うつろな騎士とうつらない姫
とある王国の外れに、今にも倒れそうな古びた塔がありました。
そこにはリベルタという、13歳の魔女が住んでいました。
いえ、リベルタは正確には魔女ではありません。彼女は王女でした。
リベルタは魔力という強大な力を持って生まれてきました。
彼女の瞳はまるで吸い込まれるような美しい空色をしていました。
それは魔眼と呼ばれる、恐るべき力を持っている証でもありました。
彼女が念を込めて人を睨むだけで、幻覚を見せたり、意識を失わせたり、あるいは命すら失わせたりする力です。
リベルタは幼いころから、その恐ろしさに自分で気付く聡明な子でした。
だから、誰一人としてその魔力の犠牲になった人はいません。
でも、彼女が恐ろしい力を持っていることに変わりはありません。
王様と王妃様は、自らの子である彼女を恐れ、城から遠く離れた場所に幽閉をする事にしました。
それだけではなく、その恐ろしい力に封印まで施しました。
魔眼を封じるという事は、彼女の視力を奪うという意味でもあります。
もちろんリベルタは嫌でしたが、抵抗せずにその仕打ちを受け入れました。
自分が両親に……いえ、国中の皆から恐れ、うとまれている事を知っていたからです。
こうして森の奥深く、かつて賢者が住んでいたとされる塔で、彼女は一生を過ごす事になりました。
恐ろしい魔女が暴れないよう、入口には見張りの兵士が常に配備され、逃げ出さないよう厳重に管理されていました。
ですが、リベルタはまったく孤独という訳ではありませんでした。
「姫。お食事の時間です」
「いつもありがとう。アストラル」
塔の屋上の石造りの殺風景な部屋には、ベッドなど最低限必要な物以外は何もありません。
視力を奪われた王女には、調度品すら必要無いと判断されたからです。
そんな何も無い部屋で、王女に唯一接してくれるのが、世話係のアストラルという下級の騎士でした。
アストラルは全身鎧に身を包んでいましたが、その鎧はお世辞にも立派な物ではありません。
ところどころサビついているし、騎士どころか一般兵が身につける質の悪い鎧です。
ですが、リベルタにとってはそんな事はまったく気になりませんでした。
化け物であり魔女である自分を「姫」と呼んでくれるのは、アストラルだけだからです。
気味悪がって誰も自分の世話係をしてくれない中、アストラルは文句ひとつ言わずリベルタに寄り添ってくれるのです。
「あなたはいつも鎧を着ているけど、きゅうくつではないの?」
「それが仕事ですので」
食事の乗ったトレーを机の上に置いた後、リベルタはアストラルの手甲をさすります。
それは、とてもひんやりして、ごつごつして、時折サビ付いたざらざらした部分があります。
ですが、リベルタはこのいかつい鎧の手が、とても優しい物に思えるのです。
彼がリベルタを抱きかかえる時、この手甲は力強さと優しさに満ち溢れています。
とはいえ、リベルタは光を失ってすぐにアストラルを受け入れた訳ではありません。
最初に「これがお前の世話係だ」とアストラルを連れてこられた時、アストラルはほとんど何も喋りませんでした。
塔の下に居る見張り番よりもさらに近い、自分の部屋の入口の前で、アストラルが身じろぎ一つせず待機する気配を感じました。
アストラルはいつも同じ時間に塔の外に出て食事を持ってくるのです。それが終わると、先ほどとまったく同じ位置に立ちます。まるで甲冑の置物そのものでした。
リベルタには、その無言の騎士の威圧感に最初怯えるばかりでした。
誰も頼る人がいない中、こんな偏屈な騎士だけが自分の世話係なのだから無理もありません。
それから数日経ったある日、リベルタは自分からアストラルに話しかけました。
仲良くなりたいというより、窮屈でたまらなくなったからです。
「きょ、今日はいいお天気ですね」
「…………」
「アストラルは、いつも同じ所に居るけど、疲れてない?」
「…………」
といった感じで、アストラルはまったく反応しませんでした。
それでも、リベルタは懸命に話しかけました。
塔の中では何もやることがありませんし、時間はうんざりするほどあるのです。
「アストラルはどんなものが好きなの? 私はここに来る前、本を読んでいる事が多かったけど」
これにもアストラルは反応しませんでした。
なので、リベルタはもう勝手に話す事にしました。
リベルタは、自分が好きだったおとぎ話を一人でそらんじました。
それは、この世界のどこかに人間以外の化け物だけが住む楽園があって、そこではどんな者でも幸せに暮らしていけるというお話でした。
何故リベルタがその話をしたか、その時は自分でも分かりませんでした。
後になって思えば、自分も「化け物」と呼ばれているから、そこに行きたいと思ったのかもしれません。
リベルタはいつの間にか空想の世界に浸りながら語っていましたが、気が付くと、入口で置き物のように立っていたアストラルが、いつの間にかリベルタの正面に立っていました。
「今の話、気に入ってもらえたのかしら?」
「…………」
アストラルは相変わらず無言です。
ですが、別にリベルタに対し暴力を振るったりする様子はありません。
