交わした約束 星空の下で
―― 好きな人と両想いになれますように
あの日……ひとつだけ……名前が無記名だった短冊
あれはきっと――
僕は大自然に囲まれた小さな村で育った。
春には大地に草木が芽吹き、色とりどりの花が咲く。小川の水はきらめき、清らかな水には魚が泳ぎ、天より雫がたくさん落ちる季節の少し前には、蛍の光が幻想的な光景を創り出す。夜には満天の星空が僕らを見つめてくれる、そんな場所。天然のプラネタリウムは何よりも美しく見えた。
小さな村には小学校があったが、全校生徒は十名しかいなかった。よって、中学になると同時に村を出て、親戚の家で暮らす者、引越しして村を出ていく者と、自然とこの場を離れていく者が多かった。
当時小学校六年生だった僕も、卒業後、都会に住む親戚の家に引き取られる予定だった。そんな初夏のある日、笹の葉飾りには色とりどりの短冊に、十名の願い事が描かれていた。でもなぜか、短冊は十一枚あり、ひとつだけ無記名の短冊があったのである。
「『好きな人と両想いになれますように』って書いてあるぜ! これ書いたやつ誰だー!」
ガキ大将のような男子がからかうように指差している。数名の男子が短冊の前で騒いでいる。
「ちょっと男子ー? からかうのやめなさいよー! そういうあんたは何て書いた訳?」
そこに現れた女の子が一人。ショートボブのサラサラした黒髪が似合っている。
「俺様はこれだよ! 『スーパーヒーローになれますように 井上 敬太 』」
「ぶっ! あんたのがガキじゃん!」
短冊を見て噴き出す女の子。
「うっせー葛葉! そういうおめーがこの短冊書いたんじゃねーか?」
『好きな人と両想いになれますよに』と書いてある短冊を指差す敬太。
「私はこれよ、『かっこいい金持ちセレブと結婚出来ますように 山口 葛葉』」
自慢気に違う短冊を指差す葛葉と呼ばれた女の子。
「げ! なんだよそれ! 絶対無理だろ!」
そんな敬太と葛葉のやり取りを見ていた僕。どれを見ても微笑ましい小学生の書いた短冊だった。眼鏡の真司君が『学者になりたい』、アイドル志望の葉子ちゃんが『村を出て有名になりたい』、食いしん坊の豪太郎君の『お腹いっぱい唐揚げを食べたい』なんていうものもあったっけ。
「そういえばお前は何て書いたんだ勇気?」
ふいにガキ大将の敬太がこっちに話題を振って来た。
「僕はこれだよ……」
僕は短冊を指差した。
☆
『誰かに愛されたい 幸せになりたい 星村 勇気』
僕は短冊に確かそう書いていた。幼い頃両親に捨てられた僕は、この村に住む母の姉であるおばさん夫婦に引き取られた。おばさん夫婦は本当の両親であるかのように僕を育ててくれた。しかし、僕は本当の両親からの愛を知らなかった。大自然に囲まれた村は美しく、空気も美味しい。それに友達も出来た。これは幸せな事だと思う。だけど、僕は時折、満たされない何かに襲われる事があった。夜中眠れずに布団の中で丸くなる事が多かった。暗闇と静寂に押し潰されそうになるんだ。
そんな眠れない夜、僕は小学校の裏山へ内緒で登りに行った。おじさんおばさんは夜九時以降僕の部屋を覗かない。部屋の窓から抜け出し、裏山へと登るんだ。小学生にとって、それはさながら秘密の大冒険だった。もちろん見つかったら大変だ。見つからないように、裏道を通って山へ登る。どうせ夜は眠れないから、ペットボトルの水と懐中電灯を持って、大冒険に出かけるんだ。それが、心が弾む唯一の瞬間だった。村は静寂に包まれ、樹木が揺れる風の音と、田畑から聞こえて来る虫の声が心地よかった。
そして、山を登りきった時、そこには最高の報酬が待っていた。ゲームだったら大冒険の報酬はお金だったりするけれど、僕にとってはそれはお金よりも何よりも、嬉しい報酬だった。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
一気に山を登って、両手を膝に置き、僕は肩で息をした。そして、ゆっくり視線を上に向けるんだ。
そう、夜空には一年で一番の輝きを放っている宝石箱があった。青白く輝く光が集まり、一本の川を創り出している。川の両岸に、織姫と彦星が輝いている。そう、この日は七夕……特別な日だった。山の上に寝転んで、星を眺める。まるで時が止まったかのような錯覚を覚えるんだ。
「ねぇ、綺麗だね」
!
