力の目覚め
多勢に無勢という言葉がある。俺はまさにその現場を前にしていた。
刀を弾いたと思えば別の刀が襲い来る。麗佳はその眉間に汗を浮かばせ、次々に攻撃を捌いてゆく。
「くっ……」
俺はどうにか加勢しようとするが、立ち入る隙の無い剣技の前には何もできない。なんと無能な役立たずだろうか。
武士たちは麗佳を取り囲み、掛かり切りで攻撃を繰り返す。そのさまを見詰めながら、俺の肩の上、狐娘は感心するように頷く。
「ほう、あの小娘はかなり熟達した侍ジョブじゃの。なかなか見ないほどの刀の冴えじゃ」
「侍……ジョブ?」
「ん? あぁ……いや、それよりもお主。あの小娘が時間稼ぎをしておる間に逃げんでええのか? あの様子じゃそう長くはもたんじゃろ」
狐娘の言葉に、俺は歯を食いしばる。確かにどうしようもない。ここに居ても役に立てることはないのだ。せいぜいあの武士たちの刀の錆になる程度。
麗佳はチラとこちらを見ると、苦しそうな表情の中、ふと笑みを浮かべる。
「……さっさと行きなさい、マサマサくん。正直あなたに見られてると気持ち悪くてしょうがないわ」
「なっ……」
「行けって言ってるのよ……早く!」
強い口調で麗佳に言われ、俺は無力感と罪悪感の狭間ですり潰されそうになりながら、窓に向けて駆けた。窓を突き破るその一瞬、麗佳を見た。峰打ちが首筋に入り、脱力して倒れゆく彼女を。
ガラスが粉砕され、俺は裏路地へと飛び出し、そのまま駆ける。肩の上、狐娘はアトラクションに乗っているかのように楽しげな声を上げる。
「ひゃー! たまらんのう、これぞスリル!」
「うるさい……!」
これは敗走だ。あの女に背を任せ、俺は逃げているのだ。後方から武士たちが追ってくる音が聞こえる。俺は裏路地をくねくねと曲がり、奥へ奥へと逃げて行く。
だが、行き当たりばったりの逃走ルートが上手くいくことはなかった。気が付いた時、俺は袋小路で立ち止まっていた。
後ろの曲がり角から追手が駆けてくる音が聞こえる。どん詰まりだ。ジ・エンド。無能な俺は有能な仲間を売り、挙句の果てに捕まる。ギャグ映画なら最高のオチだ。だが残念ながらこれはギャグ映画ではなかった。
これは悪い夢だ。はやく覚めてくれ。俺の願いを否定するかのように、天から雨が降り注ぎ始めた。冷たい感触は、嫌というほどのリアリティを伴っていた。俺は知らず知らずのうちに祈っていた。
「これは夢だ、これは夢だ、これは夢だ……」
「小僧、違うぞ。これは現実じゃ」
「うるさい、うるさい! これは夢だ! こんな支離滅裂な事が現実であってたまるか! こんな世界、俺の知った事じゃない! さっさと覚めろ! 夢なんだろ!?」
俺は叫んだ。叫び声を聞きつけた武士たちが駆けてくるのが聞こえる。
「……小僧、お主の世界など分からん。だがここには命を持った人間が、天と地が、生き物がおる。それは紛れもない現実じゃ。たとえそれが泡沫の夢であったとしても、お主は権利を持ったのじゃ。この世界で生きるという権利を」
「そんな、権利なんて……」
要らない。俺は言おうとし、麗佳の苦しげな笑顔を思い出した。俺は自分の身体を見下ろした。雨でしとどになった身体は、現実のものだった。
俺は決断を迫られているのだと直感した。この世界で生きるか、それとも最期までこの世界を夢だと笑うか。俺は笑おうとした。だが口は固く引き結ばれ、既に覚悟を示していた。遅れて頭で理解した。俺は生きているのだと。
その瞬間、俺は閉ざされたと思っていた道に、無数の逃走ルートを見出した。身体の奥から力が湧き、それに従って俺は跳躍した。
直後、武士たちが袋小路に雪崩れ込んだ。だが彼らが見たのは、何もない行き止まりだけだった。誰も居ない。彼らは周りを見回し、またバラバラになって捜索を再開した。