きっと気に入ってくれたんだろう。そう考え、リベルタはそれから毎日、違うお話を語りかけました。
その時から、アストラルは少しずつ喋り出すようになったのです。
季節が寒々しい冬から春へ変わる頃には、アストラルはすっかりリベルタの一番の理解者になっていました。
「もう春ね……私にはよく分からないけれど」
塔の部屋は一年中暗く、じめじめとしていましたが、天井近くには明かりを取り込む窓がありました。
とても高い位置にあるので、目の見えないリベルタでは手を伸ばす事はできません。
リベルタは、わずかに差し込む陽光の感覚で、日差しが大分強くなっている事を感じ取ったのです。
ですが、リベルタはもう二度と外に出して貰えないでしょう。
それを分かっているリベルタは、生命の息吹をただ想像する事しかできません。
「姫は、外に出たいのですか?」
リベルタが寂しげにベッドに腰掛けていると、アストラルが声を掛けてきました。
「もちろん。きっと今はたくさんの動物や、草花が日差しの中で自然を満喫しているもの。私だって出来れば……」
そこまで言いかけて、リベルタは喉を詰まらせました。
そんな事を願った所でどうにもならないのです。
塔の入口には常に見張りが立っているし、アストラルは騎士の中で一番位が低いのです。
他の兵士や王にお願いしたところで、決して聞き入れてくれないでしょう。
「大丈夫です。姫が望むなら、私があなたを連れ出しましょう」
「ええっ!? どうやって!?」
言うが早いか。アストラルは片腕で軽々とリベルタを抱え、石壁のごく小さいとっかかりを支えに、もう片方の腕と両足だけで昇りました。そして、あっさりと天井の窓の所に辿り着きました。
そのあまりの身軽さにリベルタはきょとんとしていましたが、それからすぐに嫌な予感がしました。
「姫。しっかりと掴まっていて下さい」
「……まさか」
そのまさかでした。アストラルは、塔の窓からなんのためらいも無く跳躍をしました。
人間が落ちたら絶対に助からない高さです。
「いやああああああああ!!」
リベルタは叫びました。そりゃあ無理もありません。
確かに生きている事がつらいと思った事はありますが、訳も分からないまま飛び降り自殺する心構えはなかったのですから。
ところが、予期せぬ事が起こりました。
想像していた衝撃はあまり感じず、どしん、という音だけが響きました。
「問題なく着地できましたが、姫、お怪我は?」
「……え? えっ!?」
平然と言い切るアストラルに対し、リベルタは見えない目をぱちぱちとまばたかせました。
なんと、アストラルは人間一人を抱え、あの小高い塔から飛び降りたのです。
しかも、怪我ひとつ無いようでした。
「では参りましょう。塔の見張りがいつ気付くか分からないので、あまり長くは出掛けられませんが」
「う、うん……」
それから、アストラルはリベルタを抱えたまま森の中を歩き始めました。
足場が悪いので、姫はアストラルの腕の中で大人しく運ばれています。
文字通りのお姫様抱っこでした。
「着きました。ここなどいかがでしょう」
「わぁ……」
アストラルが連れて来てくれたのは、森の中の開けた花畑でした。
色とりどりの美しい花が咲き乱れ、新緑の匂いと混じり、春風に乗ってとてもいい香りを運んできます。
リベルタは盲目でしたが、その美しい光景は、手に取るように分かるほどでした。
「本当にありがとう。アストラル」
「いいえ。姫の従者である事が私の役目ですので」
「あの……リベルタと呼んで貰えませんか?」
「……はて?」
アストラルは兜を傾げました。
「姫は姫でしょう。何か問題でも?」
「いえ、問題という訳じゃないのですけれど、なんだか、その……他人行儀な気がして」
「姫は姫、私は私です。他人なのは当たり前じゃないですか」
「そうじゃなくて! その、ええと……せめて二人だけの時は、リベルタと呼んで欲しいのです」
「命令とあらばそうしますが」
「命令じゃなくて……もういいです!」
何が悪かったのだろう。アストラルにはどうしても分からず、両手を組んで考え込みました。
リベルタは溜め息を吐いた後、せっかくアストラルが連れて来てくれたのだからと、この自然を堪能しようと考えました。
花畑には甘くいい香りが漂っており、姫は最初、寝転んだり、香りを堪能したりしていましたが、ふと、ある考えを思いつきました。
リベルタは目が見えませんが、並の女性よりずっと手先は器用です。
それに、光の無い生活はもう何年も続けているし、ある程度の事は感覚で分かります。
リベルタは多少苦労しながら、そこにあった草花で花冠を作りました。
「どう? 見えないまま作ったけれど、上手に出来ているかしら?」
「お上手だと思います」
お世辞なのかリベルタには判断がつきかねますが、とにかくこれでやるしかありません。
「じゃあ、アストラルにこれを上げます。姫として、あなたに最高の勲章を」
「ありがたき幸せ」
リベルタはえへんと胸を反らせました。
もちろん、リベルタは姫らしい姫ではありません。
そんな姫に対し、アストラルは深々と礼をし、彼女の前に跪きました。
(よし! これでいいわ!)