寝転んだ横から声がして、驚く。 ここに人が来る事なんてほぼ無いんだ。びくっとして、そのままゆっくり寝返りをうつと、そこには見た事のある顔があった。
「え? 葛葉さん?」
まんまるの瞳はクリっとしていて長い睫毛ですぐ女の子と分かる。ショートボブの黒髪はさらさらしていて、星空の明かりでより一層キラキラしているようにも見えた。
「葛葉でいいよ! もう勇気と私、幼馴染なんだからさ、さん付けしないでいいよって前から言ってるじゃん」
「いや……ごめん……つい……ってどうしてここに居るの?」
疑問に行きついて、勇気が質問する。
「だって、こんな夜に山へ向かって駆けて行く影を見たからびっくりしちゃって! え? 勇気? って思った時には見失いそうだったから、慌てて追いかけて来ちゃった。えへっ」
ペロっと舌を出した表情が可愛くて、思わず目をそらす勇気。勇気は女の子と話すのが苦手だった。葛葉とは村に来てからの付き合いだったから、まだ日常会話くらいは出来るけど、目が合うとやっぱりドキドキしてしまう。男子小学生の性だ。
「し、し、知らなかったよ。ついて来てるだなんて!」
そう言いながら、星空へと視線を戻す。
「ごめんごめん、でも、凄いねー。こんな素敵な場所あるんなら、言ってくれたらよかったのに! 女の子なんてロマンチックだから、ここに連れて来るだけてきっとイチコロよー?」
ふいに星空が遮られ、目の前にショートボブの髪と可愛らしい顔が現れる。葛葉が僕を上から覗きこんでいる。夜風に髪がそっと靡き、甘い果実のような香りが僕の鼻に届く。これが女子の香りだろうか? 胸から聞こえてくる音がだんだん速くなっているのを感じた。
「え? そうなの?」
胸の高鳴りを悟られないよう、言葉を紡いで聞き返す僕。
「そうだよー。勇気も告白したい女子くらい居るでしょー? 葉子なんてサラサラのロングヘアーで美人だし、お薦めだよー?」
葉子ちゃんは確かに美人だ。あんな美人が彼女だったらみんなに自慢が出来るだろう。でも、僕がもし告白するなら……
「葉子ちゃんは美人だけど……僕には恐れ多いから……」
そして、また僕は目をそらす。
「えー、何ー? 勇気もっと自分に自信持てばいいのに? まぁ、イケメンではないけどさ、性格優しいし、もっと女子と話せるようになったらモテると思うよー?」
再び勇気の横に寝転がる葛葉。天の川から織姫と彦星が、二人の様子を優しく見つめている気がした。
「お、織姫と彦星はさ、い、一年に一度、今日しか会えないんだよ」
胸の高鳴りを必死に抑えようとして、話題をそらす僕。
「なに、突然どうした? 本当面白いね勇気って。でも、確かにこれだけ綺麗だと、周りの星々も二人を祝福しているみたいに見えるね」
目の前に広がるロマンチックな光景にうっとりする葛葉。
―― 星空も綺麗だけど、葛葉も綺麗だよ……
言えない。こんな事絶対言えない。言ったら胸が高鳴り過ぎて心臓が止まってしまいそうだ。
「このまま……ずっとこうしていたいね」
「え?」
ふいに発せられた言葉に、思わず葛葉の寝転がった方へ視線をやる僕。
「ううん……なんでもない! ねぇ、願い事しない? この星空の下なら叶いそうな気がするもん」
そういうと、起き上がる葛葉。それを見て、慌てて後に続いて僕も起き上がった。
「願い事って、『かっこいい金持ちセレブと結婚出来ますように』じゃないの?」
そう言った瞬間、ぶっと噴き出して笑い出す葛葉。え? 今可笑しい事言ったっけ?
「なに、あれ本気と思ってたの? あんなの本気な訳ないじゃない……はははは」
え? そうなんだ。葛葉の性格なら本当かと思ってた。
「え? そうなの? じゃあ願い事って?」
そう聞き返す僕。すると葛葉は、僕の唇に人差し指をあてて、その指をゆっくり自身の口元に立てた。
「ん? 内緒だよー。嗚呼、でもさ、勇気の願い、あれは絶対叶うよ! ……てかもう叶ってるし」
最後の方は聞き取れなかったけど、僕が誰かに愛される事なんてあるのだろうか?
