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花のようなる

ーーーーー突然だけど、



「花のようなる秀頼様を 鬼のようなる真田が連れて 退きも退きたり鹿児島へ」


 という歌を知っているだろうか?もし知っているのならば、僕並みの日本史好きか変人だ。この歌をざっくりと説明すると、大阪の役(大阪の陣などともいう)を豊臣秀頼(とよとみ ひでより)が生き延びて徳川の力があまり及んでいない鹿児島(薩摩)へと逃れたという話だ。もちろん、根拠などないが歌われ続けたのだ。





★ ★ ★


 今から400年以上前の慶長20年。大阪で華のよう(身長が180センチ以上あった巨漢とも…)だと言われた天下人豊臣秀吉(とよとみ ひでよし)の嫡男 、豊臣秀頼(とよとみ ひでより)の軍と割とドラマなどでは悪役にさせられるタヌキこと徳川家康(とくがわ いえやす)の軍が戦った。


 その結果、秀頼軍が篭って戦っていた大阪城は落城、その後に秀頼は母である淀殿や家臣らと山里丸と言われた建物で自害したと言われている。

しかし、彼らは死ぬ間際に自分達がいる建物に火を放った(徳川方が放ったとも)ため、本当にそこにあった遺体が秀頼たちのものか分からなかった。そのため、大阪の陣が終わった頃から人びとの間で秀頼は生き延びて九州(薩摩)に逃れたのではないかと噂された。



[もちろん、真田信繁(幸村)は越前松平家鉄砲頭 西尾宗次(久作)に討ち取られたため生きているはずかない。ため、信繁(幸村)の息子の真田 大輔を"真田"と言ったのではとも考えられる]


 まあ、確かに大阪城近くには淀川が流れその気になればいくらでも逃げられる。さらに、九州の方には秀頼の墓と言われるものもあるし、大阪の陣直後に秀頼と同じような風貌の男がとある領地に住み始め、領主から人びとにはその大男(先程も述べた通り、秀頼は大柄だったらしい。)には手を出したりあまり干渉するな、そっとしておけ といった趣旨の御触れが出ていたことは事実だ。まあ、ざっと秀頼伝説はこんな感じてすわ。

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