それを屋根の上から見ながら、俺はへたり込んだ。跳んだのだ。あの地面からこの屋根まで何メートルある? それを、カエルか猫のように、ぴょーんと。人間業ではない。
咄嗟とはいえ自分がした事に驚き、俺は動けなくなっていた。肩の上から狐娘が飛び降り、珍しそうに俺を観察してくる。
「……なんだよ……」
「……いや、珍しいと思っての……お主は忍者のジョブになったのじゃな……」
「忍者?」
狐娘はじろじろと、つま先から頭のてっぺんまで視線を走らせる。俺は腰が抜けたまま立ち上がれない。
「……まだまだへっぽこ忍者ってとこじゃな。じゃがまあ、さっきの跳躍はお見事じゃった。おめでたいのう、これでお主もこの世界の住人、晴れてジョブの持ち主じゃ。祝、脱ニート」
よく分からないが褒められた……のだろうか。照れそうになり、直後に俺は大事な事を思い出した。
「そうだ、麗佳……」
「じゃのう、お主がジョブに覚醒したはいいが捕まったまんまじゃ。どうする忍者どの?」
「お、おう……? 忍者どのじゃなくてウズマサが名前だから、そう呼んで欲しいんだけど……」
「ふん、モノローグでいつまでも狐娘などと呼ぶから仕返ししたのじゃっ。儂の名前はクズハ! よろしく頼むぞ、ウズマサよ!」
モノローグってなんだよ。やめろよそういう……世界の闇に触れるのは。やめようよ。
などとふざけている場合ではなかった。あの女は仮にも俺を庇って捕まったのだ。どうにかして助けねばならない。
だが割と詰んでいる事に気付く。急がねば、麗佳が切腹を命じられてもおかしくない。しかしどうしたら上手く助ける事が出来るのか? 生憎だが敵陣に突っ込んで行って助けられるほど腕っぷしに自信はない。
「よく言うじゃろ、ピンチはチャンスって。ほら考えるのじゃウズマサよ、脳みそフル回転させろ」
「お前も考えてくれよ……どうしよう……」
クズハの無責任な言葉にむっとしながら、それでも考えをまとめようとする。折角手に入れたジョブを活かさない手はない。どうすれば……。
それにしても、ジョブが忍者かぁ……時代劇じゃ屋根裏に潜んで槍で突かれてるイメージしかないんだけどなぁ……。もしやパッとしない俺にパッとしないジョブが回されたのってそういう……。
そこまで考え、俺は妙案を思いついた。もはやこれしかないというレベルの案だ。
「ほう、良い事を考え付いた顔じゃな」
クズハが首を傾げる。俺は頷いて立ち上がった。
――――
「そうか、では次の報告をまとめよ。西の製鉄所には人員を増やせ、明らかに人手不足だ。東の川の汚染はゴブリンが原因だろう、討伐隊を編成して派遣させろ。北は放っておけ、後でどうとでもなる。サノダ村に送った間者はどうなっておる?」
「は、間者には気付かれ、門前払いとなりました」
サノダ村、村長の邸宅にて。報告を受け、女性が次々に指示を飛ばす。家臣達は頭を下げ、それぞれの担当部署へと戻って行く。
女性は紙巻タバコの灰を落とし、煙を吐き出す。その左腕は欠損していた。
「そうか、まあ森津の野郎なら気付くと思っておったわ。根気よく送り続けろ、疑心があの村を崩す。で、上手く潜り込んだ者からの定期報告は?」
「それが……あちらでも『盗まれた宝石』に関する調査を続けている様子で……」
「ふむ……」
女性は思案していたが、タバコを灰皿に捨てると、次の指示を飛ばす。
「まだ情報が足りん。もっと集めろ。それと、全員この部屋から出ていけ。今すぐに」
「は?」
「出て行けと言っている。さっさとしろ」
「わ、分かりました……」
まだ残っていた家臣たちも頭を下げ、次々に退出してゆく。最後の一人が出て行ったのを確認すると、女性は部屋の襖を閉めて行き、密室を作り始めた。
それを天井の覗き穴から見つめ、俺は唾を飲みこんだ。ドジを踏んだか? いや、だが俺は物音ひとつ立ててはいないハズ。しかし、この行動の意味は一体何なのだ? 俺の口元を隠す布が震える。