「じゃあさ、約束しない? 私達が大きくなってさ、そうだなー。二十歳になったらさ、またここに来て願いが叶ったか確認しあうの! 七夕の夜に! 織姫と彦星っぽくない?」
突拍子もない提案に驚く僕。
「え、あ、うん、この場所は好きだし、僕はいいけど……」
そんな約束、果たして覚えてるんだろうか? 大人になるとなんでも忘れてしまうって言うし。なんだか未来が怖かった。
「じゃあ、約束ね! 私絶対待ってるよ!」
その日……彼女の笑顔は満天の星空に負けないくらい輝いていた――
☆
あれから、八年が経った。小学校を卒業した後、僕は村を離れて都会に住む親戚の家に引き取られた。親戚は優しかったが、それ以上でもそれ以下でもなかった。それでも高校までお金を出してくれた親戚には感謝している。奨学金で大学に通い、今はひとり暮らし。大学でも気心の知れた友達は出来たし、八年間、それなりの人生を送って来たつもりだ。でも、これが自分の求めていた幸せであろうか? 僕は今でも自分探しをしている。
電車で数時間揺られ、そこからバスへ乗り換えさらに数時間。一日数本しか停まらないバス停で降車し、残りは徒歩だ。都会の喧騒に呑まれ、いつの間にか満員電車にも慣れてしまっていた。虫のさざめき、草木の香りが風に乗って流れて来る。懐かしい光景。都会は高層ビルや建物が立ち並び、日々新しいものに埋もれていくというのに、ここだけは時間が止まったかのようだ。タイムスリップした訳でもないのに、小学生時代に過ごした村の光景が思い出される。久しく忘れていた懐かしい光景。今では連絡を取り合っている相手は居ない。あの頃携帯すらなかったからだ。何人か名前も忘れてしまったが、村を駆け回っていたあの日の僕は幸せだったのかもしれない。
「勇気ー、久しぶりだね! よう来たね。元気にしていたかい? さぁさ、あがったんさい」
おばさんが出迎えてくれた。少し歳を取った印象だが、貫禄のある姿は相変わらずだった。
「お久しぶりです。おばさんも元気そうでなによりです」
七夕であるこの日、二十歳の僕は、再び生まれ育ったこの村に帰って来ていた。
「村のみんなは変わってないよー。隣の山岸おじいちゃんも九十歳で現役さー!」
お茶を淹れながらおばさんが村の話をする。
「それはよかったです。でも、学校は残念でした。廃校になったんですね」
おばさんの淹れてくれた渋いお茶をすする僕。廃校になった話は、おばさんから以前もらった年賀状に書いてあったのだ。
「そうさねー。やはり町に出ていく若者が多かったからねー。自然と廃校になってしまったんさ」
生徒がいなくなった今、廃校となるのは自然な事だった。学校の跡地はそのまま残り、公民館の代わりとしても使われているらしい。今ではおじいさんおばあさんが、日々囲碁をする施設となっているらしい。
「あ、それからおばさん、実は今日の夜約束があって、小学校の裏山に行ってもいいですか?」
おばさんに夜出かける許可を取る。成人した今、内緒で山へ行く必要はないのだ。
「ん? 別にええけど、夜に何があるんさね?」
「えっと、僕の同級生だった……葛葉……えっと山口葛葉さんって覚えてます? その子と会う約束なんですよ。まぁ、向こうが覚えているかはわからないんですけどね」
コロン……となぜか湯呑を落とし、慌てて台拭きで拭き取り始めるおばさん。
「山口さんのお宅って、小学校に行く途中、菊池さん畑ん傍にあったあの家の?」
零れたお茶を拭き取りながら、おばさんが僕に尋ねる。
「あ、そうです、そうです。確か葛葉は小学校卒業後も村に残ってましたよね? だから覚えてらっしゃるかなと思いまして」
そう答えた僕に、おばさんは思いもしない事を告げたのであった。
「覚えてるも何も……忘れる訳がないさね……山口さんの家は、五年前に火事で全焼……したさね」
!
