最初の一歩
俺は切り株に座っていた。辺り一面に広がる草原、そして森の天井から覗くキレイな太陽。うんうん、今日もいい天気だ。それはいいんだけどね。
ここ何処だ。
緑草の絨毯の上で目が覚めてから既に相当の時間が経過していた。考えても考えても、この光景に見覚えが無い。樹齢何千年とかしそうな樹に囲まれ、微妙に開いた空間だ。
いやーおっかしいなぁ。直前までの記憶がないけど、なーんでこんな奇怪な場所に転送されてるの? ドッキリ? 母さんめやりやがったな。手が込み過ぎてるぜ、ハハハ。
「おーい……降参しますって。昨日の麻婆豆腐を不味いって言ったのは謝るから。ゴメン母さん。ねえ、聞いてる? そろそろ出て来てよ。息子泣いちゃうよ」
母は出て来ない。これは相当お怒りと見える。けどあの人味覚おかしいんだよなぁ……真っ赤な麻婆豆腐なんて誰がサクサク食べれるの? 食べれないよ普通……。息子に晩御飯で拷問するってどうなんです?
「母さん、あなたの激辛好きに付き合えなかった事は謝ります。でもアレは地獄です。どうかお許しください、次からは何かしら対策を講じて食べます」
返答はない。成程、では考える方向性を変えよう。この転送の犯人は母ではないとする。そうすると、誰が犯人になり得るのだろうか……。
そこまで考え、答えに至った。母ではないとすればアイツしか思い浮かばない。
#泉__いずみ__# #麗佳__れいか__#。俺の幼馴染にして、俺をずっといじめていた女だ。あの女ならやりかねない。小学生の頃から取り巻きと一緒に俺に様々な屈辱を与えて来たのだ、この程度の運びだしならやるだろう。
やる……かなあ? いくら取り巻きと一緒だったとしても俺に気付かれずにこんな訳の分からない所まで運ぶとか……難しいか。いやいや、だがあの女は邪悪。黒魔術とか使って俺を……。
などと意味不明な思考を回していたところへ、金属音が聞こえて来た。
人が居るという事だろうか。呑気な考えと共に立ち上がった俺はすぐに気付いた。違う、これはただの金属音ではない。ドラマやアニメで聴き慣れたこの音は……剣戟の音!
俺は無意識のうちに腰を屈めて駆け出し、音のする方へと近付いて行った。金属音の間隔は徐々に短く、音は大きくなり、激しくなる戦闘を想像させる。
それが視認できるほど近くなった時、俺は樹の陰に隠れ、顔を出して覗き込んだ。
道着を着た侍が、全身緑の怪人と戦っていた。侍の振う日本刀が怪人のマチェーテとぶつかり、火花を散らす。
怪人は両手に一本ずつ、いわゆる二刀流で戦っている。手数の多さが徐々に剣道防具侍を追い詰めていた。道着の侍は少しずつ後退って行くが、そろそろ限界で後がない。
俺は混乱していた。目の前で見ているこの戦闘は何故起こって、どっちが悪者で、どっちが正義の味方なのだ?
「ヒ―ヒヒヒ!! テメエの皮を剥いで殺して身売りしてやるぜ!」
俺は確信した。あの緑の怪人が悪い奴だ。間違いない。ここで一発侍を助け、感謝を受けて恩返しを……いやいや違う、ここの事情を詳しく聴取しなければ。あんな化け物が居る以上、俺の住んでる所の近場じゃあないだろうし。……いや、俺の住んでる所かもしれん。近所の老人佐藤さんがあんな感じだったかも……。
そんな馬鹿な事を考えている間にも、侍はどんどん追い詰められ、樹に背を預けて剣の嵐を凌ぐ。かすり傷が増えて行く。だが致命傷や大きな傷を与えうる攻撃は見事に避け、緑の怪人と向かい合っている。それは遠目から見ても見事な剣技であった。
俺は何とかこの高度な戦いに介入できる手段を探し、足元の小さな石を見つけた。何とかこの石であの怪人の気を逸らす! 決定! ノーコンの俺に出来るかは知らんが、やるだけやってみよう!
石を拾い上げ、樹の陰から狙いをつける。よし、投げて当たるかどうかも分からないが、投擲!