女性は奥に立てかけてあった銀の槍を掴み、片手で重さを確認する。そして振り向き、素晴らしいまでに均整の取れたフォームで、天井に槍を突き刺した。
天井が崩れ、俺は床に叩き付けられる。女性は槍を引き戻し、クルクルと回して構える。
俺は両手を挙げながら立ち上がり、口元の布を外す。今の俺はどこからどう見ても怪しい忍者の恰好をしている。警戒されるのも仕方がない。
「サノダ村の間者か」
「げほっ……いや、違う。俺は……」
「嘘を吐けば分かるぞ、忍びの者よ。名と目的を言え」
村長は俺の首に槍を突きつける。俺は観念し、真実を言う準備に深呼吸した。
そして目を開き、村長の目を見つめる。
「俺の名は広隆 太秦。アンタ達の戦争を止めたくて、情報を集めてたんだ」
「嘘を吐けば分かると言ったハズだが」
村長の槍の刃が俺の喉に食い込む。俺は必死に真実を吐き出す。
「本当の事だ! 俺の仲間がサノダ村に捕らえられてる! 俺の身代わりだけど、元はと言えばアンタ達の戦争のせいだ! 戦争を止めればアイツも助けられる! それで……」
「……ほう。面白い、それで貴様が単身乗り込んできたという訳か」
村長は僅かに警戒を緩める。だが槍は俺の喉から離れない。
「だが事態は貴様が考えるより深刻だ。我が村から『ルビー』が、サノダ村からは『アメジスト』が奪われたと聞いている。我々は互いに互いが盗んだと聞いている。そして面子の問題がある。分かるな?」
「ああ、……分かる」
悔しいが頷くしかない。個人ならば嘗められてもやっていけるが、それが看板を背負う者なら話は別だ。今、二つの村は、互いの看板を懸けた瀬戸際に立っているのだ。
でも俺は、それを理解してもなお、言うしかなかった。
「俺が二つを探し出してみせる。だから待ってくれ、戦争を始めたらもう止まれない」
女性は俺の目を見詰めていた。その深い青色の瞳からは何も読み取れない。しかし次の瞬間、女性の蹴りが俺の腹にめり込んでいた。
「うぐっ……」
吹き飛び、襖を突き破って庭に転がり出ながら、俺は呻く。頭上、座敷から女性の声が降る。
「待てんな。もう戦争は始まっている。少なくともサノダ村の森津も、そして私もそのつもりだ。貴様がどうしても戦争を止めたいなら、三日後の開戦までに宝石を探し出してみせろ」
そして女性は槍を構え、叫んだ。
「曲者だ! であえ!」
途端に屋敷の奥から溢れ出してくる武士たち。俺は女性に背を向け、屋敷の柵を飛び越えて逃走を始める。
背中からよじ登り、クズハが俺の肩の上に現れる。
「なあんじゃ、説得ひとつ満足にできんかったのか」
「情報は手に入れたさ。少なくとも、どっちの村も嘘はついてない。つまり誰かが戦争を起こそうとしてる」
「面白い推理じゃの……ふぁ~あ……」
クズハはつまらなそうに大あくびで応える。俺は屋根の上を走りながら、この屑狐を振り落としてやろうかとも考えたが、流石に思い止まり、村の外へ向けて跳躍する。門の外に上手く着地し、更に駆ける。
「問題は……一体誰がこんな事をしてるかって事だけど……」
「人間が争って喜ぶ連中か……そういう手の者はモンスターと相場が決まっておるがの」
クズハが言い終わるか終わらないかの瞬間、俺は視界の端、森の樹の陰に、緑の怪人の姿を捉えた。
俺は首をそちらへ向けた。緑の怪人もこちらを見ている。俺は悟った。アレは俺が一番最初に見た化け物だ。麗佳の袈裟斬りを受けて吹き飛んだ、あの。
(ヒ―ヒヒヒ!! テメエの皮を剥いで殺して身売りしてやるぜ!)
あの時の言葉が脳裏に浮かぶ。
俺の脳内で全ての点が繋がり始めた。成程、アイツは売り手なのだろう。そして買う者が居る。
では、村の宝石を盗み、それを売る事も可能ではないか?