☆
僕はおばさんの家を飛び出していた。気づくと駆け出していた。そんな訳あるか。連絡は取り合ってなかったけど、七夕が来る度に思い出していた約束。忘れる訳がない。あの綺麗な星空の下で交わした約束を。満点の星空に負けない位に輝いていたあの日の笑顔を。
今なら言える。僕にとっての織姫は――
目の前にある光景に、僕は茫然と立ち尽くす。星空を見上げていたあの瞬間のように、まるで、刻が止まったかのような錯覚を起こす。胸の高鳴りと何か表現出来ない熱く苦しい感情がこみあげて来る。視界がぼやけてよく見えない。目の前には無機質に焦げた茶色の土と崩れ落ちた廃屋の残骸が広がっていた。葛葉の家は親戚がおらず、当時三人暮らしだったはず。その日、炎は天高く舞い上がり、村のどこへ居ても黒煙が見えたという。灰となったバラバラの骨が出て来たが、誰のものか分からないくらい崩れ落ちてしまっていたらしい。親戚が居なかった事で、こんな小さな村では、誰か判別する術がなかったのかもしれない。
くそ、止まれよ涙。見えろよ視界……
しばらく無機質な土を眺めているといつの間にか辺りが暗くなっていた。そのままの足でゆっくりと歩を進め、いつの間にか僕は裏山に来ていた。目の前にはあの日と変わらない星空が広がっていた……。満天の星空は全てを見透かしているかのように僕を照らしていた。
今……もし、願い事をするなら、『誰かに愛されたい』じゃない、『幸せになりたい』でもない。
もう一度、葛葉に逢いたいだ。小学校の時、もっと素直になれたら、一緒に村を出ていたら……未来は変わっていたかもしれないのに……
―― 好きな人と両想いになれますように
小学生の僕は女子と話すのも苦手で恥ずかしがり屋で、あの願いの真意を聞くのが怖かった。好きな人が自分なんて考えが浮かぶハズもなかった。でも、本当は気づいていた。好きな人が書いた文字くらい、小学生の僕でも分かった。丸っぽい字が彼女の癖だった。そして、あの短冊の裏には小さく別のメッセージが書かれていたんだ。
「ほしがきれいなこのむらで」
自身の雫か、はたまた星空か、はっきりと分からないほどに視界はぼやけていた。だが、僕の耳ははっきりとその声を聞いた。どこか懐かしい、でも以前よりは大人になった、そんな声だった。僕はゆっくりと振り返る。
「ふふ……鼻の頭が真っ赤……トナカイが出てくるのは冬だよ?」
満面の笑顔はあの日の笑顔と変わらなかった。
「背……伸びたね」
「葛葉も」
目の前の光景が信じられなかった。七夕の願い事が叶ったのであろうか?
「その様子……私が死んだと思った? 火事のあの日、たまたまあの家に私が居なかったと言ったらどうする?」
気づいたら僕は彼女を抱きしめていた。驚き、眼を丸くする葛葉。
「ごめん……ほしがきれいなこのむらで……僕の星村という名前……本当は気づいていたのに、あの時そんなはずないって……自分に自信がなかったから……」
突然の事で棒立ちだった葛葉も、ゆっくりと僕の背中に腕を回した。
「なんだー、ちゃんとメッセージ届いてたんじゃん……勇気って、鈍感だから気づいてないと思ったのになー」
ペロっと舌を出す葛葉。見つめ合う二人。もう目をそらす事はなかった。
「気づいてたさ……だけど、僕はあの時名前と正反対で臆病だった。今ならはっきり言えるよ……葛葉……あなたの事が大好きです」
「ありがとう……勇気、私もずっと前から大好きでした……」
葛葉の瞳からも雫が零れ落ちる。
そうか……これが幸せという事か……今まで胸にぽっかりと開いていた孔がゆっくりと埋まっていく。心が満たされていく瞬間だった。
「ふふ、これが、七夕の奇跡ってやつねー。勇気、来ないかと思って心配したんだよー」
二人は手を繋いだまま星空を見上げる。満天の星空が二人を祝福している気がして……
「そりゃあ、彦星は織姫に会いに来て当然だろ」
「えーーー、小学生時代のウブな勇気はどこいった? 都会に染まってキザになったんじゃないの?」
そういって両者、顔を見合わせる。気づくと二人共ぷぷっと噴き出していた。
そして、二人はゆっくりと近づき、そっと口づけを交わした。
幸せな時は流れていく――
どれくらいの刻が流れただろう……葛葉が声をかける。
「勇気ありがとうね、もう行かなくちゃ」
葛葉は幸せそうに笑っていた。
「行かなくちゃってどこに?」
首をかしげる勇気。
「遠いところ……もう、私の願い叶ったしね」
気づくと彼女は星空のような光に包まれていた。
「え? え? どういう事だよ? 遠いところってどこだよ?」
なんだよ、外国にでも行ってしまうのか? 意味が分からない。
「織姫と彦星は離れていても心が繋がっているから、七夕の夜には逢えるんだよ」
そうだとしても……認めたくはない。
「大丈夫、勇気は幸せになれる。愛されたいは叶ったかな?」
いや、違うどっちももう叶っているよ!
「葛葉と一緒に居る事が幸せなんだ! だから!」
再び視界がぼやけて来る。
「離れていてもずっと一緒だよ? 七夕には星空を見上げてね。願いはきっと叶うから」
星の光に包まれて彼女の姿は消えていった。
それは七夕に起きた奇跡なのか、それともただの夢か幻だったのか……
しかしその日、目に焼き付いた葛葉の笑顔は、満天の星空に負けないくらい輝いていた――
七夕記念で恋愛物短編を初投稿してみました。
普段は異世界物ばかり書いているため、
ファンタジー以外の短編小説を投稿するのは
今回初めてとなります。
初恋愛小説投稿となりますので、
もし良ければ感想等いただいけると嬉しいです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。