リベルタは表情に出さないよう気を付けながら、内心の喜びを隠しました。
もちろん、日頃のお礼がしたいというのもありましたが、リベルタはどうしてもアストラルの素顔を知りたくなったのです。いつも全身鎧に身を包み、ごつごつとした冷たい感触しか伝わってきません。
目で見る事は出来なくても、彼の髪や肌に直接触れたいと、そう願ったのでした。
今、リベルタの前にアストラルの兜があります。
リベルタは花冠を自分でかぶると、素早くアストラルの兜を取り、地面に放り投げました。
そして、彼の顔に手を伸ばしましたが……
「……あれ?」
リベルタの手は宙を切りました。本来、そこにあるべきアストラルの顔が無いのです。
「……驚きましたか?」
困惑するリベルタとは対象的に、アストラルはいつもと同じ穏やかな口調で、地面に落ちた兜を拾ってかぶり直しました。
「アストラル、あ、あなたは……」
「隠していて申し訳ありません。私は人間では無いのですよ」
そうして、アストラルは自分の事を語り始めました。
アストラルとは「精神体」という意味でした。
その名の通り、アストラルには肉体がありません。
誰もが魔女である姫の世話係を気味悪がって断ったため、城の魔法使いが魔法で鎧に命を与えて代役にしたのです。それがアストラルの最初の記憶でした。
アストラルは王女を無視していた訳ではありません。
ただ、その時のアストラルにはほとんど知性がありませんでした。
与えられた命令に従い、時間どおりに王女の世話をするうつろな人形だったのです。
「そんな私を、姫が育ててくれました」
「私が?」
不思議そうな表情のリベルタに対し、さらにアストラルは語りかけます。
「私に言葉を教え、たくさんの話を通して知力、希望、愛を教えてくれたのです」
「そんな大層な事はしてないけど……」
確かに、リベルタが語った物語は、騎士道や楽園の物語がありました。
ですが、そういったものが物語だけで、現実はそうでない事を彼女自身が体験しています。
けれど、精神体であるアストラルにとって、精神を高める物語はそれ自体が力になるものでした。
「私がこうして姫と会話をし、塔から飛び降りても何ともないほど頑強なのは、あなたのお陰なのです」
そう言って、アストラルは膝を折り、幼いリベルタに最敬礼の姿勢を取りました。
リベルタは、ただただ困惑するばかりです。
「化け物である私を姫はお嫌いになるでしょう。ですが、ご安心ください。たとえあなたがどれだけ私を嫌おうが、私があなたの従者であり、命を差し出す事に変わりはありません」
「ちょ、ちょっと待って!」
アストラルの台詞を、リベルタは慌ててさえぎります。
「私はあなたを嫌いになどなっていません!」
「……私は、人間では無いのですよ?」
「それを言うなら、私も似たようなものですから」
リベルタはそう言って、くすりと笑いました。
周りの皆、両親にすら忌み嫌われ「化け物」と呼ばれて来たのです。
そんな中、ただ一人だけ「姫」として扱ってくれたのは、アストラルだけでした。
そんな彼をどうして嫌う事が出来るでしょう。
そして、姫は一つの決断をしました。
「アストラル」
「はい」
「私を連れて、旅に出ませんか?」
「……は?」
冷静なアストラルにしては珍しく間の抜けた返答で、姫は面白そうに笑いました。
「前に話しましたが、この世界のどこかに化け物の楽園があるそうです。私は、そこに行ってみたいのです」
「あれは、おとぎ話では?」
「いいえ。ある程度の目星はついています。でも、私一人では行けません」
リベルタは考えます。
このまま塔に残っていても、きっと何もいい事など無いでしょう。
それに、自分の世話をするためだけにアストラルが生まれたという事は、自分に何かあれば、アストラルが存在する理由はありません。間違いなく処分されてしまうでしょう。
化け物に対して厳しいのは、リベルタ自身が一番分かっているのです。
「ですが……危険な旅になるでしょう。私は姫を危険に晒したくはありません」
「ここに居てもただ朽ち果てていくだけです。それに、私もいつまで生かせてもらえるか分かりませんから」
そう言って、リベルタはアストラルに頼み込みます。
ですが、アストラルは困ったようにうなるだけで、なかなか首を縦に振りません。
その時リベルタは、自分の頭の上にかぶせていた花冠に気がつきました。
「アストラル。私の前に跪いてください」
「分かりました」
理由はよく分かりませんが、逆らう理由も無いのでアストラルは再びリベルタの前に跪きました。
そして、リベルタはなるべく威厳が籠るよう、お腹の底から声を出し、こう言いました。
「騎士アストラル。王女リベルタの名の元に命ずる。私を、化け物の国に連れて行きなさい」
アストラルは驚きました。
今まで、リベルタが自分の権力を振りかざした事が無かったからです。
自分が姫ではなく、魔女であり化け物であるという引け目があったからでした。
そんな彼女は今、王族の威厳を込めるよう、精一杯振る舞っていました。
「返事は?」
「……この忠誠を、貴女に」
アストラルは彼女の覚悟を受け入れました。
こうして、二人の「化け物」は、長い旅に出る決意をしたのでした。