怪人は俺に背を向け、森の奥へと引っ込んでゆく。俺はその瞬間、方向を変え、追い始めた。
疾風となり、森の木々の間を駆け抜ける。あっという間に怪人の背中を捉え、跳び蹴りを命中させてマウントポジションを取った。
「いてぇぇな!! 何しやがンだてめえ!」
「質問させてもらう」
俺は自分でも驚くほど流麗な動作で怪人の腰からマチェーテを奪い、刃を敵の喉に当てた。怪人は恐れ、一気に静かになる。
「お前が宝石を盗んだのか?」
「ゆ、許してくれ、あんな事になるなんて思ってもいなかったんだ……」
「答えろ! どうなんだ!」
「そ、そうですぅ! 俺が盗みました! た、高い値段で売れると思って、実際売っちゃいました……」
「誰に!」
「ごご、ゴブリンのボスにです!」
「そいつはどこに行った!?」
「た、多分今頃は奴らの巣に帰ってると……こ、殺さないで!」
俺はそこでハッと我に返った。マチェーテは怪人の喉を僅かに裂き、血が流れ始めていた。
深呼吸を一つ置き、俺は怪人の顔を覗き込む。ここからやるしかない。
「……いいか、俺を巣まで連れて行け。宝石を取り戻す」
「ほあっ!? 無理だ、死んじまうって!」
「今やらなきゃ大勢が死ぬぞ……! お前も不本意なんだろう、どうなんだ!?」
「は、はい不本意です! 戦争は止めたいです! でも俺は死にたくない!」
「なら連れて行くんだ。案内するだけでいい。あとは俺が宝石を取り返す」
「は、はい……」
その返事を聞き、俺は立ち上がってマウントを解く。怪人が立ち上がるのを手助けし、俺は咳払いした。
「……脅すような事をして悪かった。俺はウズマサ」
「儂はクズハじゃ!」
肩からぴょこんと飛び出したクズハに目を丸くし、怪人は訝しげに俺を見る。違うぞ。俺はロリコンじゃないからな。
「あー……ゴブリンのダルタスです。あんちゃん、マジで行く気なのか?」
「……本気だ。お前も、やるしかないのは分かってるだろ」
「あ、ああ、そりゃ分かってるけどさ……ホントに死んじまうぜ?」
「覚悟の上さ。さあ、案内してくれ」
ダルタスは暫く俺を見詰めていたが、やがてきびすを返し、森の奥へと歩み始めた。
「どう頑張っても丸一日は掛かる。気合を入れてついてきてくれ、あんちゃん」
丸一日。俺は空を見上げる。太陽が南中する真昼の時間だ。つまり、往復で二日。
ギリギリになるか。俺は胸の内に焦燥を隠し、ダルタスを追って森へと分け入って行った。
――――
「ここをこうして……着火完了だ!」
河原で火を熾し、ダルタスが嬉しそうに叫ぶ。はじめは小さなものだったが、薪や紙を食らい、火は成長していった。
俺は川で釣った魚の臓物を抜き終えると、木の串で刺し、火にくべる。クズハは何もしていなかったが、焼ける魚の匂いにつられて顔を出す。
「おお、美味そうな匂いじゃの」
「一人一匹だぞー」
「分かっとるわい!」
本当かよ。お前、この前俺の茶漬け食ってたよな?
皮が徐々に焦げ始めたころを見計らい、おのおので魚を手にとって食べ始める。お世辞にも美味いとは言えなかったが、それは俺の味覚がこの世界で贅沢に過ぎるからだろう。
「……なあ。あんちゃんはどっちかの村の人間なのか?」
「いや、違うけど……どうして」
唐突な質問に驚き、ダルタスを見る。魚から口を離し、ゴブリンは不思議そうな顔でこちらを見つめ返す。
「いや……あんちゃんからあの村の匂いがしなかっただけなんだけどよ。尚更どうして、関係ない村の事なんて救おうとするんだ?」
「それは……」
答えようとしたが、俺にも上手く説明できる気はしなかった。ただ、麗佳の顔が浮かんだ。
「……嫌な奴に借りを作ったんだ。そいつが村を救いたがってたから」
そう答えるしかなかった。実際の理由は分からなかった。ただ、茶漬けを奢ってくれた店主のおばちゃんが死ぬのを想像したくなかったし、俺を逆さづりにしていた男が死ぬところも見たくなかった。我ながら何という理由の薄い行動だろうか。
ダルタスは暫く俺の顔を見ていたが、鼻息を漏らすと、また魚にかじりついた。
「ングング……ま、そんなもんだよな……」
俺も肩を竦め、魚に食らいつく。クズハはもう食い終わり、物欲しそうな目で俺とダルタスの食事風景を見守っている。
やがて食事も終わると、俺は火を消し、立ち上がった。ダルタスは不思議そうに俺を見上げる。
「……あんちゃん、まさか……」
「当然、休んでる暇はないさ。さあ行こう、夜陰に乗じてどんどん進むぞ」
「無茶な! 眠気で死んじまう!」
「おおげさな事を言うなよ……ほら早く」
「ほんとに無茶だぜ、なあ!」
「無茶せずに戦争は止められないさ」
文句たらたらなダルタスを急かしながら、俺はクズハをおんぶする。食うだけ食ってクズハは気持ち良さそうな寝息をたてている。
「眠くってヘマやらかしても俺を責めるなよ……?」
ダルタスがぼやきながら歩き、俺はその背中について行く。
サノダ村とウノダ村の開戦まで、あと2日。俺達の頭上では満天の星が輝いていた。
――――
「……もう少しね。アナタ達、お客様を迎える準備をなさい」
闇の中から声が響く。大量の緑の怪人が敬礼し、苔むした玉座の間から出て行く。
「ああバルバトス様……もう少しでお会いできるのですね……」
玉座に座し、女王は焦がれるような視線を宙に送る。玉座の後ろ、飾られた『アメジスト』と『ルビー』の宝石が輝いた。