鬼退治
靖子が母屋から社屋に顔を出すときはロクなことがないが、月末毎に来社する会計士、銀行マンを社長室に迎える時は別である。会計士は私用の使い込み金を経費に回す相談で頼もしい味方となり、銀行マンの若い担当者には声のトーンを二オクターブ上げ、豪の嘘八百で塗りたくられた自慢話を否定する事もなく相手してもらえるのだから始終ニコニコ顔である。
「おほほほほ」
若い男に色香を出した黄色い笑い声が薄い壁を一枚隔ててトレース室に聞こえてくるものだから、
「また盛りのついたばばぁが奇声を上げてるわ」
栞里が壁の向こうにいるだろう靖子に向かって毒づき、
「金と若い兄ちゃん目の前出した時だけ目がハートになっておるからきっしょいなー」
篤郎が返す。毎度のやり取りである。
が、そんな黄色い声も銀行マンが帰るなりトレース室の部屋の扉をカチャっと開け、そしてカチャっと閉まる。
窓越しに靖子の影が外の廊下を移動すると、廊下の突き当りの樹脂場の扉を開ける音が聞こえ、
「あ、松永さん、ちょっといい?」
樹脂場で午後の作業準備に取り掛かっていた豊美を呼びつけた。
「あのおばはんさ、毎回部屋の扉ちょこっと開けて中覗いていきよるけど、お疲れさんとか声掛けるとかないねんな。普通経営者やったら言わへん?」
「普通? 普通って何?」
篤郎の質問に栞里がニヤニヤしながら突っ込んだ。
「あーそやったな。ここに普通を求めたらあかんねんやったな」
「そうやでー。ここの経営者が普通やったらもっとまともな運営出来てるって話やろ」
「そやった。でもってそんな普通じゃない会社にいる自分らはもっと普通やないってね」
「ほんとそれ!」
篤郎と栞里が漫才のようなやり取りをしていると、トレース室の裏口から豊美が勢いよく入ってきた。
「奥さん、すぐに調べてみますわ。先月どうやったんやろなぁ」
「分かったらすぐに報告して頂戴!」
裏口の奥の方で靖子の声が聞こえ、足音は母屋の方へと遠ざかって行った。
「松永さん、ばばぁなんやったん?」
栞里が切羽詰まった顔で事務机の帳面をめくる豊美に声を掛けると、天の助けとばかりに振り返った豊美は蒼白な表情になっていた。
「いやな、先月に比べて売り上げ落ち込んでるのに外注費が先月より多いってどういうことなんって奥さん怒鳴り込んできはったんよ。私もそんなん知らんやん? 社長は一緒に樹脂場に居てはったのにわしは知らんって一目散に逃げてしまわはって私一人怒られたんやで。酷いやろ? 私も外注の事は豪ちゃんに任してるから知らんって言うたら、いいからすぐに調べてって怖い顔していいよんねん。どう思う!?」
悲壮な顔で話し始めた豊美だが、次第に熱を帯び思い出しての憤りも極まって声を掛けた栞里に噛み付く勢いである。
「ばばぁも酷いけど逃げ出したじじぃも最低やな! おまけに豪ちゃんは和歌山行って居らへんし!」
経営陣に対しての怒りは社員一同共有するもので、聞いていた栞里までもが憤怒する。そう、常に一触即発な社内であるが、相手が普通でないだけに腹を立てたほうが損をする、故にストレスは溜めるが表に出さない。それがこれまでの高山テキスタイル株式会社であったが、今は違う。
「豪さんが居らんさかいに言うて来たんやろ。居ったら息子に矛先向けんならんわかって今日言うてきよったんや」
篤郎がしれっと間に入った。
「そうなん!? なんか奥さんにがーって捲し立てられて、私が悪いみたいに言われてそこまで頭回らんかったわ」
豊美はようやく責任を押し付けられたことに気づかされ、怒りも通り過ぎて虚脱したように椅子に座り込んだ。
「さっきにおばはん、結局なんやったんや?」
裏口からひょこっと博隆が顔を出して、スリッパも履かずにトレース室にペタペタと上がり込んだ。
「社長、ワシ知らんってさっさと逃げていかはったやん。外注費が先月より高いから原因を調べろって私が怒られたんですよ」
豊美が逃走を非難するや、
「いや、わし、金の事は一切分からへんから関係ないわって席を外したんや」
誰が社長なのかが分からないような発言を公言するものだから一同が目を合わせて黙ってしまった。
「社長が金の事わからんっていわはったら社長いらんですやん」
篤郎が一刀斬りした。
「仲瀬君、あんたが何偉そうに言うてるんや!」
瞬間湯沸かし器のあだ名をつけられるだけあって、博隆の顔は瞬時に真っ赤となる。亀岡の高山博康と血は争えんなと篤郎は内心笑いつつも、表情は真顔そのままに続けた。
「金の管理も含めて経営者であり、社長でしょ。松永さんが奥さんに直接外注費の事で怒られるなんて該当者やないですやん。外注管理は豪さんでしょ。そんなこと社長も奥さんも知ってはる事でしょ。それこそ会社でがちゃがちゃやってんと家で顔合わせてはるんやから、家で話し合わはったらええことですやん。金銭トラブルをわざわざ社員の前で煽って不安にさせる事そのものが経営者としてどうなんです?」
「家ではみんなわしを無視しよるから話し合いなんかできひんわな」
「そこ?」
思わず栞里が声を上げ博康は一睨みするが、篤郎の口が動いて目線を戻す。
「社長の家庭での立場なんて知らんですけど、とりあえず奥さん呼んでもらえません? 正直豪さんのやり方続けていたら、いらん経費ばっかり掛かって上がる売り上げも上がらん状態ですわ。それと、何かと松永さんばっかり怒ってはりますけど、全部見当違いの話ばっかりなんでそれも注意したいんですわ。そういうのん、社長自分でいうのん嫌でしょ? 僕が全部言いますやん」
「そうか、仲瀬君に頼んでかまへんか? あほおばはんと顔合わせたらグチグチ文句ばっかり……」
「いや、社長の話はいいんで、すぐにこの部屋呼んでもらえますか?」
「分かった。ちょっと呼んでくるわ。隣(社長室)やなく、この部屋でいいんやな?」
「はい、みんながいるところで話した方がいいと思います」
「よっしゃ」
うっかり八兵衛よろしく俺に任せろと言わんばかりに、博康は入ってきた裏口から出ていくとペタペタと中腰を丸めながら母屋へ向かって行った。
「なにあれ? 自分への矛先が外れたとたんあの態度」
豊美は社長の後姿を見送りながら開いた口が塞がらなかった。
「きよるやろか?」
悪意たっぷりに栞里は口角を吊り上げみんなの顔を覗き込んだ。
「アホなりに負けん気だけは強いから絶対きよるって。これ以上いらん口出しせんように一回締めとこ」
篤郎は笑って答え、豪のこれまでの所業をみんなで出し合った。