「そらっ」
投げられた石は狙い過たず怪人の後頭部を直撃した。僅かに前方に傾いだ重心を的確に見抜き、侍は刀を斜め下に構え、断、と踏み込んだ。斬撃が怪人の腰から肩までを切り裂き、吹き飛ばした。
「ぎえっぷ……」
遅れて悲鳴を上げ、怪人は吹き飛ぶ。その勢いのまま、怪人は逃亡を始めた。死んでいないのだ。何という生命力……。
だが撃退は完了した。俺は樹の陰から飛び出し、侍の前に立つ。
「いやぁ、良かった! 俺の工作が上手くいったようで良かったよ、あ、さっき微妙に怪人の身体バランスが崩れたのはな……」
俺が自分の功績を侍に伝えようとしたまさにその瞬間、喉に刀の切っ先が突きつけられていた。
俺はホールドアップし、敵意がない事を示す。侍の頭部、面兜の奥は闇で見えない。
やがて侍は溜息を吐き、刀を下ろした。
「……まさかあなたに助けられるなんてね。屈辱よ、マサマサくん」
「……マサマサ? ……お前、まさか……」
俺を未だにマサマサ呼びするのは一人しかいない。侍はゆっくりと面を外し、その顔を露わにする。
「あら、女性の顔を忘れたの? あなたやっぱり屑ね、マサマサくん」
こぼれ出る黒い長髪。気の強そうな吊り目がこちらを睨んでいる。
「れ、レイカ……」
小・中・高校と俺を散々いじめていた女、泉 麗佳がそこに居た。
――――
「……異世界ィ?」
「そう、異世界。だってどう見ても、こんな植物とか、さっきの怪物とか、見た事ないでしょう? ちょっと考えれば分かるんじゃないの? 頭使ってる? それとも猿みたいに自分の劣情の事しか考えてないとか?」
一言多い女だチクショウ。
「そんなファンタジーじゃないんだからさ……」
「でも実際起こってる事よ。目の前の事実を受け止めれば? 腰抜けのあなたには難しいかもだけど」
マジで一言多くない? これ俺の被害妄想とかじゃないよね? 取り巻きが居ない今なら舌戦で勝てると思ったのになぁ……。
山道を先に歩きながら、俺は複雑な思いで歩みを進める。麗佳は腰の鞘に刀を納め、悠々と俺の後ろを歩いてくる。『男性が女性を先導するのは当然でしょう?』とのこと。この状況でいつも通りを発揮できるお前は流石だよ……。
「……でも、そうね。今、あなたが居るって、すごい奇蹟よね」
「え? 今なんて?」
「何でもないわ。さっさと行きましょう、道があるって事は人の居る場所に通じてるって事よ」
俺の問いに、彼女は何も答えず、山を下って行く。俺はその態度に軽い違和感を覚えつつ、その背中を追う。いっつもなら『耳が腐ってるのかしら、それとも聞き取れても理解できる脳が無いとか? 流石の私もドン引きよ』的な事を言いそうなものだが。いや、言って欲しいとかじゃなく、率直に疑問に思っただけね。そこ、ドMとか言わない。
「ほら見なさい、森が開けたわ。そして……」
山から下り切ったそこには、小ぶりな集落があった。茅葺屋根のやけに古い家屋が立ち並ぶ。大きな門がそれを囲い、盤石な守りを示している。
俺は確かな生活の気配を嗅ぎ取った。
「夢……じゃないんだな……」
「現実を受け入れなさい。なんなら刀で斬られてみる? 目が覚めるかもよ?」
このゴリラほんと動物園ですよね。
「……取り敢えず、この世界から出る方法を尋ねよう」
俺は言い、不用意に門に近付いた。直後、俺の太ももに何かが突き立った。
微かな痛みに驚き、目をそこにやる。するとそこには、小さな針のようなものが突き刺さっていた。
途端に混濁し始める意識。俺は暗くなる視界の中、門に開いた孔から吹き矢を構える人間を見た。
そりゃあ外敵と判断されるよな。この時の俺は本当にどうかしてた。
でもよ、信じられねえだろうけどこの村が、俺達の長いながーい旅の始まりの地になったってわけだ。