤市の奴」
「もう良いです。黙って下さい。でもこれだけは答えてください。貴方は此処にいれば藤市さんが来ると言いましたよね。それならばどうしてあのような場所に。分かっているならばこの場所で捜しに来ずとも待てば良かったものを」
有無を言わさず早く答えろと、言葉にこそしてはいないがみずきの阿修羅王の如く威圧感のある笑みに、これは怒らせない方が良いと思ったのだろう。永は黙って素直に答える事しか出来なかった。
「さっきも言ったかもしれないが、時間を過ぎても現れなかったからだ。迷子になったとはいえそれでも来るのが遅すぎる。何となく気配を感じたと思えば、あんただったというだけ。先程の藤市の件、あながち間違いでもないが機嫌を損ねたならば詫びよう」
頭を軽く掻きながら永はみずきに言う。湖面には揺れる永の姿が映し出され、彼が近くにあった石を投げた事により、それは姿が分からなくなるほどに乱れた。
石の沈む音を聞き届けた後、みずきは漸く言葉を口にし始める。その言葉達は永からすれば驚き以外の何ものでもなかった。
「いいえ。藤市さんはそのようなお方ですから。改めて言われて甚だ怒りを感じただけです。やはり黙らなくて良いです。貴方と話しているとこの森に対する疑問が後を絶ちません」
みずきは微笑む。それは先程の阿修羅王のような笑みではなく、釈迦のような穏やかな笑みであった。その笑みに永が安堵に胸を撫で下ろしたのも束の間。
「そういうわけですので、絶たない疑問を解決させてください。質問ばかりしてしまい申し訳ないですが。この森には藤市さん以外は来ないのでしょうか。思えば捜している人が貴方の探し人でないかもしれない、とお伝えした時貴方は迷いなく言いました。その男で間違いない、と」
「ああ。その通りだ。本当なら藤市だって此処に来て良い存在ではないが、変わり者だからなあいつは」
「一体どういう」
「それはだ、な。」
永は先程とはまた違った様子で言葉を詰まらせる。恥ずかしいから言いたくない訳ではなく、言ってしまったら悪い事がまるで起きるのではないかと言う気まずそうな様子である。
「言いたくないのでしたら、無理には聞きません。どうかこの私の質問を聞かなかった事にして下さい」
空気でそれを読み取ったのか、みずきはそっと永を気遣うような言葉をかける。だが永は首を横に振り否定の合図をしてみせると、真っ直ぐな瞳でみずきを見つめた。その真っ直ぐな瞳にみずきは何故か胸を高鳴らせた。
「何故かあんたを見ていると、話さないといけない気がしてきた。藤市には話す気にもならないのにな。俺を嫌わないか。あの変わり者の藤市の妻になるお前だから、杞憂に終わるかもしれないが」
「え、ええ」
「だったら言おう。藤市以外に誰も来ない理由を。そうなってしまった経緯も、な。藤市をまた捜しに行
こうと思ったが。あんたを一人にも出来ないし。来るまでの時間潰しだ」
みずきから目を反らし、湖の反対側を見るように遠くを見つめながら永はそれを語り出した。




